◆とりかえっ児しましょ
深堀もなみの仕事場は、ここまでの部屋とは違い、とにかく紙だらけだった。
作業机にしていたらしい中央の座卓には、大量の画用紙やスケッチブック、画材などが乱雑に積みあげられていて、そこからこぼれた紙類が床にも散らばっている。風景や建物を描いたものもあるにはあるけれど、ただ真っ黒に塗りつぶしただけのものや、うずまき模様みたいなものがデカデカと描かれているものも混じっていて、「病んでる」感に拍車をかけている。
本棚へ目を転じると、絵本や風景写真集、書類を綴じたファイルがぎちっと押しこまれていた。
どうやら部屋の主は、あまり整理整頓の得意なタイプではなかったらしい。あらゆるものがゴチャゴチャに積みあげられていて、探すのには骨が折れそうだ。でも、だからこそなにかが残されていそうな感じもする。
わたしたちは手分けして、大量の紙類を改めはじめた。まずは、座卓の上に手をつける。
白紙の画用紙、描きかけのスケッチ、新聞紙、電気料金の督促状、スーパーの特売チラシ……くそっ。ゴミばっかりだ。
終わりの見えない単純作業を前にして、またしても眠気が押しよせてきた。フィルターがかかったみたいに目の前がぼんやりして、頭が重くなる。まずい。まさか、こんなに早く睡魔が襲ってくるなんて……。
缶の底に残っていたエナドリを飲みほすけど、あまり効いた気がしない。
わたしは言った。
「ねえ。悪いんだけど……何か話してないと眠りそうなの。勝手にしゃべるから、聞いていてくれないかしら」
「そ、そうかい。僕は構わないよ」
「
「えっ? わざわざ、今ここで怪談を……?」
「い、いいでしょ、別に……。言っておくけれど、他に話題がないわけではないのよ? ないけど、その……あえてそうすることに意味があるというか……とにかく、これはさっき、バインダーをめくっていて目についた話なのだけど」
* * *
フォロワーの『めかぶ大臣』さんが昔、人づてに聞いたというお話です。
あるところに、小さな娘を持つ母親がいました。
娘さんは、幼稚園の
そんな、ある日のこと。
お母さんは娘さんを車に乗せて、隣町のショッピングモールへ買い物に出かけました。
事件が起きたのは買い物からの帰り道、車がちょっとした山道にさしかかったときです。モールのおもちゃ売り場でウサギの人形を買ってもらった娘さんが、「やっぱりクマがよかった、お店に戻って、取りかえて」と泣きはじめたのです。
日頃から娘さんのワガママにうんざりしていたお母さんは、この瞬間、
「ママも、そんなこと言う
お母さんは、娘さんが怖がって謝りだすのを期待していたんでしょう。ですが、娘さんの返事は違っていました。
「いいよ」
こともなげに、そんなことを言います。
開き直った娘さんの態度は、お母さんの怒りにますます油をそそぎました。
「本当に? お母さん、本気だからね」
「いいよぉ」
「もう、うちの子じゃなくなっちゃうんだよ。それでもいいの?」
「いぃーよぉー」
ミラー越しに見る娘さんには、ちっとも悪びれたようすがありません。
お母さんはいよいよ腹を立てて、自動車を路肩に停めました。山道ですから、両側には森が広がっています。
運転席から降り、娘さんのいる側の後部ドアを開けると、お母さんは言い放ちました。
「じゃあ降りて。うちのじゃない子は、もう連れていきません。ほら早くッ。降りなさい!」
「あァァいィィィ」
娘さんはヤギの鳴くようなしわがれ声を出すと、四つん這いの姿勢で車からすべり降り、昆虫のような動きでガサガサガサガサッ! と森の茂みの中へ消えていきました。
お母さんは、その場で腰を抜かしてしまったそうです。
娘さんはそれから数日後、同じ山中で、大きな木の根元にうずくまっているところを発見されました。
保護されてしばらくは話しかけても人間の言葉で答えず、へらへら笑っているだけでしたが、近くのお寺からお坊さんを呼んで祈祷してもらうと、元どおりの娘さんに戻りました。ただ、山中で行方不明になっていた数日間のことは、少しもおぼえていなかったといいます。
わたしがこの話を聞いて連想したのは、「
* * *
ふう。声を出したおかげで、多少は眠気が飛んだ気がする。
それにしても、今の話を語って改めて感じるのは、母親と子供との間にある、絶望的なまでの力関係の差だ。母親というやつは、子供の生殺与奪権を完全ににぎっている。そんな関係が認められているのは、母親は自分の子供を傷つけたりしない
暗い気持ちで視線を泳がせたわたしは、ひかりの姿を見て、思わずぎょっとした。
目が。
押入れの奥をと見つめるひかりの目が、深海魚のようにぼうっと発光している。
ひとみを取りまくような、リング状の白い光。これまでにも、何度か見たことのある──この世ならざる世界の存在が、ひかりの目を通じてこちら側と
「ひっ、ひかり!!」
わたしが呼ぶと、ひかりがパッとこちらを向いた。ぱちぱちとまばたきをしたひとみからはもう、さっきの光は跡形もなく消え去っている。
水槽の下を改めていた其原氏も、肩越しに不思議そうな視線を向けてきていた。位置関係からして、たぶん、彼に今の光は見えていなかっただろう。
「ヤミちゃん……。ぼく、なんか変やった?」
「え、ええ。まあ……ちょっとだけね」
わたしは押入れを覗きこんだ。
懐中電灯で照らすと、カビた段ボール箱がいくつも押しこまれているのがわかった。ひかりの目が、あんなふうに反応したということは……この中に何か、普通でないものがあるのかもしれない。
「ひかり、其原さん。手を貸して! この中のものを調べてみましょう」
三人がかりで段ボール箱をすべてひっぱり出し、片っぱしから開けていく。衣類や画材、お菓子の空き箱に入った何かの書類なんかが雑多に詰めこまれていて、懐中電灯の明かりだけで確認するのは相当、骨が折れそうだ。
それでも、やらないと。
さっき追い払ったはずの眠気が、気づけばまたしのび寄ってきている。目にうつる映像と意識との間に一枚、紙がはさまったみたいに、現実感が薄い。首をまっすぐにしているのがしんどくて、ぐらぐら視界が傾いてしまう。
まずい。
眠気覚ましに、また何か話さないと。
「もう一話、話すわ。これは去年、フォロワーがスーパー銭湯で体験した話なんだけど……」
わたしの発した声は、異様に広々とした座敷の静寂に、寒々しく響いた。
あれ。
視界が明るい。床の間にある、緑色の行燈が室内を照らしているからだ。
代わりに、さっきまであったはずの段ボールの山も、座卓も水槽もない。ひかりがいない。其原氏もいない。
傾いた床。歪んだ柱。曲がった天井。
ウソだ。そんなはずない。これは──。
これは夢だ。
うなもごぜんの、御殿の中だ!
いつだ? わたし、いつの間に寝落ちしてたんだ。
とにかく、目を覚まさないとまずい。まずいまずい!
わたしは自分のほっぺたをびしびしとたたいた。夢のくせに痛い。でも痛いだけだ。目が覚めるきざしすらない。
しゃがんだ姿勢から立ちあがる。ぐらっと視界が揺れて、たたらを踏んだ。これまでのふた晩と違うのは、わたしがパジャマ姿ではないことだ。廃墟探索のために着替えたときの服装で、しっかり靴も履いている。
ぎしぃぃぃっ。
すぐ背後の襖の向こうで、とてつもなく重い何者かが動く音がした。
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