◆清心耀光会

「深堀もなみが……うなもごぜん……」

 其原氏は呆然とくり返した。


「そう。あいつは鎌倉時代の女幽霊でも、海裳神社に祀られている神でもないわ。二十五年前に消えた絵本作家のなれの果てよ。十二単だの能面だの、夢の中の道具立てがやけにちぐはぐだったのもそれで説明がつく。全部、あの女の創作が反映されてるだけなの」

「……思いだしたよ。『うなもごぜんのものがたり』について、歴史界隈の人が批判している文章を読んだことがある。建築様式や登場人物の衣服についての時代考証が甘く、ストーリーも教訓的すぎるという内容だった。親子愛を強調するあまり、本来の伝説を歪めてしまっているとね」

「じゃあ、本当の伝説はあんな話じゃないのね?」

「まるっきり違うというわけでもないけどね……。伝説の中では、海上御殿に幽閉されたうなもごぜんは写経しゃきょうを行うんだ。で、彼女の死後、息子の枕元に御仏みほとけが現れて、教えさとして改心させる。あと、息子が悪い嫁にたぶらかされるくだりは、完全な創作じゃなかったかな……井戸に落ちて死ぬのは、どら息子の取りまきの武士たちだったはずだ」

「なるほど……仏教色をぶっこ抜いて、代わりに母の愛をねじこんだのがあの絵本ってわけね」

「うん。この話は代々、宮司の藤波さん一族が語り伝えてきたものらしいんだけど……藤波さんとしても、写経のくだりはちょっと前面に出しづらいところだったらしい。ほら、昔は神仏習合で神も仏もごっちゃになっていたけど、今は別々だろう? だから仏教要素を脱色してくれた『うなもごぜんのものがたり』は、神社にとっても都合がよかったんじゃないかな」


 わたしは胸糞の悪さを感じて、手にしていた絵本をテーブルに放りだした。

 古典を現代的にリブートするのはいい。その過程で作者の思想が入ってくるのも……まあ、ぶっちゃけアニメや映画のリメイクでそれやって炎上してるケースってめちゃくちゃ多い気がするけど、ある程度はしょうがないことだろう。

 けど、その後の深堀もなみの行動を重ねてみたとき、わたしには、この絵本にこめられた思想がひどく邪悪なものに思えてくる。


 子供にとって、母親は絶対。

 母親の考えにしたがうことこそ、子供が幸せになるたったひとつの道。

 もし、母の言いつけを聞かない悪い子がいるならば──不幸になるべきだ・・・・・


 それって子供に、自分を気持ちよくさせる役割を押しつけてるだけじゃないか。それが親の愛だっていうなら、愛情は毒だ。心をじわじわ腐らせ、未来を奪う毒薬だ。

 事実、うなもごぜんとなった深堀もなみは、自分の息子をこの世から消してしまった。

 たぶん、あの水槽のどれかに深堀秋清がいるんだろう。これまで鈴枡で消えてしまった、数多くの子供たちも。


「深堀もなみは、うなもごぜんになりたかったのね。みんなから愛され敬われる、理想の母親に。……わたし、夢の中で磐座を見たの」

「イワクラ……ってなん?」

 ひかりが小首をかしげる。

「神様がいる場所。御神体であり、祭壇よ。なんとなくだけど……あそこはもともと、海裳神社の神様――本物の海裳御前うなもごぜんの場所だったんじゃないかと思うの。深堀もなみはそんな神の首をすげ替えて、この土地の神になり代わった」

 あっ、と声をあげて、ひかりが手をたたいた。

「……『くびだけまじん』!」

「そう、それ! 神の上書きによる信仰の簒奪さんだつ! うなもごぜんはまさしく、横取りに成功したくびだけまじんなんだわ。……ひかり、よくおぼえてたわね。あの話をしたとき、調子悪そうにしてたのに」

「うん。ちゃんと聞いとったよ。怖い話は、ときどきイヤになるばってん……それでもヤミちゃんがしてくれるお話って、ぼくには宝物やけん」

「ひゅッ。あ、そ、そう。ふーん」


 予告なしで致死量級にエモいこと言わないでくれない?

