どう見ても15、16才にしか見えない30過ぎのおばさんがなぜか俺のことを「お兄ちゃん!」と呼んでくるのだが

阿部祐士

第1話

 左右加(そうか)陸(りく)が高校から帰宅して自宅の前まで来た時、その出来事は雹(ひょう)を伴った雷のごとく、突然、そして怒濤(どとう)の勢いでやってきた。

「陸お兄ちゃん、美咲(みさき)、寂しかったよ!」と、見た目15か16才ぐらいの女の子が陸にいきなり抱きついてきて、陸のほっぺにキスをした。

エッーーーー

 すみません、どなたでしたっけ。いや、悪い気はしないけどさ。しかし、次の瞬間新手のハニートラップの可能性もあることが頭をよぎると陸は正直ちょっと怖い、と思った。

「すみません、どこかでお会いしましたっけ?」

「ひどーい、美咲とドラゴンバスターXのオフ会で会ったじゃない」

「ドラゴンバスターXって、あのMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)の?」

「そうだよ、あの時オフラインでも『お兄ちゃん』って呼んでいいって、言ったじゃない」

 確かにそのオフ会に出たことは覚えている。それで、そうだ。あの時ハンドルネームが「ミサミサ」の女の子にそういうことを言った。大体、俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでくるのは、この世に一人しかいない。

「ひょっとしてミサミサさん?」

「そうだよ、ミサミサだよ、ひどいよ、陸お兄ちゃん!」

「そうか、そうか、ごめんね、ミサミサ」

 陸はごめん、ごめんと言いながら、美咲の頭を撫でてやった。

 そこへこの騒ぎを聞きつけてきたのだろうか、陸の本当の妹である左右加陽菜(ひな)が玄関から出てきた。

「兄貴、なに、玄関先で騒いでいるの。ご近所さんに迷惑でしょ」

 次の瞬間、陽菜は陸たちを見てフリーズしていた。よく見たら、美咲は陸の首に手を回して抱きつくのをやめていない。陸は急いで美咲の手をほどいた。

「兄貴、もしかしてこの人、兄貴の彼女?」

「ううん、美咲は陸お兄ちゃんの妹だよ」

と言いながら、美咲は、陸が先程ほどいた腕を今度は陸の腕に回していた。

「はあ?」

 陽菜は完全にあきれている様子だった。そして美咲共々、陸の方を「何だ、コイツら」という蔑んだ感じで見ている。おお、妹よ、実の兄をそんな目で見ないでおくれ。

「兄貴、これ何かのプレイ?」

「これはなんて言うか、オンライン……」

まずい、オンラインゲームは、親との約束で学校の成績が上がるまで中断していることになっているんだった、と陸は思い出した。

「あなたみたいな人、うちの家族にした覚えなんてないんですけど!」

「でも、美咲、陸お兄ちゃんの妹だよ」

「一体何なのよ、アンタ。いい加減、兄貴の腕を離しなさいよ」

 そう言って、美咲の腕をほどこうとする陽菜。抵抗する美咲。

「兄貴、一体コイツ何者よ? ちゃんと説明して」

「た、ただの友達だよ」

「ただの友達が、腕を組んで『お兄ちゃん』って言うわけないでしょ!」

 ちゃんと説明したいのはヤマヤマだが、オンラインゲームのことを話さずにどう説明したものか。ああ神様、どうしたらいいんだぁ。


                *


 遡ること二ヶ月前。


 加藤美咲・31才は、ノートパソコンの画面を見ながらキーボードのキーを押して、ドラゴンバスターXの中の自分の魔法使いのアバターを動かし、美咲が憧れているランド(ハンドルネーム)がリーダーを務めているチーム・ブレイブのアバター達と会話をしていた。

「ランドお兄ちゃんは、まだログインしていないんだ?」

「今日はまだログインしていないみたいだな、ミサミサ」

「あいつも学生ながら、いろいろと忙しい、みたいなこと言ってたな」

「しかし、ミサミサは本当にランドのことが好きだな」

「私がこのゲームのまだ初心者の頃で誘われ待ちしていたときに、声をかけてきてくれて、キャリー(サポート)してくれたときの優しさが忘れられないの」

「ミサミサが俺たちのチームに入ったときから、ランドのことをお兄ちゃんと呼ぶのは何か理由があるのか?」

「ランドお兄ちゃんは頼りがいがあって、同等の仲間というよりもお兄ちゃんって感じなのと、『ランドお兄ちゃん』って呼ぶと妙にうれしがって、からかい甲斐があるんだもん」

「うわー最後のやつ、ランドに言ってやろう」

「駄目だよ、チームの雰囲気が悪くなるよ!」

「冗談、冗談だよ、ミサミサ」

 後、美咲は口に出しては言わなかったが、年下の妹のようにランドに甘えていたいという思いもある。

「じゃあ、ランドお兄ちゃんがログインしそうな時に、再度来てみるね」

「ミサミサよりも先にランドがログインしてきたら、さっきのやつ、ランドに伝えておいてやるよ」

 ミサミサこと、美咲はふてくされたように、だから駄目だって、もうとキーを叩いて入力すると、速やかにドラゴンバスターXからログアウトした。美咲もランド同様少し忙しかったからだ。


 ログアウトしたその日の晩、ミサミサこと美咲はいつもデートで使っている居酒屋で彼氏と一緒にいた。

「でね、ランドお兄ちゃんがすごいの、だって普通……」

「また、ランドの話か」

 美咲の彼氏である佐野大輝(だいき)はうんざりした表情で、美咲の会話をさえぎった。

「結局、君が話すのは、趣味のオンラインゲームかコスプレの話ばっかりなんだな」

「そうよ、何か悪い?」

 開き直る美咲に大輝の表情は能面のように冷たく映った。

「じゃあ、とりあえずランドの話は置いといて、君は俺のことを一体どう思っているんだ」

「どう思っているって、普通に好きだけど」

 美咲は不思議そうに答えた。

「本当にそうかい? 君が興味を持っているのは、趣味のオンラインゲームやコスプレ、ついでにランドお兄ちゃんだろう。俺に興味はないのだろう?」

 美咲は少し苛立った様子で

「何でそんなこと言うの」

「だって君はデートよりもコスプレのイベントの方を優先するし、話す話題はコスプレかオンラインゲームばかりで、俺の趣味や仕事に対して全く興味を示さない。そんなにランドが良ければ、ランドと付き合えばいいだろう」

「ひどい、私は大輝のことが好きだよ」

 美咲は涙目になって必死に自分が大輝のことを愛していることをアピールしようとしたが、大輝はまたも美咲の発言をさえぎって

「もう別れよう」

と冷たく言いはなった。

「俺よりもオンラインゲームやコスプレに興味があるのなら、お互い付き合っている意味はないよ」

「そんなことない、私は、私は……」

 美咲は何か言い返そうとしたが、とっさのことで言葉が見つからない。

「これは言いたくなかったけど、美咲、俺に自分の年齢のことを隠していたね。このあいだ君の部屋で君の運転免許証をたまたま見たよ。俺より年下のふりして、実は俺よりも6才も上だったんだね。危うくだまされるところだったよ」

「人の運転免許証を勝手に見るなんてひどい!」

 美咲は半分逆ギレであることを自覚していたが、そう答えるしかなかった。

「裏切ったのは、君の方だ。さようなら」

 大輝は、半分飲み残してあるビールのジョッキが置いてある居酒屋のテーブルの上に五千円札を叩きつけて、泣いている美咲に全く興味がない様子で席を立った。

 居酒屋の扉を閉める音がむなしく響いた。


 さらに、美咲の機嫌が悪くなりそうなことが起きていた。それまで可愛がってきた美咲の弟・悠斗(はると)に最近彼女ができたらしい。それまで服装に興味を持っていなかった悠斗が急に外見を気にするようになった。試しにどんな娘(こ)と聞いても姉貴には関係ないよと、全く可愛気(かわいげ)のない答えが返ってくる。子供の頃は、私の後をずっと付いてきたくせに。美咲は一体何年前の話だよ、と自分のことをツッコミながらも、やはりお気に入りの弟を取られたという寂しい気持ちになる。

