●感染・死亡・拡散

 翌朝、土曜日。

 比留間家の大人たちは朝から仕事に出かけてしまい(母親は近所の弁当屋を手伝っているらしい)、子供三人だけでの朝食となった。


「あんまり食欲ない」とオレンジジュースだけで済ませようとする比留間さんに、わたしは冷蔵庫のウインナーと牛乳パックを押しつける。

「比留間さんは食べて血を補わなきゃダメよ! 肉! あと鉄分!」

「あー……あたしのこと、照でいいよ? あたしもヤミー・・・って呼ぶし」

「そ、そう? じゃあ、『照さん』で……じゃなくてッ。今そういうエモさげなイベントやってる余裕ないのよこっちは! まさか、あんなの・・・・とエンカウントするなんて思ってなくて頭パンパンなんだからッ」

「ヤミちゃん……昨日のあれってやっぱり、きゅう」

「ストップひかり! 結論を急いではいけないわ。その言葉を出すのはもっと情報を整理し、検討を重ねてからでも遅くはないはずよ。それから心の準備! 心の準備が必要! あとは、えーっと、比留間さ……照さん」

「ん」

「体調が優れないところ悪いのだけれど、真夜さんが亡くなる前後のことについて、お友達づてに調べてみてくれないかしら。現状、これを頼めるのはあなたしかいなくて」

「いいけど……前後のことって?」


 わたしは少し考えてから、立てた三本指を彼女につき出した。


「ひとつ。真夜さんが亡くなる前に誰と接触していたか。ふたつ。真夜さんのご遺体が、確実に火葬されたか。みっつ。……真夜さんの家族や親しいお友達の中に、亡くなったり体調を崩したりした人がいないか」


 比留間さん──もとい照さんは不思議そうな顔をしたけれど、深くは追求してこなかった。スマホをしばらくポチポチしだしたかと思うと、さっそくどこかへ電話をかけはじめる。よしよし、ここはギャルの社交性に期待。


 さて。こっちはこっちで、昨夜のできごとを振り返ってみなくては。


 食事を終えたわたしとひかりは、照さんの部屋に戻り、現場検証をはじめた。

 出窓の周辺に、痕跡らしい痕跡はなにもない。

 ローテーブルにセッティングしていた(そしてわたしがひっくり返した)スマホにも、何も録画されていない。正確に言うと録画自体は問題なく実行されていたが、肝心の、窓辺に現れた逆さまの女の姿だけは、一切映像に残っていなかったのだ。

 映像の中で、照さんはまるでひとり芝居のように身をよじり、あまつさえ宙に浮かびすらした。ちなみに音声のほうはというと、ノックの音がしたあたりからひどいノイズが乗っていてとても聞きとれる状態ではない。


「うわっ。なんか、透明人間のごたあなりよーみたいになってる。せっかく録画ばしたとに、残念やったね。ヤミちゃん」

「……まあ、これはこれでひとつの判断材料にはなったわ。一度ガラスを通した光を別の媒体に映しているという点では、デジタル録画もも同じだものね」


 それは死者の姿をしている。

 それは夜ごと生者の部屋を訪れ、犠牲者を催眠状態にし、恍惚こうこつの中で生き血をすする。血を吸うからには、どうやら実体があるらしい。

 それは翼のような器官(羽音からの想像だけど)で夜空を飛行し、鏡に映らない。


 ……いやいや。いやいやいやいや。

 あれ・・じゃん。あれ・・しかなくない?

 いやあ……でもな~。実在するいるか? この現代日本に?

 人気の素材になりすぎて、今ではホラーの怪物というより、むしろお耽美系ラブストーリーの道具立てガジェットかファンタジーの一種族だと思ったほうがしっくりくるようになってしまった、あれ・・が?