 過呼吸になりかかったわたしを鎮静化させてくれたのは、其原氏の冴えない表情だった。


「その……オカルト的なことは、僕にはよくわからないけれど……神になり代わるというのは、そんな簡単にできることなのかい? 一介の絵本作家が思いつきで実行できるような?」

「まさか。きっと入れ知恵したやつがいるのよ。オカルティックな儀式に精通した何者か……おそらくは、深堀もなみがハマっていたっていう」

「新興宗教……か」

「あ! そうそう。ぼくたち見つけたとよ、ヤミちゃん」


 ひかりはそう言って、ポケットからくしゃくしゃの封筒を取りだした。広げて逆さにすると、一枚の名刺が落ちてくる。


「見つけたって……深堀の家で?」

「うん。お菓子のカンカンに入っとったと。お父さんも通帳とかの大事な紙、そういうカンカンに入れとったけん、もしかしたらって思って」

「昭和の防犯意識……」


 名刺はエンボス加工でぐにゃぐにゃした文様みたいなのがあしらわれた、凝ったデザインだった。つまみあげてみると、こう書かれている。


【清心耀光会 コズミック・カウンセラー  飯高風雅 Fuga Iitaka】


飯高いいたか風雅ふうが清心せいしん……耀ようこうかい?」


 あれ。なんか聞いたことある団体名だぞ。どこでだっけ。


「それを発見してすぐ、夜神さんがいないことに気づいたから、詳しく調べる時間はなかったんだけど……二十年ほど前に大きな事件を起こして解散に追いこまれた団体のようだね。なんでも、福岡の山奥で集団自殺したとか」

「あっ!」


 それだ。いつぞやの配信で語った『鬼火岩礁』。あのラストに、その集団自殺についての言及があるから、事前にちょっと調べておいたんだ。配信ではわざわざ団体名までは出さなかったけど。


 一九九〇~二〇〇〇年代。

 わたしが生まれるずっとずっと前、それこそ其原氏たちが中高生だったそのころは、宗教界に激震が走った時期だったという。九五年に、ある宗教団体が毒ガスをまくというとんでもない事件を起こしたのがきっかけで、社会全体の宗教団体に向ける目が厳しくなったのだ。

 清心耀光会せいしんようこうかいもまた、そうした流れの中で追いつめられ、過激な路線に走って自爆した団体のひとつだっらしいんだけど……まさか、この鈴枡で活動していたなんて。


 わたしは自分が手にしている名刺がひどく不吉なもののように感じられて、テーブルの上に放りだしてしまった。


「とはいえ、だいぶわかってきたわ。うなもごぜんの正体と来歴、力の源。呪いの絵馬も、井戸から回収できたし……」

「そういえば、ずっと気になっていたんだけど」

「何かしら、其原さん」

「夜神さんは、どうやって三日目の夢から生還できたんだい? これまでの犠牲者は、誰ひとりとして三日目の夜を越えられなかったというのに」

「エッ!? そ、それは、そのぅ……も、もちろん、この夜神ヤミの黒き霊力で、バーンとやってやったのよ、バーンと」

「バ……バーン……?」

「そう! バーン! とにかく三日目の夜は乗り切ったし、呪いの絵馬も確保した。おそらくは、これで──」


 そのとき、玄関の扉が開く音がして、誰かが家に入ってきた。

 廊下を近づいてくる足音だけで、誰かわかる。いくら不在ぎみだとはいえ、同居してる家族だからだ。


「すまない。ずいぶん待たせたな」

 そう言ってダイニングに入ってきたママは、テーブルについたわたしたちをぐるりと睥睨へいげいすると、其原氏のところで視線を止めた。

「康美たちのこと、任せてすまなかったな。其原君」

「いえ。僕こそすみません。先輩の娘さんを、あんな危険な目に……」


 ん?


「君が謝る筋合いはないだろう。わたしの母親が、わたしの娘に危害を加えようとした。問題が起きたのは徹頭徹尾うちの親族内で、君は巻きこまれた側にすぎない。君と娘たちが知りあった経緯に興味はあるがね」

「それについては、まったくの偶然なんです。娘さんを最初に見たとき、もしやとは思ったんですが……」


 たまらずわたしは声をあげた。


「ちょ、ちょ、ちょーっと待って。何? 何なの?」

「どうした康美」

「どうしたじゃないでしょ! ママと其原さん、知りあいなの!?」

「ま、まあね。ええと……秋清の話といっしょに、先輩の話をしたよね。あいつが医大を目指すきっかけになった、生物部の先輩」

「したけど」


 深堀秋清が片想いしていたっていう、美人の先輩のことだろう。

 ……え? ちょっと待って。それじゃ。


「それが由比先輩なんだ。君のお母さん、由比静先輩」

「今は村上だよ、其原君」

「そう……でしたね」


 はい????