 そんな矢先に、美咲は朝食時に悠斗に声をかけた。

「悠斗、私コミケに行くから。家にいるなら宅急便が来るから、受け取っておいて」

「無理、僕もコミケに行くから」

 悠斗は言った後から、思わずしまったという顔をした。

「あなた、コミケに興味あったけ?」

「いや、コミケにはさほど興味はないけど……」

 その時悠斗のスマホに電話がかかってきた。美咲がスマホ画面をのぞき見ると「左右加陽菜」と表示されていた。悠斗は小声でちょっと待ってと言うと、ダイニングキッチンの扉を開けて人気(ひとけ)のない廊下へと移動していった。しばらく経って廊下から戻ってきた悠斗に対して美咲は興味津々で

「今の何、何。彼女なの? そうよね、彼女よね」

と畳みかけた。

「た、ただのクラスメートだよ」

「じゃあ、なぜ人気のない廊下の方に移動したのかな?」

 ウッとなる悠斗。

「いや、それは別に」

「ふーん、陽菜ちゃんってかわいい名前ね」

「どうでもいいだろ、ただのクラスメートなんだから」

「ふーん、ただのクラスメートねぇ」

「いいだろ、姉貴には関係のない話だよ」

「ちなみにお姉ちゃん、知っているわよ。あなたの言う、ただのクラスメートの彼女がオタクでコミケ行きたがっているということ」

「どうしてそれを」

 美咲は心の中でビンゴと叫んだ。

「そんなの状況を考えたら、すぐにわかることじゃない」

「姉貴、カマかけたな」

「引っかかる、あなたが悪いのよ」

 さすがに悠斗も白旗を揚げたようだった。

「そうだよ、彼女と一緒にコミケに行くんだよ」

「じゃあ何? コミケデートなわけ?」

「そうだよ、何か悪い?」

「もしかして、彼女コスプレするの?」

 美咲は興味本位で聞いてみた。

「違う、違う。皆、姉貴のような人ばかりではないよ。同人誌を買いに行くんだって」

「そうなの。よかったら私、コスプレ会場にいるから見に来てよ」

「姉貴は僕の彼女を見たいだけだろう」

 しばらく沈黙が続いたが、さすがに突き放した返答だったことに悠斗も少し反省したのだろうか。

「気が向いたら行く」

とだけ言って朝食のテーブルを立った。


 美咲は東京ビッグサイトのコスプレ会場に使われている屋上展示場にいた。美咲はガンダムSEEDのラクス・クラインの戦闘服コスプレをしていた。黒を基調とした着物風の、太ももが露わになる衣装を桃色の帯で体の前で結んでおり、頭にはピンク色のウィッグの毛を後ろで束ねて、足にはややヒールの高い白いブーツを履いている。今年も暑く、ただ立っているだけでも汗が流れてきてメイク崩れをしないか、心配になる。美咲がティッシュで肌を軽く叩くようにして、汗を取っていると

「撮影お願いします」

の声がかかった。


「ありがとうございました」

 最後のカメラマンが去って行くと、さすがに屋外は暑すぎたので美咲は屋内のコスプレ会場に移動しようとした、そのときだった。普段あまりヒールの高い靴を履かないせいもあって、ヒールが屋上展示場の平場のタイルの溝に引っかかり、美咲はバランスを崩して転んでしまった。美咲は派手に尻餅をついて、思わず「いてっ」と声を上げた。が、次の瞬間美咲の顔が真っ赤になった。もともと足が露わになっている衣装のせいもあって派手に転んで足を広げた結果、パンツが丸見えになっていたのだ。 その時「カシャ」というシャッター音が聞こえたような気がした。美咲は太ももを閉じて衣装の裾を手で押さえてパンツを隠すと同時に盗撮されていないか、辺りを見渡した。首を回して周辺を見ても、露骨にこちらにカメラを向けている人はいないように見えた。もともとコスプレ会場なので、他の(コスプ)レイヤーさんを撮っていたシャッター音かもしれない。いや、きっとそうだ、と思いたい美咲であった。


「ハイ、チーズ」

 東京ビッグサイトの逆三角形の会議棟を背景にして、スマホで悠斗と一緒の自撮りができて陽菜は満足そうだった。

「よく撮れてない?」

 陽菜からスマホの画面を見せられて、チラッとだけ見ると悠斗は

「そうだね」

と頷いた。

「それにしても人が多いね」

 悠斗が言うまでもなく、東京ビッグサイトの屋上展示場は人だかりである。

「姉貴、いるのかな」

「お姉さん、どんなキャラのコスプレをしているの?」

「いや、それが詳しいことは聞いていないんだ」

「それじゃあ、悠斗のお姉さんの顔を知らない私にわかるわけないじゃん」

「うーん、そうだね。もしかして屋内のコスプレ会場にいるのかな?」

「それじゃあ、ココ暑いし、屋内のコスプレ会場に行ってみる?」

「そうしよう、僕も屋内に行って涼(すず)みたい」

 姉のことをあまり積極的に探す気にはなれない悠斗はそう答えると、陽菜と一緒に屋内へと入っていった。


 美咲のコスプレの日程が終わった、その日の晩。美咲は悠斗に、何で私のコスプレを見に来てくれなかったのと、拗(す)ねて拗(す)ねて、ようやく悠斗と陽菜が一緒に東京ビッグサイトでインスタグラム用の自撮り写真を撮ったことやどんな同人誌を買ったのかを聞き出した。美咲は自室でノートパソコンを開き、インターネットで「左右加陽菜」で検索すると、フェイスブックに本名が載っていてインスタグラムに紐付けしてあったので、陽菜のインスタグラムのページには比較的簡単にたどり着くことができた。陽菜のインスタグラムの写真を見ると、複数写真がある中で東京ビッグサイトの会議棟をバックにした二人の自撮り写真があった。

「ふーん、陽菜ちゃんって、結構かわいいじゃない」

 美咲は独り言を言うとぼんやりと写真を見ていたが、その背景を見て思わず叫んでしまった。

「ぬゎんですとー」

 二人の写真の背景に、転んでパンツ丸見えの美咲の姿があったからだ。二人の顔に焦点があっているので、美咲の顔は多少ピンボケだが、知人が見ればわかる程度には写っている。何よりこんなあられもない姿で写っているのに、顔やスカートの中にモザイクが入っていないことが許せなかった。

「大体SNSに写真をあげるときに第三者が映っている場合、顔にモザイクをかけるのがエチケットじゃない」

 美咲は至急写真の削除をするよう連絡を取るために、DM(ダイレクトメッセージ)を陽菜に送ろうとした。が、インスタグラムの画面には「このアカウントはあなたをフォローしていないためメッセージを送信できません」の文字が。

 美咲は頭を抱えて

「しまった、十八才未満の子には、フォローしてもらっていない大人からはDMを送ることはできなかったんだ」

 悠斗から彼女の家の住所や電話番号を聞き出して、直接文句を言ってやろうかとも思ったが、今の悠斗にこんなあられもない姿を見られたくなかった。かと言って事情も話さずに、今の悠斗が彼女の電話番号や住所を教えてくれるだろうか。いや、それは無理だ。

「他に方法は、他に方法は……。そうだ、フェイスブックのメッセンジャーでDMを送ればいいんだ」

 美咲はフェイスブックにログインすると、メッセンジャーのアイコンからインスタグラムの写真を削除するようお願いのDMを送った。


 しかし左右加陽菜はフェイスブックのお友達やお友達のお友達以外の「リクエストを受信しない」に設定しているのか、一週間経ってもDMは送信済みのマークのままで、DMが陽菜に届いたことを示すマークは付かなかった。

 彼氏にふられ、溺愛していた弟は陽菜と付き合い始めて姉に反抗的になるし、美咲のストレスはマックスになっていた。


 そんな折、ドラゴンバスターXでランドがリーダーを務めるチーム・ブレイブのオフ会が居酒屋で行われ、貯まったストレスを解消する目的もあって美咲はそれに参加した。

「チーム・ブレイブに乾杯!」

「乾杯!」

 乾杯の後、お酒にあまり強くない美咲はノンアルコールチューハイを飲んでいた。自己紹介でランドと名乗ったのが高校二年生であることに美咲は少々びっくりした。頼もしさから考えて、大学生ぐらいに思っていたからだ。顔はさほど美男子と言うほどではないが、美咲の好みの顔であった。それ以上にびっくりしたのは、ランドの名前が「左右加(そうか)陸」であったことだ。左右加という珍しい名字に心当たりがあった美咲は、陸の隣に移動した。

