第41話 月が綺麗だ
「夜空を見上げてごらん。月が奇麗だよ」
初冬の夜空に浮かぶ、満月より少し欠けたる月。
ネイローザと一緒に眺めるそれは、本当に美しい。
しかし、これは伝統と信頼の格式高い“前振り”だ。
(そう。これは昔、何かの本で読んだ告白の言葉! 『月が奇麗だ』と話を振ってみて、相手がどう反応するかでこちらへの好感を探るやり方! さあ、ネイローザ、これにどう答えてくれる!?)
これが今の僕から発する事が出来る、精一杯の“気の利いた台詞”だ。
今こうしているように、剣を捨て、ドレスに身を包んだ君と逢瀬を楽しみたいとは思っていた。
思ってはいても、そうなれるとは考えてもおらず、それゆえに準備不足。
あまりにありきたりな台詞しか吐けなかった自分が、どうにも腹立たしい。
窓を前に二人で並び、月夜の空を見上げているが、こういう場面ではどうしていいのかが全く分からない。
(いや、まあ、恋愛系統の演劇や説話を見聞きしなかったわけじゃないんだけど、あまり熱心に見ていなかったというのもあるな。ここはそう……、そっと肩を抱き寄せるとか、そういうのが必要なのか!?)
考えがまとまらない上に、遊んでいる手は優柔不断にプルプル震えている。
抱き寄せるべきか、それともジッと答えを待つのが良いのか、これが分からない。
恋愛に正解などないとは言いつつも、少なくとも“使い古されている王道的手法”というものはある。
月が奇麗だね、これもまたその一つだと聞き知っていたからこそだ。
さあどうだ、僕は固唾を飲んで答えを待った。
チラリと彼女の横顔を見てみるが、月を見上げたままこちらを見ようともしない。
僕の事など眼中にないのか、それとも単なる照れ隠しか。
答えを待つ時間が永遠にも感じられるほど長い。
心臓の鼓動もまた、先程以上に早くなる一方だ。
(このままでは、身も心も持ちそうにない! 早く答えてくれ!)
剣を携えし“騎士としての黒薔薇”は、凛々しく、真面目で、頼りになる上に尊敬もしている。
一方、ドレスに身を包んだ“姫君としての黒薔薇”は、可憐でありながら長い年月に培われた妖艶さをも兼ね備えた、妖婦のようにも見えてしまう。
どちらも素敵だが、あまり焦らされるのは好みではない。
いつものようにズバッと言い切って欲しいものだ。
そして、彼女は月に向かって手を伸ばした。
「はい、本当に見事で奇麗な月でございますね。ですが、届かないからこそ、眺めているだけだからこそ、美しいものがあるのですよ」
彼女は差し出した手のひらで、月を掴もうとするが、当然ながら届かない。
遥か天空の彼方に浮かぶ月は、決して人の手には触れられない。
(つまり、彼女の意志は拒絶!
意志は示された。
彼女は明確に僕を拒絶した。
届かぬからこそ挑みたいが、翼持つフクロウですら、月の端を止まり木にする事が出来ないのだ。
(いや、当然か。欲しいのであれば、奪ってこそだ。そして、僕は決闘に敗れたのだ。拒絶するのも当たり前だよな)
残念に思うし、初恋の延長戦などなかった事を思い知らされた気分だ。
こうしてドレスを着て現れたのも、僕をからかって奮起させるためだろうか。
そうだとすれば、随分と意地悪なやり口ではないか。
顔に出さないように平静を装おうが、やはり気はどんどん落ちていく。
そんな僕に君は振り向いて、笑顔を向けてきた。
そして、彼女は更に言葉を続ける。
「ですが、一人で眺める月は、どれほど奇麗であろうとも、味気なく感じるものでございます。隣にいる誰かと見上げるからこそ、月は美しく輝いているのだと信じていたいですね」
月を見上げるのであれば、誰かと一緒に眺めていたい。
ネイローザからの追加の言葉に、僕は歓喜した。
掴む事はできずとも、一緒に眺める事はできる。
手にするのは難しいが、それでも一緒にいたいという言葉は嬉しいが、同時に複雑な心境を生み出してしまう。
(それは……、“勝つまではお預け”って事でいいんだろうか!?)
