白瀬薺は真っ暗な世界の中を走り続けていた。

 その世界には静かな雨が降り続いていた。

 その雨の中を、薺ははぁ、はぁ、と息を切らせながら、その小さな口から白い息を吐き出して、雨が降っていることなんか気にしないで、傘もささずに、両手と両足を全力で動かして、高校の制服姿のまま、懸命に、どこかに向かって走り続けていた。

 私、どうしてこんなに一生懸命なんだろう?

 私は、どこに向かって走っているんだろう?

 ……いつもみたいに、なにかから逃げるために、私はこんなに一生懸命走っているの? ……ううん。違う。

 私は逃げているんじゃない。

 なにかに向かって全力で走っているんだ。

 雨の中を薺は走り続けいる。

 どこに向かって?

 あなたに会うために?

 あなたに、会うために、私はこんなに一生懸命になって走っているの? でも、あなたって誰?

 はぁ、はぁ、と薺は息を切らせながら走り続ける。

 雨で視界が悪い。

 服が濡れて気持ちが悪い。

 でも、そんなこと全然気にならない。

 だって、この闇の向こうには、……この雨の先には、『あなた』が私のことを、ずっと、ずっと待っていてくれているんだから。

 ……薺。

 ……白瀬、薺。

 そんな声が聞こえていた。

 あの、夢の中で私に度々話しかけてきてくれた不思議な声だ。

 白瀬薺は、その『声』の聞こえてくる方向に向かって、闇の中を全力で走り続ける。

 すると、少し先に、闇の中で、白く光る、淡いぼんやりとした光のようなものが見え始めた。

 薺はその白い光に向かって走る続ける。

 すると、その光の中に薺に向かって手を差し伸べている、一人の少年の姿が見えるようになった。

 その白い光の中に立っていた人物。

 それは、……(やっぱり)森野芹くんだった。

 森野くんは、あのときのように、私に向かって、……雨の中で、にっこりと笑って、私に手を差し伸べてくれていた。(そう。思い出した。私は、森野くんに、こうして傘を差し出してもらったことがあった。手を差し伸べてもらったことがあった。……『私は、森野くんのことが、森野芹くんのことが大好き』なんだ)

「森野くん!」

 薺はそう叫びながら、その森野芹の差し出してくれる手を、確かに『つかんだ』。

 届いた。

 確かに薺の手は、芹の手をつかんでいた。

 森野くんは薺を見てにっこりと笑っている。……薺は、その目からいつの間にか透明な涙を流していた。

「森野くん。私、あなたに伝えたいことがあるの」薺は言った。

「僕も、白瀬さんに伝えたいことがあるんだ」と夢の中の芹は言った。

「私は……、あなたのことを」

「僕は……、君のことを」


 でも、次の瞬間、白瀬薺は自分のベットの中で、ひとりぼっちで目を覚ました。目を覚ました薺はしばらくの間、そのままベットの中で横になったままで、ぼんやりと真っ白な天井を眺めていた。

 ……今の夢は、幻?

 それとも、どこかで本当にあったことなのかな?

 ……ううん。

 きっと、夢じゃない。(幻でもない)

 あれは『本当に私たちの間であった出来事』なんだ。

 白瀬薺は勉強机の引き出しを開けて、そこにしまっていた『森野芹くんからもらった手紙』を手にとった。

 それから「……ふー」と息をはいて、勇気を持って、その手紙をゆっくりと、白瀬薺は、開いた。

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