3-9 別れ
「ロベル」
「はい? なんですか?」
「これをアメリの指に付けて」
レリアは、禍々しい形状の真っ黒な宝石が嵌められた指輪をロベルに手渡した。
それを受け取りながら、ロベルは訝しげに顔を歪める。
「こ、これ……なんですか?」
「戦意を奪う魔術を使える魔女に作らせ……作ってもらった特注の指輪」
「今作らせたって言いませんでした?」
「言ってない。早く付けてきて」
ロベルは一瞬、ジトッとした瞳をレリアへと向けるが、レリアは知らんふりをしてアメリの方へ視線を向ける。
大地に横たわり抵抗できないアメリの双眸からは、悔し涙が止めどなく溢れていた。
そんな彼女の指にロベルは躊躇なく指輪を装着させる。
同時に、先程までアメリの表情に垣間見えていた、喉元を噛みついてでもお前を殺す、という戦意の塊のような表情がアメリからごそっと消え失せた。
だが、憎しみは消えない。アメリは静かに涙を流しながらレリアの事を親の敵のように睨みつける。そんなアメリの視線を受け流しながら、レリアは彼女の下へ静かに歩み寄った。
「ねぇ」
「なによ? 話しかけないで糞女」
唐突に飛んでくる暴言。
だが、レリアは表情一つ動かさないでその場にしゃがみ込み、アメリに目線を合わせる。そして静かに声を発した。
「魔女帳簿にサインする気はない?」
「ない。殺しなさい」
「……そう」
レリアは、いかにも残念だと大きなため息を吐き出し、静かにアメリの背後に回り込む。
「ちょっと、何してんのよ」
「別に、手を借りるだけ」
レリアはそう言うと、身体の後ろに組まれたアメリの手を掴み、その手にペンを持たせた。
「は、はぁ? う、嘘でしょ? 無理やり書かせたサインが有効になるわけないでしょ⁉ 契約っていうのはそう単純なものじゃないのよ?」
「そうだね。でも私は別。魔女帳簿を作ったのは私だし、その辺は自由にできるように内容は練っている」
「…………」
「とはいっても、こんな事やりたくないんだけどね。無理やり契約させるとか悪趣味だし」
「……だったらやらなきゃ良いでしょ? 私を殺せば済む話。殺しなさいよ!」
レリアの言葉によって再び怒りが湧き上がったらしいアメリは、身体を拘束されているにもかかわらず、激しく身をよじって暴れる。
「あの娘のいない世界に生きている意味はない! 殺せっ! 殺せよ!」
「申し訳ないけどそれは無理。あなたを生かすと、シトリと契約を交わしたから」
「えっ?」
アメリの表情からレリアへの憎しみがストンと抜けおち、彼女は呆けた顔を晒す。
しかし、即座に食いつくようにレリアの方へアメリは這い寄った。
「ど、どういう事? お、教えなさい!」
「……シトリは、あなたが死ぬことを望んでいなかったの。生きて普通に暮らして欲しいって。だからシトリは一切の抵抗しないという条件の対価にアメリの命を保証するよう求めてきた。そして私はその提案に乗った。ただそれだけよ」
「…………どうして──」
アメリは、想像もしていなかったシトリの願いに困惑し混乱して、全身を脱力させる。
頬を伝った涙は地面に溶けて、その場にはすすり泣くような声だけが響いた。
そんなアメリにレリアは容赦なくペンを持たせ、魔女帳簿の一ページにアメリの手で彼女の名前を書かせようと四苦八苦する。
「……アメリの名前ってスペルなんだけ?」
「……」
アメリは口を開かない。
レリアは面倒くさくなって大きなため息を吐き出した。
「ロベル、ハンター協会の支部長の所に行ってアメリの住民票持ってきて」
「分かりました。すぐに行ってきます」
「いい……」
ロベルが駆け出そうとした瞬間、アメリは小さく一言だけそう言った。
どうやらその声はロベルにも聞こえたらしく、彼はつんのめってバランスを崩した。
レリアはアメリの手を離し、アメリの正面に回る。
「ごめん。今なんて言った?」
.
