七十五話 別れと始まり

「……うぅ……ん……あ、朝……か」


 疲労と半覚醒の心地良い沼から何とか抜け出してゆるりと瞼を開ける。


「すぅ……すぅ……」


 すると目の前には、作り物のように美しく整って大人びているのものの、どこかあどけなさの残る顔があった。近くで見ても肌も白くてシルクのように綺麗で、動いていなければ本当に人形のように思えてしまう。


「寝てる……ね」


 今は夢の中にいるのだけど、昨日はずっと泣いていて僕とぬいぐるみを抱きしめないと眠れないという状態だった。結局泣き疲れたのか先に彼女が意識を手放して、僕は暫く悶々としながらも何とか眠りにつけた。その後大丈夫か心配していたけど、ひとまず安心する。


「ユ、ユウ……ワさん……ふふっ」

「え……ね、寝言か」


 突然、僕の名前を呼んだと思うと笑顔になった。一体どんな夢を見ているのか、非常に気になる。


「……ここも一旦最後かな」


 身体を起こしてコノの部屋を見回す。ここは一週間ほど過しただけだけど、何だかこの世界の実家のような居心地がする。和室なのもその理由の一つなのかもだけど。


「ぅ……ユウワ……さん?」

「起きた? おはようコノ」

「お……おはよう……ございます。ふわぁ〜」


 やはりしっかり眠れていないのか、起き上がったコノのエメラルドの瞳はとろんとしていて、大きなあくびをする。


「まだ眠いなら寝た方がいいよ。僕もここにいるからさ」

「えへへ、ありがとうございます。でも、心配ご無用ですよ。ちゃんと寝ましたし……良い夢も見れたので」

「ど、どんな?」

「そ、それは言えません。秘密です!」


 何故か頬を赤らめて手をワタワタさせる。本当にどんな夢なのか。


「あら、二人共もう起きたのね」

「あ、おはようございます」

「おはよう。もうすぐで朝ごはん出来るからね」

「はーい」


 イチョウさんがそれだけを伝えてからすぐに部屋から出ていった。


「この部屋で朝を迎えるの、凄く久しぶりに感じちゃいますね」

「そうだね」


 温かな布団から僕達は這い出る。ふと、傍にあった机を見れば、そこには僕とコノとホノカのぬいぐるみが並べてあった。その中のホノカお手製のぬいぐるみには、ホノカのヘアピンがつけられている。


「どうですか? 似合ってますよね」

「うん、とても可愛い」


 部屋を出ると、すぐに美味しそうな香りが鼻腔をくすぐった。食卓にはもう食べ物が並べてあって、一直線に向かって座る。僕の右隣にコノが座り正面にはリーフさんがいてその横にイチョウさんがいた。


「おはよう二人共。随分とお腹が空いているようだね」

「昨日は色々ありましたからね……」

「それに夕食とかお祭りで食べ歩いたものだけだったし」


 家に戻ってからコノはずっと泣いて何かと食べる状況じゃなく、僕も彼女についていて食欲もなかった。


「それじゃあしっかり食べなきゃよ。それじゃあ手を合わせて」

「「「「いただきます!」」」」


 その合図と共に食事が開始する。ラインナップはこの村に来て最初に出されたものと同じだった。エルフご飯と水色の味噌汁、赤色の目玉焼きと色とりどりのサラダ。もはや当然のように箸を進める自分は改めてこの生活に慣れたなとどこか感慨深さがあった。


