一話 ⑦
シラヌイは頷いて、声を張り返す。
「我が名はシラヌイ! 第十三代朱雀の頭領にして、緋眼の魔術師! 私の全てを賭して白虎の頭領に挑むことを誓う!」
アウラが微笑んだように見えた。
(手加減などできるはずもない。貴女は私が知る限り、最強の魔術師。最良にして最大の好敵手なのだから!)
シラヌイは魔力を漲らせる。
大気に宿る火の精霊たちが、シラヌイの魔力に呼応して熱を発し、景色が揺らめく。
対するアウラも魔力を高める。呼応した氷の精霊たちが空気を冷やし、細かな氷晶が月光に煌めく。
「
「
朱雀の頭領シラヌイ。白虎の頭領アウラ。百一回目の決闘の幕が開いた。
爆ぜ、凍る。
吹雪き、逆巻く。
ふたりの魔術は絶え間なく激突を繰り返し、決闘の荒野を焦がし、凍てつかせた。
(強い……!)
この一月、シラヌイは全ての時間を今日のために費やした。今までの自分の限界を超えられたという実感があった。
しかし、アウラもまた同じだけ強くなっていた。
「
「
互角。
「
「
術の威力も繰り出す速度も、互角。
しかし。
「
焼けて凍った地面から、十数本もの氷柱が生え出た。
シラヌイは歯噛みする。
場に宿る氷の精霊が力を増すほどに、相反する火の精霊の力は弱まってしまう。
「
シラヌイは氷柱を破壊するべく炎の津波を呼んだ。
炎に呑まれた氷柱が、溶けて砕けていく。
(な……!)
シラヌイは目を剥いた。
炎の津波に耐えた氷柱が数本。――相殺しきれなかった。
それは、アウラの術の威力が、シラヌイのそれを上回り始めたことを意味していた。
(均衡が崩れる……!)
このまま術のぶつけ合いを続けていれば、遠からずシラヌイのほうが押し負けることになるだろう。
(一気に決めるしかない……!)
この日のために編み出した新術の一つを繰り出すために、シラヌイは両足を地に据え付け、腰を落とした。
大きく息を吸い込みながら、魔力を練る。
「この世全ての紅よ、集え」
肺を熱気で満たしたシラヌイは、吸気を呼気に転じ、呪文を唱える。
通常、魔術師が術を行使する際には、呪文を詠唱する。呪文には、精神と魔力との接続を補助し、さらに魔力と精霊との同調を促す効果がある。しかし、呪文は必須というわけではない。熟練の魔術師であれば詠唱なしで術を使うことも可能だ。実際、シラヌイもアウラも、無詠唱で術の応酬を続けてきた。
だが、今、シラヌイが使おうとしているのは、極めて高度な精神集中と、精霊とのより深い同調を必要とする大魔術だ。緋眼持ちのシラヌイでさえ、詠唱なしでは使えない。足も止まってしまう。
シラヌイは緋眼を見開いて、壁のように立ちこめる蒸気を睨む。
足を止めての詠唱。つまり、今のシラヌイは隙だらけだ。今攻撃されたらひとたまりもない。アウラは当然、シラヌイの隙に気づいているはずだ。
蒸気の壁の向こうから、アウラが現れる。
シラヌイの視線を受けて、アウラは、
「無慈悲なる夜の女王が天球の星々に告げる。地は廻らず、時は凍るだろう」
胸の前で掌を合わせ、呪文の詠唱に入った。
シラヌイの大魔術に対し、彼女もまた大魔術で応じようというのだ。
シラヌイは心の中で笑む。
(貴女はいつだってそうだった)
力には力で。技には技で。大魔術には大魔術で。真っ向から受けて立つ。
だから、アウラのとの戦いは心が躍り、血が沸き立つのだ。
「紅は始原。紅は終焉。我が心の焦がれるままに、天を焦がし地を焦がせ」
シラヌイは頭上で組み合わせた左右の手を正面に振り下ろす。
拳の前に生まれた赤い光点が、周囲の火気を喰らって膨れ上がっていく。
「一切の希望は砕け散る。恒星は闇に堕ちる。命よ、永久の眠りに沈め」
アウラが合わせていた両の掌をそっと離す。その間に生まれた白い光点が、凄まじい冷気を放ち始める。
「
「
炎と氷。相反する二つの大魔術が解き放たれる。
火気を喰らって巨大な火球となった赤い光点は、自らが発する火気をも喰らってさらに膨張を続けながらアウラへと向かっていく。
一方、アウラが生んだ白い光点は、ただひたすらに発する冷気を強めながら、シラヌイに向かってくる。
劫火の如き炎とあらゆる生命を凍てつかせる絶対の冷気がぶつかり合う。
大きすぎる力の衝突に、地が震え、大気が絶叫する。
もし、二つの大魔術が相反する属性でなかったら、一帯の地形は変わっていただろう。
相反する属性は互いを打ち消し合う。
シラヌイの
相反していながらも均衡の取れた二つの大魔術は、地を深く抉りはしたものの、大規模な破壊をもたらすことはなく、多量の蒸気と化して一面を白く染め上げた。
(
シラヌイは片膝をついた。息が乱れ、目も霞んでいる。大魔術の使用で、抑え込んでいた疲労が一気に噴き出してきたのだ。
「ぐ……っ」
歯を食いしばって立ち上がる。
冷たい風が吹いた。蒸気が流れ、跳躍するアウラの姿が露わになる。
「
無数の氷の刃が、舞い踊るように複雑な軌道を描いて飛来する。
「
シラヌイは十数本の火線を網のように縦横に走らせ、氷の刃を迎え撃つ。
炎の網に触れた氷の刃は、蒸発――しない。火線を切り裂いて、シラヌイに迫る。
緋眼を大きく見開いたシラヌイに、氷の刃がザクザクと突き刺さる。
腕に、足に、腹に、胸に、そして喉にも。
「が……っ!」
再び片膝をついたシラヌイは、血を吐いてもう片方の膝をもついた。
生命感なく項垂れたシラヌイに、アウラがゆっくりと歩み寄る。
(え、え、え? 嘘? 嘘でしょ?)
シラヌイの前に立ったアウラは、狼狽えていた。
もちろん一切の手加減なく殺す気で撃った。しかし、シラヌイなら当然相殺するものと思っていた。
(そんなに消耗していたなんて……)
疲れているのはアウラも同じだった。戦いが始まって撃った術の回数は、軽く百を超えている。加えて大魔術だ。実際、アウラも肩で息をしている。
だが、戦いはまだまだ続くと思っていた。むしろ、ここからが本当の勝負だと。
なのに、シラヌイはアウラの術を相殺しきれず、両膝をついた格好で項垂れている。
「あ、あの、死んじゃったんですか……?」
それは、間抜けな問いかけだった。
生きていられる傷でないのは一目瞭然。
「そん、な……」
アウラはその場にがっくりと崩れて、両手で顔を覆った。
「シラヌイさんが死んでしまった……! 殺してしまった! わたしが……!」
アウラは泣いた。涙があふれて止まらない。
頭領になった時から、殺される覚悟も殺す覚悟もしていたはずなのに。
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