第47話 僕と彼女の払暁
僕はネイローザが好きだ。
この点に一切の嘘偽りはない。
しかし、僕も、彼女も、悪夢に捉われている事を自覚している。
恋人を作り直しては時間の流れとともに失われ、それを幾度となく繰り返してきた。
彼女は始めてしまった終わりなき恋の物語に後悔しつつも、止めてしまう勇気もなく、それでもなおと“最高の王様”が現れるのを待ち望んでいる。
それに歴代の王が付き合わされ、悪夢の終焉に挑みつつもそれが叶う事はなく、ついに
(終わりなき恋の物語。ネイローザは僕を見ず、ご先祖様を見続けている。だからこその上書き! 僕は超えるんだ! ネイローザが最高の王様であると考えているトリストラム王、それを凌駕する事こそ、僕の生きる道だ!)
ふと視線を寝台横の机に向けると、そこには豪奢な一振りの剣が置いてある。
王権の象徴であり、
ご先祖様の名を取り、『
超えると誓った以上、僕は何が何でもやり遂げるつもりだ。
こうして彼女を抱き締め、その肌の温もりを感じていると、無限の広がりを心に感じる。
やってやる。どこまでも突っ走って、世界の果てまで、夢の終焉まで、辿り着いてみせる。
決意が改めて固くなる。
「なあ、ネイローザ、昨夜はその、なんだ、色々と」
「それ以上は言わなくて結構です。殿下を……、歴代の王を“その時”が来るまで騙し、引き返せないところまで来てから暴露していたのは事実ですから。そういうズルい女なんです、私は」
「そうじゃない。君が気に病むことじゃないさ。僕は好き好んで、君の用意した舞台に立ち、役者を演じるつもりなんだから」
「……嫌じゃないのですか?」
「ああ。嫌だね。全くもって、気に入らないね」
わざとらしく怒ってみせるが、君にはお見通しなのだろう。
逆に笑顔を向けてくる始末だ。
ああ、やはりその顔こそ、君には相応しい。
嘆き悲しむ泣き顔など、僕は見たくもないし、させるつもりはない。
笑顔の君こそ、僕の黒薔薇だ。
「だからさ、僕は台本の大幅な加筆修正を試みるさ」
「どんなですか?」
「
「フフッ、頼もしいですね。でも、まずは私に一撃を入れられるようになってから仰ってください」
「無論、そのつもりさ。今は届かずとも、いつかは成し遂げて見せるさ」
僕は改めて宣言し、決意を君に伝えた。
覚めぬ悪夢を打ち消すためには、君を
ここは君の“かつて”の思い出の場所であり、“僕”との思い出の場所ではない。
なにしろ、君は僕を見る事はなく、僕の血肉を用いてご先祖様の姿を見ていたからだ。
夢が終わらぬ限り、時は動き出す事はなく、思い出が積み上がる事はない。
彼女の夢を終わらせてあげられるのは、ただ“この国の王様”だけだ。
父はそれに失敗し、僕に後事を託した。
いずれ遠からず、正式に隠居するだろう。
ネイローザの夢を覚ますのには、自分では無理だと悟ったから。
王位は時期尚早と父に述べたが、こうまで秘密を知ったからには後には戻れないし、戻る気もない。
僕にとってのすべては、麗しき『黒薔薇の剣姫』なのだから。
この黒薔薇を手折り、それを胸に抱いて外の世界へと旅立つ。
君はそれを悲しむかもしれないが、解決策が一つある。
それは“かつての思い出すら霞むほどに僕に惚れさせる事”だ。
これだけが、唯一の方法。
(だが、道は果てしなく遠い。武芸は言うに及ばず、知識や技術を磨き、慈悲深くあらねばならない。そこが父の失敗した点だ。父は彼女を悲しませないようにするために、ひたすらこの国を強くしようとした。それは“現状維持”でしかない。彼女はそれでは
強くなる事だけを求めてはならない。
もちろんそれも重要だが、肝心な要素はこの剣が教えてくれている。
『
例えボロボロになろうとも、それを覆う程の慈悲の輝きを指し示す。
ネイローザを救ったトリストラム王は、彼女をねじ伏せる事で力を示し、刃引きの剣を用いる事で慈悲も示した。
だからこそ、彼女は救われた。
捨てられ、飼われ、荒み切っていた彼女に慈悲の光を当てたからこそ、トリストラム王は最高の王様だと彼女は認識している。
それはなぜか?
