私がヒロインじゃダメですか?
Hellmär
サブヒロインじゃ終われない
わたしには生まれつき、ちょっと変わった力がある。
それは何かを主人公と設定すると、他の人の頭の上に、主人公となった人にとっての立ち位置が見えるというものだ。
家族などはファミリーだったりメインキャラ、友人ならフレンドと表示される。
わたしは物心ついてからずっとこの能力を持っていたので、特にそれが可笑しなことだとも思わずに使っていた。
でもある日を境に、わたしはこの能力が嫌いになった。
それは小学校の頃、一番仲の良かった友達のえとちゃんが自分をどう思っているのかが気になってしまい、こっそり能力を使ってえとちゃんを主人公に設定してみたことだった。
友達がフレンドなら親友とかはなんて表示されるのだろうかと軽く考えて自分の頭上を見たわたしの目には。
〝モブ〟
という2文字だけが浮かんでいた。
そう。わたしはえとちゃんにとって、友達ですらなかったのだ。
勝手に友達だと、一番の親友なのだと勘違いをしていただけだった。
目にいっぱいの涙を溜めたわたしは、わたしのことをモブキャラとしか認識していないえとちゃんの隣で、なんとか泣かずに愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。
その夜1人で泣いた後に、わたしはこんな力は二度と使わないと心に誓った。
そうしてこんな能力とあの事件のせいで、わたしは酷く内向的な性格に育ってしまった。
使わないと誓っておきながらも、少しでも仲良くなった子がいると本当に自分を友達と思ってくれているのか気になってしまって、結局は能力を使ってしまう。
それで自分が願っていた表示が出なくて落ち込んで、もう傷つきたくないから使わないと考えながらも能力を使わないと本当の友達かどうか信用できない。そんなジレンマに苛まれる続けて、わたしの人生はいつもどこか薄暗かった。
でも中学生のある日、わたしは出逢ってしまったのだ。
絶対に運命だと感じられる、どうしたって運命だと信じたくなる。
そんな、わたしの王子様に。
心臓を打ち抜かれたことはあるだろうか。
わたしにはそんな経験ないけれど、きっと、今みたいな衝撃を感じるのだろう。
彼を、あの人を見た瞬間に、わたしの胸は恋の弾丸に打ち抜かれてしまったのだから。
一目見て分かった。
ああきっと、わたしの心臓を打ち抜けるのはこの人だけなのだと。
胸は押さえていないと張り裂けてしまいそうなほどに苦しくなって、彼以外のものが全てなくなってしまったかのように周囲が見えなくなる。
これが一目惚れなのだと気付いたときにはもう、わたしの思考はピンク色に染められてしまっていた。
「どうしたの? 萌亜ちゃん」
隣で頭の上に【エターナルフレンド】と表示されている自分と同じで明るめの地毛が特徴的な女の子が、胸を押さえて呆然と立ち止まってしまったわたしに声を掛けるが、彼女の声は水の中にいるみたいに歪んで聞き取れなかった。
それだけ、わたしの思考はあの人だけに埋め尽くされていたのだ。彼以外の色が無くなって、世界から音が消えてしまう。五感の中で視覚だけが鮮明としていて、好きになった相手を見ることだけに全てを使い切ってしまっている。
緑がかった黒髪に、光の中に緑が散っているような双眸。高い背丈と、細身な体付き。世界を俯瞰して見ているような眼は冷たくはないけど、暖かさが足りないようで、なんだか温いといった印象を受けた。
学ランの下にパーカーを着ていて、着崩した制服の襟からフードが漏れ出ている。渡り廊下の窓から中庭を眺めるその姿は黄昏れているようで、酷く彼の印象とマッチしていた。
わたしはいつも、自分を主人公に設定している。この能力を他人に使うとろくなものが見えないからだ。自分から見た相手の立ち位置というのも場合によっては凄惨たるものであったりするのだが、オンオフが効かない力なので、必ず誰かに設定していないといけない。故にどちらがマシかと考えて、まだ他人からの自分のポジションを見ない方が良いと思ったのだ。
そしてわたしが一目惚れした相手は、確りと【運命の相手】と頭の上に表示されていた。
この能力は現在の立ち位置が分かるだけではなく、割とわたしの気分によって変動するのだが、隣の子のエターナルフレンドのように、未来のことも反映した表示を出してくれる。つまり運命の相手という表示は、おそらく将来自分が結ばれる相手ということに他ならないだろう。 わたしは歓喜に打ち震えそうになるのをなんとか堪えて、唐突に出逢ってしまった王子様になんと声を掛けたら良いのかと必死に悩む。
運命の相手とはいえ第一印象は重要だろうし、ロマンチックな出逢い方がしたいけど、もう居ても立っても居られない。一刻も早く彼の声を聴きたくて、一刻も早く彼に自分を認識して欲しい。
恋の衝動に突き動かされそうになったわたしは、でも燻るように内心に居座っていたネガティブな理性によって行動にストップをかけることが出来た。
意識的に、わたしは放課後のガラス窓に反射する自分を見る。
地毛の茶髪は三つ編みにされていて、元々長めの前髪のせいで顔がよく見えず暗そうなのに、野暮ったい大きな眼鏡が更なる陰湿な印象を与えている。背は少し丸まった猫背でなんだか肩身が狭そうに見え、挙動もどこかオドオドとしていてぎこちない。
まるでその明るめの髪の色と対を成すように暗い少女が、そこにはいた。
こんな自分を見て、彼はどう思うだろうか。とてもではないが、自分のように一目惚れはしないだろう。
そう考えたら急に怖くなってしまって、わたしは使わないと決めているのに、確認のためにとまた能力を使うことにした。
きっとそれを見れば安心できる。あの人に声をかける勇気を貰うことが出来る。
いったい自分はなんと表示されるのだろうか。彼の人生において、どういった立ち位置にいるのだろうか。
わたしの頭の中には珍しくも明るい未来が広がって、同じく【運命の相手】だとか一風変わった表示で【お姫様】だとか、もしかして【ヒロイン】などと表示されるかもしれないという期待でいっぱいになる。
主人公の設定を彼にしたわたしは、恐る恐ると、自分の頭の上に視線を動かしていく。
「わっ……やっ、たっ」
そう無意識に声に出してしまうくらい、それを見たわたしは嬉しかった。
【ヒロイン】
わたしの頭上には、確かにそう表示されていたのだ。
ヒロイン。わたしは彼の、あのわたしだけの王子様の、運命の相手なんだ。
