第23話
新宿歌舞伎町にある木造アパートの玄関先。
「あなたが誘拐事件の犯人ですね?」
湖南に開口一番にそう言われ、瀬川は目を丸くした。
瀬川累次、六十歳。天童寿限無の元弟子にして、照久の腹違いの兄。ただしハーフである照久とは違い、こちらは低身長の醤油顔。その上、頭髪はすっかり寂しくなっている。現在はスリや違法賭博で日銭を稼ぐ、ケチな詐欺師だ。
「……ふん。よく俺まで辿り着けたな。あんた、名前は?」
瀬川が湖南に顔を寄せる。
酒臭い。朝から飲んでいたらしい。
「湖南棘蔵。誘拐専門の探偵です」
「ふん、探偵さんね。そこそこ頭は回るようだ。ここじゃ何だからまァ上がれよ」
瀬川に促されて湖南は部屋に入る。通されたのは六畳しかない狭い和室だった。壁紙はベリベリに剥がれ、鼠が通れる程の小さな穴が開いている。
――その部屋に、無造作に札束が転がっていた。
「……この金は?」
「全部で五千万ある」
瀬川が口元をグニャリと歪める。
「……まさか!?」
「お察しの通り、先日の仕事で稼いだ金だよ」
瀬川は悪びれもせずに言う。
「おっと、この札束が証拠になるだなんて甘い考えは捨てることだな。この金は一度綺麗に洗ってある。だから俺が自由に使っても足は付かない。おわかりかな?」
「……ええ。その為にあなたは身代金をビルの屋上からばら撒いた」
ばら撒かれた金は九十九社の周辺にいた人々によって拾われている。しかし天童真理雄の死体が消えて、東京駅のトイレで復活した瞬間に金は全て真理雄の手元に戻っている。
大泉若葉がそうであったように、拾った金が消えただなんて普通警察に話したりはしない。仮に話したとしても、どこかで使ったのを忘れたのだろうと思われるのがオチだ。
「この金はどうするんです?」
「そうだな、暫くはこのままにしておくよ。こいつを眺めながら飲む酒が美味くてね。今は勝利の美酒に酔っていたい気分なんだ」
そう言って瀬川はウイスキーのボトルを煽る。
「それよりどうだった? マジックショーを特等席で見た感想は?」
「……鮮やかなお手並みでした」
湖南は偽らざる本心を告げた。
「だろ? とは言っても、本当にタネも仕掛けもない魔法を使ってんだからな。真相がわかっても何も面白くない」
「いいえ、それは逆です。天童真理雄の特殊能力が何かがわかってからは、あなたの不可解な行動の意図がよくわかりましたよ」
「……ほゥ。聞かせてみろ」
瀬川が目を細めて言う。
「まず最初の謎だった、身代金の運び手に真理雄を指名した理由です。今回の計画は天童家に伝わる蘇りと瞬間移動の力を利用するものですから、運び手は真理雄以外には考えられません。天童綺羅は天童家の血を引いていませんし、真理雄の父親である天童照久は既に能力を一度使ってしまった後です。ばら撒かれた五千万円を駅のトイレへ瞬間移動させるには、真理雄を殺すしかないのです。
次に、事件に警察を介入させたことです。誘拐犯は普通警察の介入を嫌うものですが、あなたは違いました。警察を恐れるどころか、通報を推奨しさえした。これには幾つかの目的があるのですが、一番は真理雄に疑いの目を向けさせることでしょう。地下金庫の五千万円が自由に使える金ではなければ、真理雄にも誘拐の動機が生まれることになります。そして先述した運び手に真理雄を指名した不自然さも、真理雄を犯人と考えれば説明が付く。現に僕もそこまで考えて、考えることに満足してしまった。それから先は完全に思考停止状態。真理雄犯人説はそれだけ魅力的なミスリードでした」
「ふん、わかっとらんな」
瀬川は渋面で鼻を鳴らす。
「そんなのは全部ついでだ。警察を計画に巻き込んだ一番の目的は、その方が楽しいからに決まっている」
「……楽しいから?」
「折角派手なマジックを思い付いたってのに、観客がいないってんじゃ少しも面白くないだろ? 客が驚いて初めてマジックショーは完成する」
「…………」
湖南は以前に真理雄が話していた言葉を思い出していた。
