第43話 夢を見続ける
僕は寝台の上にネイローザを押さえ付けている。
改めて触れる彼女の腕、肩は本当にか細い。
今少し力を込めてしまえば、へし折ってしまいそうなくらいの華奢な体付きの少女だ。
普通であれば、余裕で二回りは体の大きい男に無理やり組み伏せられれば、悲鳴を上げるか、あるいはビクビク怯えるのが妥当なところだろう。
だが、目の前の少女は
近隣諸国にまで武名轟かせる我が国最強の騎士であり、素知らぬ顔で王国を影から支配していた悪辣な魔女だ。
(しかし、彼女は微笑んでいる。この状況で、だ。まるで恋人と“初めて致す”かのように、顔を赤らめ恥ずかしそうに身悶えつつ、それでも笑顔を見せ付けてくる)
早く抱き締めろと、急かされている気分すら僕は感じ始めている。
だが、そんな恋人同士の睦み合いではない。
僕の感情は、すでに噴火寸前の火山のごとく
「……ネイローザ、その余裕の態度、父だけではないな。お爺様ともか!?」
「はい、そうです。私はトリストラム陛下より数えて殿下で七代目、等しく私を愛してくださいました。もちろん、それぞれに差異はありましたが、すべて覚えています。武芸の冴えも、学識の量も、知恵の磨きも、揺れ動く魂の輝きも、そして、互いを求め合った“人肌の温もり”も、全て記憶しています」
「…………っ! そうか、そうだよな! 母がネイローザを嫌っていたのはそういう事か! 母だけが“他国者”で“聡明”であったからこそ、この国の、王家王族の異常な状態に気付けたと言うわけか!」
さらに事象が結合していく。
あの聡明で優しい母が、なぜネイローザを毛嫌いしていたのか、その理由は実に簡単な事だ。
それは“嫉妬”。
夫の心を奪い、息子の心もいずれ奪う、そんな忌まわしき魔女として、ネイローザの事を看破していたからだ。
(だが、母は聡明だからこそ、現状を把握しながら黙した。嫁いだ先とは言え、この国の事を思えばこそ、妻ではなく、母でもなく、誰よりも理想的な“王妃”であり続けたんだ!)
もし、ネイローザの抱える真実が表に出れば、国が乱れる元になりかねない。
なにしろ、この国の“真の支配者”は国王ではなく、“かつての王様との思い出に浸る一人の少女”だからだ。
それが表に出たならば、そんな
そこを周辺諸国は付け込んでくる事は十分に考えられた。
(だからこそ、母は沈黙を守り通した。国王たる夫の命には忠実であり、国民を愛して笑みを振り撒き、聡明で凛々しく、優しい王妃を演じ続けたんだ! ただ、せめてもの抵抗として、僕の養育を引き延ばそうとしたり、ネイローザに
本当に国の未来を思えばこそ、争いの種になりかねない真実を抱え、そして、母は亡くなった。
その献身ぶり、心労による負荷、その心中は察するに余りある。母への畏敬の念が強くなる一方だ。
(だが、それも完全に徒労に終わった。なぜなら、母上、あなたの息子はもうネイローザに心を奪われてしまったからだ!)
事実を知ったからと言って、何だと言うのだ?
僕はネイローザを愛している。
ささやかな初恋は木っ端微塵になったが、それでも王宮に咲き誇る黒い薔薇は美しく、愛でるに能う“棘だらけの花”だ。
その棘の痛みすら、今の僕には愛おしい。
痛みすら、悦楽の内に思えてしまうのだ。
(だが、視点を変えればどうだろうか? この国は、言ってしまえばネイローザにとって思い出の場所であり、“夢の続きを見れる楽園”でもある。ご先祖様、トリストラム王とネイローザが過ごしたこの国を、何が何でも守ろうとする。国民にとっては、ある意味では喜ばしい事だ)
彼女が王の継嗣を鍛え上げるのは何のためだ?