きっとこれから、彼と恋愛映画ような物語が始まる。その最初のシーンが今で、これからわたしはなんとか彼に声をかけて、わたしの恋がさっき始まったみたいに、彼の恋がそこで始まるのだ。
もしかしたらわたしを好きになってくれるのはまだ先かもしれないけど、それでも彼の人生という物語においてのヒロインであるわたしを、ゆっくり時間をかけてでも、少しずつ好きになってくれる。彼が主人公でわたしがヒロインの、幸せに溢れた恋物語を紡ぐために。
法悦とした気分で幸福に浸るわたしは、けれどそのヒロインの表示の上にまだ文字が続いていることに気付いてしまった。
「……ん? あれ? え? あれれ?」
わたしの歓喜はまったくもってぬか喜びも良いところで、早とちりに過ぎるものだったのだ。
目の悪いわたしは眼鏡を擦って、その現実を受け入れるためによく目をこらして表示を見直してみる。
【サブヒロイン】
「えっ……さ、サブ?」
何度見ても、幾度見直しても、そこには〝サブ〟の二文字があった。
まるで受験番号がないことが分かった後も何度も確認してしまう受験生のように、わたしは何度も頭の上を見直して、見苦しくもそれを1分近く続けてしまった。
〝サブ〟。その二文字は、かつて見た〝モブ〟の二文字に似ているように思えて、わたしは心の中で幸福の二文字が燃えて、ふつふつと絶望の灰が降り積もっていくのを感じた。
ヒロインでも、サブ。サブヒロイン。一応ヒロインではあるが、ようはメインヒロインの為にいるような、勝ち目のないかませ犬。
わたしは光を失ったような眼で、再び放課後のガラス窓を見つめる。
そこにはやはり三つ編み眼鏡の、野暮ったくて地味な少女が映っていた。
そうだ。どうして気付かなかったのだろう。いや、目を背けたのだろうか。
こんなわたしが、あんな素敵な人に釣り合うはずがない。サブヒロインになれているだけ幸運というものなのだろう。
あの王子様はわたしだけのものではなかった。ただそれだけのことだ。わたしの他にも沢山のお姫様がいて、あの王子様はその中から最も気に入ったお姫様を選ぶ。ただその選ばれるお姫様がわたしではないということが、この力のせいで分かってしまった。よく考えてみなくとも、それだけのことなのだ。
こんなに地味で陰湿なわたしでは、王子様には選んで貰えない。もっとキラキラしていて、可愛い女の子が選ばれるのだ。
「……そんなの、いやです」
どんなことも直ぐに諦めてしまうわたしは、どうしてなのか、そのときだけは違った。
一度見てしまった、夢描いてしまった未来を、諦めようとは考えられなかった。始まったばかりの感情を、否定したくなかった。
「だってこんなのって、ないじゃないですか……」
ぐしゃぐしゃになるくらい強く、スカートを握りしめて。
自分に言い聞かせるように、言い訳の効かない宣言をするみたいに、わたしはぽつぽつと、悲しみに濁った声を零す。
「わたしだって、こんなわたしにだって……」
――メインヒロインになる資格が、あるはずなんだ。
そう思ったら、もううじうじしてなんていられなかった。
決めたんだ。わたしは、あの人のヒロインになる。
まだどんな人かだって知らないし、名前も分からない。
それでもこの一瞬で、貴方が運命だと思えたから。貴方だけが、わたしの運命の人なんだと確信できたから。
貴方にとってわたしが運命の相手じゃなくても、星のようにいる女の子の1人にすぎなくても、わたしにとっての運命は、貴方だけだと決めたから。
だから見つけて貰おう。その為に、変わろう。
いつの日か、それは夜空を仰ぎ見た時みたいに。めいっぱい輝く一等星になって、貴方に最初に見つけて貰う。
わたしは貴方の、一番星になってみせるから。
だから今日はまだ、運命の出逢いには早すぎた。
とびっきり可愛くなって、キラキラ輝くお姫様みたいな女の子になって、もう一度今日をやり直す。
貴方の心臓を撃ち抜けるような、最高に可愛いヒロインになって戻ってくる。
だからそれまで、今日のように黄昏れていてください。その退屈そうな表情をかき消してしまうくらいの、貴方のヒロインができあがるまで。
貴方に名前も性格も、存在だって知って貰えないのは悲しいけど、今はまだ準備が足りないから。運命の相手から遠ざかる。
涙目になりながらもきびすを返して渡り廊下を走り抜けるたわたしは、心の中で叫ぶんだ。
「――わたしはっ……!」
月虹(げつこう)神夜(しんや)は日常が嫌いだ。
いつも何かを求めるように虚空へと伸ばす右手は、けれど掴みたいものが漠然としすぎていて、空振りだって出来ずにだらりと落ちていく。
普通は嫌いだ。けどそうでないことがなんなのかが分からない。
アブノーマルに生きたいと願うが、ただ他人と違ければいいというものでもない。
出来るだけこの世界の少数派でいたい。常に昨日とは違うその日を過ごしたい。
新しいことを直ぐに始めたがって、だがそれまでやってきたことを捨てる気も無い。
そんな彼にとって、非日常という言葉は蠱惑的なものだった。
いつだってそれを求めているから、月虹神夜という少年にとって、それは信仰の対象ですらあったのだ。
半分外と言っていい屋根のない三階の渡り廊下は風が強く、彼はそこで勝手に捲られてしまうページを抑えながらに本を読むのが好きだった。
服と髪は常に微風に靡いていて、希に通り過ぎる一際強い風が彼の長めの前髪と付けられたままの単行本の帯やページをバラバラと乱す。
幻想愛好家なのにどこまでも現実主義者な彼は酷く矛盾しているような思考を持っていて、一見代わり映えしないような読書を趣味の一つとしていた。
同じ本は読まず、殆ど一日に一冊の本を読み切る。
読書に耽る彼の集中力は授業が始まったのにも気付かないほどで、クラスメートが声をかけようと教師が注意しようとページを捲る手が止まることは少ない。
けれどそんな彼の手と眼が、唐突に次のページに進むのを辞めた。
毎朝の通学路でも自宅のソファに座っているときも、夢の中ですら非日常になりえる変わったものを探す彼の眼にそれが映ったのは、仕組まれていたものだったが、それでも彼女は、それを運命と主張するだろう。
およそ現実の世界ではまずあり得ない、誰もが一目で染めたのだと理解できる、ピンク色の髪の毛。
ブリーチで傷んだ髪はどんなにトリートメントを確りしていても多少パサついてしまって、けれどそれは元来のものなのか、洗い立ての仔犬みたいにふわふわとした髪質だった。
膝上まで短く詰められたプリーツスカートと桃色のカーディガンを着た小柄な体躯は、その肩につくか付かないかくらいのミディアムショートヘアの髪質も相まってか小動物のような印象を彼女に持たせていて、身体は華奢だが、思わず抱きしめたくなるような柔らかさが見て分かる。全体的にほんわりとした雰囲気を纏っていた。