「……だから良いって言ったの。あの娘が自分の命を賭してまで私に生きろって言うなら──私にはそれに従う義務がある。これがあの娘からの私に対する復讐ってことでしょ?」
アメリは疲れ切って精力の抜け落ちたような表情をレリアへと向ける。
「もう……抵抗しないから。サイン……書くから」
急に従順にされてレリアは困惑しながら頷く。
「わ、分かった……」
レリアはアメリの身体を縛る土の魔法を解除した。
アメリは抵抗すらせず、その場に座り込むと無言でレリアへ手を伸ばす。
紙とペンをよこせということらしい。
レリアは彼女に魔女帳簿の一ページを手渡し、一緒にペンも渡す。アメリはレリアから魔女帳簿とペンを受け取ると、そこにサインを記載した。
同時に、レリアとアメリを囲むように光の輪が生まれ、契約が成立したことが知らされる。
「じゃあこれで契約完了。取り敢えず王宮に向かってくれる? そこで国王か私の命令があるまで待機……って言っても普通に給料は貰えるから命令が下るまでは自由にしていい。人に傷を負わせると、ペナルティーが入るから気をつけて。ちなみに、今王宮に向かってと言ったのも命令だから。従わないと消滅するリスクもあるよ」
「魔女帳簿については知ってる。この街の騎士団長だったし、存在くらい聞いたことある」
「そ、じゃあよろしく」
レリアはアメリに背を向ける。
その瞬間、唐突にロベルが、あっと声を上げた。
「? どうしたの?」
ロベルの視線を追ってレリアは振り返る。
振り返ったレリアの瞳には数千数万の光の玉が空へ飛んでいくのが目に映った。
「魔術の強制解除……」
魔女帳簿へサインをした者は、魔女帳簿内に書かれた契約内容に基づき発動中の魔術が強制キャンセルされる。
アメリは略奪の悪魔と契約していた。故にアメリの魔術が強制的に解除された場合、アメリが奪い蓄えていた人から奪った才能や感情といった様々なものは、持ち主へと戻っていく。
もちろん、持ち主がすでに死んでいたり、ロベルのように既に与えられた感情や才能は持ち主に返還されることはない。返還されるのは、アメリが使用せずに蓄えていたものだけだ。
光の玉が空へ昇っていく幻想的な光景を見ながら、レリアはふと賭博場にいた人々の事を思い出していた。賭博場にいた人々は誰も笑わないし、悔しがっている素振りすら見せなかった。
あれも、アメリが感情を奪った結果だったのだろうと、レリアはあの不気味な光景に内心納得していた。
そうこうしていると、光の玉の一つが、ふわふわとこちらに真っ直ぐ近づいてくるのをレリアは見た。
「え? 私?」
困惑して、その光の玉を追ってみると、それはレリアの横を通り過ぎ、ロベルの身体へと吸収されていった。
「へっ?」
衝撃の光景にレリアの口から変な声が漏れる。
その瞬間、ロベルの頬を涙が静かに伝った。まるで、長い間せき止められていた涙が決壊したかのように……彼はボロボロと滝のように涙を流す。
ロベル本人も突然溢れ出した自身の涙に困惑していたのだが、やがて自分の涙の意味を理解したのか、その場に膝をつき、両手で顔を覆った。
「母さん……父さん、姉さん……みんなっ」
ロベルは埋めていた顔を天に向ける。
その姿は、涙をこらえようとする努力が見て取れると同時に、まるで天に昇ったであろう家族や村人たちを静かに見上げているかのようにも映った。
ロベルの瞳は真っ赤に充血し、涙は止めどなく溢れている。それを隠すようにロベルは腕で目元を覆い、声を震わせる。
「なんで、なんで今まで……平然としていられたんだっ! こんなっ……何もかも失って……俺は、俺はっ──」
「ロベル……」
レリアはロベルから遠ざかるように後ずさる。
一歩、二歩と後ずさり、そして彼に背を向けた。
家族を失い悲嘆に暮れるロベルをレリアは見ていられなかった。
選択肢が無かったとはいえ、レリアが彼の母を殺してしまった事実は揺るがない。レリアの慰めの言葉など何の意味もなさないだろう。むしろいることで彼を傷つける。
今まではロベルに悲しむような様子がなかったから、せめてもの償いと思って一緒にいただけだ。その前提が崩壊した以上、もう一緒にはいられない。
ロベルから遠ざかるレリアは、最後にロベルの方を振り返る。
その直後、ロベルと出会ってからの濃密な時間がレリアの脳裏を掠めた。
「結局……私は彼の何だったのかな。彼から全部奪ってしまった」
イニシウム村が襲われている時に、レリアがもっと早く助けに駆けつければ、村人は救えた。
ロベルの母が理性を失う前に彼女と早く出会っていれば、ロベルは母親も家族も失わなかった。
レリアが、シトリとロベルを出会わせなければ、彼は恩人のシトリを失うという経験をしなかった。
……彼の涙は全部私のせいだ。
強い罪悪感を覚えたレリアは、静かに涙を流す。
「ごめん……」
ロベルには届かない言葉を漏らし、レリアは再びロベルに背を向ける。
レリアがロベルにしてあげられたのは、彼が無くしていた『悲しみ』を取り戻してあげられたことくらいだ。
彼は無感情な人形ではない。感情を持った人間だ。
そういえば、と。
レリアはその場で歩みを止め、空を見上げる。
結局ロベルの母がなぜ三体目の悪魔と契約をしたのか、分からならいままだった。
だがレリアには、ロベルの母の行動に予想がついていた。
「取り戻したかった……のかな」
アメリに奪われたロベルの『悲しみ』の感情を。
他人の為に何かを悲しみ、自分の為に泣ける。
それはきっと、人間として大事なものだろう。
だからロベルの母は奪われたロベルの『悲しみ』を取り戻す為に、悪魔と追加の契約を結んだ。そして、ロベルの母は理性を失ってしまい、彼女がロベルから全てを奪ってしまった。
こんな結果ではロベルもその母も報われない。全ての歯車があまりにも噛み合わなかった。もう少し歯車が綺麗に噛み合っていればどれほどの違いがうまれただろうか。
だが、そんな事を考えたところでなんの慰めにもならない。
レリアは、ロベルの人生に幸あれ、と心の中で祈りつつ泣きじゃくるロベルから遠ざかった。
「さよなら。ロベル」
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