10.風呂屋のユズさん

 突然だが、俺は今『ユズ湯』と看板を掲げた建物の前に立っている。あ、文字はまだ読めないのでラセンさんが読んでくれたんだが。

 俺とラセンさん、そしてマリカさんが替えの服と下着の入った巾着袋を肩に掛け、この場にいるのにはちょっとしたわけがある。


「ああ、そうだ」


 元はといえば、だ。

 街中の見回りに行こうとしたカイルさんが、気がついたように顔を上げたのが始まりっていうか。


「ラセン、君はジョウを連れて風呂にでも行くといい。ついでに、入用の物があれば買っておいで」


「あら、いいんですの?」


「少なくともうちで面倒を見るんだ、必要な物はあるだろう?」


 そんなことを俺の目の前で話す、カイルさんとラセンさん。そういえば昨夜、マリカさんがお風呂屋に行けとか何とか言っていたっけ。この世界、家に風呂があるわけじゃないんだな。

 まあ、この寒い時期、あったかい風呂に入れるならありがたいよなあと考えていた俺の前で、ラセンさんがああと手を打った。


「買い物でしたら、マリカの方が上手だと思いますが」


「なら三人一緒でもいい。ジョウが狙われないとも限らないからな、念のためさ」


「俺、狙われるんですか?」


 カイルさんの言葉に、思わず口を挟む。途端に二人がこっちを向いた時、えらく驚いた顔をしていた。……あんたら、俺がここにいること忘れてなかったか、もしかして。

 それでもカイルさんは「すまん」と一言謝ってくれて、それで説明してくれた。


「黒の神に捧げる生贄として、信者どもがこちらの世界に引きずり込んだんだ。君にはそもそも、何らかの素質はあると見ていい」


「はあ……」


 言われてみて、納得はまあできた。

 確かに誰でもいいんなら、言い方はあれだけどそこらの街の人とか拉致ればいいんだもんなあ。それを、わざわざよその世界から、しかも男を女に変えてまで引っ張ってきたんだ、何かあると思われてもしょうがないのか。

 それで、ラセンさんと一緒に行けってことなのか。何か魔法みたいなの使ってるし、信頼があるんだろうなあ。


「まあ、それはそれとして。女の子同士でお風呂と買い物を楽しんできなさい。元は男だったとしても、慣れる必要もあるだろうから」


「……頑張ります」


 慣れるってあれか。女の子の裸とかはだかとかハダカとかか。いや、下半身についてはここ来る前に入ったトイレで一応あきらめたけど。

 そういえば、こっちのトイレって一応洋式だったんだけど。さすがにいわゆる水洗じゃなくて、下に水流れる溝があるみたいでそこまでぼっとん、という感じだった。便器綺麗だから良かったけどさ。




 とまあ、そういうわけで俺とラセンさん、そしてマリカさんは連れ立って街のお風呂屋さんにやってきた。宿舎と同じく裏通りに面していて、もっくもっくと煙突から煙が出てるのは分かりやすく銭湯チックである。さすがにのれんはないけれど。

 普通の扉を開けて中に入ると、すぐ横に高いカウンターがあった。これってあれか、番台というやつか。実物を見るのは初めてだ。

 で、カウンターというか番台には、三十代くらいのおばちゃんが座っている。赤っぽい髪を無造作にうなじで丸めて止めてる、いかにも分かりやすいかかあ天下の主って感じ。


「いらっしゃーい。あら、マリカちゃんにラセンちゃん」


「こんにちはー。三人で」


「どうも。新入りが来たんですよ」


「へえ、新入り? そっちの子かい。三人なら二百四十イエノだね」


 マリカさんとラセンさんの名前を知ってるのは、結構来ているからだろうな。お風呂、そう頻繁に入らないとしてもやっぱり女の子だし。……いや、これは俺の常識だから、こっちの常識じゃないかもしれないけど。

 で、新入りということで紹介されたので頭を下げる。代金はマリカさんがちゃっちゃと払ってくれた。


「ジョウ、っていいます。よろしく」


「ジョウちゃん、かあ。よろしくね、あたしゃここの主でね、ユズっていうんだ」


 えっへん、と胸を張って名乗るおばちゃん、ことユズさん。それでユズ湯かよ。分かりやすくていいけどさ。


「ユズさんですか。お世話になります」


「いえいえ。可愛い女の子は大歓迎だあね」


「ユズさん、そんなこと言うと誤解されると何度言ったら」


「何言ってんだい。女の子の可愛いボディと野郎どものがっちりボディを堪能するために、あたしは風呂屋やってるんだからね」


 にこにこと上機嫌で、何やら微妙に怖いことをおっしゃるユズさんに、さすがのラセンさんも引いている。マリカさんは顔をひきつらせながら、「これいつものことだから」と俺に耳打ちしてくれた。わーお。

 ってか、俺は可愛い範疇に入るのか。うわあ、怖い。


「……見るだけですよね?」


「当然。お客様のボディにはノータッチ、口出しもしないのがあたしのポリシーさ。拝ませて頂いてるだけでありがたいんだから」


 思わず探りを入れてみたら、ユズさんは自信満々の顔でそう頷いてくれる。ああ、何かYesロリータNoタッチとよく似たものを感じるよ。ま、見るだけならまだいいか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る