ぱっちり二重のくりくりとして丸っこい目と、整った顔のパーツ。白く手触りの良さそうな玉の肌には微かに化粧がなされていて、唇にはリップが塗られているのか艶めいている。
そんな少女が目の端に映ったから。刹那の間にそれだけの情報を得てしまえるくらい、時間が停滞したように、世界が長く彼女を見られるようにしてくれたみたいだったから。
月虹神夜は、本を閉じるのも忘れて振り向いた。
無意識といっていいほど自分でも気付かない間に、少女の方へと視線を動かしていた。
「ふふっ♪」
特徴的な声音の笑い声が鼓膜を震わせて、目は彼女の口元が緩んだのを捉えた。
なにがそんなに嬉しいのか、神夜が振り向いたこと自体を喜んでいるような彼女は、カーディガンの袖が長く小さな手が見えずに指だけがちょこんと出ていて萌え袖になっている手を後ろで組み、少しだけ前傾姿勢になると、キラキラと輝いているようなシアンピンクの瞳で、そっと彼を見つめた。
「こんにちはです。せんぱい」
それはずっと前から決まっていたような、声になるのを待ちわびていた言葉で。
やっとこれを言う資格が、準備が出来たと。少女は咲き誇るような笑みで、出逢いの言葉を謳った。
「貴方のヒロイン、朝日奈(あさひな)萌亜(もえあ)です♪」
可愛くなりたい。
そう思ったはいいものの、それは思っただけではどうにもならないもので、自分が努力をしたところで可愛くなれるのかというのがそもそもの疑問だった。
「可愛く、可愛く、可愛く……可愛いってなんだろう」
寝ても覚めても授業中も、可愛くなる方法を考える。スマートフォンで色々と調べながらどれから実戦しようかなどと迷い、一週間が経過した今では自分磨きを始めるどころか、一周回って可愛いの定義がなんなのかということ哲学するところにまで後退している始末である。
「ともちゃん……どうやったら可愛くなれるでしょうか?」
「可愛く? どうしたの萌亜ちゃん?」
【親友】と頭に表示されている、中学校に入ってからようやくできたわたしの唯一の友達である眞友(まとも)ちゃんが、普段の私なら絶対に言わないように事を口にしたことで眉を歪めて心配げな表情になった。
「わたし、可愛くなりたいんです」
「萌亜ちゃんは今のままでも可愛いと思うよ?」
「そういうのはいいです……わたしの言う可愛いは、えっと、その……男の人からそう思って貰えるようなもので……つまり……」
「好きな人でも出来たの?」
「そうなんです…………ううぇ!?」
ぼけっとしていたせいでつい返事をしてしまったわたしは、テンパりながらも否定の意味を込めて両手をぶんぶんと振るが、眞友ちゃんはうんうんと頷いて1人で納得してしまった。
「そっか。萌亜ちゃん好きな人が出来たんだね。それでぼうっとしちゃうなんて乙女だね。ねえねえ、誰なの? 教えてよ」
机に両手をついて迫ってくる眞友ちゃんに、わたしは引き気味になりながらも友達にバレたことが恥ずかしくて顔を赤らめるが、答えを催促してくる親友に押されて俯き気味になりながらも口を動かす。
「えっと……わかんないんです。その人のこと、なんにも知らなくて……」
「そうなの? なのに、好きになったの?」
「……はい」
「ふぅーん。同じ学校だよね? 何年生かくらいは知ってる?」
「さ、さあ……でも、きっと先輩です。ちょっと、大人っぽかったから……」
でもあの人には大人らしいというより、子供っぽくないといった印象を受けた。どこか年不相当な観念を持っているように見えたのだ。
「そっか。萌亜ちゃんは年上派だったんだね」
「そっそんなんじゃないです!」
自分の周囲にいる人たちとは違う様子に惹かれたのは事実だったが、それは歳が関係するものではない。彼が持っている、いや彼しか持っていないような雰囲気と、自分の心臓を打ち抜くようなドストライクな容貌に惚れたのだ。
だからきっと。
「……きっと、あの人が同い年でも、年下でも……好きになったと、思うんです」
数分も見ていないのにまぶたの裏に焼き付いてしまった想い人の姿を夢想しながら、目を閉じるようにして小声で呟いた。
そうすると眞友は少しだけ顔を赤くして、それを隠すように全身が疼いているように身もだえた。
「うぅー、乙女! 萌亜ちゃんすっごい乙女! もうかゆいくらいだよ!」
「そ、そうですか?」
「そうだよ!」
バンと机を叩いて主張してきた眞友はその音でクラス中の注目を集めてしまったことに気付いてコホンとわざとらしく咳払いをすると、腕を組んで片目を瞑り、内緒話をするみたいな声量で尋ねてくる。
「ねえ、そんなにかっこいいの?」
萌亜は遠慮気味にもこくりと頷く。
「……一目惚れ、しちゃうくらいです」
「そんなに? そこまでくると私も会ってみたいな」
「だっだめです!」
またも自分らしくない大声をだしてしまった。
「どうして?」
「とっ、ともちゃんが先輩を好きになっちゃったら、わたし困ります……」
あんなにかっこいいのだ。きっとこの親友も自分のように一目惚れしてしまう。先輩を見たら、同じように胸を打ち抜かれてしまう。それは嫌だ。
萌亜の脳内では1人の男性を親友と取り合う昼ドラが展開されていって、最終的に友情にひびが入ったどころではなくなり発展しすぎて先輩が刺されてしまいました。なんてとばっちりでしょうか。でも妄想だと刺したのはわたしです……女子力の高い眞友ちゃんに勝てるはずないのでつい。
「うぅ……ダメです。わたしじゃどうしても勝てません……ともちゃんが先輩と出逢わないようにしないと……」
こんな自分と友達になってくれるくらい性格が良くて顔も可愛くてついでに頭もいいのが眞友ちゃんなのだ。勝ち目がないどころか勝負にすらなりそうにありません。ほんと、どうしてこんな器量の良い子がわたしの友達なんてしてるんでしょうか。
眞友ちゃんの頭上に表示されている【親友】の表示を見ながらに、つい悪い癖で主人公を自分から眞友へと設定し直す。そうすれば自分の頭の上には同じく親友の文字、ではなく【一番の友達】と表示が切り替わっていて、親友と出ないあたりが眞友らしかった。
一番……なんて良い響きなんでしょう。わたしにとっても眞友ちゃんは一番の友達です。まあ、一番もなにも1人しか居ないんですけど。
とにかく! そんな眞友ちゃんと先輩をかけて争うなんて出来ません! その為にも早く先輩に認識されても良いくらい可愛くならないと!
