弱いままのあなたでいて!~最強魔女は幼馴染勇者の『影の護衛』~

ばち公

第1話 護衛として最高最適の存在

「――こうして、お姫様と王子様は幸せになりましたとさ。めでたしめでたし」

「わあ、ルゥすごい。読むのがとっても上手になったわね」


 私が手を打って褒めると、ルゥはほっぺたを赤くして「えへへ」と笑った。

 これは小さいころの私とルゥだ。

 当時からルゥは圧倒的な””光””だった。空より鮮やかな青色の目、天使の輪が光る金糸の髪。そしてなにより彼には、全身からにじみ出るオーラのようなものがあった。誰だってルゥに目をとめてしまう。胸打つ宗教画でも見たかのように、気付けば心惹かれてしまう。

 私は永遠にルゥを見つめていたかったし、私にはルゥさえいればそれでよかった。他のことは全てどうでもよかった。


「……どうしたの、グラニア? お腹すいたの?」


 ルゥがふっくらした頬を緩ませて笑う。彼の笑顔は本当に善と幸福を体現したかのようで、見ていると胸がいっぱいになる。世界がひれ伏す最高の笑顔だ。


「ううん。だけどやっぱり、悪者は退治されちゃうのね。いつだって幸せになるのは、王子様と、お姫様」

「なんでかな? 画を派手にしやすいから、とかかな?」

「ルゥ、あなたってそういうところクールよね」


 そんな可愛い顔で、絵本に現実を持ち出さないでほしい。


「パターンになってるとはいえ、酷い話だよね。グラニアみたいな、いい子だっているのに」

「私は悪い存在なのよ、ルゥ。それにしょうがないわ。こういうのって、もう決まってるの。世界とか、運命とか、そういうので。絵本でも、いつもそうじゃない」

「難しいことを言うね、グラニア」


 ルゥは首を傾げた。


「よく分からないけどグラニア、僕は君の味方だよ。君がそれを恐れるなら、僕は、そうだな……。グラニアを世界から護れるくらい強くなるよ。ううん、強くなれなくても、グラニアを世界から護ってあげる」

「難しいことを言うのはあなたよ、ルゥ」


 当たり前みたいな顔でそんなことを言えるくらい幼くて、無邪気で、世間知らずで。


「でもありがとう、ルゥ。大好きよ」

「僕もグラニアが大好きだよ。だから泣かないで。……ねえ、信じてね。僕のこと。そしたら僕、いくらでもがんばれるから」


――だけどそんな一かけらの約束を大事に胸にしまい続けてる、私の方が幼いのかもしれないね。




 目覚めると宿屋の天井があった。しばし寝ぼけ眼を瞬かせ、『このすぐ上の部屋にルゥが寝ている』というそれだけの事実にしみじみしてから、私は大きく息を吐いた。


「あー、いい夢見た」


 最高の目覚め――いや永遠に寝ててもいいくらいの夢だったのだから、むしろ最低の目覚めなのかもしれない。

 しかし冷静になると苦しくなってくる。

(なんだあの『可愛い』は!!?)

 幼いころのルゥが可愛過ぎて、夢に見たという事実だけで激しい動悸、息切れ、目眩。あんなにも尊い存在をこの世に生み出した、人類の可能性に感謝。生命への深い感謝の気持ち。ありがとう、世界。ありがとう、大自然……。

 心が落ち着いてきたので、大の字になって天井を仰いだ。眩しい朝日とともに訪れる静寂。

 窓の外、遠くで小鳥が鳴いている。耳を澄ませば、彼らが無邪気に何を話しているのかも分かるだろう。

 なぜなら、私は『魔女』だから。


「…………あの絵本のタイトル、なんだっけ」




「やあ、おはよう!」

「おはよう、ルゥ! 今日も早いのね! あら寝癖がついてる可愛いわ。グッ、かわいっ!」

「いやホント早いな……。俺、まだ眠いんだけど……」

「はは、しっかりしてよ、クレト。もう朝食の準備はできてるってさ。あ、女将さんがフルーツをサービスしてくれるって!」

「気前いいなー。なんかの祭りか?」

「ううん。ちょっと雑談したり手伝ったりしてたら、『運命の子』におまけだって。やったね!」

「わーっ! さっすがルゥね! 素晴らしいわ。やはり天使なのでは? 大天使ルゥリエル」


 颯爽と食堂へ向かうルゥ。灰色の髪を掻き上げながらその背を追うのは、眠気でぼやっとした顔の少年、クレト。

 やがて食卓に着くと、恰幅のよい女将によってササッと並べられる朝食。おまけのフルーツはもちろん、スープもサラダも、どことなく多めに盛られているように見えなくもない。