強い王を戴いてこそ、国が強くなるからだ。
彼女が王の継嗣を学問に打ち込ませるのは何のためだ?
賢き王を戴いてこそ、政治は円滑に回るからだ。
彼女が王の継嗣を自分に惚れさせるのは何のためだ?
例え異国から“傾国の美女”が嫁いでくるような事になっても、初めから心を奪っておけば、篭絡される心配もないからだ。
そして、何よりも自分自身のためだ。
かつての想い人、彼女の中では“最高の王様”であるトリストラム王。
ご先祖様と過ごした日々を、なおも渇望して、それを掴もうとしている。
それこそ、ネイローザの本当の願い、望み、
(合理的! 何もかもが合理的! ただただこの国を強くし、存続させるためだけの
夢はいつか覚める。
しかし、彼女はひたすら
そう、歴代の王族は、僕も含めてずっと
知らねば幸せだし、知ってしまっても、そのまま演じる事もできる。
なにしろ、麗しの黒薔薇と仲睦まじく過ごせるのだから。
自分の妻をそっちのけにしてでも、黒薔薇との時間を大切にする。
そういう風に、幼少期から仕込まれているからだ。
(とは言え、国民にとっては、ある意味では有益とも考えられる。なにしろ、王族は最強の騎士にして、“悪辣”な賢者の養育を受け、強くて聡明な王になるのだから。名君、強王を戴いてこそ、国は強くなり、民は安定して暮らす事が出来る)
これがあるからこそ、母は騒乱の種に対して沈黙を守り、父もまた強い王であり続けた。
その地位が、いよいよ僕に回って来たという話だ。
今、僕が寝台に抑えつけている可憐なる少女ネイローザ。
その中身は恋する乙女のまま、百年以上の時を過ごしてきた。
現実と幻影が結合した不変不動の世界。
恋する乙女が変わらぬ愛を求め続けた夢の国。
その
成長しない恋する乙女が、愛しい人を求めて彷徨い続ける場所だ。
この国は彼女に夢を見させるための舞台であり、僕、かつての王様を含めて、王族の血と肉を介してずっとトリストラム王を投影し続けてきた。
(ネイローザ、君は僕の事を一切見ていなかったんだ! 僕の体に流れる“高貴なる血”を介して、ご先祖様とのひとときを楽しんでいたんだな!)
心地よい夢を見続けられるのであれば、ずっと眠っていた方がいいかもしれない。
そして、ネイローザはそれを選んでしまった。
トリストラム王との思い出を今一度、そう願ってこの国の時間を止めてしまった。
少なくとも、
トリストラム王の役を演じ続ける限り、これは決して終わる事はない。
唯一の解決策は、最強の騎士である『黒薔薇の剣姫』に打ち勝つ事。
何の事はない。父はこの終わらぬ夢を終わらせるために、ただ一人で
鍛練場では戦士としての腕前を、寝台の上では男としての腕前を、それぞれ見せ付けながら。
同時に彼女を悲しませないためにも、国の繁栄と維持に注力してきた。
あらゆる事象がただただ想い人のためにと、父はせっせと働いたが、裏の事情を知ってしまった今となっては滑稽にも思える。
どれだけ“真面目”に働こうとも、彼女の心には毛ほども響いてはいない。
彼女のトリストラム王への想いが、僅かでもいいから揺るがせるために、父は自身を磨き続けれども、彼女が見ていたのはあくまでも“かつての恋人”。
それでもなおと努力を怠らなかったは、彼女がそう評したように“誰よりも真面目だった”からだろう。
しかし、その全てが徒労に終わってしまった。
父は人生の全てを賭けて悪夢に打ち勝とうとするも力及ばず、夢から目覚めるには至らなかった。
あのしょぼくれた背中、列国に名を知らしめた王の威風を感じない。
何もできなかった“敗北者”の背中だ。
それを悟ったからこそ次を僕に託し、用済みの役者は舞台を自ら降りた。
ただただそれだけの話だったのだ。
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