(答えは一つ! 彼女は邪神の
成長とはすなわち、“変化”だ。
ネイローザは生まれてから、“奪い奪われ”る事しか知らずに過ごした。
呪いの忌み子として捨てられ、盗賊に拾われたがゆえに盗賊となり、襲って奪うのが当たり前の環境で生き延びた。
そこに現れたのが、僕のご先祖様であるトリストラム王。
ご先祖様は、彼女に“与えた”のだ。
力でねじ伏せる事で“敗北”を与え、その命を奪わない事で“慈悲”を与え、騎士に叙任する事で“仕事”と“生き甲斐”を与えた。
奪い奪われて生き延びたネイローザにとっては、初めて“与えられた”のだ。
奪うのではなく、与える。
それは“変化”であり、“成長”でもある。
ゆえに、成長しないはずの“不変”の彼女の心には何よりも響いた。
“嫉妬”という怪物から攻撃性を取り除いた姿が“羨望”だ。
羨望は愛情が内包されているがゆえに、嫉妬のように対象を破壊する事はない。
その羨望すら乗り越えた先にあるものが“慈悲”だ。
他者に対して苦を取り除き、楽を与える心の働きかけ。
ネイローザをして最高の王様であるというトリストラム王は、まさに“慈悲”の体現者だ。
僕が十年かけてようやく得た結論を、僅かに百余の斬り合いにて掴み、闇に沈むネイローザの心に光を差し入れたのだから、作り出された紛い物などではなく、本物の名君、賢王だったのだろう。
その心意気を後世にまで伝えるのが『
彼女を救うための解答は目の前に示されていた。
頂を見上げ、道は示されているが、それでもなお辿り着けないのは、その道が思った以上に険しいからだ。
僕の血の中に感じるトリストラム王と、その傍らに寄り添う妖精ネイローザ。
それを感じた時、僕の心に“嫉妬”が生じた。
自分以外の誰かと麗しき黒薔薇が仲睦まじくしているなど、耐えられないからだ。
何もかもぶち壊してしまえ。欲望の赴くままに、と。
だが、それを抑え込んだ。
むしろ彼女の方から、「ここまで来てほしい」とせっつかれているようにも感じたからだ。
嫉妬は羨望へと変わり、奮起が生じる。
トリストラム王の姿を自分に置き換え、そうなる未来を描けるようになった。
しかし、まだ羨望止まりだ。
削いで、見つめて、削いで、見つめて、本当に必要なものだけを残し、ネイローザへ僕自身を差し出す。
研ぎ澄ませるのは剣ではなく心。
剣を研いでは刃が生じ、それは誰かを傷つける。
求めるべきは鞘。
抜き身の剣である『黒薔薇の剣姫』が回帰できる場所になる。
それこそが僕の目指すべき道。
それを成し得た
あのボロボロの剣はネイローザを示し、それを納める鞘が王たる者の姿だと、トリストラム王は後世に伝えるために、あのように
剣と鞘は一体。鞘に収まる姿こそ、もっとも美しい。それを目指せと、御先祖様は言っているような気がする。
永遠に咲く黒い薔薇との接し方が分からないであろう、自分の子孫達に向けて。
(……まあ、それはあくまで僕の想像。そうあって欲しいという願望も含まれている。そうでなければ、彼女の心に響かせるものがなくなってしまう)
初恋は色褪せず。
思い出は美しく、されどそれに縛られていては先に進まない。
僕も、彼女も、止まったまま時間は過ぎ去り、また
それを僕が今度こそ終わらせる。
歴代の王様が成そうとして失敗した、心地よい悪夢の終焉。
彼女に“与えられる”くらいには強くなり、“変化”をもたらす。
それこそが、訪れる事の無いはずの“成長”の証となるだろう。
邪神に奪われた“成長”という欠損を補い得る、何かを手にする。
僕と彼女が共に成長してこそ、止まった時間を進ませる事が出来る。
“成長”という名の光こそ、僕らにとっての
昇る朝日と、それに照らされて輝く『
昨日までの自分が抱く悩みもまた、差し込む陽光の前の朝霧のごとく消えた。
もう何も怖くない、迷いもない。
僕はただ、彼女を惚れさせてやるだけだ。
男としても、そして、王としても、かつての思い出が霞むくらいに。
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