「もう今日には帰ってしまうのかしら」

「そうですね。他の皆も心配させてしまっているので」

「そうか……寂しくなるな。明日から二人で生活か」

「……そうで……え? ふ、二人?」


 聞き間違いだろうか。僕一人がいなくなるというのに二人になってしまうと言ったように聞こえた。


「まだ言っていなかったのね」

「え、え?」

「……あのですねユウワさん。コノもユウワさんについて行くことにしたんです」

「したんですって……ええ!?」


 いきなりとんでもない事を聞かされてつい大声を出してしまった。けれど、しょうがないとも思う。だって、そんなそぶり一切見せていなかったのだから。


「ええと、この村を出るってこと?」

「はい。だってユウワさん、イシリスの街に行くんですよね」

「う、うん」

「だからコノも行くんです。だって、ユウワさんはコノの勇者様ですから、ずっと傍にいなきゃいけないんです」


 確かに今後どうしようか悩んではいた。場合によってはこの村を拠点にする可能性とか考えてはいたけど、コノを連れて行く選択肢はあまり考えいなかった。


「いやいや、いいんですか?」

「ええ、コノハが決めた事だから」

「それに、ユウワくんもいるからね」


 当然のようにコノの両親は承諾しているようだ。僕に信頼を置いてくれているからだろう。嬉しくもあり、責任も重くのしかかる。


「ま、学び舎はどうするの?」

「学び舎はいつでも入ったり出たり出来ますし、もう学べる魔法はほとんど覚えたので大丈夫ですよ」

「そ、そっか」


 つまり、もう障壁は何一つなく僕の判断のみが残っているという事。


「そのだめ……ですか?」


 コノは不安そうに上目遣いに尋ねてくる。もう僕は彼女の勇者と宣言している以上、それを拒否する選択肢は無かった。


「コノがいいなら行こう」

「はい!」

 


「準備出来た?」

「ちゃんと着替えもぬいぐるみもバッチリです」

「それじゃあ行こうか」


 コノは魔獣の革で作られた緑色のリュックに必要なものを詰め込み、僕も持ってきたものとここで手に入れたもの、全てを入れた。


 忘れ物がないよう見渡すと、棚に大量の本が入ったままでいる事に気づく。


「持っていかないの?」

「はい。もう憧れの勇者様に会えましたし……恥ずかしいですけど……コノの物語を楽しみたいなって」


 確かに照れるような言葉だけれど、僕はそんな想いを持っている彼女がとても眩しく見えた。


「凄くいいと思う」

「えへへ」


 そうやり取りを交わしていると部屋にイチョウさんが入ってくる。 


「準備は出来たみたいね。村の外まで見送るわ」


 娘の旅立ちという事で両親の付き添いもありつつ、僕達は家を出た。外に踏み出して少しして一度振り返る。巨木の中に作られた家、初めは驚いたけれど今はもう親しみ深いものになっていた。当然コノも寂しそうに見上げているけれど、すぐに悲しみを潜ませて前を向く。やっぱり強い子だと思った。