 まずはワンクッション置いて、

「私、さっき紹介したとおり、ミサミサこと加藤美咲って言うの。コスプレもしているから、良かったら今度、インスタグラムでmisamisa92って検索してみて。これまでのコスプレ写真が載っているから」

「わかりました。今度機会があったら見てみます」

「ところで左右加君って、もしかして彼女いるの?」

「いえ、いませんよ」

「ふーん、女性慣れしているように見えたから。じゃあ、もしかしてお姉さんか、妹さんいる?」

「はい、妹がいます」

「名前は何て言うの」

「陽菜って、言います」」

 やっぱりと、美咲の予想は確信に変わった。

「私、千葉市の長沼町に住んでいるんだけど、左右加君はどの辺に住んでいるの?」

「僕は四街道市の千代田団地ですけど」

「その辺友達がいて、多少土地勘があるのだけれども、千代田団地のどの辺?」

「千代田調整池の近くですけど」

「ところで高校ってどこの学校に通っているの?」

陸は少し戸惑った様子で

「市立四街道高校ですけど……。どうしてミサミサさんは、僕のプライベートのことをやたらと聞いてくるんですか」

陸は少々美咲のことを警戒しているように見えたので、

「警戒させたならごめんなさい、あなたに興味があって。実は私、リアルでは弟がいて、お姉さんなの。でも左右加君の前では左右加君のことを『お兄ちゃん』って呼びたくて。でも彼女さんとかいたら、誤解されるでしょう」

「いや、彼女がいなくても、充分世間に誤解されますよ」

と、陸は笑いながら答えた。

「そこはいいじゃない。頻繁に会うわけじゃないし」

「うーん、オフ会の時ぐらいですかね、会うの」

「そうかもね」

 陸はしばらく考えていたが、美咲の顔を見て

「わかりました。僕よりも年下みたいですし、『お兄ちゃん』って呼んでもいいですよ」

「ありがとう、陸お兄ちゃん」

 陸は少し照れたように笑った。その裏で美咲は、お兄ちゃんと呼んでいいという言質は取った、これで左右加陽菜に喧嘩を売って写真のリベンジをしてやる、そしてあわよくば陽菜から陸の妹ポジションを奪ってやると思った。

 

              *


 それから美咲の陸に対するつきまといが始まった。


 (被害その1)

 高校の下校時間になって、陸は、帰宅部で陸の幼なじみである石川蓮(れん)を含めた男友達三人と一緒に市立四街道高校の校門を出ようとしたとき、門のすぐ外でセーラー服姿の美咲が立っていた。

「エッ」

 陸は玄関先での例の一件があったので少し身構えたが、美咲は陸を見つけると満面の笑みで陸に向かって手を振ってきた。そして、陸が校門を出ると同時に陸の首に手を回してまたしても抱きついてきた。周りの男友達は少しびっくりしていたが、蓮が「彼女?」と言うと他の二人の男友達はヒューヒューと囃(はや)し立てた。下校している他の生徒達は抱きついている美咲を見て何事かと、陸と美咲の方を振り返りながら歩いている。陸は急いで、抱きついている美咲の腕をほどいて、美咲から距離を少しとった。

「校門の前で待っていて、少し不安だったよ、陸お兄ちゃん」

「「「えっ、お兄ちゃん?」」」

 幼なじみである石川蓮は陸に近づいて

「陽菜ちゃん以外に、お前の家、妹いなかったよな?」

と耳元でささやいた。

「いや、これは自称・妹というか何というか……」

 またしてもオンラインゲームを現在していないことになっている陸は、オンラインゲーム仲間だと言えずに戸惑っていると、他の二人が

「可愛いね。彼氏いるの?」

「名前、何て言うの」

と、美咲に対してナンパをし始めた。陸はややこしい展開になってきたな、と思った矢先に、美咲は

「お兄ちゃん、この人達、美咲にやたらと近づいてきて、怖い」

と、陸の後ろに隠れた。

「本人、怖がっているみたいだからやめろよ」

と陸が言うと、男友達二人は

「「そんなことを言わずに、是非妹さんとお付き合いさせて下さい、陸お義兄(にい)さん!」」

とすり寄ってきた。

「なんでそうなるんだよ」

「陸お兄ちゃん怖い」

「「よろしくお願いします、陸お義兄さん」」

 頭を抱える陸であった。


 そうこうしているうちに、陸と同じ市立四街道高校に通っている陽菜と、蓮の妹で陸や陽菜の幼なじみである石川凛(りん)が校門から出てきた。陽菜は美咲を見つけると

「またコイツ、兄貴につきまとっている」

 凛は、陸の後ろで陸の腕にしがみついている美咲を見て

「陸さんの彼女さん?」

と、陽菜から見て凛は少しショックを受けているように感じられた。

 陽菜は凛のことを気遣って、

「ちょっと、周りの人達が誤解するじゃない。離れなさいよ」

「でも美咲、陸お兄ちゃんの妹だもん。妹がお兄ちゃんにくっついて何が悪いの?」

と言って、陽菜に対してニヤッと笑った。

 いや、小さい頃ならともかく、本当の兄妹なら高校生にもなってそんなことしないから、と心の中で陽菜はツッコんだ。が、美咲は陸の腕をつかんで陸の後ろに隠れながら、陽菜に対して、ベーと舌を出している。

「陸さんの妹さん?」

 今度は不思議そうな顔をしている凛だった。

「いや、この間からコイツ、兄貴につきまとっては、『陸お兄ちゃん』とか呼んで、兄貴から離れないのよ」

 陽菜は陸に向かって

「今度こそちゃんと説明してよね、兄貴」

「いや、これは自称・妹の、ただのお友達のミサミサ、いや美咲さんです」

 蓮もその説明に納得がいかなかったのか

「普通、ただのお友達が『お兄ちゃん』と呼んで抱きついてくるか?」

「いや、自称・妹でも、本当の妹でもいいので、美咲さんとお付き合いさせて下さい、陸お義兄さん」

「いや、付きあうのは俺だ」

「お前こそ、引っ込んでいろ」

 どうでもいいけど、ややこしい連中がいるわね、と陽菜は思った。

「美咲、陸お兄ちゃん以外の人と付きあう気なんか、ないもん」

「いや、だから本当の妹ならそんなこと言うわけないでしょ」

と、ついに声を出してツッコミをいれる陽菜。

 あまりのやりとりに、帰宅をしようとしていた生徒らが足を止めて陸らを囲むように人だかりができ始めた。

「これって、修羅場?」

「ブラコン? じゃなかったら妹プレイ?」 

 焦った様子の陸は自分の腕にまわした美咲の手をほどこうとするが、なかなか美咲は離れようとしない。

「妹プレイじゃないもん、美咲は陸お兄ちゃんの妹だもん」

 ついに周りの生徒達にも噛みつき始めた美咲。さすがに周りの聴衆もこの状況にひき始めた。


 凛は、困った顔をしていても美咲に対してはっきりと拒もうとしない陸の優柔不断な態度に、だんだんといらついてきた。

「兄貴、いい加減この女のことを怒りなさいよ」

「いや、それはそうだけど……」

「お兄ちゃん、美咲のこと迷惑?」

 美咲は涙目で陸のことをうるうるした瞳で見つめている。

「いやぁ、そういうわけではないのだけど……」

 陸は鼻の下をのばしているように凛からは見えた。そういえば陸は年下の女の子に弱かったことを思い出した凛は、陸に近づいて行くと眉毛をヒクヒクさせながら

「陽菜ちゃん以外にも可愛らしい妹さんがいらっしゃるのねぇ。大変仲がよろしいようで」

と怒って陸の元を立ち去った。


「待ってよ、凛」

 陽菜は慌てて凛の後を追っかけた。蓮も少し呆れたように

「お前いくら何でも、これはないんじゃないか?」

と、やはり凛の後を追っかけた。

 さっきまで美咲との交際を申し込んでいた男友達二人も

「「悪い、俺たちも先帰るわ」」

と去っていった

 美咲と二人残された陸。周りの生徒達も「結局、何あれ」と、三々五々帰り始めた。

 美咲と二人きりになってしまった陸は泣き叫んだ。

「いや、これは違うんだ。誤解だぁ」


(被害その2)