結局のところ、
しかし、それはそれで正解なのかもしれない。
彼女を本当に手にしたのは、彼女を倒して拾い上げたご先祖様だけ。
机の上に置いてある宝剣『
それ以降、彼女は
その役目を解けるのは、ただ一つ“剣”のみだ。
(もっと強くなってみせろ。そういう事か! もちろんそのつもりだ!)
そのドレス姿、意地の悪い
確かに、今日の出来事を思い返せば、僕はまだまだ未熟な部分が多い。
結婚が嫌だとごねては周囲を困らせ、父に喧嘩を売るも結局は丸め込まれた。
そして、ネイローザからは何度も打ち据えられて、その軟弱さを文字通りの意味で叩き直された。
まだ手には届かずとも、期待はかけてもらえている。
そう彼女は僕に告げたのだ。
(今はその言葉だけで十分だ! 僕はもっと強くなってみせる! 父よりも、ご先祖様よりも、だ!)
激励を貰えて、僕の心は平静を取り戻せた。
いや、それ以上の熱いものが噴き上がるのを感じる事が出来る。
そんな僕を祝福してくれてか、また僕に笑顔を向けてくれた。
ネイローザ、君は本当に美しいし、気配りができるいい女だ。
でも、届かない。
届かないからこそ、挑み続けたい。
僕の目標は定まった。
今は届かずとも、“百年の研鑽の先”を超え、彼女をちゃんと振り向かせてみせる。
そう心に誓う事にした。
「それにしても、さすがに冬がやって来たせいか、夜風は寒いですね」
「あ、ああ、そうだな」
僕は彼女に促されるままに窓を閉じた。
すると、彼女はクスリと笑ってきた。
「殿下、それではダメですよ」
「え? なんで?」
「いいですか。『夜風が寒い』というのは、『抱き締めてください』の言い回しです。このくらいの機微には気付いていただかなくては」
「え、あ、っそ、そうか。我ながら何と言うか」
何と気の利かない男なのだろうかと、僕は頭をかいて誤魔化す。
そして、彼女は僕の手を握ってきた。
それはとてもひんやりとしており、確かに抱き締めて温めるのが正解だったようだ。
「では、約束通り、お稽古を始めましょうか」
「稽古? なんだ、女の子の口説き方だとか、気の利いた台詞や行動について、教授してくれるのかい?」
確かに、見た目は幼くとも、僕の十倍は生きている彼女の方が気の利いた台詞を言えるだろうし、女性の心の掴み方などは知っているだろう。
これから嫁いでくる姫君とやらと
(まあ、本当はそんな煩わしい事なんて考えず、君と楽しく過ごしていたいと言うのが本音なんだけどね)
だが、そのわがままは通らない。
王族としての義務、ネイローザとの約束、それらを考えると、ネイローザだけに構っていればよいと言うわけにはいかない。
彼女と交わした約束を無碍にできるほど、僕はろくでなしではないし、甲斐性なしでもない。
しかし、彼女の口からは予想外のとんでもない事が飛び出した。
「それは勘違いです。そもそも、殿下はすでに御結婚が決まっておりますので、わざわざ婦女子を口説くなどと言う煩わしい過程は、飛ばしていただいて結構です」
「ああ、それもそうか。じゃあ、稽古って何をするんだい?」
「もちろん、“
「……へ?」
あまりの事に、僕は続く言葉を失う。
あろうことか、盛大にふった後で、「私を抱いてください」である。
これで混乱するなと言う方が無理だ。
そんな困惑する僕を他所に、ネイローザは話を続けた。
「異国よりの姫君を相手になさるのですから、それが初めてでは、無礼や失礼があっては大変ですからね」
「え、いや、ちょ、よ、夜伽って、え!?」
「何より、“ヘタクソ”では侮られる元にもなりかねませんので、しっかりと稽古を積み、むしろ、相手を篭絡する勢いで寝技を身に付けてください」
「う、あ、いや、ほ、本気で言ってる!?」
「もちろんです。それにご安心ください。私は“成長しない永遠に幼い体”ですので、決して良からぬ“
とんだ勘違いをしていた。
彼女がドレス姿で現れた理由は、“初恋の延長戦”などではなく、“夜伽の手解き”のための雰囲気作りだということだ。
今度という今度こそ、僕の初恋は完全に終了を告げた。
彼女を抱き寄せ、
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