「あぁ、これは重傷だなぁ……患いすぎだよ萌亜ちゃん」
1人で落ち込んだり奮起したりと忙しい萌亜を、眞友はなんとも言えない暖かな目で見守っていた。
取り敢えず眞友ちゃんに頼るのは辞めましょう。眞友ちゃんの女子力を真似してもわたしはその劣化コピーにしかなれません。
もっとこう、わたしらしさを失わない方法で可愛くなるには……。
「あっ……そうです」
「なにか思いついたの?」
「……いえ、その……非常に言いにくいんですけど。わたしによく似た可愛い子を知っているので……」
「ああぁ……そういうことね」
察したのだろう眞友も萌亜の考えに納得したようで、けれど萌亜は納得されてしまったことが恥ずかしかった。
自分で言っていてどうかと思うが、そうなのだ。わたしが見習うべき相手は、眞友ちゃんよりも近くに居たのだ。可愛い子がわたしによく似ていると自分で思ってしまっているということが自己評価が高いみたいで恥ずかしいが、そんなことは気にしていられない。
思いついたのなら行動あるのみと、萌亜は放課後になるといつもより早足で直帰した。
「萌瑠(もえる)~。お姉ちゃんを、萌瑠にしてください」
「何言ってるのお姉ちゃん……」
自分の部屋と似てぬいぐるみ過多な妹の部屋で、萌亜は一歳年下の妹に頭を下げていた。
萌亜と妹の部屋は隣り合っていて、淡いピンクの壁紙や薄桃色のベッドなどと同じ点が多い。しかし違いがあるとすれば、それは机の上やクローゼットの中だろうか。
親から買って貰った妹曰く「全部部屋着?」と馬鹿にされる自分のクローゼットの中身と比べて、萌瑠のクローゼットにはいかにも意識高めの女の子が着そうな色とりどりの洋服がハンガーに掛けられている。
他にも勉強道具や漫画くらいしか置いていない萌亜の机と比べ、萌瑠の机には友達や家族と撮った写真が貼り付けられたコルクボードやヘアアクセにネックレスと、最近の中学生はオシャレだなと一歳しか違わないのにジェネレーションギャップを感じてしまうほどに、萌亜と萌瑠の部屋には圧倒的な女子力的格差があった。
それは勿論容姿にも現れていて、自分と同じ明るめのブラウンの髪はよく手入れが行き届いているのかつやつやと頭に天使の輪を作っていて、思わずチラリと自分のくせっ毛な前髪を見て比べてしまう。髪質は同じなはずなのに、ここ数年で随分と差が付いてしまった。いつも萌瑠が使っているリンスも使わせて欲しいとお願いしなくてはと、まだ最初のお願いの返事も貰っていないのにお願いすることが増えた。
昔から双子と間違われるくらいには自分とそっくりなのでこう考えるのは恥ずかしいが、日本人離れした白い肌と整った顔立ちにはショートカットがよく似合っていて、いつも一、二歳下に見られる萌瑠の童顔な小顔を引き立てていた。同じ制服を着ている萌瑠だが、短くしているスカートといい髪型と言い、本当に自分のと同じセーラー服なのかと懐疑の念が生まれるくらいに可憐に見える。わたしが着るとどうしても野暮ったく見えてしまうのだ。
「ううぅ……萌瑠はなんでそんなに可愛いの……。でも、妹が可愛いならわたしも……」
どうして同じ親から瓜二つに生まれたというのにこうも差が出るのかと、努力をしようともしなかった過去の自分を呪いたくなるが、しかし萌亜の前には希望がある。
そう。自分とよく似た妹がこんなに可愛いのだ。それなら、わたしが可愛くなれないはずがない。わたしの到達目標は確りとした実態を持って目の前に存在しているのだから。
努力すれば報われると分かっていて努力するのと、結果が分からずに努力するのではやはり意識が違ってくるだろう。わたしは、妹を目指して頑張るのだ。
「うぅ、萌瑠~」
「どうしたのお姉ちゃん。最近思い悩んでるって顔に書いてあったけど、わたしになりたいとか言い出して。人生を一年前からやり直したいとか? 言っておくけどお姉ちゃんの人生は一年前に戻ったところでどうにもならないからね?」
あれ、萌瑠ってこんなに毒舌だったっけ……。わたしはよく話しているはずの妹に急にディスられて動揺したが、思ったことはズバズバ言う子だから事実を言ってるだけかもしれないと納得してからちょっとしょげた。
「うんう。違うの……えっと、萌瑠って可愛い、よね?」
「えっ、うん。そうだね。わたし可愛いよ? だってお姉ちゃんと違って色々頑張ってるもん」
「うっ……」
凄い……わたしも自分で自分のこと可愛いって言えるくらいになりたい。
妹のあまりのナルシストっぷりにドン引きを通り越して憧憬の念すら覚えたわたしは、ごにょごにょと羞恥心を堪えながら口を動かす。
「その、ほら。わたしと萌瑠って似てる、よね? 小さい頃にさ、髪型を同じにしたらママにも見分けが付かなかったくらいに」
「そうだね」
「だから、さ。その……わたしも、萌瑠みたいになれないかなー、って……思ったり。思わなかったり……やっぱり思ったりで……」
人差し指の先をツンツンと合わせながら、ベッドに座っている妹をチラチラと見る。
「じゃあ取り敢えずそのダサい眼鏡と三つ編み辞めたら?」
「ダサいって、これママが選んでくれたのに……」
眼鏡のフレームに触れて渋ると、萌瑠は憤懣気味にわたしから無理矢理眼鏡を取り上げた。
「もうっ。お母さんはセンスないの!」
「そうなんだ……」
ぼやけてしまった視界で、ベッドに座っている萌瑠は顔を近づけてわたしの顔を覗き込むように観察してくる。
「やっぱり。お姉ちゃん、その眼鏡が壊滅的に似合ってなかっただけで、外しただけでもうそこそこ可愛いよ」
「ほ、ほんと?!」
わたしは嬉しさで飛び上がんばかり喜んでから、妹にちょっと褒められたくらいでオーバーに喜んでいる自分が恥ずかしくなって三つ編みを手でいじくりながら元の姿勢へと戻った。
「ていうか、なんで急にオシャレに目覚めようとしてるの?」
「……その、ある人の……ヒロインになりたくて……」
「ヒロインって、漫画の読み過ぎ」
そう言われても、わたしの目には今も萌瑠の頭の上に【妹】と表示されているのが見えているのだ。今は自分が主人公に設定されているのでわたしの頭の上には何もないが、わたしは先輩を主人公に設定したときの自分の表示を【ヒロイン】にしたいから頑張るのであり、先ほどの言葉はなにも間違っていない。
「お姉ちゃんと一緒に服買いに行ったりしたかったからわたしも嬉しいけど、なら当分の間は告白しちゃダメだからね」
「どうしてですか?」
そもそも可愛くなるまで告白するつもりなど毛頭ないのだが、萌瑠が念を押してきたので首を傾げる。
「今のお姉ちゃんが告白してもフラれるだけだから。それでやっぱり服とかどうでもいいって考え直されるのも嫌だし」
「いっいくら何でもそれは酷いです! ……フラれるって、そんなの分からないじゃないですか!」
「お姉ちゃんが好きな人ってイケメン?」
「えっ……うん。ほんとに、すっごく、すっごく……かっこいいんです……はぁ……❤」
「ため息が出ちゃうくらいなんだ……なら尚更お姉ちゃんには無理だよ。いい、お姉ちゃん。美少年の隣には美少女しか立てないんだよ」
「それは……そうかもしれません」
しかし具体的に美少女と言われると自分がそこまでたどり着けるのか不安です。
「取り敢えずお母さんにコンタクト買って貰ってよ。学校ではまだ眼鏡でいいけど、勿体ないけど帰ったら毎日付けて慣れてね。お姉ちゃん内向的だし、家の中で可愛くなるところから始めよっか」
「よ、よろしくお願いします」
その日はスキンケアのことを教えて貰ったりクリームやリンスを貸してくれたりして、それと寝る前のストレッチを一緒にやりました。
身体は柔らかくなりそうですが、これで本当に可愛くなれるんでしょうか?