 九月の晴れた土曜日の朝。市立四街道高等学校の門には「えのき祭文化の部」の横書きされているアーチが立ち、文化祭を見に来た生徒の家族や友人と思われる人達で賑わっていた。そして、その中に美咲の姿があった。受付に

「中学三年生です」

と言って名前を記帳するとなんなく校舎に入れた。制服姿で来た中学三年生は、関係者に配られるチケットがなくても入校できることはネットでリサーチ済みだった。

「さて、陸お兄ちゃんはどこにいるかな?」

 ドラゴンバスターXのオフ会で陸が高校二年生であることは知っていたので、美咲は四街道高校の二年生の教室をかたっぱしから歩きまわって、陸を探した。すると、教室の前の廊下でお化け屋敷の呼び込みをしている陸を見つけた。


「陸お兄ちゃん!」

「ゲッ!」

 陸は前回のことがあったので、おもわず驚愕の声が漏れてしまった。陸はおそるおそる

「ミサミサさん、今日は何のご用で?」

と聞いた。

「用事がなければ、会いに来ちゃ駄目?」

 15、16才にしか見えない美咲の瞳は陸の顔を映して、うるうるしていた。

「いや、まあ……。そういう訳でもないのだけれども」

 ああ、言っちゃった。我ながら年下の(ように見える)女の子には弱い。陸は自分の弱さを呪った。

「陸お兄ちゃんね、今日はアニメ『俺の妹がこんなに可愛いのにはわけがある』に出てくる『古垣あやの』って言うキャラのセーラー服コスプレしてきたの。どう、似合っている?」

 確かにこの間着ていたセーラー服とは違うけど。でも15才ぐらいの娘がセーラー服姿って普通じゃねぇ? と思った陸だったが、そんなことを言った日には面倒くさいことになりそうなので

「う、うん、よく似合っているよ」

と、とりあえず話をあわせておいた。

「陸お兄ちゃんのところのお化け屋敷に入ってみたいから、陸お兄ちゃん、エスコートしてよ」

「いや、だけれども今呼び込みしている最中なんだよね……」

「家族が来ているなら、一緒に行ってやれよ。呼び込みは俺がやってやるからさ」

 この間の校門での騒動を知らないのか、知っていても本当の妹と勘違いしているのか、男のクラスメートが、粋な(もしくは余計な)はからいをしてくれた。

 二人で教室に設営したお化け屋敷に入ってみると、お化け屋敷のしかけに引っかかる度に美咲は怖がりなのか、わざとなのか、

「きゃー怖いよ、陸お兄ちゃん」

と叫んでは、陸に抱きついて、その度ごとに陸の腕に美咲の胸が当たる。その感触が腕を通して伝わる度に、陸の心臓はドキドキ激しく鼓動した。吊り橋効果ってやつか? 陸の頬はほてって赤くなっていた。ロリコンである陸にとって、今までは見た目がちょっと可愛い、しかし強烈なトラブルメーカーだった美咲に対して、異性として意識した瞬間だった。


「ああ、怖かった」

「楽しんでもらえたなら、良かったよ」

「陸お兄ちゃん、ついでに四校の文化祭も案内してよ」

「しかしなぁ、今も呼びこみの仕事、代わってもらっているわけだしな」

 このやりとりを聞いていた先程のクラスメートはため息をついて

「いいよ、えのき祭案内してやれよ。俺がもうしばらく呼び込みをしておいてやるからさ」

「いいのか」

 クラスメートは黙って首を縦に振った。

「わかった、すまん」

と陸は頭を下げながら手を合わせて、クラスメートに謝意を示した。とりあえず、この爆弾娘を一人で放っておくのは危険だしな。それに二人で文化祭を回るのも悪くはないな、と先程のお化け屋敷のこともあって少し陸の警戒心も薄れていた。

「ただし、12時までに帰って来いよ。俺にも予定があるからな」

「わかった」

 陸は了解すると、美咲に促されて教室を後にした。


 陸は最初に釘を刺しておかないと、と思い

「ただし、文化祭を回っている最中、腕を回してきたり抱きついたり、接触するのはなしだからね。もし破ったら、即刻案内するのを止める」

「ちぇ、わかったよ、陸お兄ちゃん」

 それから二人は、喫茶店の模擬店でタピオカドリンクを飲んだり、屋台のたこ焼きをほおばったりしながら催し物を巡ったり、全国大会にも出たこともあるダンス部のパフォーマンスを体育館で観たりした。


「あーあ、楽しかった」

「やばい、ぼちぼち12時だ」

「じゃあ、最後にここだけ寄っていっていい?」

 美咲が指さしたのは、手作りの雑貨を売っている模擬店の教室だった。

「これが、本当に最後だよ」

「わかったよ、陸お兄ちゃん」

 こうして見ると、結構素直でかわいい女の子ではないか。普段からこうしていればいいのに。陸がそう思っていると、美咲は一組の指輪の前で目を輝かしていた。

「何、それ欲しいの?」

「うん」

 美咲はもじもじしながら陸の方をちらっと見た。指輪は金色のビーズでできたもので、値段を見ると、一組で800円だ。これぐらいなら、俺のお小遣いでも十分買える。

「買ってもいいけど、今後校門の前で待ち伏せするのはなしですよ」

「うん、わかった、陸お兄ちゃん」

 これで美咲に恩を売って、今後トラブルを避けられるのなら本当にお安い買い物だ。

「これって一つだけ買うことって、できます?」

「陸お兄ちゃんもはめるの!」

「えーちょっと勘弁して欲しいな」

「じゃあこれからも四校の校門の前でお出迎えする」

「わかったよ、一組買えばいいんでしょ」

 陸はしょうがないな、と一組のペアリングを手にして

「じゃあ、これ」

「お買い上げありがとうございます」

 売り子の女子生徒は頭を少し下げた。陸は美咲の分の指輪を渡した。美咲は

「陸お兄ちゃん、ありがとう」

と言って、指輪を左手の薬指にはめようとした。

「悪い、頼むから左手の薬指にはめるのは、勘弁してくれ……」


 美咲と別れた陸は教室まで戻ってくると、先程のクラスメートが呼び込みをしていた。

「悪い、12時ちょっと過ぎていたな」

「いや、ちょうど12時だ。それで妹さんとえのき祭は回れたのか」

「おかげで、な」

「それで妹さんは帰ったのか?」

「いや、もう少しえのき祭を回ってから帰ると言っていた」

「そうか。それじゃあ呼び込みは頼むぜ。俺も昼飯を食って、ついでにえのき祭を回ってくる」

「ああ、すまなかった」

 そんなやりとりをしているときだった。廊下の奥の方から聞き覚えがある声どうしが言い争っているのが聞こえてきた。美咲と陽菜だ。陸は声が聞こえる方へ走り出していた。

「おい、どうした」

「悪い、もう少しだけ待っていてくれ」


 陸は声の聞こえてきたところまで来ると、やはり美咲と陽菜が言い争っていた。

「なんで、アンタがここにいるのよ」

「陸お兄ちゃんに四校の文化祭を案内してもらうために来たんだよ。既にエスコートしてもらったもんね」

「大体なんで四校の関係者でもないあなたが四校に入れるわけ?」

「だって、美咲は中三だもんね」

「ぐぬぬぅ」

「二人とももうやめろ」

「あ、陸お兄ちゃん」

「あ、兄貴! 散々今まで迷惑をかけられているコイツと一緒にえのき祭を回ったって本当?」

「いや、まあ」

「兄貴がそんな風だから、コイツが増長するのよ」

 陽菜の目をまともに見られなかった陸は、あさっての方を見ながら

「いや、そのう……。とっとと帰ってもらうためにもそっちの方がいいのかな、と……」

「兄貴は甘い!」

「お、仰るとおりで……」

「陸お兄ちゃんをいじめたら、美咲、許さないよ」


「これって兄妹(きょうだい)の間のことでしょ。部外者は黙ってて」

 すると美咲は陸の腕に抱きついて、少しふざけた調子で

「お二人の関係に口を挟む筋合いならちゃんとあります。私がなんとなく気に入らないからです!」

 陽菜はこのセリフを聞くとしばらく下を向いて黙っていたが、それは爆発寸前の火山のように見えた。

「私の推しのキャラを、古垣あやのを、冒涜(ぼうとく)したな!」

 美咲は心の中でビンゴ!と叫んだ。悠斗から陽菜が買った同人誌の情報を聞いて、「俺の妹がこんなに可愛いのにはわけがある」のファンであることは予想がついた。が、陽菜の推しが「古垣あやの」であることまではわからなかった。「古垣あやの」の制服コスプレをしてきて、「古垣あやの」の有名なセリフをパクって、陽菜を怒らせることに成功した。この奇跡を美咲は神に感謝した。アラーよ、ヤハウェよ、ついでに大日如来よ、心からありがとう。

