愛されてみたかった

 才能という言葉が嫌いだ。


「何度言ったら分かるんだ」


 何度言われたって分からないよ。


「お前にかけた時間と金は無駄だったな」


 時間も金もいらなかった。


「少しは姉を見習ったらどうなんだ」


 できるものならそうしたかったさ。


「天音という名前が恥ずかしく思える」


 この名前をつけたのは父さんじゃないか。


「俺の顔に泥を塗りやがって」


 僕の顔には見向きもしないくせに。




 浮かんだセリフを口にすることは、とうとうなかった。

 家を追い出されるのが怖かったからなのかもしれない。というか、母が死んだ時に追い出されるとばかり思っていた。


 その当時はピアノを始めたばかりだったから、父親の期待もまだあったのかもしれない。

 だがそんなものはすぐに溶けてなくなってしまった。


 天性の才を持つ姉と比べられ、自分はというとひとつの曲しかまともに弾けない。

 父が見放すのも、当然かもしれないと思った。


 だけど本当は、僕だって。


「……愛されてみたかったんだ」




 ピアノの音色で目が覚めた。おそらく姉が自室で弾いているのだろう。


 高校で部活に属していない僕は、夏休みはとにかくやることがない。だから基本、家で勉強したりゲームをしたりして過ごしている。

 我ながら怠惰な日々だと感じていた。部活に入らなかったのは自分の責任だが、夏休みに暇すぎて苦しむことになるとは思っていなかった。


 その時、机の上に置いたスマホが振動した。数少ない友人から遊びにでも誘われたのかと思ってメッセージの通知を確認する。


 雛見:「おはよー!」

    「急だけどさ、今日会える?」


 そういえば数日前、雛見と連絡先を交換したんだった。と思い出し、僕はベッドに寝転がったまま返信する。


 星宮:「何時にどこで?」


 雛見:「んー」

    「十三時に音楽室でどうー?」


 時計を見ると、ちょうど十時をすぎたあたりだった。


 星宮:「わかった」


 すぐに既読がついて、ピコンとスタンプが送られてきた。喜んでいる猫のスタンプ。女子とのやり取りは新鮮だなぁと思いながらベッドから降りる。


「かのじょー?」


「はっ!?」


 僕は突然響く声に肩を強張らせた。ドアのところに、姉が立っていた。いつのまにピアノの練習をやめたのだろう。


「よっ、朝から女の子とLINEなんて、やるじゃん天音」


「やめてくれよ。てかなんで女子って分かった」


 僕が軽く睨むと、彼女は口元に手を当ててんふふふと笑う。


「送られてきたスタンプ、あんなかわいいの男の子は使わないでしょ」


「偏見じゃねえか」


「でも結局女の子とやり取りしてたんでしょ?」


 僕は言い返せずに黙る。姉はこっちをジロジロ見て、ニヤついていた。


「へー、地味で根暗でヘタレの天音に彼女かー」


「だから彼女じゃないって言ってるだろ!!」


「怒ると怖いの、母さんにそっくりだね」


 僕の姉、奏音かのんのいう母さんは、死んだ母のことだ。母さん母さんって、死後も名前を出すのはこの家で姉くらいのものである。


「ほっとけよ。で、何の用?」


「冷たいわねぇ。かわいいかわいい弟が振り向いてくれませんって、Yahoo!知恵袋に書き込むぞ。ま冗談はさておき、朝ごはん食べちゃいなさいよ」


「姉さんが書き込むなら俺も『姉が毎日ウザいです、どうすればいいですか』って書き込むよ。わざわざそれ言うために来たの?」


 僕が聞くと、彼女はくるりと踵を返して「ちょっと疲れたし、ピアノ練習の休憩に来てやったのさ。じゃね」とそそくさその場を離れた。


 相変わらず掴めない人だと思いながら、僕は朝ごはんを食べるために部屋を後にした。

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