第2話 ようこそ新世界

扉と窓のついた箱を幾重にも重ねた建物が建ち並ぶ。いわゆる貧民街と呼ばれる場所だ。

住人はそれぞれ小さな箱を家として暮らしている。


「ただいま」


誰も返事をしない空間に声をかける。以前は母さんと暮らしていたがもういない。俺を育てるために体を売る日々を過ごした結果、病気になって死んだ。


「さてと……」


思いがけず手に入った大金。誰にも会わないように気取られないように帰ってきたが、どこかに隠しておかないと。

隠すと言っても6畳ほどの小さな部屋にベッドとテーブル、小さな棚があるだけの家だ。ベッドの下か、棚の奥か。悩むだけ無駄だなと棚の奥に入れた。

金貨が入った袋は棚の上に適当に置いた。貨幣としての価値はなくても、金貨というだけで売れば金になるだろう。こちらを奪われて金の入った袋が残ればそれでいい。


俺は生活をかけてまで約束を守るほどお人好しじゃねぇからな。


別れ際のナズの呟きを思い出す。満足そうな声だった。途中で見せた満ち足りた顔といい、何があればあんな顔ができるのか。

母はずっと不安そうな顔をしていた。俺の前ではできるだけ笑顔を見せていたが、家に残す時、病気になった時、スリに行く俺を見送る時、死ぬ間際までずっとずっと何かに怯え続けていた。

周りの大人達は飢えて常に何かを奪い続けているし、子供達は全てを諦めた目をしている。

俺もきっと、ただ息をしているだけの空っぽな目をしているんだろう。


「おい!ヒスイ!帰ってるか!」


ドンドンドン!と無遠慮にドアが叩かれる。


「何だよ、セキ。そんなに激しく叩かなくても聞こえる。ドアが壊れるだろ」

「お!帰ってたか!」


ドアを開けるとニッと笑う男が立っていた。


「今日は成功したのか。ここんとこ失敗続きだったろ」

「今日は成功したよ。残念ながらまた野垂れ死なずに済みそうだ」

「はっはっは。そいつは結構」


豪快に笑う男に嫌気がさす。

コイツは俺にスリの技術を教え込んだ男だ。この辺の子供達に色んな技術を仕込んで生かしている。かと言って分け前を寄越せと言うわけではない。ただし、何か手が必要になれば必ず駆り出される。要は手駒をストックしているのだ。