「やーい、古垣あやののファンって、だっせーの」

美咲は煽(あお)り続けた。

「今日と言う今日は許さない」

陽菜は顔を真っ赤にし、握りしめた両手の拳が震えている。


 陸はこんなに怒っている陽菜を見たことがなかった。が、陸にとっての選択肢はこの二人の間に立ち、執(と)りなすこと、その一択しかなかった。

「兄貴は一体、どっちの味方よ」

「陸お兄ちゃんはもちろん美咲の味方だもんね」

「そうなの兄貴? そうなら兄貴共々絶対許さない!」

「それはその……」

おもわず陽菜の顔から目をそらす陸だった。

「陸お兄ちゃんは美咲の味方だよね?」

 美咲はまたしても瞳をうるうるさせて陸の方を見ている。陸は美咲の顔からも目をそらした。一体どこを見ればいいのか。

「お二方とも、ぼちぼち矛をおさめませんか?」

「今喧嘩が始まったばかりで、おさめるわけなんかないだろ!」

「陸お兄ちゃん、この人怖い」

 この騒動を聞きつけて四街道高校の生徒やそのお友達と思われる私服の若い男女、親御さんと思われる大人達が遠目からこちらを見て、何事かとひそひそと喋っている。いい加減、このパターン、勘弁して欲しいな。

 結局この騒ぎを聞きつけてきた生徒指導担当の教員によって、渦中の二人は強制的に引き離された。陽菜も苦手な生徒指導の先生に睨まれてはそれ以上何もできなかった。美咲も陸に腕を引っぱられて、半ば強制的に校門の外まで連れ出された。

「もう頼むから学校には来ないで下さいね」

「わかった、今度から陸お兄ちゃんの家に会いに行く」

「いや、そういう問題じゃないんだけれども……」


 (被害その3)

 文化祭での言葉どおり、珍しく私服姿の美咲は左右加家の前で帰宅する陸を待っていた。

「まじっすか、ミサミサさん」

 いい加減勘弁してくれ、と思う陸だが

「美咲が来たら、陸お兄ちゃん、迷惑?」

と、瞳をうるうるさせてこちらを見られると何も言えなくなってしまう。弱いなあと思う陸であった。

「今日はねぇ、陸お兄ちゃんの親御さんに『陸お兄ちゃん』って正式に呼んでいいって許しを得にやってきたの。お土産も持ってきたよ」

と、和菓子屋の店名が印刷されている紙で包装された紙箱を美咲は陸に見せた。

 いや、ちょっと待って下さいよ、ミサミサさん。妹にさえ、あなたとの関係を説明できていないのに、オンラインゲームを成績が上がるまでやらないと約束した親にあなたのことをどう説明せよ、と言うのですか。

 陸は美咲の目を見ないようにしながら

「いや、今日親は留守で自宅にはいないのですけど……」

 すると、玄関から陸や陽菜の母親である左右加幸子が扉を開けて現れ、

「陸、ちょっと暇なら買い物に行ってきてくれない?」

 美咲はニコニコして陸を見ている。陸は大きなため息をついて、

「わかった、母親に紹介するよ」

「こちら、陸のお友達?」

「はい、陸君と親しくさせていただいております、加藤美咲って言います」

 コイツ、やろうと思えばちゃんと普通に挨拶できるんじゃねえか、と陸は少し憤慨した。

「陸、こんなところで話しているのも何だから、家に上がってもらったら」

「いや、加藤さんはこれから用事があるみたいで、今日はお忙しいようで……」

 美咲はニコニコしながら

「喜んで上がらせていただきます!」

 美咲は陸の母・幸子に許されて、まんまと左右加家の敷居をまたいだ。

「これはつまらないものですけど」

 美咲はお土産である和菓子の箱を幸子に差し出した。

「お気を使っていただいてありがとう。ありがたく頂戴するわね」

「お口に合えば幸いです」

 美咲はうれしそうだ。


 三人がダイニングキッチンのテーブルを囲んで、幸子が美咲にお茶を出している時に

「お母さん、ちょっとコレ、ついでがあったらアイロンかけておいてくれない?」

と、ハンカチを持った陽菜が扉から入ってきた。美咲は陽菜を見た瞬間、陸の腕に自分の腕を回して陸の方に体をすり寄せた。

 陽菜は美咲を見て、ギョッとした顔をして、ついにコイツ家にまで上がりこんできたかと言いたげな表情を見せた。が、陽菜はもはや怒りもせず、台所のシンクの三角コーナーを這っているナメクジを見るような目でこちらを見ている。

 ますますややこしい状況になったな、とこの後の展開を考えると陸は気が遠くなりそうになった。いっそのこと、このまま意識がとんでくれればいいのに。

「実は、陸君のお母さん、今日は許して欲しいことがあって来たんですけれども」

「はぁ……」

 幸子は、美咲が陸に腕組みをして甘えているそぶりを見せている辺りから、状況がわからないようで気のない返事しかできないみたいだ。

「お母さん、こんな奴の言うことなんか聞かなくていいわよ。どうせ『お兄ちゃん』と呼ばせて下さいとか言いに来たんでしょ」

「なぜ、それを」

「あなたの普段の行動パターンを考えたら、簡単に出る結論よ」

「うぬぅ」

「ちょっと、陽菜、それどういうこと」

 幸子は思わず立ち上がった。

「お母さんは知らないかもしれないけれども、この間から、コイツ、ところ構わず『陸お兄ちゃん!』とか呼んで兄貴につきまとっているのよ」

「えーと、美咲さん、それってどういうことかしら」

「だって、美咲は陸お兄ちゃんの妹だもん!」

 美咲の発作が始まった! 陸は血の気が失せた。陸のHP、125のダメージ。

「えーと、美咲さん、美咲さんが陸の妹ってどういう意味かしら?」

 陸は逃げだそうとした。しかし、美咲に回り込まれた。

「どういう意味も何も美咲は陸お兄ちゃんの妹だもん」

「だけれども妹って……」


 その時幸子は15,16才にしか見えない美咲の顔を見て、ハッと気がついたことがあった。幸子の夫、つまり陸や陽菜の父親である左右加亮(あきら)に、16年前に浮気の疑惑があったのだ。結局その時は証拠不十分ということで、なし崩し的に何もなかったということになっていたのだが。まさかその時の隠し子……。幸子はその場にへなへなと座り込んでしまった。

