西都奇異譚・茶釜薫の物の怪相談室

英じゅの

プロローグ

「だから、俺は、怪しいもんじゃないって言ってるだろ」

「どう見ても怪しいだろうが、妖のくせに」

「それ、差別発言だからな。若様に言いつけてやるっ」


 一体何の騒ぎだ。全く、山を下りる度に、街の喧騒にはうんざりする。ここは、にぎやかな西都の中でも、西都大学、西都公達きんだち学園、中央図書館のある文教地区で比較的、静かな場所のはずなんだが。


 普段なら、人同士の言い争いには興味もないし、関わりたくもないので、見て見ぬふりをして通り過ぎるところだが、今日は、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。この西都は、別名を魔都と呼ばれる場所柄、必ずしも言い争っているのが人同士とは限らない時があり、「若様」という言葉を聞いてしまった以上、このまま立ち去るわけにはいかない。


 この国に棲む妖が「若様」と呼ぶのは、この世に一人。私の甥っ子のことだからだ。


 正確には妻の実兄の息子で、血の繋がりはないが、伝説でしか聞いたことがなかった四つの魔力を持って生まれてきた子供で、その魔力は、数多あまたの妖を引き寄せる。ただ、その後ろで強大な加護を与えている存在への畏怖で、彼らの若様に悪さをするものは皆無だ。いるとしたら、それは、ただの「人」だな。


「どうされましたか」


 声を荒げていた若い男に声をかけると、男は墨装束の私を見て、すっと手を私の腕に置いて制止しようとした。


「お坊様、危険ですので、どうぞお下がりください」


 私にこんなことを言うのは、西都の外から来た者で間違いないだろう。生粋の西都人なら、私の正体を知っているから、こういう場合は、躊躇いもなく、私を前に押し出すはずだからな。


「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。この西都で、妖が若様と呼ぶのは、間違いなく、私の甥のことでしてね」

「坊さん、若様のおじさんなのか。あんまり似てないな」


 足元から、小さな気配がした。ほとんど妖力を持たない小さな妖だ。危険も何もないだろう。


「ええ、血は繋がっていませんからね。私の妻が、ふーちゃんの父君の妹なんです」

「えっ、大魔神さまの妹?ああ、あの怖い魔力の女の人か」


 尻尾の毛をぼわぼわにして怯える小さな妖の素直過ぎる反応に、笑ってしまった。あの義兄は、妖にまで大魔神認定されていたか。相変わらず面白い兄妹だ。


「ええそうです。嘉承かしょう公爵兄妹の魔力は、確かに怖いですねぇ」

「うん、すごく怖い。でも、大魔神さまと妹さまは、怖いけど、優しいと思う。俺と弟が若様の家に遊びに行くと、俺が強い魔力に当たって消えるかもしれないから、ちゃんと若様のそばにいろって、いつも注意してくれる」


 なるほど。そういうことか。


「ちなみに、弟というのは小野明楽おのあきら君のことですか」

「うん。俺、明楽の兄ちゃんだから、ちゃんと可愛がってやらないといけなくて」


 そう言うと、芝居がかった態度で、小さな妖が大仰おおぎょうに溜息をついてみせた。


「なるほど、それは大変ですねぇ。ご苦労さまです」


 間違いない。いつだったか妻が面白そうに話してくれた小野子爵家の黒猫の妖だ。


「黒猫さん、お名前は、確か猫又パンチ君でしたっけ?」

「にゃんころパンチだよ。若様の手下だから、にゃんころ。坊さんは何ていうの?」

「ああ、これは失礼しました。私は喜代水きよみずというお寺で貫主かんすをしている茶釜薫ちゃがまかおると申します」


 私が、小さな猫又に自己紹介をすると、隣にいた若い男が、ひどく焦って私の腕を引っ張った。


「喜代水寺の貫主かんしゅ様、と言うことは、茶釜教授の弟君でしたか。あの、貫主様に、大変失礼とは存じますが、妖に名乗られるのは危険では」


 こんな小さな、ほとんど妖力をもたない妖には、名を明かしたところで全く問題はないし、私の名など、甥の後ろにいる最強の妖に生まれた時から知られているから、今更だ。


「自ら、甥の手下を名乗っている子ですから、問題ありませんよ。それに、このパンチ君は、千台せんだいの黒龍様のところから遣わされた子ですから、身元がしっかりしていますし」


