リディア・セルティアの未来①


 ぱたん、と扉が閉じリディアはなんだかふわふわと浮いていた気持ちが凄い勢いで地表に叩きつけられたような気になった。

 ずしりと身体が重くなる。

(私の治療をしたのは……ミス・エトワール……)

 本来、大怪我を負うのはリアージュでそれを癒したエトワールが聖女の力、『星の加護』を扱えるようになりダイアウルフの瘴気をも吹き飛ばすのだ。だが今は、リディアを癒すのにエトワールが力を貸すという状況だ。

(聖女として目覚めたのかしら……)

 怪我を癒すだけでは正直言って星教会や王家から『聖女』だと認められることはないだろう。ただ尋常ではない数のダイアウルフが出現したことから、その根源を浄化するために星力を使ったのかもしれない。そうなると『星の加護』が使える聖女の条件として有利だ。

(……まあどちらでも構わないのかな)

 ゆっくりと目を閉じ、リディアは寝返りを打つとぎゅっと自分の身体を抱き締める。

 要するにリアージュとエトワールが出会い、互いの力を認め合い、惹かれ合うようになればいいのだ。きっかけは二の次だろう。

(着実にリアージュとエトワールの距離は縮まっている……)

 その状況でのリディアとリアージュとの触れ合いは……想定外も外だろう。どう考えても偽の婚約者の距離ではなかった。

(何考えてるんだか……)

 リディア・セルティアとリアージュ・エル・ラムレイが結ばれる物語なんてどこにもない。もし原作でリディアが味のある脇役とかだったらまだ……二次創作にそんな話があるかもしれないが……。

(あるわけないでしょ。リアージュとエトワールの冒険恋愛小説だよ)

 ぎゅっと胸の辺りを握り締め、うめき声を上げながらますます身体を折り畳む。リディアとリアージュに今後なんてない。それでも、彼に護られる様に腕を回されて、すまないと謝られて……ときめかない方がおかしいだろう。

 特に前世でどうしようもない男に引っかかった身としては、流されたくもなる。

 絶対に放したくないと、訴えるような彼の甘い拘束に身体中を温かな血が巡る感触を思い出し、リディアは再び寝返りを打って天井を見上げた。

(駄目だ……。確かにリアージュとエトワールの恋物語を読んでたけど、間近でみるのは辛すぎる)

 そっと胸に手を当て、彼女は目を閉じた。心臓に絡んでいた白い手を探ってみるがことことと鼓動を刻む以外、それらしい兆候は見られなかった。

 きっと、本懐を果たして成仏したのだろ。

(……この世界の死後がどうなるのか全くわからないけど……)

 なむなむ、と目を伏せて手を合わせながらリディアは再び天井を見上げた。

 オーガストが死に、白い手のリディアも消えた。エトワールが現れ黒の領地での討伐戦も静かに終わりを迎えるだろう。聖女の要素だけが不確定だが、もうリディアが関わる部分はない。

(屋敷に戻ったら婚約破棄を申し込まなくちゃ)

 じわりと胸が痛んだ。

 もう白い手のリディアはいないというのに、と思わず苦笑しながら彼女は目を閉じる。胸を占める憂鬱が一刻も早く消え去りますように、と。



◇◆◇




 黒の領地の平定はその後つつがなく執り行われ、リディアは謹慎を言い渡されたナインと共にせっせと野菜の皮をむいて切り、畑を耕し、皿を洗い、繕い物をした。最終的には某・空に浮かぶ光る石を巡る冒険アニメ映画でヒロインがせっせと作っていたような寸胴鍋一杯のトマトシチューを作れるようになった。

 これで空賊にスカウトされてもやっていける。

 そんなどうでもいいことを考えられるような、精神的余裕もできた頃、ようやく討伐戦は終わりを迎え、オルダリア騎士団は王都へと帰還した。

 あとは破婚だ。

 今まで凍えるように寒い土地にいたため、残暑といえども暑さが身に応える。魔法が主の世界なので、涼しい風が屋敷内を循環しており快適ではあるが、一歩外に出ればうだるような暑さが続いている。

(この世界にもクーラー病とかあるのかしら……)

 貴族の屋敷にはこういった魔道具を使った快適設備があるが、一般には普及しているのだろうか……なんて考えながら窓枠に凭れかかって外を見る。

 そろそろリアージュに偽の婚約を解消すると話さなくてはいけないのだが。

「リディア様、そろそろお時間ですよ」

 ノックと共にナインが顔を出す。晴れ渡る夏空は茜色に染まり、金色の夕暮れがやって来る。ぼうっと眺めていたリディアは、その台詞に首を傾げた。

「時間? なんの?」

 きょとんとする彼女に、ナインが「まあ」と口元に手を当てた。

「主様から聞いてませんか? 今日は婚約式の後、初めて参加する舞踏会だから張り切って準備しろと」

「………………え?」

 聞いてない。

 朝、顔を合わせた際に「今日は早く帰れそうだ」なんて涼しい顔で言っていたが、その後舞踏会に行くとは言ってない。

「まあいいでしょう。リディア様はそのまま座っていてください」

 すっとナインが横に避けると、ずらずらと使用人たちが入ってくる。手には大小の箱、大きな鞄、それから煌めく鋏やら黒いヘアアイロンの原形のようなものやら……。

「ま……ちょ……ええ!?」

 さあ始めましょう、とナインがぽんと両手を打ち合わせた瞬間、物静かなメイドたちがリディアに群がり椅子に座らされたまま舞踏会への準備が開始されたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る