第16話

 真理雄と湖南は九十九社オフィスビルの正面玄関に到着した。

 守衛に目礼されて中に入る。警察が事情を話した為か、社員たちの全員が真理雄と湖南を見ていた。


「天童君」


 呼ばれた方に視線を向けると、社長の伴内ばんない黒助くろすけが立っていた。


「この度はとんだ災難だったな。だが、ここは君にとって言わばホーム。我々全員が君を応援している」


「ありがとうございます」

 玩具会社に応援されたところで何かの足しになるとは思えなかったが、真理雄は伴内社長の言葉が不思議と心強かった。


「天童さん」

 皆に見送られて屋上へ向かおうとする真理雄を湖南が呼び止める。


「一つ、あなたに謝らなければならないことがあります」


「……何です?」


「僕はついさっきまで、あなたのことを疑っていました。あなたが事件の黒幕とまではいかないまでも、犯人と何らかの関りがあるのではないかと考えていたのです」


「…………」

 真理雄は何も言わず、真っすぐ湖南の目を見る。


「天童さんが身代金の運び手に選ばれたときから、僕はずっとあなたが怪しいと思っていました。あなたが犯人と通じていれば、身代金を手に入れることは容易です。そしてあなたが犯人を捕らえると言い出したとき、その疑いは更に高まった。あなたは自分の娘が攫われたのにもかかわらず冷静過ぎた」


「……今はどうです? 湖南さんはまだ私を疑っていますか?」


「いいえ」

 湖南は即答した。


「今はあなたのことを信じて無事を祈っています」


「…………」


 何故今になって湖南がこのようなことを言い出したのか、真理雄にはわからない。疑っていないというのは嘘で、本当は牽制のつもりなのかもしれなかった。


 しかし、それは湖南が優秀な探偵である証拠だ。『ストック』のことを知らない湖南からすれば、真理雄の言動を怪しいと感じて当然だっただろう。


「ここから先はお供することができません。どうかお気を付けて」


「……ありがとうございます」


 真理雄は湖南に背を向け、エレベーターで九階へと向かう。

 そこから屋上へ行くには階段を上らなければならない。普段は屋上には行けないように扉が施錠されているが、鍵は既に開けられていた。


 真理雄は五千万円の詰まったスーツケースを引きながら屋上へ踏み出す。屋上には柵はなく、給水タンクのようなものもない。

 誰かが隠れられるような場所は皆無だ。

 何もない空間がただ広がっているだけだった。


 ――犯人はどうやってこの金を回収するつもりなのか? 


 真理雄は今更になって不安が込み上げてきた。犯人の考えがまるで読めない。


 本当にこれで金を回収できるのか?

 花が帰ってくるのだろうか?


 そのとき、真理雄は右半身に強烈な衝撃を受ける。

 何が起こったのか、真理雄自身にも理解できない。理解できないまま、真理雄は突風に吹き飛ばされる。


 辺りが血塗れになっていた。

 右腕と右脚がなくなったようだ。

 今頃になって、真理雄は鋭い痛みと恐怖に襲われる。


 ――何だ!?

 ――今、何が起きた!?

 ――スーツケースだ!!

 ――!!


 爆発したスーツケースからは、紙幣がバラバラと風に舞っている。五千万もの大金が、九十九社の屋上からばら撒かれている。

 スーツケースは犯人が用意したものである以上、この爆発は間違いなく犯人が仕向けたことだろう。犯人は真理雄の命を奪おうとしていたのだ。


 そこまではいい。

 だが、何故スーツケースに爆弾を仕掛けたのか?

 結果、犯人が手に入れる予定だった身代金はばら撒かれてしまった。この時間、九十九社オフィスビルの周辺には帰宅途中のビジネスマンが大勢歩いている筈だ。もし仮にビルの下に犯人がいたとして、どれだけ金を拾えるだろうか?


 近くでヘリコプターが飛ぶ音が聞こえる。湖南が手配した警察のヘリだろう。そのプロペラが巻き起こす風で、一万円札がどんどん遠くへ飛ばされていく。


 ――何てことだ。

 ――これで花は助かるのか?


 薄れゆく意識の中、真理雄が最後に考えていたのは娘のことだった。

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