大陸暦1962年――胸騒ぎ


 お店を出て歓楽街まで続く道を歩いていると、道を通る冷たい風に乗ってふわっと匂いが届いた。

 ツンと頭まで届くような強い匂いだ。


「なんか酒臭くね?」シンが鼻を鳴らす。


 そうか。これお酒――アルコールの匂いだ。


「確かに」とソルトが眉を寄せる。

「なんか匂いだけでも酔ってしまいそう」とリリル。


 それをみんなで怪訝に思いながらも歩いていると、だんだんとアルコール臭が強くなってきた。それと同じくして靴底に違和感を覚える。なんというか、踏みしめる地面の感触がいつもより柔らかい。

 左右のお店の明かりを頼りに薄暗い地面を見てみると、土が水分を含んでいた。


「なんか地面、濡れてるな。まさかこれ、酒じゃねえよな」


 気にせず歩いているシンに、リリルが言う。


「誰かがこぼしたんじゃない? あ、そこ、水たまりになってるよ」


 言うが早く、シンがその水たまりを踏んだ。ぴしゃっと水が飛び散る。


「わっ、散っちまったよー。このズボンおろしたてなのにー」


 落ち込むシンに私とリリルが笑う。

 見ると水たまりはあちこちにできていた。私たちはそれらを避けて進み、歓楽街へと出る。

 それからはまた雑談をしながら歩いて、あっという間にルコラ修道院の裏門へと辿り着いた。

 レスト修道院のときは正門の手前まで送ってもらっていたけれど、ここに来てからはほかの見習いに見られないようにとマクレアに言われているので、裏門から帰っている。


「それじゃあまたなルナ」

「おやすみ」

「うん。またね」


 私は三人に手を振ると、裏門の衛兵に挨拶をしてから中に入った。

 外庭を抜けてまっすぐ自室へと向かう。消灯時間は過ぎているので外には見習いの姿はない。

 なるべく音を立てずに進み、部屋が見えてきたところで違和感を覚えた。


 あれ……?


 自室の明かりが消えている。消灯時間が過ぎているとはいえ、私が戻っていないのだからユイは寝ていないと思うんだけど……。

 変に思いながら扉を開けると、そこにはやっぱりユイの姿はなかった。


「もしかして院長室にいるのかしら」


 そう思い至って院長室に向かう。そして扉を叩いてからすぐに開けた。


「あぁ、戻られたのですか」


 執務机に座って書類を見ていたマクレアが顔を上げてこちらを見た。


「殿下が報告に来られるとは珍しいですね」


 その言葉にまた違和感を覚えながらも私は訊いた。


「ユイは?」


 マクレアは目を開き、そして眉を寄せた。


「一緒ではないのですか」


 そう、言うってことは。


「出る前にここに来たの?」

「来ましたよ。一時間半前ぐらいに――殿下」


 考えるよりも早く、私は院長室を飛び出していた。

 胸騒ぎを覚えながらそのまま畑へと向かう。裏門の人に説明する時間も惜しかったので、私は木を素早く登って塀を越えてから全速力で先ほど来た道を戻った。するといくばかしないうちに、話ながらのんびり歩いている三人の姿を見つけた。


「みんな!」


 振り返り見たシンが、走ってくる私の姿に驚いた。


「ルナ? どうしたんだよ」

「ユイがいないの」

「え」


 私の言葉に三人が、ソルトすらも驚く。


「マクレアが一時間半前に出たって」


 三人はそれぞれ顔を見合わせると、ソルトがぼそっと「まさか」と呟いた。

 その言葉が私の中にある胸騒ぎを、明確な不安へと変えていく。

 でも、それは誰もが思い至ることだ。

 だって一時間半も前に出たのにお店に来なかったのだ。

 修道院からお店までは歩いても三十分で着くのだから、どう考えても道中でなにかあったとしか思えない。


「いやでもこの通り、この時間になるまでは人通りがあるぜ。守備兵の巡回もあるし、そうそうなにかあるとは思えねえけど」


 そう言いつつもシンの顔にも心配が浮かんでいる。それはリリルも同じだ。

 でもソルトだけは違った。彼は考える素振りを見せると、すぐにこちらを見た。


「ルナ。マクレアさんには言ってきたのか」

「あ、ううん。話を聞いて飛び出してきちゃった」

「一旦、戻れと言っても」ソルトはそこで言葉を止めて息を吐いた。「戻らないだろうな」


 私の性格をよくわかってくれている。


「それなら俺が修道院に戻ってマクレアさんに伝えてくる。お前らは店に行け。そしてマスターに相談しろ」

「あぁ」シンがうなずく。


 的確に指示を出してからソルトが背を向けて走り出した。

 私たちも顔を見合わせてから走り出す。歓楽街を急いで抜けて、その途中でマスターのお店へと続く道に入る。

 するとまたお酒の匂いがツンと鼻についた。先ほどの地面が濡れていた場所だ。

 流石にそこを走ると水が飛び散って歩いている人に迷惑がかかるので、私たちはお店側に寄って進む。すると丁度、その近くのお店から出て来た一人の男性がこちらを見て笑みを浮かべた。


「シン。リリル。なんだ、飲み足りなくて戻ってきたのか?」


 どうやら二人の知り合いらしい。


「ちょっとな」


 シンが苦笑を浮かべて答える。雑談している暇はないけれど、邪険にするわけにもいかないといった感じだ。

 普通ならシンのその表情で折が悪いとわかりそうなものなんだけど、男性は酔っているのか特に気にした様子もなく続けた。


「あーまだ酒の匂いが抜けねえな。店の中まで匂ってきて今日はあんまり飲まずとも酔っちまったぜ」


 そこでリリルがなにか思いついたよう眉をあげた。


「ここでなにかあったの?」

「ん? あぁ。そうか。お前ら奥で飲んでるから知らねえのか。いやな、よりにもよってこの狭い道でさ、酒を積んだ荷車の車輪が外れてひっくり返っちまってよ。それでここいらに酒樽や割れた瓶が散乱しちまってそりゃもう大騒ぎでさ。んでそこらの店のやつらや客やらが手伝って片付けるまで通行できなかったんだよ。まぁ、俺は時間外で働くなんて御免なんで店の中で見物してたけど」


 へへっと男性が笑う。


「それいつのこと?」リリルが訊く。


 彼女がどうしてそこに引っかかったのか、もう私にもわかっていた。

 だから急く気持ちを抑え、黙って話の成り行きを見守る。


「んー一時間だったか二時間だったか」

「その間、ここを通る人はどうしてたんだ?」今度はシンが訊いた。

「まぁ、戻るか、どうしても通りたいやつは脇道でも通ったんじゃねえか」


 脇道――私はこの周辺の地図を頭の中に広げる。……歓楽街に戻って少し先にそれらしき道がある。

 それがわかると、私は来た道を走り出した。


「おい、ルナ! ありがとな」

「おう?」


 背にシンと男性のやり取りを聞きながら、私は走る。そしていくばかして目的の路地に辿りついた。

 そこは人が並んで三人通れるか通れないかぐらいの路地だった。

 魔灯まとうはなく、周囲の建物から漏れ出た光が辛うじて路地を照らしている。

 地図によればこの先に少しだけひらけた場所があり、そこから三本に枝別れしていてその一つが先ほどの道の先へと繋がっていた。

 その路地の入口には、フードを被った男性が壁に背を預けて立っていた。


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