Day.3-3 私は……

夢叶ゆめかちゃんは今日も残り?」

「は、はい。まぁ……」


 今日もということは、いつもそれなりの頻度で残っているようだ。

 しかし夢叶はこの世界での自分がどんな人なのかを知らないので訊ねた。


「ノノカ先生。変な事聞いてもいいですか?」

「ん? なぁに?」

「私って普段何をしていましたっけ? あと、いつもどんなでしたっけ?」

「本当に変なことだね。何かあった?」

「えっと、軽い記憶喪失というかなんというか……疲れてるんですかね…ははは……」


 急にそんな事を言われても困るに決まっている。

 夢叶はそう思ったが、ノノカ先生は少し考える素振りを見せつつもと答えてくれた。


「そうねぇ。夢叶ちゃんはアシスタント作業が終わると、いつも最後まで残って寝るのも忘れて自分の原稿をやってたかな。で、SNSに載せたり新人賞に出したりして、本当に漫画が好きなんだなって子だよ。たまに寝落ちしちゃう事もあって、その度に私が部屋まで連れて行ってたよ」


 すると不思議なことに、そんな記憶が頭に流れ込んできた。

 

 夢叶は高校を卒業後、夢である漫画家になるために新人賞の漫画を描きながらアシスタント募集に応募していた。それで運良く採用してくれたみつまるノノカ先生の自宅兼アトリエに住み込みでアシスタントをすることになったのだ。


 そして仕事後は毎日自分の原稿に精を出し、何年も賞に出し続け、出版社に持ち込みにも行き、SNSにも投稿と、デビューの為に出来る事は何でもやってきたのだ。


 そんな過去の努力と共に多くの壁やスランプ、その度に自分って才能無いのかなと思ってはノノカ先生に励ましてもらっていたことを知った。

 さらにSNSでの誹謗中傷、持ち込みで相手にされなかった事など、嫌な記憶や悔しかった日々を知った。


「そうだったんですね……」

「そうよぉ。もし気になるなら自分のSNSを見返したり、あそこに夢叶ちゃんの完成原稿を保管してあるから見てみるといいんじゃないかな?」


 ノノカ先生が指さした所には、画材や資料が入っている棚の上にある大きな段ボール箱だった。


「そうですね。ありがとうございます」

「うん。それじゃ私はお風呂に入ってくるからね」


 それから夢叶は、一人になったアトリエで自らのSNSを遡り、完成原稿を引っ張り出した。

 努力をし続けていれば当然だが、それは中学生の時とは比べ物にならないくらいの上手さで、線にも勢いがあり一つ一つが繊細に描かれていた。


「上手い……でもなんだろう。何かが引っかかるような……」


 時間を忘れて読み漁っていると、どうしてかそう思ってしまったのだった。


「お、読んでるね。懐かしいでしょ」


 近くでノノカ先生の声がしたのでそこへ目を向けると、バスタオルだけを巻いてノンアルコール飲料の缶を持って立っていた。


「ちょっ……ノノカ先生。早く何か着てください」


 焦る夢叶にノノカ先生は当然の事のように言う。


「えぇ、別にいいじゃない。女同士なんだし。それに、前は一緒にお風呂に入ったこともある仲なんだしさ」

「私がノノカ先生とお風呂……?」


 こんな天上の方と一緒にお風呂。そんな分不相応な事をこの私が……?

 直後夢叶は恥ずかしさと申し訳なさで顔を真っ赤にした。


「やっぱ可愛いわねぇ夢叶ちゃんは。初心うぶな女の子みたい」

「女の子ですよ私は」

「そんな子もいつかは漫画家になるのかなって思うと、嬉しいような寂しいような。これが子の成長を感じる親の気持ちってものなのかねぇ」


 ノノカ先生はまだ暑いのか、その格好のまま椅子に座った。


「その……ノノカ先生は漫画を描いてて不安になったりしないんですか?」

「そりゃなるよ。時代と共に求められるものが変わって、今売れてる漫画家や、面白い作品とか絵だって何年かすれば廃れて売れなくなっちゃうじゃない? でもそれは私達漫画家の宿命みたいなものなのよ」


 ノノカ先生は少し哀しそうな目をして自分のデスクに置かれている完成原稿に目を向け、すぐに夢叶の方に視線を戻した。


「それにね、本当の人気作家になれるのは、もちろん才能だってあるかもしれないけど、売れなくなった時でもめげずに描き続けられる人だったり、自分を信じて泥臭くてもカッコ悪くても必死に努力を続けられる人だと思うの。あ、これは私が昔アシスタントをしていた時の先生の言葉ね」


 ノノカ先生は飲み物を飲み干す。


「まぁ、つまるところ私だってまだまだなのよ。ネットを覗けば良い事だけが書いてあるわけじゃないし、単行本だって売れない時もあるわけで。それにね、こんな私でも描かずに悩んでたら、気が付いたら数日経っていたなんて事もあったんだから」


 自分はまだ人気作家ではない。

 夢叶にはそう言っているように聞こえた。


「その点、夢叶ちゃんは凄いよね。私の所に来たのが高校出たての頃だったから、もうかれこれか。それからずっとめげずに描き続けているんだから。将来はきっと人気漫画家ね」


 その言葉に夢叶は言葉を失った。


「十…年……?」

「そうよ。そんなに続けられるのは凄い才能よ」


 どうやらこの世界の夢叶は二十八歳で、努力を重ねても未だに夢を叶えられていなかったのだ。


「あっ、そうそう。この前の新人賞の結果、明日だね。今度こそ受賞出来るといいね」

「そうですね。頑張りましたから……受かっててほしいです」


 夢叶は自分ではない自分が投稿したそれに対していかにもな事を答えたが、その心の内は虚ろだった。

 それからノノカ先生が着替えをしに部屋を出ていくと、夢叶は賞に出したという自分の作品を探した。

 PCの中にそれを発見すると、祈りと心配の思いで読み返した。

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