「コノハ姉ちゃん! 出ていっちゃうって本当だったんだ」

「もう帰ってこないんですか?」

「ううん、しばらくは帰ってこないけどたまに戻ってくるよ」


 道中に子供三人組がコノを見けるとすぐに駆け寄ってきた。


「そっか……なぁ強い人、コノハ姉ちゃんの事絶対守ってくれよな! 俺より足が遅いから」

「あ、足って……」

「任せて、コノの事は守るよ」


 そるから二人の男の子はコノに色々話しかけていく。同時にさっきまで無言のままこちらを見つめていた女の子が僕の方に来ると。


「お兄さん、これって駆け落ちってやつ?」

「ち、違うからね。そういうのじゃないから」

「そっか……でも何かあったらお話聞かせてね。待ってるから」

「……土産話は保証できないけれど、また話そうね」


 相変わらずミステリアスな子だ。最後までブレることなく恋話を求めてきた。


「あ、コノハお姉さん。頑張ってね、それとお兄さんとの今度お話も聞かせてね」

「はーい。楽しみにしててね。よーしよーし」

「うん……」


 コノに撫でられた女の子はくすぐったそうに目を閉じる。それに絆されたのか子供らしい微笑みを浮かべていた。


「じゃあね皆」

「「「ばいばーい」」」


 子ども達に手を振られそれを返した。僕達は元気いっぱいな声に後押しされ、次は村の中心である神木の元に訪れる。そこにはオボロさんがいた。


「見てみなさい。おぬしたちの頑張りで神木は美しく咲いている。この島の平和が守られた」


 見上げると初めに見た時よりも一層綺麗な虹の葉を携えて、陽の光を浴びている。心なしかつけている実も色鮮やかだ。


「ロストソードの使い手よ。本当にありがとう。これは約束の礼だ」

「こ、これって……」


 紅の風呂敷包みを渡される。すると相当な重量があって、金属が擦れるような音がした。どうやらお金がぎっしり詰まっているらしい。


「十万イリスだ。それともう一つこれを」

「村長……それって」


 もう一つは使い込まれて少し色褪せたようなこげ茶色のグローブだった。それを見るなりコノが知っているのか反応する。


「これは我が家に代々使われてきたものだ。特殊な魔法かかけられており、身に着けると力や魔力か急上昇する」

「……それホノカがいつか貰うって言っていました」

「そ、そんな大切なもの、僕が受け取っていいんですか?」


 そう尋ねるとオボロさんはどこか遠くを眺める。


「うむ。もう、受け取るべき存在はこの世にいなくなってしまった。だが、ホノカの力を受け継いだおぬしがいる……あの子の分まで使ってやって欲しい」

「……わかりました。大事に使わせてもらいます」


 オボロさんの想いと共にそのグローブをもらい受け、さっそく手につけた。サイズはピッタリで何やら不思議な感覚が宿って、力がみなぎってくる。お金もありがたく頂いてリュックの中へ。


「出口まで一緒しよう……む?」

「あ、ご神木が」


 それは新しい旅立ちを祝福するように虹色の木のみが落ちてくる。僕とコノとオボロさんに。


「感謝しますイリス様」

 僕達は早速それを口に入れてから村の南へと向かった。

「ありがとうなー! いつでも戻ってこいよー!」

「新しいぬいぐるみ作って待っているからねー!」

「コノハー! 外の世界でも頑張れよー!」


そこには待ってくれていたのか村の人達が沢山いて、彼らから温かな声をかけてもらえた。


 そして出口付近に来るとはサグルさんが待っているのが見えた。


「サグにぃ!」

「……元気いっぱいだな」

「うん! 新しい門出だからね!」

「そうか……良かった」


 彼を見つけた途端に子犬のように走って、元気良く話しかける。サグルさんは心配していたようで、少しホッとしていた。


「サグにぃもコノ達の見送りに来てくれたの?」

「いや、俺がゴンドラのある方まで連れて行ってやろうと思ってな」

「い、いいんですか?」

「ああ。俺も仕事でイシリスに行く予定だったからな。商品を仕入れたり売ったりしなきゃいけないんでな」


 それを聞いて救われたような心持ちになる。コノと二人きりで深い森を歩いて辿り着けるか不安でしかなかった。


「二人共、少しいいかしら?」

「ちょっと渡したいものがあるのだけど」

「あ、あなたはぬいぐるみの。それと服を作っている……」


 話しかけてきたのはぬいぐるみ作りの店主さんと衣服を売っている店主さんだった。


「コノハちゃん、これを持っていって」

「これは……」


 コノに手渡されたのは祈り手の服だった。しかし色合いが少し変わっていて、スカート巫女服の上の部分が黄緑で下のスカートの部分は赤色になっている。それはコノとホノカが合体させたようなデザインで。