 しかし、次の瞬間、幸子は自分がしっかりしなくては、と思い直し、

「美咲さん、悪いのだけれども、今日のところは帰ってくれるかしら?」

「ですけれども、今日は大事な話があって」

「いいから、今日のところは帰ってくれるかしら」

 幸子は美咲の背を押して、玄関から無理矢理美咲を帰らせた。陽菜はいいぞいいぞと、母・幸子のことを応援している。


 しかしその日の晩、修羅場が待っていた。扉の向こうから父母の言い争う声が、否が応でも聞こえてくる。

「あなた、あの時は何もないって言ったじゃないですか」

「だから、何もないって言っているだろう」

「どの口がそんなことを言えるのかしら。ましてや隠し子がいるなんて。あまりにひどい仕打ちじゃありませんか」

「だから、何のことを言っているのか、俺にはさっぱりわからない、ってさっきから言っているだろ」

「もう、いいです。あくまでしらばっくれるのなら、私にも考えがあります」

 幸子は部屋から出てくると、扉の近くで心配そうに二人のやりとりを聞いていた陽菜と顔が真っ青になっている陸に向かって

「あなた達は、離婚してもお母さんに付いてきてくれるでしょう?」

 陸は口を大きく開き、エクトプラズムを吐き出したまま微動だにしない。返事がない。ただの屍(しかばね)のようだ。

次の瞬間、陽菜は陸の頬を手で叩き

「一家離散になるかもしれないって時に、気を失っている場合か!」

 ハッと意識を取り戻した陸は、おそるおそるなぜ美咲が陸のことを「陸お兄ちゃん」と呼んでくるのか、本当の理由を話し始めた。


 その後、陸は両親から脳みそが溶けるほど説教を食らい、オンラインゲームも全面的に禁止になったことは言うまでもない。


 後日美咲が左右加家の門の前で待っていると、陸は意気消沈した様子で

「美咲さん、すみません、もう俺につきまとうのは止めて下さい。オンラインゲームも親から全面的に禁止されました。もうオンラインでもオフラインでも会うことはないでしょう」

と、小さな声で言った。美咲ができることは、玄関の扉を開けて家の中に消えていく陸の背中をただただ見つめることだけであった。


「ってね、ひどいでしょう、危うく一家離散になるところだったのよ」

陽菜は悠斗とのデートで美咲の暴挙をこぼしていた。

「その人はどうして陽菜のお兄さんにつきまとって、陽菜のことを怒らせようとするのだろ?」

「知らないわよ。私、その人に恨まれた覚えなんてないもの」

「ちなみに名前は何という人なの」

「下の名前は、美咲って言うのは何度も本人の口から聞いた」

「えっ」

 悠斗は嫌な予感がした。

「ちなみに名字は何て言うの?」

「お母さんの話だと、確か加藤って名乗っていたと記憶しているって、言ってた。そう言えば悠斗と同じ名字ね」

 ギク、ギク、ギク。悠斗は冷や汗をかき始めた。

「いや一人、ドラゴンバスターXをしていて、その名前に該当する人に心当たりがあるんだけど……」

「何、加藤美咲って人、知っているの?」

「知っているも何も、その名前、うちの姉の名前なんだ」

「えーっ」

「いや、そうでないことを祈るけど、ドラゴンバスターXをしているし、見た目15、16才ぐらいに見えるし、この間『古垣あやの』のセーラー服のコスプレ衣装を買っていたし……」

「じゃあ、きっと悠斗のお姉さんだと思う。でも、私、知らないうちにお姉さんを怒らせていたことがあったんだろうか。それにかなり激しく喧嘩しちゃったし……。悠斗との交際、大丈夫かな」

 先程までの文句を言っていた態度からうって変わり、陽菜の表情は少し不安げだった。

「とりあえず、姉貴に陽菜のお兄さんにつきまとっていたのかどうか確認してみるよ。もし姉貴が犯人なら、どうしてそんなことをやったのか、も含めてね」

「お願い、そうしてもらえる。本当、悠斗との交際、こんなことで駄目になっちゃうんじゃないかって、少し不安なの」

「大丈夫、親はこの交際のこと、知っているんだしさ。姉貴も性格はちょっと問題なところもあるけど、基本そんなに悪い人間ではないし。とにかく確認をとって、理由にもよるけれども姉貴が犯人なら必ず謝らせるよ」

「あんまり厳しく言い過ぎないでね。犯人が悠斗のお姉さんなら、穏便にすませたいから」

「わかった。任せてよ」

「ちなみになんだけど」

「なに?」

「悠斗のお姉さんって、見た目は15、16才だけど、実際は何才なの? 悠斗よりも上なんだろうけど、18才ぐらい?」

悠斗はハハハッと苦笑いをしながら

「実は姉貴、今年で31才なんだよね」

「マジッ?」

「マジ」

「あんな31才がいるんだ。いろいろな意味で……」

陽菜は絶句した。


「本当に陽菜のお兄さんにつきまとって迷惑かけていたの、姉貴じゃないんだね?」

「何で私がそんなことをしなきゃいけないのよ」

 その日の晩の加藤家では、弟vs姉のバトルが始まっていた。

「でも、その人、加藤美咲って名のっていたらしいけど」

 ギクッ。美咲は少し動揺した。

「加藤美咲なんて名前の人、世間にいくらでもいるわよ」

「それに、その人、ドラゴンバスターXをやっていたらしいし」

 ウッ。美咲は徐々に真綿で首を締め付けられるように追い詰められていった。

「ドラゴンバスターXのユーザーなんて、20万人以上いるし」

 と、言いながら悠斗から目を逸らす美咲。

「おまけに、その人、『古垣あやの』のセーラー服姿で現れたって言うし」

 ついに観念した美咲は悠斗の前で土下座して

「すみません、私がやりました」

「やっぱり姉貴か。じゃあ聞くけど、何でそんなことしたんだい?」

「それは、その……」

 そもそもの理由を思い出した美咲は少し腹が立ってきて

「それには正当な理由があるのよ。実は……」


「じゃあ、国際展示場でのパンツ丸見えの写真が理由なんだね」

「ハイ」

 殊勝に土下座したまま答える美咲だったが、立ち上がると自分のスマホを操作して、陽菜のインスタグラムのページの画面を拡大して悠斗に見せた。

「確かにこれはちょっとなあ」

「そうでしょ、そうでしょ、悪いのあっちでしょ」

「でも、多分だけれども陽菜に悪気はないと思うよ。陽菜は結構アバウトというか、大雑把なところがあるからさ」

「そうなの?」

「とにかく、写真については削除させて、姉貴に謝らせるよ。だから姉貴もやってきたことに対してけじめをつけて」

「つまり、謝れと」

「そう」

 えーっとなる美咲だったが、次の瞬間悠斗に

「姉貴のやってきたこと、ストーカーだって警察に被害届出されたら、結構やばいと思うよ」

と言われると、再び土下座して

「すみません、私が悪うございました」


 それから三日後の午後。ブレザーの制服姿の陽菜と学生服姿の悠斗は私服姿の美咲と帰宅途中の道で会っていた。

 陽菜は最初に

「写真の件は本当にすみませんでした。写真はインスタグラムから削除しました。悪気はなかったんです。本当にごめんなさい」

と美咲に頭を下げた。

 少し溜飲を下げた美咲は、うんうん苦しゅうないといった態度で陽菜を上から見ている。

「って、謝罪がすんだところで」

 陽菜の表情が変わった。

「あなたのしたことで、私はともかく、兄貴や家族にまで迷惑をかけた行為は許せません。もう少しで一家離散になるところだったんですからね」

 ウッとなった美咲は

「すみません、すみません、お願いですから警察に被害届出すのは勘弁して下さい」

「とにかく、家族全員とは言いませんから、一番迷惑をかけた兄貴にはどうしてこんなことをしたのかという理由と実際の年齢を言って、謝罪して下さい」

「えっと、理由と謝罪はとりあえず言うとして、本当の年齢も言わなきゃ駄目?」

「そうです、兄貴をだましたことに間違いはないのですから」

 さらにウッとなる美咲であったが、陽菜の正論に対して反論する言葉も見つからない。

「わかりました、本当の年齢と近づいてきた理由を言って謝罪します……」


「今までご迷惑をおかけしました。ずみぃませんでした」

 美咲は左右加家の前で涙ながらに陸に謝罪をしていた。同伴した陽菜と悠斗もうんうんと頷いている。

「それではこれで」

 帰りかける美咲に悠斗は

「他に言うことがあるんじゃない?」

「すみません、実は、あの、つきまとった理由は、妹の陽菜さんと関係があって、陽菜さんのインスタグラムのページに……」


「つまり、陽菜に復讐するために俺に近づいてきたわけ?」

「ハイ」

「マジか」

少なからずショックを受けている様子の陸だった。

「それでは今度こそ、この辺で……」

「まだ、言うことがあるでしょ」

 陽菜から厳しいツッコミが入った。

「それ以外にも黙っていたというか、だましていたというか」

 やはり本当の年齢を言わなきゃ駄目か。そう思った瞬間美咲の脳裏には過去の苦い記憶がよみがえってきた。


「これは言いたくなかったけど、俺より年下のふりして、実は俺よりも6才も上だったんだね。危うくだまされるところだったよ」という元彼・佐野大輝の言葉。泣いている美咲に全く興味がない様子で居酒屋の出口に向かって歩く大輝の背中。ぴしゃりと音を立てて閉められる居酒屋の扉。


