婚約式③


「もう部屋に戻りましょう。パーティはお開きでしょうから」

 リアージュの支配下から抜け出し、リディアは夏の夜風に中に混じる冷たさを感じながら立ち上がる。腕をさすりながら、いい香りがする空気を肺いっぱい吸い込んだ。

 その立ち上がったリディアの肘をリアージュが掴んだ。思わず彼を振り返れば、先程とは打って変わった真剣なまなざしが自分を映していた。

「……リアージュ?」

「我々は正式に婚約をした。内情はどうあれ……君はわたしの妻となるべき存在だと誰もが知ることになった」

「……そうですね」

 明日新聞に正式に記事が出れば、社交界の人間のほとんどがリディアとリアージュの婚約を知ることになる。ただ本当にここまでする内容だったろうか、と思わず俯いて考えていると。

「今日までコートニー伯爵はどんな動きも見せず、何事もなく式も終わろうとしている」

 ゆっくりと告げられた台詞に、リディアは嫌な予感がした。彼女が頼んだ復讐依頼は継続中で、交渉の材料にした『黒の領地での魔物強化』は現時点で兆候すらない。

(でも私の身体には不調がある)

 オーガストの物はきれいさっぱり解呪したが、もう一つ。急に倒れた時の……あれだ。それを呪いだと言い張れば、まだ自分の依頼をリアージュが受ける理由になる。

「彼が何を仕組んでいるのかはわかりませんが、依然として私との結婚をあきらめてはいないでしょう」

 静かに告げれば、彼の瞳が妖しく昏く、翳るのが見えた。

「ああそうだ。だから……最終手段に出ることにした」

 最終手段。

「……ものすごく嫌な予感がするのですが」

「君は物分かりがよくて非常に助かるよ」

 にこっと笑うイケメンに、リディアは一歩後退った。これは駄目だ。これは良くない兆候だ。この男が何を言い出すにしても絶対に自分の利益にならないだろう。間違いない。

「待ってください。それは私には無理──」

「君にも魔物討伐戦に参加してもらう」

(いいいいやあああああッ!)

 心の中で悲鳴を上げるリディアに立ち上がったリアージュが一歩詰め寄り、腰を屈めて耳元で告げる。

「君が言い出したことだ。コートニー伯爵が黒い羊で、魔物を強化する術に手を出すと」

 そりゃそうでしょう、という単語を必死に飲み込み、更に一歩引こうとするその腰を取られる。

「討伐戦には女性騎士もレディもいる。スタンレー伯爵令嬢なんか自分の騎士団を引き連れて参戦するはずだ。それからミス・アメリア・イグナーは魔法剣の使い手でもあるしな」

「どの女性も立派な強さをお持ちでしょうから当然ですね。ですが閣下、私はなんの力もない単なる元伯爵令嬢で──」

「野営用の砦は常に人手が足りない。各家に石造りの砦が存在し、その維持にも人手がいる。戦闘は無理でも雑用くらいはできるだろう?」

 笑顔で宣言されて、リディアは魂が抜けたような顔をした。ドウシテ、と片言で呟かれたその言葉を、リアージュが楽しそうに拾い上げた。

「君はわたしの愛する婚約者だ。一緒に連れていて護りたいと思うのは当然だろう?」

「魔物の出ない王都に置いていくことこそが最善だと思うのですが!?」

 思わず声を荒らげれば、リアージュが胡散臭さ全開の綺麗な笑顔を披露した。

「それでは君が呪いで倒れた時に傍に居られないじゃないか」

(っ……裏目に出た……ッ)

 できれば謹んで辞退したい。だが見上げる彼は絶対にリディアを連れていくと、決意みなぎる笑顔を崩さないので。

(……まあ、今後の動向を探るためにも……参加……するしか……ない……)

 うぐぐ、と憤りを呑み込んでリディアは無理やり頭を切り替えた。

 魔物討伐戦なんか参加したくないし、現代日本の優秀な家電に助けられてきた人間が、砦での後方支援という名目の食事担当や清掃担当等ができるわけがない。単なる足手まといだろう。

 だがエトワールが聖女として目覚め、リアージュの怪我を治すシーンに直面できればまた、色々変わってくるはずだ。

 もちろん、オーガストには魔物への関与で捕まってもらいたいし。

 すっと伸びたリアージュの手が、リディアの柔らかな頬に触れる。指先が頬骨の辺りから耳へと延びる薄い傷跡をなぞった。

「あれから一か月は経ったが消えないな」

 どこか嬉しそうに告げるリアージュに胡乱気な視線を向け、リディアは溜息を吐く。

「お化粧で綺麗に隠れてますからご心配なく」

 あっさり告げれば肌をなぞる手がぴたりと止まった。

「……綺麗に治るまでは俺の婚約者だ」

 低い声が訴え、リディアは思わず目を丸くする。何か言うより先に、リアージュがふっとその手を離した。

「黒の領地の討伐戦は一か月後だ」

 薄明色の瞳には一片の慈悲もなく、久々に見た冷たいそれに、リディアはぎこちなく頷く。

 オーガストと決着を付けるためには黒の領地に行かねばならないということだ。

 奴の悪事をこの目で確認して、白い手の望みを叶え、原作にある死の運命を回避する。

(そうなるとまずは動きやすい格好と……一応身を護るための武器を用意して……魔法は苦手だしなぁ)

 唇に手を当てて、早速計画を立てて歩きだす彼女の肩を、そっとリアージュが掴んで掌で引き寄せた。

「!?」

 綺麗に結い上げ、覗くうなじに何かが触れる感触がしてリディアの身体が凍り付く。

「な!?」

 振り返ろうとするも、後ろから器用に顎を掴んだ男が、更に同じ場所に噛みつくのがわかった。

「リアージュ!?」

「──……何があっても君は護ると約束しよう」

 ゆっくりと、温かなものが離れ、リディアは真っ青になった。自分からは見えないが、十中八九、首の付け根に赤い、鬱血の痕ができているだろう。その事実にどうやら男は満足したらしく、すっと隣に立つと恭しく彼女の手を取って歩きだした。

「なんてことを……」

 後ろ首を抑えて睨み付ければ、彼は肩を竦めるだけだ。

「婚約式の夜に浮かれた男がやった些細ないたずらだ。誰も咎めはしない」

「私が咎めますッ!」

 リディアの涙目の絶叫に男は「そうか」と言い放って笑顔を見せる。

「では」

 拒絶する前にひょいっと横向きに抱き上げられた。

「こうすれば首の後ろは見えないな」

 そういう問題じゃない、という悲鳴が辺りにこだまするが、リアージュは全く意に返さず、意気揚々と彼女を部屋へと運んでいった。

 生暖かい使用人たちの視線が飛び交う屋敷の中を。


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