4ー1
場面はそこから一週間が過ぎた翌週の土曜日になる。
福松はその間にアルバイトや京都で開催しているワークショップなどの情報を集めることに精を出していた。ざっと調べてみた限りだが、京都からはあまり演劇熱を感じ取ることができないのが本音だ。
活動的な団体は片手で数えられる程度だし、役者向けのワークショップなどはやっているのかすら怪しいレベル。ただこれに関しては大方の理由は見当が付く。関西で芸能活動を精力的に行おうと思うなら十中八九の者が大阪に行くからだ。
現にネット検索でも関西で開催される演劇公演や劇団員募集などの情報はほとんどが拠点を大阪に置いている団体だ。中に入ってきて分かったが京都にはそれほど芸能の需要がない。現代演劇は言わずもがな能狂言のような古典芸能も想像していたよりも開催回数が少ない。
京都で活力のある芝居の現場と言うのは撮影所か、もしくは南座くらいのものだった。
「こうなると大阪に出ないと厳しいかもしれないなぁ」
流石に週に一回の二時間程度の講義でどうにかなるほど役者の世界は甘くはない。仕事とするならば所属する芸能事務所にも目星をつけなければならない。駆け出しがやらなければいけない事はまだまだたくさんあるのだ。
色々と今後の身の振り方を決めあぐねいている中でふと時計を見る。すると間もなく時代劇塾の講義ために出発しなければならない時間になっていた。
「あ、やばい」
そうして乱雑に机に並べた予定帳とルーズリーフを負けないくらい乱雑に片付ける。支度は前日の夜に用意していたので、それをかっぱらうかのように持つと急いで家を出た。
「いってきます」
福松は風呂敷を自転車の籠に乗せると、青い空を見上げた。そして夏を思わせるほどに温かくなった京都の空気を肺に入れてせっせと自転車を漕ぎ始めた。
◇
撮影所に到着した後は先週と同じようにプレハブの控室に向かい、講義開始の時間まで一葉や林と雑談に花を咲かせていた。特に林は大学在学中に芸能事務所に所属していたらしく、福松にとってはとても貴重な話だった。
「やっぱり事務所を探した方がいいんだな」
福松は誰に言うでもなくそう呟いた。すると一葉がそれに答えるように言った。
「けど事務所もピンキリですからね。役者の他にもモデルとか芸人さんと兼用とか、そもそも役者を募集してなかったりとか、気をつけないといけませんよ」
「確かに…けどフリーの状態は早く何とかしたいしなぁ」
「もしくは…例えばこの撮影所の大部屋に入るってのも手じゃないですか。歴代の名優野中には大部屋出身で活躍している人も結構いますし…まあ今はほとんどいないですけど」
正直それも考えないではなかった。そもそもドリさんはそれを期待している節がある。
しかし一葉の言う通り現代においては大部屋に入って役者として大成するのは難しいのが実状だ。正直、二の足を踏んでしまう。
役者としてやっていくためにやはり事務所は焦らないでじっくりと選ぶべきだ。そうやって先延ばしを結論付けると、ちょうど講義の始まる時間となった。
今日の講義は先週とは異なり試写室でなく、撮影所内にあるセットで行うと伊佐美から事前に連絡を貰っていた。オープンは何度か見たことがあったが、セットを使うのは初めての事だったのでにわかに興奮を覚えていた。
林も自分と同じく初めての事だったので、先導を一葉に頼んで後をついていった。すると女性陣が明後日の方向に歩いていくのが見えた。
「あれ? なんで女子たちはあっちに?」
「今日は男女別だって守衛室のリストに描いてありましたから」
「あ、全然見てなかったです」
辿り着いたのは№5と呼ばれているセットだった。巨大な倉庫のような建物の中は土がむき出しになっており土埃と古い家屋独特のかび臭さが鼻を殴った。セットの中には例によって小道具が置かれていた。それで何となくは今日の講義の内容が予想できた。
用意されていた道具を見るに、今日の講義は『駕籠』で間違いないだろう。
すると伊佐美と共に今日の講師がセットにやってきた。その講師を見て福松は鼻が動くのが分かった。
「お早うございます。今日は撮影所の俳優部の方に駕籠の担ぎ方を指導して頂きます。ではお二人ともよろしくお願いします」
「はい。俳優部の美鳥です。よろしく」
「よろしくお願いします。同じく俳優部の苦竹です」
苦竹と名乗ったのは三十代半ばくらいの俳優だ。柔和な顔立ちをしてはいるが、眉が薄く全体的に角ばった顔をしているのでこちらに与える印象は少々武骨に思える。
福松はドリさんと化生部屋以外の俳優部の役者をその時初めて見た。
伊佐美は「後はよろしくお願いします」と一礼すると、そそくさと№5セットを後にした。そうして福松にとっては二度目の時代劇塾が始まった。
「ま、見ての通りですが今日は駕籠の担ぎ方を練習します。が、最初は座学と言うか知識を確認します。じゃ苦竹君、お願いします」
「え? 僕ですか?」
「せや。先輩として駕籠を知らん後輩たちに説明してやってや」