 美咲は頭がくらくらしてきて、倒れそうになった。目の前にはショックを受けて恨めしそうな表情の陸。もうこれ以上美咲には耐えられなかった。

「ずみぃません、もう許して下さい」

 泣きながら、鼻水を飛ばしながら美咲は陸達の前から逃げ去った。

「ちょっと姉貴」

 後ろから聞こえる悠斗の声もむなしく美咲は走り続けた。


 この後、自宅で悠斗から何で本当の年齢を言わず逃げ出したのか、と聞かれたが、美咲はうまく説明できそうな気がしなかったので、曖昧な返事でごまかしてしまった。

 美咲は自室で仰向けに寝ころがりながら、右手に陸に買ってもらったビーズの指輪を天井にかざしていた。指輪を回していろいろな角度から指輪を見ていたが、

「しょうがない、捨てるか」

と独り言を言うと、立ち上がって窓を開けた。指輪を投げようとしたが、道路に歩いている人を見かけると、ぶつけるといけないか、道路にゴミを投げるのもちょっと思い、窓を閉めた。指輪をゴミ箱に捨てると、再び仰向けになって

「一体、何やってたんだろう」

と再びつぶやいた。他人から見たら、余計そう思われるだろうな、と思った。美咲の脳裏には頼んでもいないのにこれまでの記憶が頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。


「陸お兄ちゃん、美咲、寂しかったよ!」と陸にいきなり抱きついて、そして陸の頬にキスをしたこと。

四街道高校の校門で陸を見つけると満面の笑みで陸に向かって手を振り、校門を出ると同時に陸の首に手を回して抱きついていたこと。

陸の友達にナンパされて、陸の後ろで陸の腕にしがみついたこと。

四街道高校の文化祭でお化け屋敷に入って、怖がる度に陸に抱きついたこと。

陸の腕に抱きつきながら「兄妹のことに口を挟める権利なら法的にあります。今日の私の気分で気にくわないと思ったからです!」と言ったこと。


「私、陸お兄ちゃんに抱きついてばかりだな」

 本当にただただ陽菜に復讐したくて、陸に抱きついたり妹キャラをオフラインでも演じていたりしていたのであろうか。

 陸お兄ちゃんはどんな時でも私を拒まず優しく接してくれた。どんなにつきまとっても文句も言わず優しく接してくれるので、本当は私のこと好きなんじゃないの? と思ったことさえあった。でも、そんな陸お兄ちゃんを結果として傷つけてしまった。もう会えない。オンライン上で話すこともできない。何もかも、もう終わったんだ。そう考えると自然と涙が出てきた。

 美咲はゴミ箱から指輪を拾った。

「ごめんなさい、陸お兄ちゃん」

 美咲は指輪を両手で握りしめながら、もう目の前で見ることはできそうにない陸に対して、一人謝った。


 それから一ヶ月後。下校途中の道を陸は石川蓮や凛と一緒に歩いていた。

「最近はオンラインゲームもできないし、これ以上成績が悪くなったら、予備校通わせるとか親から言われるし、最悪だよ」

「だから、最初から美咲さんって人を拒んでおいたら良かったんだよ」

「年下だからって、デレデレしちゃって、それぐらいがいい薬です」

 陸はハハハッと苦笑いをすると、誰もフォローしてくれないので

「まあ、危うく一家離散になるところだったから、親からすると懲罰的な意味あいもあるのかもしれないけれどね」

と、自分でフォローするしかないのがむなしい。今だから笑ってしゃべれるが、マジでシャレにならない話だったよな。幸い、玄関先で美咲と会うことを拒んでから、美咲と会うことはなくなったのだが。

「それじゃあ、ここで」

「またな」

「陸、また明日ね」

 陸は蓮達と別れて、左右加家の門の前まで来た。


「陸お兄ちゃん」

 そう言って、笑顔で抱きついてきた美咲の顔が陸の脳裏をよぎった。


 そう呼ばれなくなって、一ヶ月が過ぎた。あれだけ迷惑をかけられたのに、急にばったり来なくなると、ほっとすると同時に、それはそれで少し寂しくも感じた。

「今頃、ミサミサはどうしているんだろう」

 陸はどうしてそんなことを思うのか、自分でも分からなかった。あれこれ考えてもしょうがない。もう終わった話なのだ。

「しょうがないから、家で勉強でもするか」

 陸は家の中に入っていった。


 陸は階段を上がって二階の自室に入ると、主にゲーム用に使っていたデスクトップパソコンが目に入った。

「もうオンラインゲームも当分の間、できないんだよな」

とため息をつくと、今度は


「ランドお兄ちゃん、今日もよろしくね」


と、美咲とのドラゴンバスターXでのプレイの思い出が頭に浮かんだ。

 どうしてまた、美咲のことを思い出すのだろう。そして気がついてみたら、パソコンを起動して美咲のインスタグラムに載っているコスプレ写真を見ていた。とっとこハム太郎、ガンダムSEED、ヒカルの碁、犬夜叉? 聞き慣れない作品のコスプレばかりだ。一体いつ頃の作品なのだろう? 陸はハッと気付くと、いい加減そういう女々しい自分に苛立ちを少なからず覚えた。

「いや、オンラインゲームを再開させてもらうためにも、勉強、勉強」

 陸は自分に言い聞かせるようにわざと大きな声で言うと、机の前に座って勉強を始めた。


「ええっと、シャーペンの芯の予備はどこだったけ」

 陸は机の引き出しを順に開けていくと、上から二番目の引き出しにシャーペンの芯があった。シャーペンの芯を取り出そうとすると、その隣にあった金色のビーズでできた指輪が目に入った。

「陸お兄ちゃん、ありがとう」

と言って、うれしそうに指輪を左手の薬指にはめようとした美咲の顔を知らないうちに思い出していた。

「ああ、一体何だって言うんだよ!」

 あれほどひどい目にあったのに、少し寂しいってどういうこと? でも振り返ってみると、陸は最後を除いて、美咲のことを拒むことができなかった。どうして? それもよくわからない。単純にゲーム仲間だったから? それとも年下や妹キャラが好きだったから? よくわからない。今わかることは、何かにつけて美咲のことを思い浮かべる自分に苛立ちを覚えているということだけだった。


              *


 その日美咲は陸に自分の年齢を偽っていたことを言ってちゃんと謝ろうと、陸の帰宅途中の道で電柱に隠れながら、陸のことを待っていた。じつはここ二、三日同じ場所で陸のことを待っていたのだが、どの日も陸が一人で帰宅していなかったので謝りそびれていたのだ。今日こそは思って待っていると、陸は四街道高校の校門で陸に嫌みを言って去って行った女子生徒と一緒に、楽しげに会話をしながら歩いてきた。なんで今日も一人じゃないのよ、と美咲は苛立った。

「大体、少しくっつきすぎじゃない? なれなれしい」

 私、単に謝りに来たんじゃなかったんだっけ。美咲は自分でもどうしてこんなことを口走るのか、すぐにはわからなかった。

「本当、図々しいのよ。さほど可愛いわけでもないのに」

 どうしてそんなことを言うのか。この違和感。そうだ、私、陸お兄ちゃんの横を歩いているあの子に嫉妬している。私、やっぱり陸お兄ちゃんのことが、一人の男性として好きなんだ。どうしよう、猛烈に緊張してきた。陸はあの子と一緒にどんどん近づいてくる。そんな矢先に

