第4話 夜の森

「──ご、ごめんなさい」


 消えるようなか細い声でそう呟き、柊さんは僕の背中からそっと離れた。


「柊、さん……」


 一瞬の出来事だっため、僕もどう反応していいのかわからず、言葉が後に続かない。

 仮にも彼女は僕のことをフったんだぞ……それもコテンパンに、だ。なのにどうしてそんな相手の背中にいきなり抱きついてくる? 訳わからん……いや、ここにきて初めて僕の魅力に気付いた、とか? まさかな……いやいやあり得ん話じゃない……


「虫……」

「ムシ?」

「そう。そこに大きな虫がいたから、びっくりして……その……驚かせてごめんなさい……」


 あ、そういうことね。

 期待した僕がバカだった。


「そうか、虫かぁ……って、のわっ!?」


 何か下半身がむずむずすると思って、ふと脚を見たら、本当に虫がいた。それも今まで見たことのないイモムシに甲羅をつけたような拳大の昆虫だ。某国民的アニメに出てくるグロテスクな形の虫をイメージしていただきたい。

 しかもそいつは僕の脚を通り越し、股間の辺りまで這い上ってくる。


「──ていっ」


 それを気合込めて何とか叩き落とすと、そのデカいグロテスクな虫は、カサカサと木の隙間に逃げて見えなくなった。


「ふう……」


 ここでやっと僕は落着きを取り戻す。先ほど柊さんに抱きつかれた事といい、デカい虫といい、己の心臓はよく耐えきったと褒めてあげたい。いつショックで心臓麻痺を起こしても不思議じゃなかった。


「……大丈夫だった?」


 大きな虫が去ってやっと安心したのか、あれから僕から遠ざかっていた柊さんが僕の隣に戻って来る。


「あ、うん。大丈夫……」


 さっきまで、マンガのような擬音しか発してなかったので、語彙が乏しく歯切れ悪い台詞しか言えない。もっと浮いた言葉の一つでも言いたかったのだか仕方ない。所詮、己の語彙力はこんなもんだ。

 それにしても、彼女は意外と落ち着いたものだ。幾ら他人事とはいえ、僕に張り付いたあんなグロテスクな虫をみてもあまり騒がなかったし……いや、最初は虫を見て僕に抱きついてきたよな? それにいつの間にか一人で逃げてたし……ま、女子なら仕方ないことだ。それにしたって冷静──


「うっうっ──」


 訂正。

 柊さんがまた泣き出しそうになっている。ちっとも冷静じゃなかった。


「ほ、ほらほら泣かないで、大丈夫だからさ」


 ここにきて、学校では常に優等生であった柊美空さんの意外な姿のオンパレードだ。僕は自然と優しい言葉遣いとなる。


「そうだ、飴食べる?」

「うん。食べる」


 今の彼女はまるで小さな子どもだった。



 いよいよ本格的に辺りが真っ暗になってしまった。スマホのライトで暗い森を照らしつつ、どこか屋根付の安全に休める場所がないかと探したが、そんな都合のよい場所は皆無で、というか、足場が悪くて歩きづらいうえに、そもそも周りが暗くて良く見えないし、辛うじて二人で座れる大きな平たい石を見つけたので、半ば強制的にそこで休むことにした。


「ほら、スカートが汚れるよ」


 直に石の上に座ろうとする柊さんを止めて、僕はササッと彼女の下にハンカチをひく。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 ちなみに自分は石の上にそのまま座った。お尻が冷たい。

 そしてスマホのライトを点灯させたまま膝の上に置き、リュックからカントリー◯ァムを取り出し袋を開けた。ちなみにファミリーサイズである。


「これ食べて、お腹が空いてるよね?」

「え、私も食べていいの?」

「当たり前でしょ」


 そう言うと彼女は、僕が差し出したすべての包みを受け取った。


「それにしても南雲君すごいよね。いつもそんなに沢山お菓子を持ち歩いてるんだ」

「いやいやたまたまだよ。今日は僕がお菓子当番で……ほら、男子らの雑談会で皆でワイワイつまむやつ? その余りがこれ」


 嘘である。野郎どもにそんな頬笑ましい馴れ合いはない。例えあったとしてもそのような光景はただ単にキモいだけである。

 僕がお菓子を沢山持ち歩いているのは、ただ自分が食べたいだけだ。常に身体が糖を欲している。え? 体型はスリムだよ。でも将来は気をつけねばならない。中年太りはやだし。


「ゴホっゴホっ──」


 気づけば隣でモソモソお菓子を食べていた柊木さんが蒸せていた。僕は慌ててペットボトルを彼女に渡す。これは告白の際、カラカラに喉が乾くと思い、あらかじめ用意した五百ミリサイズのお茶だ。貴重な水分なので、今の今まで我慢して温存していたのだが──