「聞いてない…」
苦竹は困った様な顔をして前に出ると、ぽりぽりと顔を掻いた。
「えッと…駕籠です」
「見りゃ分かるわ」
「そうですけど…えー今でいうところのタクシーに当たる乗り物です。色々と種類があるんですが、撮影所で使うのは主にこの二種類。僕らは普段、それぞれ『町駕籠』か『大名駕籠』と呼んでます。町駕籠は御覧の通り造りが簡単、ゴザの扉が付いてれば上等みたいな感じです。これは木で枠組みを作ってる上等な奴で、たまに竹で作っただけも使う、と」
生徒たちは用意されていた二つの駕籠を見比べた。確か両者の違いは一目瞭然だった。
大名駕籠の方は黒漆を塗ったかのように光沢のある黒さを放ち、金色の装飾も散りばめられている。そもそも材料からして造りが違うのが明らかだった。
「今日は両方を持って動いてもらう予定ですが、最初はこっちの町駕籠からやってもらいます」
「はい」
「その前に苦竹先生。持ち物の説明をしてください」
「あ、すみません」
苦竹は駕籠に立てかけられた竹の杖を取る。杖の天辺には竹の節目に合わせたような穴があり、それを藁を束ねた蓋で閉じられていた。時代劇で駕籠の担ぎ手が持っているのをよく見る。これと「エイホ、エイホ」という掛け声が駕籠かきの代名詞と言っても過言ではない。
「これは『息杖』と言います。杖と言っても地面に付けることはほとんどなくて、バランスを取るのが大きな役割です。で、もう一個。息杖の知識として重要なのがこの上の部分ですね」
苦竹はそんな前振りをしてから息杖の天辺を指さした。
「ここの中には塩が入っています。ま、これは小道具なので実際には入ってませんけど。実際にやって見ればわかると思いますが、駕籠かきは重労働で少し動いただけで汗を掻きます。しかし水を持ち歩く訳にもいかないので、合間合間にここにしまっていた塩を舐めていたと言います。脱水症状対策ですね、要するに」
「へえ」
と、福松を含め何人かが豆知識に感嘆の息を漏らした。『こっくりさん』でも思ったが、江戸時代の人たちの塩分摂取量はエグイことになってなっていそうだ。尤も、今の工業用の塩と違ってミネラルなんかも豊富だったのだろうけれど。
するといい加減に知識だけはなく、実際に駕籠かきの動きをやってみたいという気持ちが高まってきた。
福松がそんなことを思っているとまるで図ったかのようにドリさんが、
「それじゃあそろそろ実践と行こか」
と言いだした。
ドリさんと苦竹は息杖を握ると解説を挟みつつ実際に動きを押して始める。
「まず原則としてペアになる人は背丈が似通っている人。そこは現場に入る前に事業部が確認すると思うんで大丈夫だと思うけどね。で、並んでみて少しでも低い方が前、高い方が後ろ。そうしないと前が辛いばかりで進まなくなるから」
「はい」
「んで担ぐわけやけど、肩にクッションか何かを入れてないと痛いから。事前に駕籠やるって分かったらタオルなり持ってきてもらって。で、大事なのが担ぐ前に相棒と相談して、最初に踏み出すのは右か左かを決めて置くこと。足がばらけるとこれまた大変なことになるから」
そう言うと苦竹が早速聞いた。
「ドリさん。で、どっち足から行きます?」
「俺は左」
「じゃ僕は右」
「なんでやねん」
そんな掛け合いで生徒たちの間に笑いが起きた。先週の国見監督の時とは異なり適度に笑いがあって全員がかなりリラックスしているのが見て取れた。かくいう福松も先週の緊張を引きずっていたが、大分ほぐれてきたと実感している。
前にドリさん、後ろに苦竹の位置に付き二人はいよいよ実技を披露し始める。
「いいかい?」
「いいですよ…よっ」
「「エイ、ホ、エイ、ホ、エイ、ホ」」
と、尻上がりする小気味よいテンポを保ちながら二人はNo.5セットの中を数度周る。福松は前回の反省を活かして一挙手一投足までドリさん達の動きを見て、二人の技術を盗もうと頑張っていた。
そうしている内に福松は体さばきの基本が先週に習った棒手振りのソレとほとんど同じような気がしてきた。やがて二人は元の位置に戻って駕籠を下ろすと、ふうっと短く息をついた。
「まあ、ひとまずこんなところか」
「そうですね」
「それじゃ習うより慣れろってことでペアになって駕籠をやってもらおうか。コツとして何と言っても二人の呼吸だな。後の奴は押しながら、前の奴はブレーキを掛けるようにするといい。速さよりも安定を意識すること。イメージとしてはハンドルとブレーキは前の奴、後ろの奴がギアチェンジって感じだわな」
「そして『エイ』で片足出して進んで『ホ』で後ろの足を追い付かせるって感じで、とにかく最初は急がないようにやってみてください」
「はい!」
生徒全員で背比べをした結果、福松は林とペアを組むことが決まった。そしてペアの代表がじゃんけんで順番を決めると福松たちはトップバッターで駕籠を担ぐ事になった。
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