「美咲?」

と後ろから聞き慣れた声がした。美咲が振り返ると、それは元彼の佐野大輝だった。大輝は少しばつが悪そうに、

「美咲、あの時は悪かったな。あれから元気にしていたか?」

と、定型文通りの挨拶をしてきた。美咲は少しむっとして

「あんな振られ方して、元気なわけないでしょ」

と突きはなした。

「ごめん、あの時は俺が悪かった。あれからずっと振り返って考えてみたんだ。美咲はコスプレやオンラインゲームばかりで俺に興味がないと思っていたけど、実は美咲はそんな自分を俺にさらけ出して、そのままの自分を愛して欲しかったのでは、って最近思うようになってきたんだ」

「今さら遅いわよ」

「それに美咲の年齢のことは悪かった。俺の度量が狭すぎた」

「それで私に謝りに来たわけ?」

「まあ、それもあるんだけど……。美咲、もう一度俺とやり直してくれないか?」

「はぁ?」

「本当にあの時のことは、俺が悪かったよ。頼むよ、な?」

「お断りよ。あの時私はどれだけ傷ついたと思っているの」

「そう言わずに頼むよ」

 大輝は拝み倒してきた。

「しつこい!」

 頭にきた美咲はその場を離れようと、電柱の影から出て足早に歩き始めた。


 学校からの帰宅途中の陸は、凛と一緒に歩いていると、電柱の影からいきなり現れた美咲と出くわした。

「えっ」

「あっ、いや、これは、えっと……」

 慌てふためいている美咲に凛は

「陸に何の用事ですか。もうつきまとうのはやめて欲しいと言ってある筈です」

と厳しい言葉を投げつけた。

「えっと、つきまとおうとしているのではなくて、もう少しちゃんと謝りたいと思って……」

 すると、電柱の影から見知らぬ男性も出てきて

「おい、美咲。こちらの話の方が先だろ」

とまるで彼氏のような口調でこちらの会話をさえぎってきた。いや、本当の彼氏なのか? 陸は少しムッとした。

「本当、しつこいわね。だから復縁なんかお断りよって言ってるじゃない」

「頼むからもう少し俺の話を聞いてくれよ。そしたら帰るからさ」

と、その元彼は美咲の腕をつかんだ。

「離してよ、何度お願いされてもお断りよ」

「いや、だから少し俺の話を聞けって」

「痛い。いいから手を離してよ」

 次の瞬間、陸は無自覚のうちに元彼の腕を取っていた。

「やめろよ、本人は嫌がっているじゃないか」

「何すんだよ、お前。関係のない奴は引っ込んでろ」

「いや、関係はある」

「一体お前、美咲と俺との仲にどう関係があるって言うんだ」

 陸は意を決して、一呼吸おくと

「関係はあるさ。今の美咲の彼氏は俺だからさ」

と宣言した。

「「えっ」」

 凛も元彼もびっくりした様子だった。美咲は瞳をうるうるさせて、小声で陸お兄ちゃんとうれしそうな表情でつぶやいていたが、次の瞬間

「そうよ、彼が今の彼氏の陸君よ」

と話に乗っかってきた。しかし、元彼は笑いながら

「こりゃいいや、こんな年端もいかないのが彼氏かよ。児童福祉法かなにかで、つかまるぞ、美咲!」

「この際、年齢は関係ないだろ。現に俺と美咲は付きあっているのだから」

「嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつけよ。お前みたいな学生と美咲が付きあっているとは到底思えねぇ。美咲とどういう関係かは知らないが、単に美咲をかばっているとしか見えねぇ。現にそっちの姉ちゃんがつきまとうのはやめて欲しいって言ってたろ」

 凛は手で口を押さえて、あっと言ったが、それ以降は沈黙を守った。

「陸君が、私の彼氏である証拠ならあるわよ」

「本当か? 俺には苦しまぎれの嘘にしか聞こえないけどな」

「だって、陸君はドラゴンバスターXのランドお兄ちゃんなんだもの」

「なにぃ」

「下の名前が陸だからランドってハンドルネームでゲームしているんだよ」

「別れ話の時、そんなにランドが好きならランドと付きあえばいいって言っていたよね。現に今そうしている。これでも何か文句ある?」

「マジか」

「そのマジよ」

 元彼はしばらく考えこんでいたが、

「わかったよ、俺が退散すればいいんだろ」

 元彼は陸をにらみつけると

「今度見かけたらタダじゃおかねぇからな」

と捨て台詞を吐くと、足早に去っていった。


「あーあ、気持ち良かった」

 美咲は背伸びをしながら晴れ晴れとした表情で言った。

「あのー」

「どうした凛?」

「陸と美咲さんが付きあっているって、本当?」

「ハハハ、とっさについた嘘だよ」

「やっぱり、そうなんだ」

 凛はほっとした表情をした。しかし、次の瞬間陸は意を決したように

「でも、この件でわかったことが一つある。ここ最近、ミサミサに関してモヤモヤする感情が何なのか、よくわからなかった。急に付きまとわれなくなって、寂しさを感じることさえあった。でも今の一件で俺はミサミサの元彼にヤキモチを焼いていることに気がついた。俺は何やかんや言って、ミサミサに付きまとわれて被害者意識の感情だけではなくて、いやもっと言えば、ミサミサのことが好きだっていうことに、この一件でわかったんだ」

「えっ」

「凛、これは俺の本心なんだ。もし俺のことが好きだったら、ごめん。でも嘘はつけない。嘘をつけばミサミサを、そして凛をも、もっと傷つけることになる」

 凛は涙目になりながら

「わかった、今日は一人で帰る」

と、自宅のある方へ一人で駆け去っていった。

 陸は美咲の方を振り返って

「ミサミサ、今日は俺に何か用事があったんじゃないの?」

「う、うん。実はね、陸お兄ちゃん、いえ陸君に黙っていたというか、結果的にだましていたことがあるの」

「うん」

「陸君に近づいてきた理由はこの前言ったとおりなのだけれども、それ以外にも実は……」

 美咲は勇気を絞り出して自分の年齢のことを話そうとした。


 「これは言いたくなかったけど、俺より年下のふりして、実は俺よりも6才も上だったんだね。危うくだまされるところだったよ」


 いやが応にも元彼の佐野大輝の言葉を思い出す。また好きな人にフラれる。いや、私は本当のことを言って謝って、フラれに来たんだ。

「陸君、私ね、今まで年下のふりをしていたけど本当は31才なんだ。だましていてごめん。それが原因で一家離散になりそうだったんだよね。本当にごめんなさい」

 美咲は言い終わると買ってもらった指輪を陸に返して、涙を流しながら陸のもとを去ろうとした。しかし次の瞬間、陸に腕をつかまれていた。

「つい最近気付いたのだけれども、年齢のことは大体そんなもんじゃないかって思っていましたよ」

「えっ」

「だって、ミサミサのインスタグラムにのっているコスプレ写真って、ガンダムSEEDとか、ヒカルの碁、犬夜叉とか俺が生まれる前の昔のアニメばっかりなんだもん。いくら童顔でも年齢を疑いますよ」

 美咲は人差し指で涙を拭いながら

「そうだったんだ。馬鹿みたいだね、私勝手に独り相撲しちゃって」

「でも31才は少し予想よりも年とっていましたけどね」

 美咲は笑いながら

「ひどい」

 そして美咲はひと呼吸おいてから

「それでね、陸君、私もね、陸君のこと好きなんだ。あの、図々しいお願いっていうのはわかっているのだけれども、付きあってもらうことは……可能なのかな?」

とおそるおそる聞いてみた。

 陸は黙って、美咲から返されたビーズの指輪をそっと美咲の左手の薬指にはめてあげた。

「陸君……。ありがとう」

「どういたしまして」

「それでね、図々しいのはわかっているのだけれども、もう一つお願いごと言っていい?」

「何ですか」

「やっぱり陸君よりも陸お兄ちゃんって呼ぶ方がしっくりくるの。これからも陸お兄ちゃんって呼んでいい?」

「その呼び方は、いろいろな世間の誤解や俺のトラウマを呼び起こすからやめて下さい!」

 どう見ても15、16才にしか見えない30過ぎのおばさんが俺のことを「お兄ちゃん!」と呼んでくる、のはやめて欲しいのだが。            


                了

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どう見ても15、16才にしか見えない30過ぎのおばさんがなぜか俺のことを「お兄ちゃん!」と呼んでくるのだが 阿部祐士 @Yuuzi-abe

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