ホタルイカの着く浜で
神崎 える
第1話 隣の席の彼
つい一週間ほど前には見事なピンク色の花びらをつけていた桜の木が青々としてきた頃、新たな教室に一番乗りしたつもりだった私は彼との初めての遭遇を果たした。
横顔しか見えないがそれでも端正な顔立ちが想像でき、短く切られた髪は羨むほどにさらさらとしている男の子。
恐らく身長も平均以上はありそうだ。
窓際の席の一番後ろに座りぼーっと外を眺めていた彼は、私が教室に入ってきたことにすら気づいていないようだった。
(結構早めに着いたつもりだったんだけどなあ……)
彼が先に教室にいたことに少し悔しさを感じつつ、黒板に張り出された座席表に近づき自分の名前を探した。
(えっと、私の席は窓から二列目の……一番後ろの席か、ラッキー、居眠りし放題じゃん)
そんなことを考えながらゆっくりと自分の席の方に目を向けた時、ようやく彼が私の隣の席であることに気づいた。
男子と接する機会が少なかった私は緊張しながら、いまだぼーっとしている彼の隣に座った。
「「…………………………」」
ピクリとも反応しない彼との間に気まずい空気が流れた。
いや、もしかしたら気まずいと感じていたのは私だけだったのかもしれない。
そう感じるほど、彼は心ここにあらずと言った様子だった。
沈黙に耐えかねた私は、緊張しながらも隣の席の彼に話しかけた。
「お、おはよ」
「…………………………おはよう」
ものすごいラグを感じた。
もしかして彼だけ通信制限の世界にいるのか。
これで終わったらまた気まずい時間が流れてしまうことになる、と焦った私は続けて言った。
「学校来るの早いね、名前なんて言うの」
「…………………………つむぐ」
やはり彼には通信制限がかかっているようだ。
「つむぐくん、ね。漢字はどうやって書くの?」
「…………………………糸に方向の方」
「そっか。私は
「…………………………よろしく」
彼、紡くんはそんな話をしている間もずっと外を眺めていた。
その横顔は何処か儚げで今にも消えてしまいそうだった。
再び訪れた静寂に耐えかねた私は、何を話そうか迷っていると突然、聞き覚えのある呼び声が聞こえた。
「お、いといじゃんおはよー」
肩まで伸ばした髪の毛先はいろんな方向に向かっており、お世辞にも真面目そうとは言えそうにないほど気崩した制服姿。
小学生の時からの付き合いの大親友、
「優奈、おはよ」
「今年も同じクラスかー、よろしくな」
「うん!」
するするっと私の席に近づいてきた彼女は、ぐいっと顔を耳元に寄せてきた。
「いといの隣に座ってる彼ってもしかして……いといの彼氏?」
「ち、違うよ。私より先に来てた子。紡くんっていうんだって」
唐突に言われたことに頬が熱くなるのを感じながら小声で答えた。
「顔、赤いけど?」
優奈はニヤニヤしながらそういうと、ぱっと彼の方を向いた。
「ねえきみ、紡くんっていうの?今年一年よろしくね」
「…………………………よろしく」
「新学年が始まるっていうのに辛気臭い顔してんね、なんか嫌なことでもあった?」
「ちょ……ちょっと、優奈!初対面の相手に向かってそんな口の利き方はないでしょ!」
「お、わるい。私、オブラートに包むの苦手でさ」
「知ってるわよ……ごめんね、紡くん。悪い子じゃないから許してあげて」
「いといは私の保護者かよ」
「あなたがそんな言い方するからでしょう!」
「だからわるいって言ってるじゃんか。あんま気にしすぎると禿げるぞ」
「~~っ!」
言い合いになりそうな気配を察したからなのかは分からないが、彼はすくっと立ち上がると、「ごめん、トイレ行きたいから」と言って教室から出て行ってしまった。
「もう!呆れて出てっちゃったじゃない!後でしっかり謝りなさいよ!」
「だからもう謝ったって……」
そんな会話をしてから数分もしないうちに、ぽつりぽつりと人がやってくるようになった。
私は優奈と今が旬のホタルイカの美味しい食べ方について議論していると、あっという間に時間が過ぎていたようで、古くなって黒ずんだスピーカーからチャイムが鳴り響いてきた。
「じゃあまたな、いとい」
「またね」
ようやく終わったおしゃべりに、若干の疲れを感じながら窓の方を見るが、まだ彼は帰ってきていなかった。
(ほかの子と話でもしてるのかな)
そんなことを感じながら、入って来た担任に目を向けた。
彼が返ってきたのはそれから数分後のことだった。
※※※※※※
そんな感じで私の最後の義務教育は始まった。
初めてこの教室に来てから十日程たった日の昼休み、結局今まで通り仲の良かった優奈と中庭でお昼ご飯を食べていると唐突に優奈は喋り始めた。
「そういやさ、いといの横の席のあいつ……ええと、名前なんだっけ」
「紡くん?」
「あ、そうそう。クラスの男子に聞いたんだけどさ、あいつって最近部活に来てないらしいよ」
「そうなんだ……」
どうしたんだろう。
「紡くんって何部なの?」
「ええっと確かバスケ部って言ってた気がするな。イメージ通りだよな」
確かに彼はすらっとしていて背が高いし、バスケをしている姿は容易に想像がつく。
「ってか、いといはあいつとなんも話してないのか」
「……うん」
そうなのだ、結局あの日から朝の挨拶ぐらいしか会話を交わしていない。
