第十七話『陽だまらない借りぐらし-hermit crab-』

 気分が陰鬱いんうつで重い、まるで真っ黒くねばつくコールタールの様だ。

 教室の机に頭を伏せ、自分の腕をまくらにして目をつむる。

 聞こえてくるのは同級生達の談笑だ。

 誰と誰が付き合っているだの、誰と誰の仲がどこまで進展しただの、噂になっているのは氷山の一角で本当はもっとすごい事をしているに違い無いだのと、下世話な話が聞こえて来る。

 不純異性交遊の話など聞きたくないとか、別にそう言う訳では無い。

 本来なら私もその雑談に混ざる所なのだが、この間聞いた話のせいで後ろ髪を引かれる様と言うか、心にしこりが残っていると言うか、その様な心情になってうまく雑談に混ざれないのだ。


 * * *


「ふむ、つまりあなたは自分で自分の欠点が嫌いだから変わりたいと、そう言う事ね?」

 私の目の前に居る女占い師の女性が、興味深そうな仕草でそう言う。まるで私を値踏みしている様な、そして私に対して何かを勿体もったいぶっているかの様に見える。

 私は女占い師の言う事を肯定こうていしたい様な、しかし肯定するのはしゃくな様な気分で押し黙った。

「ええ、気になさらないで。人間なら誰にだってある事、万人がかかる病気の様な物だわ」

 そう言って女占い師は机の下から何やら化粧箱の様な物を取り出して、私に向って見せる形で箱を開けた。

「何ですか、この薬?」

 それは絵に描いた様な、典型的なカプセル剤だった。

 何がどう絵に描いたような典型的なカプセル剤なのかと言うと、昔のスパイ映画や探偵作品にでも出て来る様な、半分が透明になっていて中の顆粒かりゅうが見えるタイプの物。

「これはね、虫下し」

 女占い師は、私の疑問が嬉しいのか、自分の商品を説明できるのが嬉しいのか、とにかく嬉しくてたまらない様子でそう言った。

「虫下しって何ですか! 私、お腹に虫なんて居ませんよ!」

「違うの。さっき言った話の続きなんだけどね、あなたは三尸さんしって妖怪はご存知かしら?」

 私は首を横に振った。

 別段妖怪に詳しい積もりは無いが、三尸なんて妖怪は聞いた事が無い。

「三尸はね、全ての人間の中に居るの。彼等は人間の体の中で若さや寿命や心を喰って生きている寄生虫で、宿主の人間が死んだときに羽化するのよ。逆に言えば、三尸を肉体から摘出てきしゅつ出来れば、人間は神仙とかイモータルとか呼ばれる存在になれると言われているの」

「つまり、その薬は不老不死の薬って事ですか……? 本当に?」

 若さや寿命や心が減らなくなる薬! そんな物が本当にあるとは思えないが、本当だとしたらどんなに素晴らしいだろうか!

 私はそう思うと同時に、背筋を氷柱つららで突き刺された様な感覚におちいった。

 何せ不老不死を実現する薬、そんな物が量産でもされたらと思うと眩暈めまいがする様だ。

 私が自分の中で目紛めまぐるしいアレやコレやと言った色とりどりの感情になっていると、女占い師は出した時と同様にニコニコと微笑ほほえみながら箱をしまってしまった。

「あっ……」

「今のは見るだけのサービス、今回のプランには含まない代物よ。でももしあなたが本気でこの商品を望むならば、相応の代金で売ってあげてもいいわ」

 うーむ、話が上手くて意地悪な人だ。こうはなりたくはない。

「でも三尸ってそんな物、そもそも実在するんですか? 妖怪とか寄生虫とか言ってましたけど、本当はどうなんですか?」

 私が疑問を投じると、ニコニコと微笑むばかりだった女占い師の表情に変化が起きた。

 先程カプセル剤に疑問を投げかけた時と同様に、明かりがともった風なのだが、今度はパッと灯が点いた感じの大きな変化だ。

「あなた、トキソプラズマはご存知? ロイコクロリディウムは?」

「い、いえ……?」

 女占い師が目の色を変えて質問をして来た。その勢いたるや、思わず言葉に詰まって咄嗟とっさにうまく返事が出来なかった。

「どっちも寄生虫の一種ね。ロイコクロリディウムはカタツムリに取りく虫で、ある程度成長するとカタツムリの脳味噌のうみそを支配して明るい場所へと誘導して鳥に食べられるの、そうする事で鳥の中で成虫になって一生を過ごす……いわばヤドカリや人間と同じで体や子供が大きくなったら新しい住まいを探す、ごく普通の生物よ」

「それのどこがごく普通なんですか!」

 全く、ごく普通を自称ないし他称するも全然普通じゃないのは、少年誌か娯楽小説だけにして欲しい。

「普通の生物よ? たまたま寄生虫と言う小さな生物種なだけで、繰り返すけど人間と同じ、人間だって地球と言う大きな存在をほじくり返して生きているのですもの」

「そういう物なんでしょうか?」

「そういうものよ」

 なんだか詭弁きべんかペテンの様な物で言いくるめられてしまった、ぐぬぬ……

「トキソプラズマも似た様な寄生虫。これに取り憑かれたネズミは恐怖心を失って、ネコのにおいへ向かって行くと言うわ」

「その虫も大きい動物へと移り住むんですか……」

「ええ、そうなの。この寄生虫は小動物だけでなく、その排泄物はいせつぶつにも紛れ込んで、土に触れた高等生物に取り憑く事で知られているわ。特にトキソプラズマに感染した豚肉を生で食べた人間は、脳や卵巣や精巣が彼等に支配されると言われているわ」

 私は彼女の話す内容もさることながら、この話題を嬉々として笑う女占い師にゾッとした。

 何となくだが、目の前の女の笑顔はテープか何かで張り付けられた仮面であって、その下にはもっと別な物が存在している様な気すらした。

「脳や卵巣や精巣を支配するって賢いと思わない? そうすれば宿主の行動を左右出来るし、宿主の肉体全てに寄生虫が増えてしまって住む処が無くなったとしても、次の世代に自分達を乗せていく事が出来ますもの!」


 * * * 


 その後の事はよく覚えていない。

 いや、覚えてはいるのだが、夢の中の出来事の様と言うか、他人事の様な感覚と言うべきか、あの女占い師の話した内容に頭が向ってしまっていて、自分の身に起こった現実として上手く把握はあく出来ていないと言うべき感覚だ。

 隣のクラスのなんとか言う男子はプレイボーイだとか、別のクラスのなんとか言う女子は尻軽だとか、そう言った下世話な話が聞こえて来る。

 杞憂きゆうであればいいのだが、性欲旺盛せいよくおうせいな生徒の脳だとか股間こかんには、例の三尸と言う寄生虫が取り憑いていて、その気にさせている……

 私の頭の中には、そんな光景が広がる様でひたすら気分が陰鬱だった。

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