第36話 断固たる拒絶

 麗しき『黒薔薇の剣姫』を独占する。


 願っていても手にする事が叶わず、仮に奇跡が起こって叶おうとも、その棘で誰も彼もが傷つくのも分かっている。


 それでもなお、僕は叶わぬ夢を掴みたい。



「それでしたらば、私からもよろしいでしょうか? 願望を並べ立てるのはよろしいが、“対等”を望まれるのでしたらば、私からも一つ、望みがございます」



 いつでも飛び込めるよう前傾姿勢で剣を構えたままの君は、真剣な眼差しで僕を見つめてくる。



 “対等”



 口では何とでも言えるが、人にはそれぞれ住み分けが成されている。


 出自、身分、立場、役目、それは多岐にわたり、一つとして同じものはない。


 その間には壁があり、あるいは溝があり、何もかもが隔たりを持っている。


 “対等”は有り得ない。


 現に、僕は身分を捨てようと言っているが、今は“王子”という身分を振りかざし、ネイローザに要求しているようなものだ。


 そして、ネイローザは王国に仕える騎士だ。


 僕の言葉にはある程度の強制力が働く。



(そうだ。僕はネイローザと一緒になると決めているんだ。彼女の望みもまた、聞いてあげないと不公平だよな)



 そう考えると、僕は無言で頷き、彼女の言葉を待った。


 そして、彼女は満面の笑みでこう述べてきた。



「今後は真面目に稽古を受けましょうね」



 優しくもあり、痛烈な批判でもある。


 予想外の言葉に、僕は思わず吹き出しかけた。


 実に“真面目”な彼女らしい言葉だ。



(まあ、今日のダンスの稽古を見てれば、指南役としては苦言を呈したくなるわな)



 結婚話から始まった今日の出来事の数々も、僕が王族としての責務を怠り、我がままをと通そうとしてへそを曲げたのがそもそもの始まりだ。


 隣国の姫を娶り、戦が終わった事を諸国に喧伝する。


 夫として花嫁を出迎え、人質同然の幼い伴侶が心穏やかになれるよう努める。


 それで万事解決なのだが、僕のわがままが、初恋がそれをよしとしなかった。


 その初恋の相手から、正面から堂々と「真面目にやれ」と言われた。


 情けなくもあり、同時に嬉しくもある。



(ああ、ネイローザよ、やはり君はそうなんだね。誰よりも真面目で、この国の行く末を案じてくれる。本当にいい人だ)



 だからこそ、僕は彼女に惚れ込んでいる。


 その容姿が美しいからだけではない。心もまたしっかりとした筋を通し、これもまた美しいからだ。


 だからこそ、歪んだ欲望も生じる。


 美しいからこそ、手折ってみたくなる。


 例え自分の手が棘で血まみれになろうとも、手に入れたくなる。


 “対等”を求めるのであれば、彼女の願いもまた聞いてやらねばならない。


 そうでなくては、身分を取り払い、自由になった僕らには相応しくないからだ。



「そうだね、ネイローザ、君の言う通りだ。僕の我がままで君には余計な手間をかけさせたと思う。だから、君が勝ったら、どんな稽古でも真面目に受ける事にするよ」



 強くて聡明な王を戴いてこそ、国は強くなる。


 それは当然の事だ。


 実際、父は己を律し、国のために励んできた。


 家族を蔑ろにしてはいたが、それも“立場”を優先すればこそだと知っている。


 息子に嫌われようが、妻の死に目にすら立ち会えなかろうが、それでも王としての立場を貫き、国の存続、繁栄のために努めてきた。


 その点だけは僕も認めている。


 やり口は気に入らないけどね。


 そんな僕の心中を察してか、目の前の最強の騎士は更に前傾の斜を深める。



「では、新しき王の門出を祝して、“全力”でいくとします。殿下、今回ばかりは泣きを見てもお許しくださいね」



 そして、空気は更に重くなる。


 重くなる、という表現自体が生温いくらいだ。


 僕でさえ息苦しく感じるくらいだ。羽虫程度であれば、そのまま絶命してもおかしくないくらいに“圧”がかかる。


 今まで生きてきた中で、これほど“怖い”と感じた事はない。


 それほどまでに僕の愛しい人は、僕の願いを拒絶した。


 そう、完全なる拒絶だ。


 絶対に阻止する、その意志が鍛練場に満たされていく。



「ハハッ、こりゃ凄いや……。今まで僕をさんざん打ち据えてきたけど、それでも全然本気じゃなかったのか」



「あくまで、殿下とのやり取りは“稽古”の範疇でありましたから」



「そりゃそうだ。“実戦”の君は、これが初体験だね」



「そういう事です。……殿下、私は王国にお仕えする騎士です。それゆえに、国を損なう者は、誰であろうとねじ伏せさせていただきます」



 そして、今度は空気が逆に一気に低下し、背筋に寒気が走るほどに流れを止める。


 ネイローザは無表情。


 本当に“実戦モード”に切り替わったのだろう。


 その本気の君が、僕に向けて言い放つ。



「“力ずく”で殿下の初恋を潰させていただきます!」



 有無を言わさぬ絶対的な、断固たる拒絶。


 結局、男女の睦み合いなどではなく、君は“王国の騎士”、あるいは“王子の指南役”としての立場を優先させた。


 国が傾くのを阻止するため、我がままな王子ぼくを徹底的にやり込める。


 その明確な意思を、その小さな体と、細い剣に乗せ、僕の前に立ち塞がる。


 愛しい人を手にするためには、その愛しい人を倒さねばならない。


 そのたたずまいはまさに前人未到の白き巨峰であり、踏み込む事の許されない闇の揺蕩たゆたう千尋の谷だ。


 見た目こそ少女の姿の君ではあるが、その“王国を守る”という意思は誰よりも深く、そして、重い。


 下手な駆け引きなど、もはや不要。


 僕もまた覚悟を固めた。


 彼女を、麗しき『黒薔薇の剣姫』を倒す、と。

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