「お待たせ! 朝食二人分・・・だよ! いい子にはサービスさ! それにしてもウチみたいな宿に、勇者一行が来るなんてねぇ」

「あはは、ありがと女将さん。全部すっごく美味しそう!」

「勇者一行って言ってもだけどなー」


 ルゥとクレト。朝食の席についた二人を背後から眺めながら、私はルゥにうっとりしてしまう。


「元気よく食べるルゥも最高に可愛いー! どうしてそんなに可愛いの? もう好きなだけ食べて――」


 私は魔女グラニア。

 たった一人の仲間とともに、危ない冒険に出てしまった、愛しい愛しい幼馴染、ルゥの『護衛』――


「――ほしいけど、さすがには許せんよなあ」


 ただし、自主的かつ非公認の、影の護衛だ。

 今も姿を消してはいるが、背後から彼の姿を見つめている。睡眠薬一つ、私の目からは逃れられない!

 私はルゥが嬉々として手を伸ばす、スープがなみなみ注がれている木皿を睨んだ。そのまま人差し指をついと視えぬ空気の流れに這わせ、引っ掛ける。するとスープ皿が派手にひっくり返る。


「ぶふぉっ」

「うわーっ! 僕のスープ皿がクレトの顔面に!!」

「すごいねむい」

「正気!?」


 激しい音を立てて、スープ皿ごとテーブルに突っ伏すクレト。

 ルゥはクレトを救助しつつ、いつの間にか姿を消した女将を呼ぶが、彼女は現れない。

 そしてルゥは眼の前の惨状を放置できるような人間ではない! 優しく可憐な正義の体現者なので。


「ちょっとタオル持ってくるね!」


 やっぱりルゥは責任感があって誠実で心が青空よりも美しく澄みわたっている……。

 素早く部屋に戻る素敵な背中を脳裏に焼き付けてから、私は改めて、確保した女と対峙する。

 先ほどの女将だ。お人好しの装いはどうしたのか、忌々しげにこの私を睨みつける。ちょっと身の程知らずな、ただの中年の女だ。表面上は。

 女は舌打ちをして、見えぬ捕縛から逃れるように身じろぐ。


「貴様あのガキの仲間、いや護衛か? くそっ! ただの客では、」

「待て」


 私は手を掲げて女の発言を制した。静寂――しばし女が大人しく口を閉じていたのを確認してから、私は続ける。


「今のお前の発言で褒められた点は、私を護衛と呼んだところだ。そして評価できなかった点は、ルゥをあのガキなどと吐き捨てたところだ。……さて。今の私の説明が理解できたなら、もう一度言い直せ。チャンスをやろう」

「……お前は何者だ? ただの護衛とは思えない。なぜ私の毒を見破った」


 まあ許容範囲か。

 私はルゥ以外の事柄に関しては、なかなか心が広いと自負している。


「私は魔女グラニア。魔女生まれ魔女育ち。悪そうなヤツは大体支配下。闇、夜、病、死、そして毒! すべての悪に依る概念は私という自我・概念・魔力の三点の支配下に置かれている。だからこの私に、睡眠薬紛いのしょうもない毒ごとき見抜けないはずがない……つまり」


 私は誇りとともに堂々と胸を張った。


「私はルゥの護衛として、最高最適の存在なのよ」


 主張したいことを語りきり、さて満足に浸ろうかという私に、女がつまらない声で水を差す。


「魔女? お前が?」

「ええ、魔女よ。ルゥは私を魔女と呼ぶわ」

「…………つまりお前が勇者を? あの『運命の子』を護るというのか?」

「そうよ。物覚えの悪い……さっきからそう言っているじゃない」


 女は、口角を歪めて嘲笑する、その姿が滲んだかと思えば、現れるのは異形の者であった。

 人とは異なる骨格が浮かんだ皮だけの矮躯に、鮮やかな緑青の肌。漆黒の髪からは、小さな角が覗く。比率の狂った大きな黒一色の眼球が、私をぎょろりと映し、そして嘲笑うかのようににんまりと細まる。