(この事件は犯人にとって、一種のショーのようなものだとは考えられませんか? 観客は私や湖南さん、警察関係者たち。そして事件が終わればマスコミが一斉に報道することで、観客は世界中にまで膨れ上がる)
真理雄の読みは正しかったのだ。
「まァ警察が介入しようとしなかろうと、成功率は大して変わらないと踏んではいたがね。死体が瞬間移動する事件を警察がまともに捜査するとも思えない」
「…………」
それはその通りだった。実際、夏目はこの事件をどう処理していいかわからず途方に暮れているところだ。
湖南が瀬川累次にまで辿り着けたのは、偏に彼が警察官ではなかったからに他ならない。
「三つ目は、スーツケースを取り換えたことです。当初僕は単純に発信機を警戒しているのだろうと考えていましたが、あなたの計画は予想を遥かに超えて壮大でした。爆弾の仕掛けられたスーツケースで真理雄を殺害する為だった。爆弾は恐らく時限式だったのでしょう。屋上に上がる時間を指定したのは、屋上でスーツケースを爆破させ、身代金の五千万円をビルからばら撒く為でした」
ばら撒かれた金は一度他人の手に渡ってから消失する。これによって、番号を控えられた紙幣を持っていても誘拐犯である証拠とはならなくなる。つまり、使えない金を使える金に変えたのだ。
「計画の根幹を担う部分だ。よく考えられているだろ?」
「ええ。恐ろしい発想力です」
爆弾によって真理雄は死亡し、爆弾もろとも真理雄は駅のトイレに瞬間移動する。このとき、爆弾のタイマーも真理雄が死ぬ十五分前に巻き戻される。瀬川は真理雄が蘇る瞬間を狙って殺害し、スーツケースを奪った後に時限装置を解除すればいい。
――正に悪魔的な着想というよりない。
「四つ目、身代金の受け取り場所を東京駅にしたこと。これには大きく二つの理由が考えられます。まず、大きなスーツケースを持っていても怪しまれない場所だから。特に週末はこれから出掛ける旅行者は珍しくないですからね、目立つことはありません。もし仮にあなたが東京駅周辺の防犯カメラにスーツケースを引いているところを撮られていても、もう手遅れ。疑わしくとも、何の証拠にもならない。あなたを逮捕するには現行犯、花ちゃんをスーツケースで運んでいるところを押さえるしかなかった」
カメラだらけの駅周辺を天童花を連れて移動することは不可能だ。となれば花を薬で眠らせた上、大型のスーツケースで運んだと考えて間違いない。
「もう一つは東京駅には真理雄の勤め先である九十九社があることです。これは偶然とは思えません。犯人がこの場所を何らかの目的で使うことを予想すること自体はそれほど難しくありませんでした」
「流石は名探偵だ」
瀬川が愉快そうに手を叩く。
「……いえ、それすらも犯人の計画の内でした。犯人は僕よりも何枚も上手でした。犯人は僕が九十九社に警官を集めることを予想し、見事にそれを利用しました。身代金の受け渡しは九十九社で行われたのではなかった。実際に身代金が犯人の手に渡ったのは、東京駅のトイレだったのですから」
九十九社に警官を集めた分、駅周辺が手薄になることは説明するまでもない。犯人はその隙を見逃さなかった。
「以上が僕の推理です」
湖南はそう言って立ち上がると、真っすぐ玄関へと向かう。
「おい、待て待て。どこに行く?」
「どこって帰るんですよ。犯人があなただと確かめることができれば、他に用はありませんからね」
瀬川はしかめっ面で湖南を睨みつける。
「……お前の目的は何だ? 何の為に俺のところまで来て推理を語った?」
「心配は要りません。僕は別にあなたのことを警察に話すつもりはありません。どのみち、警察ではこの犯罪をどうすることもできないでしょうからね」
「……だったら何故?」
「ただの好奇心」
湖南は振り返って悪戯っぽく笑った。
「それから新しいゲームを始める為の下準備、って言ったら瀬川さんはどうします?」
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