 混乱して固まっていると、ひかりにそでを引っぱられた。

「ヤミちゃん。ヤミちゃんのお母さんがやっとーお仕事って、もしかして……」

 わたしはうなずく。わたしにとっては当たり前のことすぎて、意識することもなかったことだけれど。

「ええ……医者・・よ。脳外科医」

「脳神経外科医、だ」

「同じじゃない?」

「厳密さは大事だ。わたしがやっているのは、一ミリの差で人が死ぬ仕事だからな。だからこそ、母さんがああなるまで気づけなかったのは痛恨の極みだが……」

「……大丈夫なの、ばぁば」

「容体は落ち着いている。とはいえ、重大な疾患の可能性もあるから、入院してしっかり検査する必要はあるな。場合によっては、うちの病院に転院させたほうがいいかもしれない」


 ママは録城で一番大きい総合病院に勤めている。

 どうも病院というやつは慢性人手不足らしく、ママは手術オペだ夜勤だ急変だと、何かにつけて駆り出されている。家というより、病院に住んでいると言ったほうが実態に近いくらいだ。


 まあ、今はそのことはいい。

 それよりもうなもごぜんのことだ。これでまたひとつ、謎が解けた。

 実母が実子にかけるという呪いの基本ルールを曲げてまで、うなもごぜんがわたしをターゲットにした理由。それは深堀もなみの中に、ママへの憎しみが残っていたからじゃないだろうか。

 あの女にとって、ママは息子の秋清をよからぬ道へ誘った諸悪の根源だ。その当時のママに似ている(らしい)わたしが呪いの射程に入ったなら、見逃しはしないだろう。あの井戸の縁で、ばぁばに深堀もなみがとり憑いたようになったのも、ばぁばの中にあったママへのわだかまりと、深堀の感情がシンクロした結果なのかも……。


「……清心耀光会」

 気づくと、テーブルに投げだしていた名刺をママが手にしていた。

「久しぶりに聞く名前だ。どこで見つけた? こんなもの」

「ママ、知ってるの?」

「ああ。深堀秋清君の母親が傾倒していた団体だろう? セミナーのようなところにしつこく誘われて困っていると、彼が話していたよ。……できることなら、もっと彼の力になってやりたかったな。まあ、中学生の小娘にできることなど、高が知れていただろうが……」

「いえ……秋清はずっと、先輩に感謝していましたよ」

「そうか。ありがとう。まあ……今の私には、どこかで達者でいてくれることを祈ることしかできないな」


 ああ、そうか。ママの認識では、深堀秋清はあくまで行方不明者なんだ。

 やけにしんみりした気持ちになったけど、わたしはすぐに気を取りなおした。今はどんな情報でも欲しい。


「ね、ママ。その清心耀光会について秋清さんが話してたこと、もっと思いだせない? こんな儀式をやってたとか、こういう呪文を唱えてたとか」

「うん? そんなことを聞いてどうする?」

「いいから! わたしにとっては大事なことなの!!」

「そう言われても、二十五年も昔のことだからな……ああ、いや。そういえば、気味の悪い体験をしたと話していたことがあったな。確か……鏡を隠す相談がどうこう」

「……何それ?」

「待て。思いだす。あれは、確か……」


 * * *


 飼育中のアマガエルが産卵して、発生の過程を観察していたから……梅雨の時期だったと思う。

 放課後の理科室に、そのときわたしはひとりだった。水槽の清掃や給餌きゅうじの当番だったのだろうと思う。

 物音がして振りむくと、ちょうど深堀君が入ってくるところだった。もともとナイーブで線の細い印象のある彼だったが、その日は、いつにも増してひどい顔色をしていたのをおぼえているよ。


「やあ、深堀君。君の水槽、メダカの腹が大きくなっているぞ。これは第三世代の誕生も近いのではないかな」

 わたしは確か、そんなふうに声をかけたんだ。

 だが、深堀君はうつむいているだけで応えなかった。そんなところも、いつもの彼らしくなかったな。わたしは、また母親との関係で何か悩んでいるのだろうと察した。それまでにも、何度かその件で相談を受けていたからだ。まあ……相談と言っても、わたしには愚痴を聞いてやるくらいのことしかできなかったが。