 異形の生物。私は『悪魔』と呼んでいる。


「その自称魔女とやらが、世の敵を打ち払う勇者を?」

「……」


 ゆったりと微笑んでみせる余裕が、私にはあった。それこそ今さらであった。

 ルゥは勇者だ。神の名の許に選ばれた、世界でたった一人の存在。神が、世界が定めた運命をも捻じ曲げることができる――それを許されている、唯一の存在たる『運命の子』。人々のため人間の敵を倒し続ける、伝説、というよりお伽噺のなかの英雄的存在。

 つまり、『悪』にとっては、ただの敵だ。


「……それでも、私はルゥを護ると決めた。私自身と、なによりルゥにそう誓ったのよ。だから、」


 ふと、ルゥの気配がした。熱心にタオルや掃除道具をかき集めてきただろう彼の気配を。

 瞬間、私は悪魔の背後に魔法で跳ぶ。


「――喋るな、動くな」


 その枝のような喉首に腕を回す。が、そうして脅す必要のないほど、悪魔は大人しく口を噤んでいた。従順なまでに抵抗がなかった。私は小柄なソレを引きずるようにして、厨房の奥へと下がった。

 表から、ルゥがクレトに対して、何やら懸命に呼びかけているのが聞こえる。羨ましい。私もルゥに心配されて起こされたい。ルゥ目覚まし欲しい。

 溜息吐く私から嫉妬の感情を嗅ぎつけたらしい悪魔は、その大きな目で私の様子を窺った。


「なぜ愛する男とともに行動をしない? 恐れがあるなら、私の力を貸してやってもいい」

「ほっといて。私は陰からルゥを助けられれば十分なの。お前ごとき雑魚の力は不要。囀るなカス」

「助ける、か。であれば勇者の傍にいて、彼が強者として成長・・できるよう手を貸すべきでは? よければ私が、」


「くだらないことを言うな」


 不快さと呆れに睥睨すれば、悪魔は震えるように息を呑んだ。


「ルゥはね、」


 慌ただしい足音だけで、ルゥの姿が脳裏に浮かぶ。

 あどけなさの残る輪郭、柔らかな産毛の光る澄んだ白い頬。金糸の髪がきらきらと後光のように輝く。

 幼い頃から変わらない、芸術品のように完成された究極の生命。

 そう、彼は既に完成されている――


「か弱く可愛い、今のままでいいのッ!!!」


 そう。そうなのだ。どいつもこいつも分かってない。


――勇者。『運命の子』。世界でたった一人、神に選ばれた存在。世の苦しむ人々を救うため放浪の旅に出る、救世主。


 はあ?????

 ルゥの清く明朗な精神が、戦いのなか荒んでしまったらどうするんだ?

 可愛く優しい最高のルゥが、望まぬ血に塗れて精神を病んでしまったら、誰がどう責任を取るって?

 というかこんな役に選ばれて、怪我したり死んだりしたらどうすんだ?

 許せねえ人類……。ルゥが人類でなければ、ルゥが暴力を嫌ってなければ滅ぼしていた。


 ルゥは今のままでいい。幼い頃から変わらない、清く可憐なままでいい。強くならなくていいし、成長なんてしなくていい。

 いつまでも私の手の届くところに、私の手の中にいてほしい。


 だから私は、ルゥの前に立ち塞がる全ての障害を薙ぎ倒す。

 愛しのルゥを護るために。

 可愛いルゥを、決して成長させないために!!


 私が影の護衛なんて面倒くさいことをしているのも、このためだ。本当はルゥといちゃらぶ二人旅 (おまけにクレト)がしたい。堂々とルゥの世話をやきたいしやかれたい。雑魚を粉砕して「すごいねグラニア」とか「さすがグラニア」とか褒められたい!


