8.この身体は

 ラセンさんに連れて来られたのは、建物の割と奥の方にある一室だった。他の部屋と変わらない扉に、何か名札みたいなのが付けてある。多分、隊長室とか何とか書いてあるんだろう。


「失礼します。隊長、ジョウさんをお連れしました」


「開いている。入れ」


「はい」


「失礼します」


 開ける前にノックして声をかけるのは、こちらも変わらないらしい。その辺、何となくほっとした。いや、食事の前のお祈りとかみたいに普段とは違う習慣があると、大変だしなあ。

 で、ラセンさんについて中に入る。俺が泊めてもらった部屋よりちょっと広い、多分八畳くらいの部屋。奥にベッドとタンスが置いてあって、手前にはテーブルとソファ。お仕事用らしい机が、窓際にあった。

 カイルさんは、ソファに座ってこっちを見てる。けど。


「……あ」


 テーブルの上に並べられたものに、俺は思わず声を上げた。ラセンさんとカイルさんの視線が、俺に向くのがはっきり分かる。

 えらくぼろくなってたけど、俺のコートとジーパンに間違いなかった。コートには血か何か、とにかく汚れがついている。その横のくしゃくしゃと丸められたのって、やっぱり俺のマフラーだ。


「まあ、座ってくれ。これは昨日の捜索で発見されたものだ。ジョウ、君の持ち物だね?」


「はい、これ俺のです」


 伺うように俺を覗き込んで尋ねてくるカイルさんに、はっきり頷く。そっと腰を下ろしたソファは固くて、結構昔から使ってるんじゃないかと思う。いや、贅沢を言ってるんじゃなくて、感想として。


「それなら、持ち主である君に返還しよう。汚れているが……どうするね?」


「はい、ありがとうございます。取れないかもしれないけど、一度洗うことにしますよ」


 俺の服だし、何か捨てるのももったいないしな。汚れてるけど。だから、そう答えた。

 と、俺の隣に座ったラセンさんが、「隊長」と声をかけてきた。ああそうだ、俺がここに呼ばれたのは要するに事情聴取があるから、なんだもんな。


「ああ、分かってる」


 カイルさんもそれが分かってるようで、ひとつ頷くと俺に向き直った。テーブルを挟んでまっすぐ向き合うと、どうも緊張するなあ。カイルさんが真面目な顔で、俺を見つめてるというか睨んでるというか、だからなんだけど。


「さてと。君は……この世界の人間ではない。そうだね?」


「はい。それは間違いないです」


 その視線のまま、カイルさんはいきなり本題に入った。まあ、俺も否定する理由も何もないので素直に頷いたけど。

 俺の世界にはテレビもパソコンもスマホもあるし、移動するときは電車なり自動車なりがある。この世界にはそのどれもがないみたいだし、そもそも字が読めない。いや、地球にある全部の文字を知ってるわけじゃないけどさ。

 それに、今テーブルの上に並んでいる俺の服。俺が今着てるこっちの服や、カイルさんやラセンさんなんかの服装とは色とか素材とか全然違うからな。

 違う世界が存在する、それがどうやら分かっているらしいこの世界の人たちなら、その意味はすぐ分かるはずだ。

 「やっぱりそうか」と小さくため息をついて、カイルさんは言葉を続けた。


「この世界には時々、別の世界から人が呼ばれて来ることがある。とはいってもそれはほぼ全てが、『黒の神』と呼ばれる悪霊に仕える者たちが呼び込んでいるのだが」


「くろのかみ、ですか」


「信者たちがそう呼んでいるから、こちらもそう呼んでいるだけなんだけどね」


 カイルさんの言葉に、ちょっとだけラセンさんが解説を付けてくれた。はあ、実際には他に名前があるとか何とかそういうもんなんだろうか。ほら、呼んじゃいけない名前とかあるっていうし。


「それで俺は、そいつらに呼ばれてこっちに来てしまったってことですか」


「そうなる。こちらの世界の諍いに巻き込んでしまって、申し訳ない」


 謝られた。

 いやいや、カイルさんは悪くないだろう。この場合悪いとすれば、俺をこっちに引きずり込んだ黒の神とやらの信者連中なんだからさ。


「気にしないでください。カイルさんは悪くないですから」


 ま、余りごちゃごちゃ言ってもこっちの事情は分からないし、だから俺はそれだけを口にした。

 そこで、ほんの数秒ばかり間が開いた。ふ、と顔を上げたカイルさんは、唐突に話題を飛ばす。


「……唐突だが、かなりとんでもないことを尋ねる。おかしかったら笑ってくれて構わん」


「は?」


「その……ジョウ。君は、元の世界ではもしかして男、だったんじゃないか?」


「いっ!?」


 変な声を上げたのは、いきなり図星を突いてこられたからだ。いやだって、タイミングを見計らってこちらから言おうとしてたんだぞ。顔が引きつるのは、しかたのないことだろう。

 で、俺の反応からそうだってことが分かったようで、ラセンさんが小さくため息をついた。


「本当に、いらっしゃるのね」


「お前は知らないからな、ラセン」


 どこかびっくりしてる感じの口調のラセンさんと、やっぱりなという感じのカイルさん。あれ、もしかして前例があったりするのだろうか。


「極稀にだが、そういった事例も報告されている。こちらで調べた限りではそう申し出た人物の肉体は『元から女性だった』としか言えない結果なんだが、証言を総合すると恐らく間違いではない」


 あったらしい。ということは、この世界には少なくとも俺以外に誰か、元男だったけどこっちの世界に女になった人がいるってことなのか。おのれ、黒の神の信者め。何やらかしてくれるんだよ、まったく。


「ってことは、俺も……」


「そういうことだ。つまりこの世界では、君の身体はそれで正常なんだ。元の世界に戻してやれればあるいは元に戻るのではないか、とも思うのだが」


 本気で済まなそうな顔をするカイルさんに、俺は何とも複雑な感じになった。この人、俺を元に戻してやりたいって思ってくれてるんだもんな。顔とか言葉から、すごく分かる。

 ああ、でも俺は、多分。


「……多分、元の世界には戻れないと思います。俺、死んだことになってるかも知れない」


「え?」


「階段から……こっちでいうところの石の階段から、ああ結構長い階段だったんですけど、頭と背中打ちながら落ちたんです。目の前が真っ暗になったの、覚えてます」


 コンクリとか言って分からないとあれだから、石の階段で説明してみる。この説明で、俺がかなり酷い状況からこっちに来たんだって分かってもらえる、よな?


「じゃあ、ジョウさん。この血はもしかして」


 ああ、やっぱりコートの汚れ、血なんだ。つまりこれは、『住良木丈』が頭を打って、それで。


「多分、俺の血です。向こうの世界で俺は、きっと」


 さすがに、自分が死んだと断言したくはなかったから言葉を濁す。ラセンさん、カイルさん、そんな目で見るなよな。

 こっちの世界に来られなかったら、俺はきっとそのまま死んで、何もなくなってしまっていたから。

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