 わたしは彼をうながして、手近なイスに座らせた。それでしばらく、となりに座って待ったんだ。話したいことがあるなら、きっと彼のほうから切りだすだろうと思ってな。

 しばらく、無言の時間があってから……やがて彼は、意を決したようにこう言った。


「由比先輩。変なこと聞いてもいいですか」

「うん? 何だい」

「先輩は……神様になる方法って、あると思います?」

「何だって?」


 わたしはたぶん、笑ったと思う。しかし、彼の表情はあくまで真剣だった。それで、どうやら冗談のたぐいではないと思い直したんだ。


「ボクの母が、変な宗教にはまってるって話、しましたよね」

「ああ。確か清心……」

「清心耀光会、です。昨日も、その集まりに連れて行かれたんですよ。ボクは嫌だったんですけど、そうしないと修学旅行の積みたて費、払ってくれないなんて言うから」

「そうか。……なあ深堀君、やはりその件、警察なり行政なりに相談するべきではないのかな」

「どうですかね……下手に刺激すると、あの人、よけい意固地になりそうですし。大学までだましだましやり過ごして、家を出るほうが現実的じゃないかなって。……まあ、今はその話はいいんです」


 深堀君が言うには、清心耀光会はしばしば、隣町のセミナーハウスで勉強会のようなものを行っていたらしい。

 数人の講師役が、二十人くらいを集めてアセンションがどうとか、水瓶みずがめ座がどうとかいう話をしていたそうだ。わたしは詳しくないが……うん? 神智学? ニューエイジ? 康美、よく知っているな。まあ、とにかく、そういう思想を看板に掲げる一派だったようだ。まあ、実態としては詐欺まがいの営利団体だったとしか思えんがな。


 ともかくその日も、深堀君はセミナーハウスの研修室に座わらされ、抽象的で長ったらしい講師の話を聞いていた。そして、途中で眠ってしまったそうだ。

 ふと気づくと、部屋が暗くなっていた。

 天井の蛍光灯が切れていて、参加者の姿もほとんどない。どうやら、眠っている間に勉強会はお開きになってしまったようだ。だが、室内がまったくの無人というわけではなかった。

 ホワイトボードの前にイスを集めて、数人がひそひそと密談をしていたんだ。デスクライトの光が、机を囲む彼らの影を四方に投げかけていた。

 ひとりは深堀君の母親で、残りは講師たちだった。その中には確か、飯高という男もいたはずだ。そう、その名刺の人物だよ。


 ──偽りの神を追放し、清き光で満たさねばなりません。

 ──そのために、鏡を。

 ──鏡を隠すのです。誰の目にも触れないところへ。

 ──さすれば貴女は、新たな神となる。母なる愛、父なる光をもたらす神の一柱ひとはしらに。

 ──孤独に病んだ現世と、光の世界をつなげる・・・・神に。


「……講師たちの話に、母はうっとりと聞き入っていました」

「大の大人がする話とは思えないな。これだから宗教というやつは……。それにしても、その鏡というのがよくわからないが」

「海裳神社、ありますよね。公民館の向かいの。あそこの御神体が、確か古い銅鏡だったはずです」

「それを盗みだすつもりだというのかい? 君の母親が? 確かに、窃盗となれば穏やかではないが……本気なのかい?」

「わかりません。本気じゃないとは思いたいんですが、ただ……」

「ただ?」

「あのとき見た、講師たちの影が」


 デスクライトの光で、影絵のように浮かびあがった、講師たちの巨大な影。

 それはどれも、人間の形をしていなかったそうだ。


 針のようにとがった体毛におおわれた、巨大なけだもの。

 奇怪にねじれた樹木。

 揺れる炎につつまれた骸骨がいこつ──。


 彼には、そんなふうに見えたんだそうだよ。

 結局、彼は寝たふりをしてその場をやり過ごした。密談を終えた母親たちに揺り起こされたときにはもう、講師たちの影は普通に戻っていたそうだ。


 今思えば、彼の異常な精神状態が作りだした幻覚だったのかもしれない。彼はそのときすでに、限界近くまで追いつめられていたんだろうな。

 ただ、当時のわたしは、それ以上突っこんで彼の話を聞いてやることができなかった。

 恥ずかしいことだが、恐ろしかったんだ。彼の話は……なんだかひどく、忌まわしく思えたから。

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