第45話 悪夢を祓うために

 欲望の赴くままに少女ネイローザの体をむさぼる。


 ドレスは破かれ、肌着も剥ぎ取られ、あらわになる彼女のあられもない姿。


 だが、そこで僕はピタリと手を止める。


 衣服を失い、曝け出された浅黒い肌の彼女の裸体には、ところどころに傷痕が残されているのだ。


 裂傷、火傷、あるいは穴、多種多様な戦いの痕跡が見える。


 普段見る事の無い、衣服の下に隠された彼女の姿だ。


 それを見るなり、僕は荒ぶる気が萎えていき、正気に戻されていく。



(そうか……。この傷、戦場で受けたそれだな。あるいは国内の揉め事で、暗殺者をけしかけられた事もあるって言ってたし、その刻まれた痛々しい記憶がこれか)



 黒い薔薇には棘があり、それを掴もうとする者を傷つける。


 だが、彼女自身もまた傷ついていたのだ。


 国を守るために幾度となく戦場を駆け巡り、王族を暗殺者の刃から守るために自らを盾とする。


 そんな生活を百年以上も続けてきたのだ。


 それも成長しない少女の姿のままで。


 王族ぼくらにとっては悪夢かもしれないが、彼女の想いだけはある意味で純真だ。



(好いた相手とずっと暮らしていたい。でも、人間と黒エルフダークエルフでは寿命が違い過ぎる。彼女もまた、いつも“老いて逝かれる”という悪夢を見続けているんだ)



 そう考えると、今の自分の行動が恥ずかしく思えてくる。


 荒々しくその小さな体を貪り、自身の情欲を満たす為だけに事を致すなど、正真正銘の獣だ。外道だ。


 人間のクズであり、彼女の求める“高貴なる血筋”の振る舞いではない。


 自然と腕の力を緩め、逆に彼女をそっと抱き寄せていた。



「ごめん、ネイローザ。僕が悪かった。気が動転して、君の事を何も考えていなかった。とんだ独りよがりの、ろくでなしだ。本当にごめん」



 僕はギュッと彼女を抱き締め、優しく後頭部から背中にかけて撫でた。


 月明かりがそのまま降りてきたような輝く銀髪、それを櫛で梳くかのように指を走らせる。


 彼女もまたその小さくか細い腕で僕の体にしがみ付いてきた。


 力はその細さに比例して、全然大したことはない。


 しかし、かかる圧が凄まじい。


 “百年の研鑽の先”などと述べていたが、実際のところは“百年の悪夢の果て”でもあるのだ。


 彼女自身、いつも愛しい人を求めて愛しい人を作り、そして、寿命の果てにそれを失ってきた。


 “愛”とは、自分にはないものを外部に求める行為だ。


 そして、何よりも“愛”とは“渇く”ものであり、常に飲み続けなければ干からびてしまう。


 ネイローザは貪食の薔薇。黒は何もかもを飲み込み、飲んでも飲んでも満たされる事はない。


 いくら飲んでも足りず、癒される事なき渇きに常に苦しめられてきたとも言える。


 “愛”を求める彼女は、満たされぬ想いを胸に、百年以上の時を歩み続けてきた。


 成長しないからこそ、成熟して落ち着く事を知らない。


 どこまでも渇きを癒すために、愛を飲み続ける。


 寿命が無いに等しい彼女にとっては、いずれ訪れる別れの数々、それはもはや苦行と呼んでも差し障りがない。


 肌のあちこちにある戦傷よりも、さらに深刻な見えざる傷があることだろう。


 僕に抱き付く彼女の体が震えているのは、その証だ。



「こんな……、こんな醜い私はお嫌いですか? 身も、心も、全てが汚れてしまっています。そんな私はお嫌いですか?」



 顔を僕の胸板に沈めたままで発せられた、擦れて消えてしまいそうな彼女の声。


 普段の闊達な少女の声でもなく、凛々しくピンと張った女騎士の声でもない。


 あるいは初めて、本当の彼女の声を僕は聞いたのかもしれない。


 そして、僕はまたギュッと彼女を抱き締める。



「嫌うわけないだろう。望んで欲した棘だらけの花だ。どれだけ血が滴り落ちようとも、離すつもりは毛頭ない」



「なら、もう本当に、どこにも行かないでください。私は誰とも離れたくない」



 僕の胸板に顔を埋め、震える声で発せられる君の声は、実に弱々しい。


 ある意味で、姿相応と言えなくもないが、そんな過酷な状況に追いやったのは誰なのだろうか。


 黒エルフダークエルフに寿命を与えなかった邪神のせいか、それとも人間に寿命を与えてしまった主神のせいか。


 どのみち、平等ではないこの世界は、創造と破壊、生と死の循環によって成り立っている。


 僕はどちらの神にも文句を言ってやりたい気分だ。


 このろくでなしめ、と。



「愛するがゆえに、それが執着となり、それを失う事を恐れて苦しむ。どこかの賢者がそんな事を言っていたかな? 時の流れは残酷で、いつもそれを人間に突き付けてくる」



 ふと呟いた言葉だが、これは不変の真理であり、時の流れに身を置いている者には、決して逃れられない現実でもある。


 だが、それは同時に、時間の流れを外した者にも襲って来る。


 むしろ、残された者にこそ、愛する者との別離は苦しみとなって覆い被さる。


 心弱き者には、成長しない少女の精神には、この“無限の時間”はあまりにも重荷なのだ。


 普段、仮面を被っているとは言え、正気を保っている事自体が奇跡かもしれない。


 その無限の時間を進み続ける少女を、僕はまたギュッと抱き締める。



「でも、大丈夫だ。僕は君を置いていったりはしない。例え肉体がいずれ滅んでしまっても、それすら気にならないほどに、君の心に僕と言う存在を刻み付ける。目を閉じれば、そこにいつも僕がいる。それくらいに強烈な感じでね!」



「そんな事が出来るのですか……?」



「さてね。それはどうなるかは分からないし、保証はできない。でもさ、やらずに後悔をするよりかは、必死に足掻いて“爪痕”くらいは残してみせるよ」



 そして、僕は彼女を愛撫する。


 特徴的なエルフ族の尖った耳を指で撫で回し、また頭に手指を走らせる。


 彼女もまた、僕を求めてしっかりとしがみ付いてきた。



(僕は彼女を求め、彼女は最高の王様トリストラムを求めている。そこの差異を埋めるため、僕は今後の人生を全部使うぞ!)



 僕も、彼女も、悪夢の只中にある。


 夢を見続けられる事を願って始めたのだろうが、結果として彼女は悪夢に捉われ、その役者として王族ぼくらも道連れになった。


 これを解消するために、歴代の王様は努力しただろうが、それが結果に結びつく事はなかった。


 数えて僕で七代目。始まりの初代を加えてもいいのか分からないが、とにかく百数十年続いている終わらない悪夢だ。


 それを終わらせるためにこそ、僕は王位に就くべきだと確信に至る。


 その誓いとして、僕はネイローザと口付けを交わし、以てこれで契約とする。


 僕は、いや、王族ぼくらはこうして“七度目の婿入り”を果たした。


 心地よくも苦しみを与えてくる夢を終わらせるために。

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