◆水からの罰
其原氏から電話がかかってきたのは、録城に帰ってから三日ほど経った昼さがりのことだった。
『連絡が遅くなってすまなかったね。あれから、バタバタしていたものだから……おばあさまの具合は、あれから?』
「だいぶん落ちついてきたので、退院できそうではあるんですけど……やっぱり、ひとり暮らしは心配だねって感じで。施設に入ってもらうことになるかも、みたいな話になってます」
『そうか……大変だね』
「いえ。ママはなんだか、スッキリした顔してましたよ。やっと腹を割って話せたとかなんとか言って。……それより、そっちはどうなりました? あれから」
『そう……だね。何から話せばいいのか迷うけれど……』
そう前置きして、其原さんはあのあと鈴升で起きたことについて話しはじめた。
* * *
あのあとすぐ、陥没にのみこまれた建物の撤去がはじまって。
瓦礫が取りのぞかれた下から、君が言っていたとおりの磐座が見つかったよ。
もともとは、井戸の底にある横穴から入れるようになっていたらしい。藤波さんが言っていたとおり、彼がふさいだんだろうね。
ただ不思議なのは、二十五年も地下に封印されていたにしては、磐座に付随する注連縄や祠の劣化が驚くほど少なかったことだ。磐座の周囲には、破れた絵本のページが散らばっていて……祠の中からは、鏡が見つかった。無理を言って僕も見せてもらったけれど、僕たちが砂浜で掘りだした、あの鏡と同じものに見えた。瓦礫の撤去がはじまるまで、誰もあの祠に触れることなんてできなかったはずなのにね。
けど、そんな
町の関係者は今、上へ下への大騒ぎだよ。
なにせ──磐座のあった地下空洞から、数十人分もの人骨が見つかったんだから。
今はマスコミにも
見つかった遺体のうちひとつは、かなり古い成人女性のもの。残りはいずれも十代以下の男女と見られていて──古いものから新しいものまで、年代は多岐にわたっているみたいだ。
この、新しい遺体が問題でね。
何十年も閉鎖環境に置かれていたとおぼしい、現場の状況とまったく合わない。調査にやって来た警察の人も、すっかり困惑していたよ。
本格的な調査はまだこれからだけど、すでに遺体のひとつは身元が判明している。保存状態がよく、遺体の白骨化や遺留品の劣化が進んでいなかったからだ。
──
おぼえているかな。倉石飛我くんの友達の「えっちゃん」だよ。
彼には結局、残念な報せになってしまったね……。
僕は残りの遺体も、これまでこの街で消えた子供たちだと確信してる。ひとりでも多くの身元を特定できるよう、警察には協力していくつもりさ。これまでに集めた、行方不明者の資料が少しは役に立つといいよね。
きっと秋清のやつも、その中にいるはずだ。
そして成人女性の遺体──これは、深堀もなみのものだと思う。
これは想像なんだけど……二十五年前、藤波さんはあの磐座と一緒に、深堀もなみを洞穴に封印したんじゃないのかな。その時点で彼女が生きていたのか、それとも何らかの形で命を絶っていたのかまでは、わからないけど。
藤波さんか。
うん、もちろん、彼は警察から重要参考人と見なされた。当然だよね。彼が管理している神社の敷地内で、大量の遺体が見つかったんだから。おまけにそのうちひとつは、つい先日行方不明になったばかりの少年のものだ。事件性を疑われないほうがおかしい。
だけど、逮捕はされなかった。
亡くなったんだ。きみたちが帰った、次の日に。
遺体は鈴川のほとりで見つかった。死因は……おそらく溺死。
おそらく、と言うのは、遺体があったのが水際から数メートル離れた砂利の上で、服にも濡れた形跡がなかったからだ。にもかかわらず、肺にはいっぱいに水がたまっていた。だから溺死さ。
自殺したんじゃないか、っていううわさもあるけど……どうだろうね。僕は、何かの罰が下ったんじゃないかと思っているよ。
報告は、こんなものかな。
ともかく、鈴枡町はじまって以来の大事件だ。当分はてんやわんやだろうね。でも、多少なりとも落ち着いたら、あの磐座を中心に海裳神社を再建できるよう、上に働きかけてみようと思ってる。
そうすれば、秋清も安らかに眠れるような気がするんだ。
僕もようやく、肩の荷がおろせる。
実は、夢を見たんだ。
秋清や行方不明になった子供たちが、立派な船に乗って、朝焼けの海へ漕ぎだしていく夢。もちろん、ただの夢ではあるんだけど……僕は信じてる。きっと彼らは、自由になれたんだって。
こんな気持ちになれたのは、きみたちのおかげだよ。夜神さん、本当にありがとう。朝日奈さんにもよろしくね。あと、由比せんぱ……お母さんにも。
* * *
其原氏との通話を終えたわたしは、なにげなく窓の外を見遣った。
どうやら、終わったらしい。
わからないのは、この一件、いったいなにが発端だったのかということだ。
二十五年前の因縁は、確かにママとわたしに絡みついていた。そういう意味では、これはわたしにまつわる事件だ。でも、だとしたら、夢の世界で待ち受けていた水草の怪物はどう解釈したらいいんだろう。あいつの狙いはひかりだった。深堀もなみも清心陽光会も、あいつのために動いていたというのなら、結局はこの事件も、ひかりの霊媒体質が呼びこんだ事件ということになってしまう。じゃあ、わたしとひかりの因果が交わったのは──?
──
──あたしらは所詮、
結局、そういうことになっちゃうのか。
ピン……ポーン。
ドアチャイムの音で、わたしのぐるぐるした思考は中断された。
待ち人来たれり、だ。
部屋の前では、ビニールのナップザックを提げたひかりが待っていた。純白の髪に麦わら帽子が涼しげだ。透明なひとみが、今日はかつてないほどやる気に燃えている。
「ヤミちゃん! プール行くばい! プール!」
「本当に行くの……? それより、市内の水族館で期間限定のお化け屋敷やってて」
「ダーメ。夏休み中に二十五メートル泳げるようにしたげるって、ぼく、ヤミちゃんのお母さんに約束したけんね。大丈夫! コツさえつかめばすぐやけん!」
「はぁ~い。わかったわよ。コンタクトの容器取ってくるから、ちょっと待ってて」
準備を終えてひかりと再合流したわたしは、肩を並べてマンションの外廊下を歩きだす。
ひかりはナップザックのひもをいっぱいに伸ばし、ぽん、ぽん、とリフティングまがいのキックをくり返している。
その上機嫌なようすを見ていたら、さっき考えていたことが、ひどくどうでもいいことのように思えてきた。
因果なんて知ったことか。誰かの思惑なんて関係ない。
わたしとひかりの関係は、わたしたちのものだ。この先、どんなふうに変わっていくとしても、それだけは譲れない。
風がセミたちの合唱を運んでくる。
空を見上げれば、クリームソーダの青と白。
夏はまだまだ、これからだ。
(#3 うなもごぜんの夢御殿――終)
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