 妖の身元なんか考えたこともないが、一応、そう言っておこう。私の言葉に、小さな妖が「ふふん」と勝ち誇ったように若い男を見やった。確かに頼子の言う通り、生意気ながら、どこか憎めないやつだ。


「うん、そう。俺がちゃんとしないと黒龍様のお名前を汚すことになるから、しっかりやれってみずちの長老様に言われてる。だから、俺はちゃんとした妖なのに、この兄ちゃんが難癖をつけてくるんだ。坊さん、説教してやってよ」

「おい、猫又、失礼だろう。坊さんって言うな。貫主様だ」


 まぁ、坊さんで間違いはないんだがな。経を読むし、寺に住んでいるし、結構な修行を重ねて来た自負はあるし。それは間違いなく寺の坊主だな。


「坊さんで構いませんよ。あんまり、その辺に、こだわりはありませんから」

「ほら見ろ。失礼なのは、俺にも坊さんにも名乗ってないお前のほうだろ」


 それも、そうだ。猫又の言うことには一理ある。なかなか頭の回転の速いやつだな。この若い男は、帝都の陰陽寮おんみょうりょうから西都大学に派遣されて、私の兄の研究室で助手をしている陰陽師だろう。そう考えると、妖相手に喧嘩腰なのは納得がいくが、何もこんな妖力を持たない小物を相手に目くじらを立てることもあるまい。あの真面目で苦労人の陰陽頭おんみょうのかみが泣くぞ。


「まぁまぁ。何が原因かは分かりませんが、陰陽師の、確か施火せびさんでしたか。この妖は、私の甥の仲間のような存在なので、どうか勘弁してやってもらえませんか」

「俺は悪いことなんかしてないし。この兄ちゃんが勝手に難癖つけてるだけだし」


 私が丸く収めようとしているところに、猫股が反論をしてきたので、若い陰陽師に笑顔を向けたまま、足元の猫又を抱き上げて、口を塞いだ。ふごごごっと音を立てた猫股が、てしてしと私の手を叩く。しまった。鼻も塞がれたら、さすがの猫又でも息はできないか。


「難癖じゃなくて注意だ、注意。若い女性にセクハラをしていたくせに、何が悪いことはしていない、だ。十分、悪いだろう」


 セクハラ?猫が女性に?


 大丈夫か、陰陽師。こんな小さい猫又が女性相手にどうやってセクハラが出来るというんだ。蹴られて終わりだろう。直立歩行で喋る以外は、そこらの猫と同じレベルだぞ、こいつは。


「あの、施火さん、この子が、女性に何かひどいことでも?」


 ありえないが、一応、訊いておく。


「若い女性にまとわりついて、お膝に乗せてくださいとか言うのを目撃しました」


 ・・・そうか。


 あまりのくだらなさに、思わず白けてしまった私を見て、腕の中にいた猫が居心地悪そうに、身じろぎをした。


「俺、猫だし。全然、問題ないし」

「お前、都合の悪いときだけ、猫のふりするなよ。猫又パンチって言ってたじゃないか」

「ちげーし。にゃんころパンチだって。それから、あれはナンパってーの」


 猫股が、人間の女性をナンパとは、最近の西都も、昨今の多様性ってやつに影響されてきたか。やっぱり関わるんじゃなかった。


「貫主様、それに、こいつ、若様の手下と言いつつ、瑞祥ずいしょう公爵家の名前を出して、女性に声をかけていたんです。不敬罪で、西都総督府に突き出しましょう」


 いや、陰陽師、それは、先生に告げ口をする小学生の態度と変わらなくないか。ただ、確かに、勝手に瑞祥公爵家の名を語るのは良くないな。妖達が若様と慕う私の甥は、この国に二家だけの大公爵家の一つ、嘉承公爵家の嫡男だ。もう一つの瑞祥公爵家とは親戚とはいえ、あまりに違い過ぎる両家の評判を考えると、小さな妖の仕業とは言え、瑞祥家を名乗るのは注意しないといけないな。