 そりゃあ、わたしだってここ数カ月の間に、何度も異様なものと出会ってきた。

 廃墟に巣食うロリータ服の悪霊とか。

 呪いの言葉とともに増殖を続ける霊の群れとか。

 夢の中に子供を連れ去る能面の怪物とか。

 けどなあ……。


「ねえ」

 わたしが頭を抱えているところへ、隣室で電話していた照さんがふらりとやってきた。

 その顔を見て、ひかりがハッと息をのむ。朝起きたときより、明らかにひどい顔色だった。昨日の逆さま女より、よほど幽霊らしい。

「ど、どうしたの。何かわかった?」

 照さんはうなずき、言いにくそうに先を続けた。

「なんか……思ったより、大変なことになってたみたい」


 照さんの収集してくれた情報はほとんどが又聞きだったけれど、信憑性は決して低くないように思えた。何しろ、すべてはここ一、二カ月ほどのできごとなのだ。


 証言その一。

 真夜さんと同じ学校に通う女友達のひとり。

 彼女は真夜さんから、真夜さんが当時つきあっていた彼氏(三つ年上の高校生)の愚痴を聞かされたという。

 デートをドタキャンされたとか、電話しても最近ずっと上の空だとか。

「あれ、絶対浮気してるわ。わたし、昔っから男運ないんだよねー」

 真夜さんはそんなことを言っていたらしい。

「今度の週末、向こうの親いないっぽいからさ。あいつの部屋に泊まりに行って、浮気の証拠見つけてやるつもり」

 とも。

 これがだいたい、八月の二十日ごろの話だったらしい。それから間もなくして、この友達は真夜さんに連絡をとることができなくなる。


 証言その二。

 真夜さんとは別の学校に通う男子。

 この彼は真夜さんとは親しくなかったが、自宅マンションが、櫻井家の暮らす建売住宅の近所……というより、道ひとつ挟んだすぐ向かいに建っているそうだ。

 彼は櫻井家の前に救急車が停まるのを、三度目撃している。

 一度目は、夏休みが終わる少し前の早朝。派手にサイレンを鳴らしていたので、すぐに気がついたという。

 二度目はその一週間ほど後。三度目はそれからさらに一週間後、九月の十日前後のことだったという。

 さすがに気になって母親にたずねてみたところ、向かいの家ではひとり娘が急死したあと、母親と父親が相次いで倒れ、現在、ふたりとも入院中らしい。母親は「悪い病気が流行ってるんじゃなければいいけどね」と不安げだったそうだ。


 証言その三。

 真夜さんの葬儀に参加した、クラスメイトの女子。

 彼女のもとに真夜さんの訃報が届いたのは、八月の二十七、八日ごろのことだったらしい。彼女は女子のクラス委員だったので、クラスメイトを代表して、真夜さんの葬儀に参加することになった。

 真夜さんの母親がひどく青白い顔をしており、葬儀の最中に何度も倒れそうになったのが印象的だったそうだ。

 彼女は真夜さんとは特に親しくはなかったけれど、終業式のときには元気だったクラスメイトが棺に収まっている姿を見て、ひどくやるせない気持ちになったらしい。葬儀が終わったあともまっすぐ帰宅する気にならず、セレモニーホールの裏手にあるベンチに腰かけてぼうっとしていた。

 そこで彼女は偶然、葬儀社の人間らしき二人組がなにやらもめながら出てくるのを目にしてしまった。

 ──ない・・? ないって何だよ。

 ──式の間にご遺体が消えたっていうのか。そんなお前、ありえないだろ。

 ──どうすんだよ。ご遺族になんて説明するんだよお前。

 ふたりはひどく興奮しているようだったが、ベンチに座っている彼女の存在に気づくと気まずそうに目をそらし、小声で何か話しながら建物の中へ戻っていった。

 なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、彼女は逃げるようにその場を立ち去ったのだという。


「……照さん、この短時間でよくそんなに調べられたわね?」

「や。実は……あたしも真夜に何があったか、気になってたからさ。あの子が死んだって聞いてすぐ、元カレに頼んでいろいろ調べてもらってたの。アイツ蔵内のほうに住んでて、しかもけっこう顔広いから。……ただアイツ、連絡するたんびにヨリ戻そうとしてきてウザいからさ~。調査結果、聞かずに放置しちゃってたんだよね」

「あ……そ、そう」

 さっきから三つ年上の彼氏とか元カレとか、馴染みのない概念がポンポン会話に出てくる……ギャルこわ……同じ中学一年生なのに、住む世界が違う……。


 だがこれで、おおよその時系列が見えてきた。


 おそらく……最初に犠牲になったのは、真夜さんの彼氏だったのだろう。

 彼の生死は今のところ不明だが、重篤な症状に陥っている可能性は低くないと思う。なぜならこの現象は、おおよそ一週間ほどで深刻な健康被害をもたらすようだからだ。


 真夜さんが彼氏の異変に気づいたのが、八月の二十日前後。

 ここで真夜さんは、彼氏をむしばんでいたそれ・・に接触し、自身もそれに侵された。そして約一週間後──八月二十七日ごろに命を落とした。

 おそらく彼女は自宅から救急車で搬送され、病院で命を落としたのだろう。その遺体は、彼女の葬儀の途中に姿を消し──おそらく今も、発見されていない。

 そしてこの連鎖は、真夜さんだけでは止まらなかった。

 次の犠牲者は、きっと母親だ。彼女は娘の葬儀の時点ですでに体調を崩していた。母親の次は、たぶん父親。ふたりは一週間間隔で相次いで病院に搬送され、入院している。こちらも、現時点での生死はよくわからない。

 ただ、この現象を引き起こしている「もの」は、すでにターゲットを次に移している可能性が高いように思う。なぜなら、父親が入院した九月十日前後という日付は、照さんが真夜さんの夢を見はじめた時期とほぼ一致するからだ。


 これ・・は、まるで疫病だ。

 人から人へと感染し、新たな死者を基点にますます拡散していく。

 そしてわたしは、あの怪異・・・・がよく疫病──狂犬病や黒死病ペスト──と関連づけて語られることを知っている。

 わたしは観念した。さすがにそろそろ、認めざるを得ない。


「ひかり、照さん。ひとまず現時点での、わたしの見解を述べるわ。にわかには信じがたいし、いまだ推測の域は出ないけれど、ここに揃った証拠はすべて、同じ結論を示唆している」


 ふたりは神妙な顔で、続く言葉を待っている。わたしはくちびるを軽くなめた。


「櫻井真夜さんは、吸血鬼ヴァンパイアに殺された可能性が高い。そして今は真夜さん自身が吸血鬼となって、次の犠牲者……つまり照さんを狙っているのよ」

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