彼はあれから私より毎日先に学校にきてもずっと窓の外を見ているだけだ。
校庭の奥にある何かを気にかけずにはいられないように。
「なんで部活行かないんだろう……」
「直接聞いてみれば?席隣なんだし」
「そうしようかな」
それから最近発売されたメイク道具の話やらしてたらあっという間に昼休みは終わり、教室に戻らないといけなくなった。
空になった弁当箱をロッカーにしまい自分の席に着くと、ちょうど五限の始まるチャイムが鳴り響いてきた。
(えと、次は数学の授業か……)
先生が教室に入って来たので、入引き出しに入れてあった教科書とノートを机の上に引っ張り出した。
「じゃあ授業を始めるぞ。前回やった授業のページを開いてくれ」
いつものように淡々と進んでいく授業に退屈し、更に満たされたお腹と温かい日差しで逃れようのない眠気が襲いかかって来た時だった。
「それじゃあ、偶には隣の人と問題でも解いてみようか。みんな眠くてしょうがないようだからな」
先生はそう言いながらニヤッとすると、教室からは小さな笑い声が聞こえてきた。
「じゃあ……そうだな、五分後に誰かあてるからしっかりと解くんだぞ」
そういうと、クラスが少し騒がしくなった。
私は中学一年の時から塾に通っているおかげか、そう悩むこともなく解き終えると隣の席の紡くんに目をやった。
彼はどうやら勉強があまり得意ではないのだろうか、傍から見ても悩んでいる様子が見て取れた。
「あの……紡くん。わからないとこ、ある?」
そう言うと彼は一瞬臆するような表情を見せたがすぐにノートをシャーペンで指した。
「……ここ分かんなくて」
「ええと、それはね……」
一通り説明し終えると、彼は納得したようなしてないような表情をした。
勉強は苦手なのだろうか。
「五分経ったぞー。んじゃそうだな……紡、お前答えてみてくれ」
運悪く指名された彼は驚いた表情をした。
「分かんないとこがあったら教えてあげるから発表してみて」
そんな気持ちを察して、私は声をかけた。
結局、私の手助けなしで無事説明し終えれた彼は、疲れたような表情で「はぁ……」と息を吐いた。
「勉強、苦手なの?」
「……うん、すぐ飽きちゃって。運動している方がよっぽど楽しい」
その言葉を聞いた時、昼休みにした優奈との会話を思い出した。
「そういえばあの……始業式の日に話した子覚えてる?優奈っていうんだけど」
私がそう言うと、彼は覚えていたようで、すぐに相槌を打った。
「彼女に聞いたんだけど、紡くん、部活休んでるの?」
「……ちょっと気分が乗らなくて行けてない」
「なんでか聞いてみても……いい?」
「……ごめん、出来ればあまり……言いたくない」
彼は少し困ったような表情をした後、ちらっと窓の方に顔を向けた。
しまった、人の事情にずけずけと踏み込んでしまった。
せっかく隣の席になった彼とは仲良くなりたかったのに。
「こっちこそごめん。言いにくいこともあるよね」
「いや、気にしないで……」
せっかく久しぶりにまともな会話を交わしたのに、またもや気まずい沈黙の時間が流れることとなってしまったことにとても後悔した。
(はぁー、やらかしちゃったな)
自分の配慮のなさに嫌気がさす。
そのまま数学の授業は一言も喋ることなく終わり、帰りのホームルームが始まった。
恐らく彼も無遠慮さに呆れて会話する気にならなかったのだろう。
ちらっと横を見ると、相変わらず彼は窓の外を眺めていた。
もしも今度話すときがあったらはもう少し楽しい話でもしてみようかなと思いつつ、明日の連絡事項について話し出した先生の方をむくと突然、隣の席から細長い指で机を叩かれた。
「あのさ」
「……う、うん!どうしたの?」
今日はもう話すことはないのだろうと思っていた彼から急に話しかけられてびっくりした。
「ええと、さっきのことなんだけどさ」
「あ、ああ、ごめんね。言いたくないこと、無理に聞こうとしちゃって」
思ったより彼を不快にさせてしまったのだろうか。
もしかしたら席を変えてほしいとかいわれちゃうかも、と一瞬で悪い想像が頭の中を駆け巡ったがその次に出てきた言葉は思ったものとは違った。
「もしよかったらなんだけど……明日の朝、相談に乗ってくれないかな。ちょっと一人じゃ抱えきれえなくて……。俺、部活の朝練行ってないから暇だし、いつも……いといさんも朝早くからいるし」
「……え、うん!全然いいよ!」
嫌な気持ちにさせてしまったとばかり思っていたため、相談してくれるという言葉に嬉しくなった。
ちょうどその時、先生の話が終わりみんな一斉に帰り支度を始めた。
「ありがとう、じゃあまた明日……ってか、呼び方っていといさんで大丈夫だった?」
「大丈夫!なんならいといって呼び捨てでもいいよ」
「さすがにそれはまだハードル高いよ」
彼はそう言うと一瞬笑顔を見せた。
「じゃあ今度こそまた明日」
「うん、また明日」
初めて気まずくならずに終えれた会話に少しにやけてしまう。
(紡くんの笑った顔、初めて見た。なんていうか……小さな子供みたいで可愛かったな)
優奈に呼ばれて教室から出た私の頬は、ほんのりと熱くなっていた。
第一話 終
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