「可愛い女子になるには今風の女子と同じ事をすれば良いんだよ」
休日。妹から唐突にそんなことを言われて渋谷に連れてこられたわたしは、別に今時の女子になりたいわけではなかったけど、意識高い系にならないと可愛くなれないというようなことを言われ渋々苦手な人混みへと飛び込むことになった。
「えっと、具体的にはなにをすればいいんですか?」
「映える写真を撮りまくる。写真を取るのが習慣になれば、自然と自分を意識できるからね」
「な、なるほどです」
確かに最近の女の子って自撮りが好き、みたいなところがありますし、クラスでもそんな話を聞きました。盛れてるだとか盛れてないだとか。
「まずはそのダサいファッションをなんとかしないとね。お姉ちゃん、お金持ってきた?」
「はい」
特に趣味も無いわたしは月のお小遣いもろくに消費していなかったので、毎年のお年玉を含めて結構な金額が貯まっていました。
身長が殆ど同じなので萌瑠の服を貸してくれればいいと言ったけど、「いや」と一蹴りされてしまったのでわたしは妹と買い食いしながら春着を見て回ります。
「これ可愛い! 絶対わたしに似合う。つまりお姉ちゃんにも似合うよ?」
「そ、そうなんです?」
「そうなの」
「そうですか……」
「今度わたしのも貸してあげるから。これ着させてね」
なんだか自分の買いたい服を姉に買わせているだけのような気もしますが、萌瑠には色々と教えて貰っているからと、わたしは言われるがまま服を買っていきました。
「春とか秋の服って可愛いの沢山あるのに直ぐシーズン終わっちゃうんだよね。もっと長ければ良いのになぁ」
「萌瑠は物知りですね。どこでそんなこと知るんですか?」
我が家はスマートフォンは買い与えられているがTwitterやFacebookのなどのSNSの使用は禁止されている。ネットに個人情報をばらまくなと常々母が言っているからだ。
それなのにこの妹はどこからそんな情報を仕入れてくるのだろうか。
「雑誌とかかな? あとは友達と話してれば勝手に詳しくなるって。あっ。そっか、お姉ちゃん友達いないもんね」
「いますよ! ……1人だけ」
「はいはい。眞友さんでしょ? ほんと大事にしないと、眞友さんいなくなったらお姉ちゃん完全なるボッチだからね」
「大丈夫ですよ。ともちゃんは生涯の大親友ですから」
「お姉ちゃん、その頭の上に見えるっていう文字信用してるよね」
萌瑠はわたしの力のことを知っています。ママも知ってますけど、わたしの力のことを一番理解しているのは萌瑠です。萌瑠もちょっと変なものが見える子なので。
「気分によって漢字になったり英語になったりちょっと変わりますけど、今まで間違ってたことがないですからね」
「そうだろうけど、なんかそれのせいで人間関係が縛られてそうだから。あっ、もしかして好きになった人も頭の上に好きな人って書いてあったとか?」
「そんなんじゃありません。わたし、ほんとに一目惚れだったんです……だから、あの人の表示が【運命の相手】って見えたときは、嬉しかったんです。初めて、この力に感謝してしまうくらい……」
それを知れなかったら、きっとわたしは恋しただけで終わっていた。ただ焦がれて、好きになって、それでお終い。その人のために自分を変えようだなんて思いもしなかっただろう。今はまだサブヒロインですけど、それでも少しでも可能性があるって分かっただけでも良かったんです。
「お姉ちゃん、カフェよってこ」
歩き疲れたらしい萌瑠が指す方向を見て、不意にわたしは息をのむ。
自分とは殆ど関わらないけど、同じクラスの子などは【モブ】などと表示される。でもその更に下。たまたま同じ電車に乗った人や、ただすれ違っただけの人。普段の何でも無い日常の中にいる、意識だってしない人たちは、その人にとってもはやキャラクターでもない。だからただの背景という意味で【シーン】と表示されるのだが、初めて出歩く町には当然のように【シーン】しかいない。いない、はずだった。
それは真っ白な画用紙に落ちた一滴の淡い色みたいな、有象無象の背景の中にいると一際目立ってしまう、魅力的な言葉。緑がかった黒髪の上に表示された、【運命の人】。
「ぁっ……」
見つけた。
見つけてしまった。
本当に偶然。運命って感じてしまうくらい突然に。
貴方のことを考えていたら、貴方を見つけた。
「…………そっか」
でも、本当にわたしは、自分が彼にとってのサブヒロインでしかないことを自覚させられてしまう。
だっているのだ。彼の隣に。わたしがそこに居たいのに、今すぐにでもそこに行きたいのに。そんなこと知らないで、当然のようにカウンターに座って、わたしの運命の人の横顔を眺めていて、なにか歓談でもしているのか、時々クスリと笑う、亜麻色髪の可憐な少女が。
ああダメだ。わたしの目には、彼女のことが明確に【敵】と表示されている。でもバグったみたいに表示が揺れて、【嫌な女】【嫌いな奴】【消えて欲しい人】などとわたしの感情を映し出しているようなものに変わったり元の【敵】に戻ったりを繰り返していて、自分の醜い感情を見せられているようで、それ以上見ていることが出来なかった。
「お姉ちゃん?」
急に俯いたわたしを心配してか、下から顔を覗き込んできた萌瑠と目を合わせることも出来ず、わたしは妹の服の袖を掴んだ。
「萌瑠。今日はもう、帰りましょう……」
理由を尋ねようとしたのか薄く口を開いた萌瑠だったが、そこから問いが出てくることはなくて、何も言わずにわたしの手を引いて駅へと歩き出してくれた。
ああ、きっとわたしは病気なんだ。
だって貴方のことを、怖いくらい好きになっている。
自分以外が貴方の隣に居ることが耐えられない。あの光景を見ただけで話したこともない貴方への独占欲が膨れ上がって、酷く独善的な思考がわたしを支配してしまう。
でも、思うんです。