「祈り手だったあなたとホノカちゃんをイメージして作ったの。特別な力はないけれど受け取ってくれる?」

「……はい、もちろんです。ありがとうございます、ずっと大切します」


 泣いてしまうのではないかというくらいにコノは感極まって受け取った。


「ヒカゲくん。あなたにはこれを」

「ええと、これは僕のぬいぐるみですね。完成形の。それも二つ」

「余ったからあげるわ。せっかくだしあなたのお友達にも分けてあげて」

「わ、わかりました……ありがとうございます」


 何だかちょっと悲しい。いや、沢山売れても微妙ではあるけれど。


「二人共、そろそろ行くか?」

「コノ、大丈夫そう?」

「うん! あ、でもちょっと待って」


 そうサグルさんに伝えると、コノは両親の下へと向かった。


「お母さんお父さん、いってきます!」

「いってらっしゃい。元気に笑顔を忘れずにね。何かあればいつでも帰ってくるのよ」

「無理をせず困ったら誰かに頼るんだよ。まぁヒカゲくんがいるから大丈夫だろうけどね」

「はーい! すっごく成長して帰ってくるからねー!」


 最後に挨拶を終えてもう未練はないという清々しい顔で戻って来る。それと同じくしてオボロさんが僕の前に来て。


「おぬし、この村の長として改めて礼を言う。この島を救いそしてホノカを救ってくれたこと、本当にありがとう」


 すっと手を差し伸ばしてくれる。僕はそれを掴んで硬い握手を

交わした。


「いつでもこの村に遊び来てくれ。村の皆も歓迎してくれるだろう」

「はい! 必ずまた来ます」

「うむ。次におぬしがこの村に訪れたときより良いものになっているよう頑張るよ。あの子も分もな」

「僕も彼女の想いを背負ってすべき事をやっていきます!」


 そう互いに将来を語ってから、手を離した。彼の手の熱はしばらく残っていた。


「そんじゃ行くか。フライ!」


 僕とコノが別れの挨拶を終えると、タイミングを見ていたサグルさんにそう声と魔法をかけられる。するとふんわりと身体が宙に浮いて、どんどん地面から離れていく。すぐ側にサグルさんとコノがいて、一定の高さまで来るとコノが恐怖からか僕にピッタリとくっついてきた。


「ばいばーい!」

「さようならー!」


 下で村の皆が手を振ってくれていて僕達もそれを全力で振り返した。

 そして、木よりも高い地点に来るとついにゴンドラへのある方向へと動き出し、村の人々から離れていく。僕達は見えなくなるまで手を振り続けた。


「うぅ……」

「コノ、大丈夫?」

「は、はい……し、下を見なければ……」


 目を瞑るコノは僕の身体をさらに強く抱きしめてくる。それに伴って柔らかいものも押し付けられてしまい、こちらも精神が乱されてしまう。


「ヒカゲくん、結構高い所でも余裕なんだね。流石にコノハほどじゃなくても、空にいるのは恐ろしさもあると思うけど」

「そうですね……けど僕はもう一歩を踏み出しているんです。だからですかね」

「へーなるほどね」


 あの日に飛び降りてからは命に関わる事象に対して感情があまり動かなくなった。


「……ユウワさぁん」

「でも、今はちょっと怖いかもです。守るべきものがあるから」

「そっか、是非とも自分の事を大切にな。ヒカゲくんの周りには大切にしたいって思う人が沢山いるのだから」

「はい」


 そう会話をしているとこの島の南の端っこが見えてきて、そこにゴンドラの姿が一つあった。


「到着っと」

「や、やっと……地面につきました〜」


 ふんわりと地に足をつけた。まだ身体に浮遊感が残っており、少し覚束ない感じがしている。コノも同じなのか僕を支えにするように寄りかかっていた。


「そんじゃ帰りのゴンドラは……って早速誰か来たみたいだな」


 イシリスよ街に帰る用のゴンドラに乗り込もうとすると、向こう側からもう一つのゴンドラがやってきた。通行規制が解除だからだろう。


「……あれ?」


 窓からちらりとその人の姿が見えると、ゴンドラに乗り込む足が止まった。

 ガシャンとそのゴンドラが地上に降りる。そしてドアが開くとその人は飛び出してきた。


「ユ、ユーぽん! やっと会えたわ!」

「モモ先輩!」


 その人はモモ先輩だった。相変わらずのゴスロリ衣装でいて、彼女は僕を見るなり笑顔になってくれる。


「生きていて本当に……良かっ……たわ……」


 ただ、その笑顔はどんどん引き攣っていって、雰囲気が一気に曇りになっていって。


「あ、あんた……何でそんな身体をくっつけて……」

「こ、これはその……」


 やばい、何か上手く誤魔化さないと。目元のハートマークが黒に染まっている。


「そ、空飛ぶ魔法で来たから……たまたま……というか」

「何を言っているんですか? ユウワさんはコノの勇者様ですから守って貰っていたんですよ! ね、ユウワさん!」

「……終わった」


 それを聞いたモモ先輩の表情は無になった。そして、無を経由して怒りの表情へと変貌して。


「この泥棒猫ぉぉぉぉ!!!」


 そんな既視感しかない叫びがこの島に響き渡った。

 

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