「ゴクゴクゴク──」

「へ……」


 よほど喉が渇いていたのか、柊さんはそれを一気飲みをしてた。


(……ま、仕方ないか)


 彼女はここ数時間余り水分を一切補給していない。慣れない山道を歩き通しにも関わらずにもだ。喉の乾きが限界を超えていたのだろう。


「あ……」


 やっと気づいたのか、ペットボトルの中身がほとんど空になるころ、彼女の暴走が止まった。


「……あの、南雲君も飲む?」

「うん」


 僕は、柊木さんから譲り受けたほんの僅かなペットボトルのお茶をチビチビと味わいながら飲み干した。

 そこでふと、ある重大な事実に気づく。


(──これって、間接キスじゃね?)



 スマホのライトを消した。今更ながらこの森はネット回線につながっていない。かといってスマホ自体は、ライト、計算機等──今後何かと役に立ちそうなので、余分な電力消費は抑えたほうがよいだろう。


「暗くなっちゃったね」


 明かりを消したせいか、急に隣から声が聞こえてきて、少し驚いてしまった。でも周りが暗くてお互い顔がよく見えないので、僕の変顔はともかく、今隣に座る彼女の表情も一切わからない。


「あ、ごめん。バッテリーやばくてさ」

「私、モバイルバッテリー持ってるよ?」

「え、マジで!?」


 まるで柊さんと電話越しで会話をしているような気分だった。



 いつしか僕らの会話が途切れて、暗闇の中、時間だけか流れていった。

 幸いにも気候に関しては、若干昼間より寒さは感じるが、このまま凍え死ぬほどでもない。加え、現状、獣、まして怪物等にも遭遇していないので、これがまた不幸中の幸いだった。

 とはいえ先程のデカい虫の件もあるので、まだまだ油断は禁物だ。今夜はいざという時に備えて、このまま夜を眠らず過ごすべきかもしれない。ゲームで完徹すると思えばいいだけだ。

 それでも柊さんは少しでも寝かせるべきだろう。隣から微かに聞こえる彼女の吐息の感じから、多分眠ってはいないだろう。


「柊さん、起きてる?」

「うん」


 やはり起きてた。


「少し寝なよ。何かあったら起こすからさ」

「ありがとう。でもその前にちょっとお願いがあるのだけど……」

「え、何?」


 お願い? なんだろう。


「……トイレ、行きたい」


 あ、そうか。僕はここにきて、あまり水分を取ってないけど、彼女はさっきペットボトルのお茶をがぶ飲みしたしな。


「じゃあ、行ってきなよ」


 僕がそう言うと、柊さんは真っ暗の中でも分かるくらいモジモジ感を醸し出す。


「……一緒についてきて欲しい、かも」



 遠くの草むらで、ガサガサと音が鳴る。

 柊さんがパンツを下ろす音である。


「……南雲君、耳を塞いでくれるかな」

「了解……」


 僕は素直に両耳を塞いだ。それに伴い僕の耳から後の音は遮断された。これまで照らしていたスマホのライトも当然消している。

 真っ暗の中、用をたす柊さんは、今一体どんな気持ちなんだろう、とか考えているうちに、ふと思った。


(よく映画やドラマでこういう場面ではきまってよく──)

 

 ガサッ──


 突然、僕は淡い光にさらされた。僕は思わず顔を背ける。

 そして、明かりとともに何かが僕に近づいてくる気配を感じる。突如、僕の背中に、ドンと衝撃が走る。つんのめりながらも、何事かと顔だけ後ろに視線を下げてみると、柊さんが前かがみで僕の腰にしがみついていた。


「柊さん……」

「……南雲君」


 徐々に近づいてくる淡い明かりに照らされながら、自然と僕らは名前を呼び合っていた。背中越しに彼女の心臓が早く脈打っているのを感じる。


「〜〜〜〜〜〜」


 そんな僕らに向かって、何かの影が言葉らしきものを発声していた。僕にはその声が何を言っているのか、まるでわからない。

 一応、僕の腰にしがみついたまま離さない柊さんに「何言ってるかわかる?」とジェスチャーをするが、彼女は上目遣いでブルブルと顔を振った。


「〜〜〜〜」


 もう目の前まで迫った影がまた何か言っている。もうこうなったら覚悟は決めた。どうせ逃げられない。後は運を天に委ねる。

 そして──


「〜〜〜〜〜〜」


 何かの言葉を発しながら僕らの姿を明かりで照らし覗き込む、小さなおじさん、が僕たち二人の目の前に現れた──

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