わたし以上に貴方を好きな人なんていないって、そう思ってしまうです。
それは理由になんてならないし、証明だって出来ないけど。この抑えることだって出来ない恋は、きっとわたしの命より重い感情なんです。
わたしはその日、自分がどうしようもなく救われない、治療法なんてまったく皆無の、重い重い不治の病なのだと理解した。
治すつもりなんてないけど、ただ移してやりたいと思った。
出来ることなら、あの人にもこの病を患わせてしまいたいと。
けど今のわたしじゃ全然足りないから。そして時間だけは、残されているから。
想い人に背を向けて逃げ出しながらも、わたしは俯いたままに呟く。
「……一目惚れさせてあげます」
こうしてわたしは、中学のうちに告白するのを諦めた。
先輩に一目惚れした渡り廊下で、先輩が黄昏れていた窓辺に、出来るだけ記憶の中の先輩と同じポーズをしてみる。
ついでに黄昏れてみようかとも思ったけど、そんなこと意識するまでもなく、あの日からわたしの心の中はずっと昏(くら)かった。
「はぁ……」
どうしてわたしは、こんなにも意気地なしなのだろうか。色々と言い訳を付けて、好きな人に逢おうとすることだって躊躇してしまう。こんな根が暗くて、これっぽっちの勇気だって持てない女の子を、先輩が好きになってくれるはずもないのに。いつか先輩に逢えるくらいの女の子になろうって言って可愛くなろうとするのも、結局は逃げなのだ。先輩に逢わないための、先輩に認識されないための。
だって、出逢ってしまったら引き返せない。逢ってしまって、無視されるのが嫌だから。告白して、振られるのが怖いから。わたしはいつも、そんなありもしないいつかばかりを考えて、それに怯えている。いつか、いつかって。変わってなんかくれない、凄惨な未来を先延ばしにしている。
嫌いだ。こんな運命が嫌いだ。こんな力が嫌いだ。そんなものに翻弄されて、弱気になって、諦めかけてしまっている自分も、大嫌いだ。
諦めてしまいたい。もう自分には無理なのだと。わたしなんかには高嶺の花でしかなくて、届かない人で、夢にみるくらいしか許されない人だったのだと、そう思ってしまいたい。
でも……できない。それが、できない。わたしの中で熱を持ち続けている、〝恋〟っていう感情が、それを許してくれない。
どうしようもないくらい、好きなんだって思ってしまう。諦めたくないくらい、本気なんだと自覚してしまう。
気付いたら、茜色の空も見えないくらい視界がぼやけていて。眼鏡は涙に濡れて酷い有様だった。
軽い嗚咽を漏らしながら、眼鏡を外して制服の袖を使って拭くわたしは、次から次へと頬を伝って流れ落ちてくる涙でまた眼鏡が濡れて、それを拭ってを繰り返した。
「あっ……」
何度も拭いた眼鏡を掛けたとき、反対側の渡り廊下を、先輩が通るのが見えた。
こんなに遠いのに。すれ違うでもなく、ただ遠目に見えただけなのに。また、心が痛いくらいに鼓動する。感情が溢れそうになってしまう。
貴方に好かれるために、変わりたいって、思えてしまう。
ああきっと、これからも弱音なんて何度だって吐くけど、結局はこうなるのだ。
黄昏れてなんていられない。
だってこんなので一々打ちひしがれていたら、恋なんて、始まらないから。
運命の人観察日記その1。
今日も先輩はかっこいい。すれ違いざまにこっそり見た横顔は知的で、とってもクールだった。今日も本を読んでいて、ページを捲る手はなんだかセクシーでした。
先生から聴いた話だと授業中でも堂々と本を読んでいて、注意すると教室を出て行ってしまうらしい。後を付けたところ図書室に入り浸っているらしく、ここ四ヶ月で図書室にいた日数は二十日を超えている。本が好きなのは間違いない。
「むっ。もうページがないですね……新しいノート買わないと」
「萌亜ちゃん……その日記帳は、なに?」
「ともちゃんにも言えません」
「そ、そっか……えっと、でも最近ずっと変なことしてない? 授業、途中からいない日も多いし。抜け出してなにしてるの?」
先輩の跡を付けています。なんて言ったらきっと眞友ちゃんはストーカー行為だとか注意してくるので、運命の人だからストーカーではないと主張するのも面倒なわたしは適当な言い訳を考えます。でもバカなのでいまいち良い答えが浮かびませんでした。
「えーと……ですね……校舎を、探検?」
「萌亜ちゃん。実は前からそれ書いてるとこ見えちゃってたんだけど……いくら好きでも、こっそり後を付けて観察するのはどうかと思うな」
「うっ……」
気付いてたんですか……流石眞友ちゃんです。
「そんなに好きなら告白しちゃえば良いんじゃない?」
それが当たり前だとでも言うように提案する眞友ちゃんに、わたしはがっくりと肩を落として項垂れる。
「それが出来たら苦労してませんし……こんなこともしてませんよ」
「そっか。でも、まずはお友達から始めてみたらどうかな? いつまでも跡を付けてるだけじゃどうにもならないよ?」
「そうですね。でもわたしは、先輩と運命的な出逢いがしたいんです。今はその為の準備期間中なので、まだわたしの存在に気付かれては困ります。まあ、あっちから気付いてくれたらそれが一番なんですが……」
「運命って、そんなこと言ってたら先輩卒業しちゃうよ?」
それでいいんですと、わたしは眞友ちゃんを見つめます。
「わたしは今のうちに可愛くなって、花々しい高校デビューをすると同時に先輩の彼女になるんです!」
そう。先ほども言いましたが、いまはその為の準備期間。そもそも運命の人観察日記を付けたのにも理由があるのです。
あれからわたしは妹の指南の元、若い間しか着られない服を着ろとフリルやレースの多めなアクシーズとかフェイバリットの服を沢山買って、千円カットではなく美容院に通わされ、漫画ではなくファッション雑誌を読まされてきました。でも少女漫画は読んで、可愛くなった後にどう出逢おうかと妄想したり、可愛い仕草を練習したりもしました。
