対峙①

 覆いを下ろされたままの黒い馬車は、二十分かけて伯爵家まで辿り着き、そこからさらに十五分ほど走り続けた。やがてゆっくりと止まり、開いた扉から外を見れば、ホテルのエントランスを照らす煌びやかな明かりが目に留まった。

 きちんと送り届けられたことに安堵し、リディアはほっと息を吐く。

「明日の十時ごろまたお迎えに上がりますので、この辺りでお待ちください」

 丁寧に告げて、ハンチング帽にマントをまとった御者が頭を下げ、再び車に乗って去っていく。

 だいぶ夜も深くなり、ホテルに帰ってくる人もまばらだが、流石王都だ。何台かの馬車が連なっていた。降車する人の邪魔にならないよう、さっさと中に入ったリディアは大きな螺旋階段へと向かう。

 エレベーターが普及していない世界の様で、螺旋階段が建物を貫き、その周囲に回廊が巡っている。

(現代日本人には酷ね……)

 部屋は五階にある。

 そこまで登るのかとうんざりしながらも、リディアは螺旋階段をくるくる上り、長い廊下を一番奥まで進んだ。自分の部屋の扉の前で立ち止まり、レティキュールから鍵を取り出し、何気なく扉の上部を見つめる。

 そうしてひゅっと鋭く息を吸った。

 扉の上部にあらかじめ挟んでおいたリボンが消えている。

(この世界のホテルは、部屋の清掃は頼まないとこない。物が盗まれる恐れがあるから。だから鍵を持つ私以外、誰も入らないのが普通)

 だが、扉が開いたら落ちるように仕掛けておいたリボンが消えているということは。

 ふうっと溜息を吐き、リディアはぐるりと廊下を見渡すと、花瓶が置かれている丸い小さな台に目を留めた。


 ◆◇◆


 リディア・セルティアを乗せた馬車の御者は、実のところオルダリア公爵、リアージュ・エル・ラムレイの側近の騎士だ。

 彼はホテルの門を抜けて、街路脇に停まっていた同じような黒塗りの馬車へと寄せると御者台から飛び降りた。

 彼が近寄るより先に、停まっていた馬車の扉が開き、黒いマントとフードを被ったリアージュが降りてくる。

 主が何かを訪ねるより先に彼が応える。

「ミス・セルティアは中央階段から部屋に向かったようです」

「何階かわかるか?」

「五階です」

 彼女の部屋に招待状を届けたのも彼だ。自分の部下にリアージュは満足そうに笑うとホテルの裏口へと向かった。こちらから使用人用の階段を使って五階へと上がる。

 招待状を届けた時にこの通路に関しても手配済みだ。

 彼女に監視を付ける予定だったが、自分の目で確かめたい欲求が生まれた。終始不機嫌そうだった舞踏会での様子と、大胆にも暗い馬車の中で微笑む姿に興味をそそられた。彼女が言ったように、頭に花を咲かせることしか興味のない令嬢と雲泥の差だ。

(いや……もしかしたらそういう人間が、あのつまらない社交の場にもまだいるのかもしれない)

 笑顔で武装した令嬢の中にも。

 だが今後それを探す真似を、リアージュはするつもりはなかった。毒なのか良薬なのかわからない存在は一つだけでいい。

 ふと、こちらを睨む勝気そうなエメラルドグリーンの瞳と、細い身体を震わせた様子を思い出して高揚にも似た感情が沸き起こる。

(もしここで彼女が旧宰相派の連中と会うような真似をしたら……)

 さてどうしようか。

 暗い笑みを唇に浮かべながら、リアージュは軽々と階段を上って五階へと向かう。隠し扉を押し開け、魔法燈の明かりがともる廊下へとそっと足を踏み出す。大気が持つ魔粒子を取り込んで光るそれが廊下をクリーム色に染め上げていた。深紅の絨毯を踏みしめながら、リアージュはマントを脱いだ。

 黒づくめでフードを被った様子の方がこの場では怪しい。

 回廊を基準にしているため、各階の廊下は円形にカーブする建物の外壁に沿って年輪のように作られていて、それを貫く廊下が中央の螺旋階段から放射線状に伸びている。

 カーブする通路を行き、左手側に現れた通路を、身を隠して覗き見れば、ミス・セルティアが自分の部屋のドアを見上げているのが見えた。

(誰かを待っているのか?)

 上手く身を隠しながら後ろに続く部下のフィフスに片手で合図を送る。反対側から誰か来ないか見張れという指示だ。

 じっと気配を殺して確認すれば、彼女がふいっと扉から視線を逸らし何かを探し始めた。やがて、奥の壁際に置かれた花瓶に目を留めると、それを持ち上げて床に下ろし、乗っていた四本の細い足がついた台を持ち上げる。

(……なんだ?)

 踏み台にでもするつもりだろうか? でも何のために?

 眉間に皺をよせじっと見つめていると、片手に台を持った彼女は取り出した鍵を入れて回し、扉に身体を押しあてるとゆっくりと外側に向かって引き開けた。

 ちょうど、扉で身体が隠れるように。

 その直後、リアージュの目を疑う光景が展開された。

 ゆっくりと扉を開ききった後、文字通り、全身全霊、全体重をかけて彼女が扉を猛烈な速度で閉めたのだ!

 ばん、という大きな音と同時に「ぐああ」という呻き声が聞こえる。

(なッ!?)

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 だが、ぱっと扉から離れたミス・セルティアが再び勢いよく開いた扉と、そこから怒り心頭で飛び出す黒ずくめの男の前に、先程手にした台を突き出すのを見て理解する。

(待ち伏せか!?)

 命を狙われていると、彼女はそう言った。自身に呪術を使われた痕跡があると。

 気付けば、リアージュは床を蹴って走り出していた。

 視線の先ではミス・セルティアが台座の底面を相手が持つナイフの攻撃をかわすのに使い、必死に防戦している。何度か硬い木製の台に強打された暴漢は、ようやく台座の細い足を掴み、ぐいっと手前に引っ張った。

 たたらを踏む彼女に何故かリアージュはぞっと血の気が引いた。


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