ふれるおもい①


 書きかけの魔法陣と、小瓶に入った鮮烈な赤。

 どこの家のものでもない、放置された砦にリディアの血を使って何かを召喚しようとしていた跡があると、フィフスからの連絡を受けたリアージュだったが、結局オーガストを倒すことはできなかった。

 何者かが先に彼を絞め殺していたのだ。

 彼が見つかったのは谷の中腹あたりで、リアージュが駆けつけた砦からはだいぶ遠い。つまり、あの包囲網を突破し、砦に戻り、魔法陣を描きかけて再び谷に戻る……といいささか説明のつきづらい行動をオーガストが取ったことになるのだが。

(協力者がいる)

 もう一人が砦で何者かを召喚しようとし、オーガストはそこに辿り着けなかった、と見るのが妥当だろう。

 彼に攫われたリディアが何か掴んでいるかもしれないが、今は思い出させたくない。

 不完全燃焼だが、収穫もあった。

 聖女だ。

(これも口外できないが……)

 エトワールに手をまわして協力を頼むことは可能だろう。いきなり王城専属の神星官への抜擢は無理だから、まずは公爵家で預かる形にしたい。

 名目ならある。

 自分と婚約者の命の恩人だからだ。

 日没までに全てを終わらせるという宣言通り、リアージュたちオーガスト捜索隊も日が暮れる前に砦へと戻ることができた。そのままリディアの部屋に行こうとして、ナインに止められた。

 全身泥と血と、怪樹の溶液のようなもので汚れきっていたからだ。

 先に風呂だと指示され、まだ謹慎処分を受けていないからとナインが侍女としての権限でリディアの寝室のドアの前に立ちふさがるのだから……仕方ない。

 身綺麗にしてようやく戻った時には、素直に扉を開けてくれた。

 そっとベッドに近づけば、彼女はすやすやと眠っていた。無理もない。

(指一本触れさせないと……豪語したのに)

 彼女を囮にするのだから、絶対に護りきる必要があった。なのに。

「リディア……」

 寝台の傍に椅子を引き寄せ、リアージュは腰を落とす。上掛けから伸びている細い手を持ち上げ手の甲に唇を寄せ、柔らかな掌に頬を寄せる。

「……リディア……」

 すまなかった、と悲痛な声が謝罪を告げる。すると溢れるように唇から言葉が漏れだした。

「本当にすまない……やはり君を連れてくるべきじゃなかった。屋敷に閉じ込めて、何不自由なく過ごさせておけばよかった……」

 そうすれば、怖い目に遭うことも傷を負うことも、死ぬような目に遭うこともなかった。

「リディア……」

 後悔の滲む声で名を呼べば。

「……リアージュ?」

 ふっと甘い声が響いた。はっとして視線を向ければ、彼女が少し驚いた様子で、そのエメラルドの瞳にリアージュを映していた。

 声が出ず、喉が引き攣る。目をいっぱいに見開く彼に、リディアはゆっくりと瞬くとふわりと微笑んだ。

「なんて顔してるんですか」

 ふふ、と声を漏らして笑う。その表情に、リアージュは動けなかった。最後に見た彼女の笑顔は、血の気の失せた表情で、今にも消えそうなものだった。それを爆速で上書きしていく。

「……どんな顔だ?」

 目を離したら消えると、本気でそう考えながらかすれた声で尋ねると、自分の頬に当てたリディアの手の指に力がこもる。そのまま、ふにっと摘ままれ、目を丸くするとその先でリディアが楽しそうに笑った。

「今にも泣きだしそうな顔です」

 そのリディアの口調と笑顔にリアージュは心臓が痛いほど強くなり、気付けば両腕を伸ばして寝台に横たわる彼女に覆いかぶさっていた。

「リ、リアージュ!?」

「悔しいがナインに感謝しないといけないな」

 風呂に入って正解だった。このまま彼女を両腕に閉じ込めておける。

「リアージュ!」

 声に困惑と叱責するような色が混じる。だが彼は腕を緩めるどころか首筋に顔を埋めて、耳の下辺りに唇を寄せた。

「痕付けたら絶交ですよ」

 冷ややかな声が身体を通して響く。思わず舌打ちすると、ぽかりと背中を叩かれた。それでも腕を解く気も離れる気もしなくて、彼女が激しめの抵抗をしたら止めようと妙な誓いを立てながら彼女の身体に腕を回して抱きしめた。

「……覚えていることはあるか?」

 そっと唇を肌に押し当てたまま話せば、くすぐったそうにリディアが笑う。

「……ええ」

 低い呟きと同時にふるっと腕の中の身体が震え、彼は慌てて語を繋いだ。

「すぐに思い出さなくていい。今は……何も考えるな」

 そっと告げれば、ほうっと彼女が長い溜息を吐いた。

「……オーガストの愛人が今回の件の首謀者だったようです」

 そっとかすれた声が告げ、リアージュが目を見張る。ぎゅっと彼女を抱き締める腕に力を込めた。

「どんな人物かわかるか?」

「シルビアと名乗っていました」

 シルビア。

 すっとリアージュの瞳が細くなり、鋭いきんいろが宿る。

 その名に心当たりはない。もしかしたら偽名だろうか。

「リアージュ」

 ぽんぽん、と腕を叩かれ、彼がはっと我に返った。

「すまない」

 きつく締めすぎた。ゆっくりと腕を解き、でもやっぱり離したくなくて、彼は無言でベッドに乗り上げると唖然とするリディアを抱き寄せて横になった。

「な……」

「血が足りなくて寒いだろう? 人間湯たんぽだと思え」

「思えるかッ!」

 鋭いツッコミを綺麗に無視し、リアージュは上掛けの下でしっかり彼女を抱え込む。

「私達は偽の婚約者なんですよ!? 誰かに誤解されたら」

「誰も誤解しない。君はオルダリア騎士団から忠誠を誓われた、れっきとした次期公爵夫人だ。その彼女を心から愛し、守ろうとする公爵が寝台で腕に君を抱いていても何の問題もないだろう」

「よ、嫁入り前の娘になんて破廉恥な! ってなるでしょう普通!」

 真っ赤になって言い返す彼女に、リアージュは片眉を上げた。

「破廉恥なことなどしていない。まだ」

「まだ!?」

「そうだ。俺が君に破廉恥なことをするとしたら……」

 自然とリアージュの視線が柔らかな薔薇色に染まる唇に注がれる。気付いた彼女が慌てて両手で口元を抑え柳眉を逆立てて男を睨んだ。

「な? してないだろう?」

 にこっと笑って告げれば「これだから顔面偏差値上位者は」という不可解な単語を呟いてぶつぶつ言っている。

 その彼女の髪を自分の指に絡めながら、リアージュはそっと尋ねた。


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