すると自然と、一日に鏡を見る回数が増えていきました。
以前は気にしなかった前髪のちょっとした跳ねとか、服のしわとか、立ち方や座ったときの姿勢に至るまで。いままで思考の片隅くらいにしかなかったことが気になり始めて、また周囲の子がどんな服を着ていてどんな髪型をしているのかも見るようになった。そうしたら急に今までの無頓着な自分が恥ずかしくなってきて、より可愛く、そしてより先輩の理想の女の子に近づくにはどうしたらいいのかと考えることが出来るようになりました。
でもわたしは途中で気付いたんです。
「先輩の理想って、なんでしょう?」
そもそもわたしは、先輩のことを知らなすぎるということに。
名前も知らないと思い出した時には流石に自分で自分に幻滅しました。こんなんじゃ先輩に好きになって貰うなんて夢のまた夢。どうにかして、先輩の情報を入手しなければならない。
しかし運命的に出逢いたいので素直に聴きに行けないわたしはどうしたら良いのかと迷いに迷い、妹にそれとなく相談したりググってみたり恋愛マニュアルを読んで途中で寝てしまったりしながら、ある日無意識に先輩を目で追っている自分に気付いて閃いたのです。
こっそり観察していれば、先輩のことを知れるのではと。
そういった経緯で、あと少しで三冊目に突入しようとしているこの運命の人観察日記が書かれることになったのです。
「でもそれだと萌亜ちゃん大変だね」
「? なんでですか?」
何かを心配している様子の眞友ちゃんの心意が変わらず首を傾げる。
「だって、その先輩って本ばっかり読んでて頭よさそうって書いてるよね。なら、きっと高校も偏差値の高いところに行くんじゃないかな」
「えっ……」
「だから、萌亜ちゃんも同じ高校に行きたいなら沢山勉強しなくちゃだなって」
まったく想定していなかった障害に気付かされ、わたしは暫く唖然とした。
どうやらわたしは顔面偏差値だけではなく、本来の偏差値も大幅に上げなければいけないようだったのです。
「なんということでしょう……前途多難です」
「勉強なら、私でよければ少しは力になれると思うな」
項垂れたわたしの肩に手を置いてそう励ましてくれる眞友ちゃんはとても頭が良く、今までも何度もテスト前に助けて貰っていたわたしは、今から眞友ちゃんに手伝って貰って頑張ればきっと目指す高校にも入れると立ち上がります。
「ともちゃん! わたし頑張ります! 頑張って勉強して、先輩と同じ高校に行くんです!」
まず先輩が行く高校を知らないとですね。
運命の人観察日記その6。
当然だとは思うのですが、先輩は結構モテていました。
好きな人が他の女の子にも好かれているというのは嫌なような嬉しいような複雑な心境です。しかしミディアムショートの女は以前スタバで見ましたがあの金髪ショートの女は誰ですか。怖くて表示も見れません。でも3人で仲良くしているのを見るにどちらか片方と付き合っているという感じではありませんでした。そこは安心です。
先輩はカッコいいので周りに可愛い女の子がいるのは当たり前です。
だから親しげなショートカット女がいても気にしません……気にしないんです。気にしないように……。
「誰ですかあの女! ベタベタ先輩とスキンシップして! あり得ません! 不純です! わたしもやりたいです!」
最後の方は本音が漏れましたが仕方ありません。まるで挨拶みたいなノリでハグなんてしてるんですもん。アメリカ人かと思いましたよ。もしやあの金髪は地毛ですか。
「なんなんですかいつもいつも一緒にいて! なんですかその幼馴染みみたいなポジションは!? なんでわたしがそこにいないんですか! あのゆるふわショートと金髪ショートとわたしの違いってなんです! てか先輩はショートカットが好きなんですか!? 美容室予約しましょう髪を切ります!」
「支離滅裂過ぎるよ萌亜ちゃん……」
ミスタードーナツで3杯目のカフェオレのお代わりを貰うくらいの時間眞友ちゃんに愚痴を聞いて貰い、ようやく落ち着いたわたしはイチゴ味のポン・デ・リングの最後の一欠片を口に押し込みました。
「ていうか、萌亜ちゃんって最近性格変わった? 前はもっと落ち着いてたよね?」
「どうでしょう? 性格も可愛くなろうとしてるんですが、意識しないと出来ないのでなかなか難しいです。だから最近はもう諦めてたんですけど、ちょっと脳天気だったり純粋な子は可愛いと本で読んだので思ったこと全部言うようにしたんです。どうでしょうか?」
「そういえば、萌亜ちゃん前からLINEでは結構饒舌だったもんね。そう考えると、別に変わったわけじゃないのかな? うん。良いと思うよ。ちょっと騒がしすぎる気もするけど……」
「そですか! ありがとうですともちゃん!」
最後の方は声が小さくて聞こえませんでしたが、とにかく褒められたのでわたしは今の自分に自信を持てそうです。方向性は間違ってない。そう信じましょう。
物静かな先輩には元気な女の子がお似合いのはずです!
運命の人観察日記その15。
元々休みがちでしたけど、ここ最近はまったく先輩を見ません。
何かあったんでしょうか?
運命の人観察日記その16。
ついに先輩が卒業してしまいます……これほどの絶望を感じたことが過去あったでしょうか? いえありました。サブって書いてあったときの方が絶望でした。
この運命の人観察日記もこれで最後かと思うと悲しいです。あと1年は書けなくなってしまいます。先輩を1年間も見ることが出来ないとかどういうことですか。どうしてわたしはあと1年早く生まれなかったのでしょうとどうしようもない後悔をするばかりです。
というか先輩の第二ボタンが欲しいです。欲しすぎます。メルカリとかに出品されないでしょうか?