 だけどさすがにルゥの前で、彼の成長を妨害するために動いていたらバレる。絶対にバレる。最初くらいは誤魔化せるかもしれないが、最後には絶対露見するという確信がある。

 ルゥはぽやっとしている、というかちょっとお人好しな鈍い(可愛い)ところもあるが、近しい人間への観察眼や直感力には目を見張るものがある。さすがルゥ。生命体として優れている。この世の頂点。存在が神。

――もしもルゥに全てバレてしまったら、私はどうしたらいい?

 まさか、自分の勇者という役割を受け容れているルゥ本人に、


「弱いままのあなたでいて!!」


 なんて叫べるほど私は豪胆ではない。何故なら私はルゥのためだけに生きる魔女だから……。


「……なのに、」

「ヒッ、」

「なのにお前らクズは潰しても潰しても湧いてくる……。ルゥを成長させるような試練、傷付けるような悪行。全て私が消してきた潰してきた滅ぼしてきた!! なのにお前らはっ! お前らはいつもいつもいつもっ!! 私と! 彼を!! 引き離そうとするッ!!」

「分かった! 分かった私が悪かった頼む! 頼むから助けてくれ! もうあのガキっ……いや、あの方には、手を出さない」


 神妙な声。

 私は舌打ちして、その悪魔の体を床に突き飛ばした。


「……いいわ。未遂で済んだもの、殺す気は無い。どこへでも行きなさい」


 悪魔は地面にひれ伏したままだ。


「ただし、私を忘れるな。そして、二度とルゥには近付くな。……貴方がすべきことはそれだけだ。いますぐ姿を消してこの場から失せろ」


 一刻も早くルゥの元に戻りたい。ルゥを視界にいれたい。逸る気持ちのまま踵を返し、足を進める。

 

「あ、」

 

 そんな私の胸を、汚い鉄の剣先が貫いた。

……どこに、こんな凶器を隠していたんだろう。


「何が魔女だ、化け物! この、狂った化け物が……」


 嘲りを耳にしながら、数歩たたらを踏んで。


「ごめんね悪魔」


 振り返って人差し指を伸ばすと、そこから走る一筋の光線が、悪魔の胸部を貫いた。


「魔女グラニアは物理無効なんだ」


 錆びた剣を抜いてみせると、血液一つついていない刃に、悪魔は信じられないと目を見張る。

 私は、その剣を振りかぶった。




「う、ウウーン……」

「クレト、まだ具合が悪い? やっぱり村に戻る?」

「いや、少し眠いくらいだ。歩く分には問題ない」


 まだ本調子じゃないらしいクレトを気遣う大天使ルゥ。私は彼の背中を見送りながら、今日もこの純粋さが守られたことに感謝する。


「それにしても、女将さんはどこに行ったんだろう? 急にいなくなるなんて、ちょっと心配だよね」

「どうせ買い出しとかだって」


 と、クレトはあくびを噛み殺している。

 ルゥとクレトが宿を去った後、厨房奥に隠されていた宿の住人の死体を、村人を誘導して発見させた。

 側でくたばっている悪魔の死体と、転がっている鉄の剣に、適当なストーリーを作ってくれるに違いない。あとは彼らに任せておけばいいだろう。


「でもごめんね。僕がスープ皿をひっくり返したせいで……」

「あれはお前のせいじゃない。触れてもなかっただろ? それにまあ、うん……」


 ちらっと背後を気にするように振り返るクレト。

 こっそり威圧すると、彼は小さく肩を落とした。

 その横で、ルゥがきょとんと首を傾げている。横顔もきれい。そしてまんまるお目々が可愛い……。可愛い……? 可愛い! 可愛い!!! うわ!!! 可愛すぎる!!! 偉大! かわいさが偉大すぎる! 眩しすぎる! 待って……ルゥ自身が光ってる!? 光り輝いてる!? あっ気のせいか。


「次はどうしようか? このまま森を突っ切るか、回り道をして川沿いを進むか……」

「森だな。こうも天候が不安定だと、やっぱ川は避けたい」

「じゃあこのまま街道を進もう。近くのキャンプで夜をやり過ごして、明日晴れていたら――」


「次は森ねっ! 分かったわ、ルゥ!」


 ぱっと手を打って、私は宙に飛び上がった。

 今日も私、グラニアによる影からの護衛は続く。

 か弱くて可愛い、今のルゥを守る。ただそれだけのために!!

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