◆河童の警告

「じゃあ、このまま時計回りに話していくとしましょうかな。次、其原そのはら君、お願いするよ」


 藤波老人はそう言って、隣に座っているあの変態……もとい、ワイシャツ男をうながした。

 ワイシャツ男こと其原氏は小さくうなずくと、ぐるっと部屋を見わたす。その視線が一瞬、段差につまづくようにわたしのところで止まったのを、こっちは見逃さなかった。やはり変態か。


「えー、こほん。どうも、其原です。藤波さんとともに、この『鈴枡怪談ナイト』の実行委員を務めさせていただいています。僕は普段、町の役所で働きながら、この鈴枡の郷土史について調べているのですが……そこで最近、面白い話を聞くことができたので、みなさんに紹介したいと思います。……河童かっぱの話です」


 河童て。

 わたしは思わず吹きだしそうになった。そして、安心した。

 なぁんだ。やっぱりそういうノリか。

 たまたま藤波老人が外れ値だっただけで、そんなに尖った話が飛び交うような場じゃないんだ、ここは。

 河童なんて、現代人にとってはゆるキャラみたいなもんである。そんなのが出てくる話でリアルな怖さを感じろなんて、どうしたって無理な相談だ。

 どうせ秘伝の薬の作り方を教えてもらったとか、河童の手形のついた証文しょうもんが残っているとか、骨董品みたいな民話を聞かされるだけだろう。まあ、水死した子供が河童になるというエピソードも、あるところにはあるみたいだけど……どのみち河童じゃなあ。


 わたしはリラックスした気持ちで、パイプ椅子に深く座りなおした。


 * * *


 怪談の前に、まずは少し、歴史の話におつきあいください。

 この公民館の隣にある海裳神社では、古くから水の神が祀られています。

 もともとは、鎌倉幕府からこの地を所領として与えられた武士の一族・海裳うなもが、自分たちの氏神うじがみを祀ったのがはじまりだそうです。

 そして鈴枡では、その水神の遣いこそが河童だと言われているんですよ。


 ……前置きが長くなってすみません。ここからが本題です。

 僕は郷土史を調べる関係で、よく、地域住民の方に話を聞きに行きます。その中のひとり……仮に、Bさんとしておきましょう。その方に教えてもらったお話です。

 事件が起きたのは、今から五十年以上前。

 Bさんがまだ、小学校に上がって間もないころでした。


 この公民館や神社のある丘のすぐ裏手を、川が流れていますよね。そう、鈴川すずかわです。

 実は一時期、その鈴川を埋め立てて、暗渠あんきょ……いわゆる地下水路にしてしまおうという計画が持ち上がったことがありました。

 東京の企業がこの辺りの土地を買いあげて、工場を建てようとしていたようですね。当時は高度経済成長といって、日本中が好景気だったのと、まだ自然環境の保護という意識が希薄だったことがあわさって、そうした自然破壊が、いろんな場所で起こっていたんです。


 この鈴川は昔から海裳神社の神様のものとされていたので、工事には当然、反対の声があがりました。

 ただ、鈴枡の人たちがみな一丸となって反対していたかというと、そういうわけではないようなんです。

 町の活性化を期待していたり、立ち退き料のためだったりで、工場建設に賛成する人もたくさんいたんですよ。そしてBさんの家族もそちらの、工事賛成派のグループだったんです。

 Bさんの家は工務店を営んでいて……もしも工事が決まればその仕事を任せてもらえるよう、企業関係者と内々うちうちに話がまとまっていたそうです。


 そんな、ある夏の夜のこと。

 Bさんの家で、大変なことが起こりました。両親と一緒に眠っていたBさんが、突然苦しみはじめたのです。

 どうやらうまく息ができないらしく、のどの奥からごぼごぼ水っぽい音がします。何かが詰まったのかと思い、吐かせようとすると、大量の水ばかりが出てきます。

 両親はあわててBさんを病院に連れて行きました。そこで気道にくだを入れて酸素吸入をしてもらい、なんとか、一命をとりとめたのです。

 それでも結局、窒息しそうになった原因は不明のままでした。あれほどたくさんの水を吐いたのに、胃はからっぽだったといいます。


 翌日、すっかり元気になったBさんは、自分が死にかけたときに見た、恐ろしい夢のことを両親に話しました。


 自分が布団で寝ていると、なにやら真っ黒な子供がやってきて、胸の上にのしかかってきたというのです。

 ぼさぼさの長い髪のせいで子供の顔はわかりませんでしたが、黒い肌をした、魚みたいに生臭いにおいの子供だったといいます。

 そして……ウナギのようにぬるぬるしたその手には、カエルそっくりの水かきがあったのです。


 Bさんの両親は息子の夢の話を聞いて、海裳神社の遣いは河童だという話を思い出しました。

 そして、息子の身の上に起きたことが、川を暗渠にしてしまおうとしている自分たちへの警告なのではないかと考えたのです。

 迷ったすえ、Bさんの両親は工場の誘致計画から身を引くことにしました。


 それから程なくして、工場を建てようとしていた企業の社長が亡くなりました。眠っている間の突然死でした。

 眠っている間に自然と呼吸が止まってしまうこと自体は、まれにですが起こりうることです。

 問題は――社長自身と同時に、同じ家に住んでいた社長の妻、長男、次男、長女、そして社長の年老いた両親という、七人もの人間が、同じ夜に、同じ死因で亡くなってしまったこと。そして亡くなった彼らの肺に、たっぷりと水がたまっていたことです。

 社長一家が一夜にして死に絶えてしまったことで、企業は大混乱。工場の建設計画は、そのまま自然と立ち消えになりました。


 それから現在に至るまで、鈴川は当時と変わらぬ姿で、僕たちの街を流れています。


 * * *


 いや。

 いやいやいや。

 確かに河童の話だ。河童の話だけど……思ったよりちゃんと怪談しとるやんけ。しかも、けっこうパンチ力のあるやつだ。なんでこんな田舎街の公民館に、高打点の怪談がゴロゴロしてるんだ?

 ……ま、まあいい。

 こっちだって、相手が手強いほうが語りがいがあるってものだ。

 見てろよ……こうなったらわたしも、ガツンと強烈な怪談をおみまいしてやるからな。

 そこでわたしは、愛用のバインダーを取り出そうとして――固まった。


 バインダーがない。


 いつもなら、バッグに突っこんで肌身離さず持ち歩いているはずだ。でも今日は浴衣姿で、スマホと財布がギリギリ入るサイズの巾着袋しか持ってきていない。

(ど、どうしよ……)

 もちろん暗記してる話もたくさんある。けど普段どおりの配信ならともかく、生で怪談を話すという不慣れなシチュエーションで、慣れ親しんだあのバインダーが手元にないというのは、純粋に不安だった。

 わたしの順番は、其原氏の次の次だ。

 あまり浮足立っている時間はなさそうだった。

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