「坊さん、俺には正当な理由があるんだって」

「そうですか。では、その理由を教えてもらえますか」

「この間、ここで、白い昔風の着物の人に会った。その白い人が、女の人には嘉承じゃなくて、瑞祥家の猫を語った方がウケがいいって教えてくれた。若様は、二代辿れば、瑞祥で、三代辿れば皇帝の血筋だから、嘘にはならないって言ってた」


 どこの誰だ、妖にそんなロクでもない入れ知恵をしたのは。下手に事実なだけに、言い返すのが面倒だ。


「その白い人、なかなかの事情通ですね。どなたかご存知ですか」

「知らない。でも、神様だと思う。隣に、大きな尻尾の白い狐の妖がいた。その狐が、それは間違いないですねぇって頷いて、笑ってた。だから、俺は悪いことしてない。神様に言われたから、その通りにしているだけだし」


 ・・・白い妖狐を連れた白い人。節美稲荷ふしみいなり大社の宇迦之御魂大神うかのみたまのおおかみ様のことか。いかにも、あの神様が仰いそうな内容だけに、否定がしづらい。神様公認のナンパか。


「なるほど、そういうことでしたか。それは信心深いパンチ君としては、お稲荷様の仰る通りにするしかありませんね」

「そーゆーこと。俺、悪くないよね」


 私の腕の中で、小さな妖が胸を張る。神様がその御使みつかいの神獣を連れてお出ましになったら、人の子に何が言えるだろう。あの有難くも傍迷惑なコンビは、絶対に、面白がって、この小さな妖に余計なことを吹き込んだにちがいない。


「施火さん、こういう訳ですので、大目に見てやってくださいね。西都の常識は、帝都と、少し異なる事情がありまして・・・」

「少しですか」

「ええ、少しです」


 よし。もう、言い切った者勝ちだ。悪いな、陰陽師。これが西都だ。


 この国の中で、一番、魔素が濃く漂う西都では、昔から、妖も魔力持ちも、驚くほどに多い。


「施火さんなら、お分かりかと思いますが、ここは魔素が濃いでしょう。ですから、魔力持ちも妖も、濃い目のが出現しがちでして。妖精と呼ばれるいにしえの存在もいますし、神や仏や悪鬼やら、色々と出没します」

「はい、まだ赴任して数週間ですが、魔素の濃さと魔力持ちの多さと強さは実感しています。ですが、まさか、本当に・・・」


 若い陰陽師が、私の言葉を聞いて絶句していた。帝都は魔素が薄いので、魔力持ちの力が弱い。そのせいか、妖の態度が悪く、人は妖に恐怖心を持っていることが多い。


「本当です。全て、存在します。この子が良い例ではないですか。施火さん、でも、私は、この世で一番厄介で恐ろしいのは、妖ではなく、むしろ人だと思っていますよ」


 そう、人の世で一番厄介なのは、間違いなく人だ。それが道を踏み外し、人でなしになったら、さらに厄介だ。


「人ですか」

「ええ、人です。職業柄、色々と見てきましたので、間違いありませんよ」


 私が若い陰陽師に頷くと、腕の中で小さな猫又が、ぽそりと呟いた。


「でも、坊さん、見えてないじゃん」

「おい、こら、猫又。貫主様に失礼だろう!」


 陰陽師が猫又に怒鳴った。正義感はいいが、短気は損気だ。早死にするぞ、陰陽師。


「いいんですよ。私の目が見えないのは、本当のことですし」


 私が笑って流すと、遠慮のない猫又が、てしてしと私の腕を叩いた。


「でも、坊さん、どうやって一人で歩き回れるの?危なくないの?」

「気配というやつです。それに私には魔力があるので、目では見えませんが、力で視ることができます。問題は、目に見えないものまで、視えてしまうことですかね」



 そう、本当に、昔から、それが問題なんだな。






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新連載、見切り発車です。どうぞ、よろしくお願いします。

猫又パンチ君と陰陽師の施火さんは、外伝に出てくるキャラでして、お時間あれば、お読みくださいませ。


「貫主」は、西都では、かんす、帝都では、かんしゅと読むということにしました。念の為。

ちなみに、私の育った場所では、かんすです。妖は出ませんが、確かに、鬼はいました、笑。

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