ちなみに母に仕事を紹介していたのも、この家を用意したのもコイツだ。


「ちっと人手のいる仕事があってな。お前今から来い」


ほらきた。コイツが俺のとこに来るなら、そんな事だろう。


「わかった」

「お前は物分かりが良くて助かるよ。ところでその棚の上の袋は何だ」


セキは家の中を覗き込んで首を傾げた。

めざといヤツめ。


「帰り道で拾った。なんか見たことない金貨が入ってるから金になるかと思って。でも俺にはこういった物を売る方法もわからないし、お前持ってくか?」

「落ちてるもんを気安く拾うなよ。面倒なブツなら俺もごめんだ。いらねぇよ」


これでいい。

コイツは意外と小心者だから、自分の手の中の物しか扱わない。中身を素直に言えば欲しがったりはしないだろう。

嘘は本当に隠したいことだけに使うんだ。


「で、仕事に行くんじゃないのか?」

「そうだったそうだった。詳しくは集まってから話すから、とりあえず行くぞ」


セキについて家を出る。

思わずため息がでたのは、金貨を隠せた安堵からか、仕事への嫌気からか。




「よおし、集まったな。仕事の内容を説明するぞ」


セキが仲間達と溜まり場にしている空き家には、子供達が50人くらい集められていた。

大人はセキを入れて5人。その内の1人が仕事について説明している。


「今回は人探し。今から配る写真の男を探せ」


1人1枚写真が配られる。写っているのは20代後半くらいの男。明るい髪色と瞳の色。身なりは整えられていて着ている物も上等そうだ。

写真があるってことは特権階級だろ。何やらかしたんだ、コイツ。


「目撃情報は内容に応じて20〜50。捕まえたヤツには100だ。生死は問わん」


法外な額だな。それなりのとこからの依頼ってことか。そんだけコイツがやらかしたことがヤバイのか、単に逃げるのが上手いのか。


「俺らの誰かは必ずここにいるから、何かあればここに来い。以上。解散」


解散の合図で子供達がバラバラに散っていく。懸賞金の額にやる気を出す者、我関せずといった者、徒党を組む者、様々だ。

俺はというと、先ほど手に入れた金もあるしわざわざ人探しなんて効率悪いことをする気はなかった。




「ただいま」


ドアを開けながら家の中に声をかける。

ああ、また言ってしまった。もう返事をしてくれる相手はいないというのに。


「おかえり」


返ってくるはずのない言葉に驚いて顔を上げる。

家の中には見知らぬ青年が立っていた。

いや、待て。ついさっきこの顔を見た気がする。

慌てて手に持った写真を見る。間違いない。この写真の男だ。


「ただいまを言うなんて、きちんと躾をされてるな。親御さんはしっかりした人だったんだろうな」


飄々とした男は話しながらこちらに近づいてきた。


「あ、突然話しかけられてビックリしたよな。すまない。俺はトーカ。君に聞きたいことがあるんだ」


男の手がこちらに届く距離まで近づいてきたところで、我に返り後ろに飛び退いた。


「お前!何者だ!どうやって家に入った!」

「あらら。警戒させちゃった。そりゃそうか。家には鍵を開けて入らせてもらったよ。使ったのは鍵じゃないけどね。何者かと言われても名前は名乗ったしな。あ、強盗とかじゃないから安心して」


ペラペラとよく喋る男だ。だが、その軽薄な空気とは裏腹に全く隙がない。おそらく逃げてもすぐ捕まるだろ。


「相手の力量をよく分かってるな。利口なことだ。変に逃げられて怪我でもされたらこちらも心苦しいのでね。助かるよ」


敵意がないことの証明か、お前などすぐ捕まえられるという余裕の表れか、それ以上距離は詰めてこない。


「とは言え、あまり人に聞かれたくない話だしな。とりあえず家に入らない?」


男は間抜けな顔でヘラッと笑った。




この状況は何なのだろう。

密室に見知らぬ男と2人。しかも懸賞金がかかっている男である。

警戒してドアの前から一歩も動かずにいるが、相手は特に気にせず部屋の真ん中にある椅子に腰掛けた。


「さて、早速本題に入ろうか。君、今日ある車に乗り込んだろう」


やっぱりか。

ある程度は予想していた。こんなわけのわからないヤツに絡まれる理由は、今のところそれしか思いつかない。


「あ、心配しないで。俺はあの車の連中とは何も関係ないし、何か危害を加えるために来たわけではないから」


顔の前で両手を振って無害をアピールしてくる。

いちいち芝居がかったヤツだな。


「ただ、あの車の中で何をしていたのか聞きたくてね。あと持って出てきた袋の中身も教えて欲しいな」


ニコッと、まるで子供が無邪気にお菓子をねだるように手を差し出される。

こいつの狙いは何なのだろう。袋の中身を奪うつもりでもなさそうだし、本当にただ何をしてたのか聞きたいだけに見える。

どちらにしろ逃げ道はないのだし、ここは素直に答えるか。


「何って、人買いに捕まりそうになったから逃げ込んだだけだぜ。中にはガキ1人だったから、脅せば人買いが去るまでの時間稼ぎくらいはできるだろうと思ったからな」

「君もガキだと思うけど。じゃあ、袋の中身は?」

「さあ。見たことない金貨が入ってるだけだ。サカドとかいう人に会ったら渡してくれって頼まれたんだよ。もう一つはその報酬」

「ふ〜ん。そうか」


ひとしきり説明を終えると男は黙り込んでしまった。

そういえば、コイツ何で追われてるんだろう。そんなヤバイことしたように見えないけど。


そこで、ふと気づいた。


コイツを捕まえて懸賞金をもらえば、ナズにもらった金とあわせてかなりの額になる。それがあればここを出られるんじゃないか。こんな大人に飼われて惨めに死んでいく場所から。

