第5話 あぁ、我等の純血は誇りである

 久方ぶりに外に出てみよう。そう決意したのは前日だった。


 この街に来てから二人は適応していったのに、私は変わらず引きこもる。今の私は誰もいない家に寂しさを感じ、外の音や人影にビクビクする罪人と同じ。


 私はもう何日外に出ていないのだろうか。こんな介護者状態の生活から抜け出し、二人の支援なく自立できるように頑張らなければ。


 唯一の私が着れる上下灰色のスウェットを着用する。祖国の囚人服だし丈も足りてないがこれしかないから仕方がない。

 最初の頃に感じていたチクチク感がなくなっている。ゴッホは暇なとき洗濯などもやってくれるため、ちなみに私は未だ勉強中。


 ドアノブの冷たさが指に伝わり、今から自分が行う行為に不安がよぎった。それでも覚悟を決めよう、今日変わらなければまた明日……また明日と先延ばしにするだけだ。


 勇気を出してノブを捻り引っ張った……けれどもびくともしない。動かない。鍵は外したはずなのに扉が開かない、もしかしたらこれは私に外に出るなと誰かが忠告しているのでは……

 

 ノブから手を離して塞ぎ考え込んでいると反動なのか風なのか、扉が前へ動いた。ああ、この扉内側から押すタイプなんだ……そういえば、誰も建築に関しては無頓着だし仕方ないか。


 外から聞こえる音に、身体が強張る感覚を覚える。あんなに覚悟を決めたけどやっぱりまだ怖い。心臓の音が大きく聞こえる位の緊張感。呼吸が不規則で荒くなる、右手が震えてる、左手で抑えるも腕に力が加わるだけ、それでも……


「行かなきゃ……行かなきゃ……変わらなきゃ……」


 服の襟首をつまんで数秒、私は扉を優しく蹴り上げゆっくりと重い足を前へ前へ持っていった。

 久しぶりのきれいな空気と冷たい風、眩しすぎて立ち眩みしてしまうような太陽の光、そしてフィルターなしに聞こえる周りのかすかな音……私は、約一ヶ月ぶりに社会に帰ってきたんだ。


---


「眩しっ!!!」


 久方ぶりの外は目に毒だった。太陽が私を冷遇するかのようにギラギラ照らしていたので、顔の前に手を持ってきて影を作る。


 前までは普通に感じていたこの気候が私の心理を苦しめ『もういいだろう』と悪魔の囁きが聞こえてきた。


 でも人が人なら本当にこれで充分だろう、長いこと家に引きこもっていたお荷物が外に出たんだ。これ以上何を望むのだろうか? でも私が対象なら話は別、街に訪れ人に会い、新しい社会的関係を繋ぐところまでがゴールだろう。


「街へ行こう」


 大翼を羽ばたかせ街の方へ飛んでいく、そのときの私はとても緊張していた。


 街で嫌われはや一ヶ月、行けば次は何をされるかわからない。

 正直行きたくないが、これも自分を変えるため……ここで逃げたらまた孤独な日々が待っている。


駄目なら早く終えて帰ろう。

 心を引き締め、そこらのとりよりも早く飛んで街にたどり着いた。


---


「……うう……」


 街には飛んだが飛行は結構な体力を使う、なので近くの木々に隠れ羽休めをしていた……それは建前で本当は人に会うことに怖気付いた情けない理由。


 ここまで来ると町中の活気溢れる声が聞こえてくる。賑やかな声と反比例して身体が強張っていく。


「うう……うう……」


 もう言葉も発していない、自分でもわかるくらい泣きそうになっている。

 ここまで来たのに勇気の一歩が出ない、決断力がない、優柔不断。皇帝になった者とは思えない自信の無さ……これは失脚したからそうなのか、あるいはその逆か?


「元始……我々は自由を求め、曇り空の世界を彷徨っていた。滾り流れた、汚れなき血は、幾度も朽ちて、分裂すれど。志は、統べからく……真の愛を、忘れるべからず……あぁ、我らの純血は誇りである」