隠し持っているナイフに触れる。

でも格闘になったところで勝ち目はないだろう。なら、何か理由をつけてセキの仲間のところへ連れていくか。


「俺に懸賞金でもかかってるのかな?」


男が真っ直ぐにこちらを見ていた。


「急に何かを考えだしてナイフに触れたね。俺の写真も持ってたし。自分で言うのもなんだけど、懸賞金の額はかなりいいんじゃない?」


ハハハと笑いながら男は続ける。


「車でもらった金とあわせると、ここを出れるくらいにはなるのかな。それなら捕まってやりたいのは山々なんだが、こちらも事情があるからねぇ」


いや〜、残念残念。とまるで残念じゃなさそうに手を振る。


「それに、ここを出て君はどうしたいんだい?」


急に真顔で問いかけられて、なぜか苛立ちを感じた。


「どうしたい?決まってる。ここを出て街に行って、まともな暮らしをするんだ」

「まとも?たとえば家を借りて普通の仕事をしてかい?」

「そうだ」

「じゃあ、普通の仕事ってなんだい?素性のわからない君がどうやって家を借りるんだい?」

「それは……」


答えられない。

まともな暮らしがしたい。でも、どうやるのかわからない。

ああ、結局金貨を金にかえる手段がないのと同じように、いくら金があっても俺はここから出て生きていく術がないのか。


気づいた真実に愕然とする。


「良かったら、俺と来るかい?」


暗い穴の底に光が差した。


「え?」

「あ、いや、こんな怪しさ満点のヤツについてくるかって言われてもだよな。でもここにいてもなんの希望もないままだろ。それなら、この出会いにかけてみないかい?」


う〜ん。ちょっと言い回しがクサイかな。なんて戯ける男を見ながら、俺は人生で初めて高揚感を感じていた。


「それに……」


ドンドンドンドンドン!

男の話を遮って、潰れるかと思うほどドアを叩く音が聞こえた。

慌ててドアの近くから離れる。


「おい!ヒスイ!いるんだろ!開けろ!」

「あちゃ〜。やっぱり俺の姿見られてたか」


やれやれと言った感じで男が立ち上がる。


「ほら。最初にドアの所で問答した時。たぶん誰かに姿を見られてたんだよ。突入されるならそろそろかなと思ってたんだ」

「な………」

「まあこうなったら、どっちにしろここにはいられないよね。行くあてもないなら俺と一緒に来るしかないよな」


ニコッと笑う顔は初めからこうなることをわかっていたようで。

……本当にコイツについてっていいんだろうか。


「ほら、すぐ荷物用意して。あのドアそんなにもたないよ」


一抹の不安を抱えながらも他に道はない。慌てて服や必要な物をまとめる。

棚の前で一瞬手が止まった。

視線の先には金貨の入った袋。

迷わずそれを鞄に詰めて、男に声をかける。


「用意できた!」

「よおし。じゃあちょいと荒っぽい方法で脱出するから、俺から離れるなよ」


男の後ろにピタッとくっつくと、男は思いっきりドアを蹴破った。

なんだ!と驚くセキ達を尻目に、俺を抱えて男は廊下の手摺りを乗り越え空中へ飛び出した。


「っええええええええ!」

「しっかり抱きついとけよ!」


パァァァァン!

空中に銃声が響く。

その瞬間大きな影に包まれたと思ったら、体がフワリと浮かび上がった。

おそるおそる体を見ると、巨大な鳥の足に掴まれていた。


「さあ、新しい世界の始まりだ!」


鳥はどんどん速度を上げ、積み上げられた箱から遠ざかっていく。

混乱する頭で、それでも感じた少しの寂しさが言葉をこぼした。


「さようなら」


「いってらっしゃい」


聞き間違いだけど。絶対に聞こえるはずのない声だけど。母さんの声が聞こえた気がした。

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