 心を落ち着かせるために国歌を歌う。何度も何度も、自分に言い聞かすように。

 あの忌々しい歌も今となっては心強い。


「あぁ我らの純血は、誇りである……あぁ、我らの純血は誇りである」


 ナショナリズムな部分を何度も何度も復唱して、頭の中のもやを吹き飛ばす。


「……行くよ」

 覚悟は決まった。


---


晴れやかな青空の下、活気あふれる大人の挨拶、そんな明るい街に場違い一人。


 あまり顔を指されないように隅をひっそり歩く。覚悟は街前で萎縮し、それでも僅かな想いを胸に妥協案を思いついて今この状態。


「パン太郎くんウチの子と仲良く遊んで」「今度私達ピクニックに行くんです」


 何気ない会話は耳に入るたびに私への悪口に聞こえてくる。


 この状況に私は今

「あぁぁぁ……帰りたい」


とっくに心が折れていた。

「もーりすぅ〜、たすけて……」


 小さな声で呟いたが、あの子はなんか駆けつけそうな気がする。そんな気がしてあたりを見渡すも誰もいなかった、ひとまず安心した。


 どうしようか、本来の目標を変更して、このまま夕方までじっとしているのもアリなのでは……もう私には、人に話しかける心理的健康さはない。


「……よし帰ろう」


 撤退を決め体を回転させたその時、それまで照らされていた足元が暗くなった。と思いきや一瞬にして元通り晴れやかになった。


振り返ると大きな影が動いている。

とっさに空を見上げると


「……円盤、あれか?」


 小型の円盤がスッと空中を通り抜けていった。あの円盤は見覚えがある、だからおそらくこの後は……


「行くぜきか……行かざるべきか……」


 きっとあの円盤は悪さをするだろう、そこを助ければ本来の目標である『社会的関係を繋ぐ』ことが出来るかもしれない。しかし、この案件は私が暴走化して街人から疎まれた前例がある。


***

「助けてくれたのはありがとうございます。でも、あんな危険なことはだめです」

「僕たちの遊び場を返せ!!!」

「そうよ、あなたのせいで私たちは辛い思いをしたのよ!!!」

***


きっと行ったところでまた迷惑をかけるだけだ。この世界にはスーパーマンがいるんだ、ソイツに任せておこう。


「……ゴメン」


 もっと器用なら、もっと勇猛なら……わたしはもうすぐ起こるであろう事件から一目散に逃げ出し、家へ戻るためにもう一度翼を広げた。


---

「あぁぁぁぁぁ………………………………」


 家に帰ってすぐベッドで仰向けになり、黄昏れていたら、外も黄昏だった。


 賑やかな街の人に怖気付き、何も起こさず尻尾巻いて帰ってきた自分の情けなさ。あのときに決めた覚悟は、必死の言い訳とともに消沈してしまった。


「また振り出し……遅れ馳せか……」

 明日も行こうかな、でもまた同じことの繰り返しだと思うし……


「ただ今帰りました!!!」


 モーリスの無尽蔵に明るい元気な声が聞こえるけど、心の疲労から一瞥するのが限界だった。


「旦那様聞いて下さいよ。昼間働いていたら――」


「あら、皆さんも帰っていたんですね」


 ゴッホの声も聞こえた。以下同じ。


「今日はビーフシチューとやらを作りましょう。祖国でいうとミツガスープのようなものですので、皆さんのお口にも合うかと思います」


 ミツガスープ……ウミガメの卵と犬のホルモンを香辛料のスープに絡める、祖国では珍しい火を使う料理。

 ただこの料理はコクが強く、疲弊や病気で食欲のない人にはあまり良ろしくない。


「その料理はどうなの? 味」


「ミツガスープに比べれば薄味ですが、結構濃いめですね。もしかして薄味のほうがお好みでしたか?」


「アホ! 今の旦那様は、疲れまくっている最中なんだからドバドバっと入れとけよ!!!」


 モーリス、半分正解半分間違い。

「そのままでいいよ。久しぶりに味の濃い料理も食べてみたかったし」


「左様ですか。それでは」


 嘘だ。今の私は霞ですら喉に通りにくい。


 ゴッホは赤ワインの瓶を百八十度ひっくり返し、本当にドバドバと寸胴の中にぶち込んだけど。

うぅ……見てるだけで胃もたれしてきた……でもいい匂いがする……


「そういえば、街でおかしなことがあったんですよ」


 唐突に話しかけてきたモーリスに、首だけを向ける。

 おかしい事とはおそらく、ウイルスマンの一件だろう。


「手前の家が突然爆発したっていうか……家が一軒燃えたっていうか……」


「そんなことまで……」


「え?」


「いや……なんでもないよ」


 あいつって結構極悪非道なんだな。なら私のあの行動は少しでも称賛されてもいいんじゃ……

 そんな考えを外へ飛ばすように、頭を大きく横に振った。


「出来ましたよ」


机の上に並べられた料理―ビーフシチュー―は、まるでヘドロのような見た目だった。

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