「はぁ……第二ボタン、欲しかったです」
かっこいい先輩のことです。早くもらいに行かないと他の女の子に取られてしまうでしょう。でもここまで我慢してきたのに今更会いに行くわけにも行きません。
「どうしましょう……」
どうして好きな人の第二ボタンを貰うのかは分かりませんが、きっとそれは素敵な恋のアイテムなんです。持っていたら片想いをより鮮やかに振り返れるような、そんな魔法のボタン。
卒業生に歌を歌ったりPTA会長が演説したりしながらそんなことを考えていると、ついに先輩が名前を呼ばれて卒業証書を貰ってしまし、校歌斉唱が終わると卒業生達は体育館を出て行ってしまいました。
わたしは泣いていたり楽しそうに話していたりする卒業生達を見て溜め息を吐き、見失ってしまった先輩は今ごろ全てのボタンを女子生徒達に奪われているに違いないと諦め、1人二階の教室から校庭を眺めていることにしました。
「はぁ……やっぱり、運命の出逢いなんて気にしなければよかったです」
「どうして?」
「だって先輩の第二ボタンが貰えないんです……って、ともちゃんいたんですか」
「うん。あとね。はい、これ」
握った手を差し出してきた眞友ちゃんが何かを渡そうとしてくれていることを察したわたしが手を出すと、眞友ちゃんはすっとわたしの手のひらにそれを起きました。
ちょっとくすんでいるけど、金色に輝く、この中学校の校章である彼岸花が描かれたボタンを。
「えぇっ!? これどうしたんですか?!」
この状況と眞友ちゃんの和やかな表情からこれが先輩の第二ボタンであると察したわたしは、驚きの余りそれを取り落としそうになりながらも食い入るように眞友ちゃんを見入ります。
「萌亜ちゃん、ずっと欲しがってたでしょ? でもまだ自信が無いから逢えないんだよね。だから代わりに貰ってきたんだ」
あまりの嬉しさにわたしは眞友ちゃんの手を取って立ち上がりました。
「ともちゃん! これほど親友がともちゃんで良かったと思った日はありません!」
「あはは……それはそれでちょっと嫌かな……」
眞友ちゃんは微妙に嬉しくなさそうな顔をした。
「でもなんて言って貰ったんですか? まさか告白して……」
「うんう。私の友達が先輩のことを恋を通り越して愛しちゃってるんですけど、人見知りで会いに来れないから代わりに貰いに来ましたって言ったよ」
「そっ、それでくれたんです?」
「うん。それが証拠だよね」
視線が何度か眞友ちゃんと第二ボタンとを行き来してから、ともちゃんが嘘を吐く理由なんてないと。ぎゅっと第二ボタンを握りしめます。
「ありがとうですともちゃん! わたしこれに誓います! あと1年頑張って、先輩に一目惚れされるくらいの女の子になってみせるって!」
そう意気込んだわたしに、眞友ちゃんは笑顔で現実を告げてきます。
「うん。でもその前に勉強しないとね。月虹先輩、深桜高校っていう進学校にいったみたいだから。今の萌亜ちゃんじゃ逆立ちしても入れないよ?」
「うっ……そうでした。でも逆立ちしてもムリなら、この星をひっくり返すまでです!」
「あはは……こんなんで大丈夫かな」
まだわたしには可愛さも偏差値も足りていませんが、全部この先輩への気持ちでなんとかして見せます!
勉強は辛い。一周回って楽しいと感じ始めても二時間後にはそれが勘違いだったと気付く。
授業をちゃんと聴いて、眞友ちゃんと同じ塾に通い、夏期講習も受けた。
先輩を見られず近くにいなさすぎたせいで出てきた禁断症状には以前盗撮した横顔を見ることによってなんとか対処し、薄暗い部屋で写真を見つめながらブツブツと1人呟いているところを母に見られて勉強のしすぎだと教材を取り上げられそうにもなったが、それも机に齧り付くように母の脚にしがみつくことでなんとかなった。
その間も自分磨きを怠ったことはなかったが、中学三年生の1年間は殆どを勉強につぎ込んだと言っても良いだろう。クラス替えはあったのに眞友ちゃん意外のクラスメートが全員【シーン】になっているくには誰とも関わらず勉強ばかりしていた。
読む本も漫画ではなく参考書と赤本になり、スマホを見ていてもYouTubeやゲームではなくネット授業を見ていた。
「お姉ちゃん。なんでそんなに勉強できるの?」
「愛のためです……」
「まだ見向きもされてないのによくやるね……」
「見向きされるためにやってるんです……でも更にそのまえに同じ高校に行かないと、なにも始まりません」
「始まるもなにも、このままだとお姉ちゃんの人生終わっちゃいそうだけど……」
過労死ならぬ過勉死しそうな姉を心配する萌瑠と話ながらもシャーペンを動かし続けるわたしは、今日が大晦日だというのに紅白も見ずに勉強しています。受験まであと数週間。いよいよい時間がありません。
「萌亜~。眞友ちゃん来てるわよ~」
ほわほわとした母の声にそういえば眞友ちゃんと一緒に初詣に行こうと約束していたことを思い出します。紅白は見ていられませんが、日本人結局最後は神頼みです。一応神社に合格祈願にいかないといけません。
眞友ちゃんと萌瑠とわたしの3人で母が運転するシルバーのBMWに乗り込み、湯島天神へ向かいます。
「萌亜ちゃん。ちゃんと寝てないよね。隈凄いよ?」
「ともちゃんはしてないんですか? あと二週間ですよ?」
「私は推薦取れたから」
「うっ……これが1年漬けと元々勉強していた者の差ですか」
車酔いするタイプだというのに吐きそうになりながらも赤本を読むわたしは、酔って気持ち悪いのと親友の余裕の様を見た二つの意味で項垂れました。
「でもこの前の模試はB判定だったし、萌亜ちゃん頑張ったから。充分合格できると思うよ」
「Aじゃないじゃないですか。万が一にも落ちると困るんです……1年浪人でもしたらそれだけ先輩と一緒にいられる時間が減ります」
「1年近く逢ってないのにその好感度を保てるのは凄いね……」
本当ですよ。もうわたしの記憶にある先輩の記憶は一年前のものです。いまはもっとかっこよくなっているんでしょうか? 早く逢って先輩メモリーを更新したいです。
「ほんと、お姉ちゃんをこんなにしちゃうなんて、どんな人なんですか? 月虹先輩って。わたし遠目に見たことくらいしかなくて」
「さあ、どうなんだろうね。私も詳しくは知らないから。……でも、悪い人じゃないのは確かだよ」
「どうして分かるんですか?」
「1回だけ、話したことあるんだけどね……」
微かに頬を染めて話し出す眞友ちゃんの姿にもの申したいことは多々ありますが、わたしは車酔いと寝不足のせいでダウンしてしまい、起きたのは神社に着いたときでした。
五円玉を放り投げて両手を合わせ、ここ1年の猛勉強の時ですらしなかった程に真剣な表情で、わたしは神様にお願いします。
「先輩に彼女が出来てたりしませんように……」
「萌亜ちゃん……受験のことお願いしようよ」
せっかく勉学の神様のところに来たのにと眞友ちゃんに呆れられたので、ついでに「先輩と同じ学校に受かりますように」とお願いしておきます。
「あ、おみくじあるよ萌亜ちゃん。引いてこ?」
「そうですね。目指せ大吉です!」
車の中で寝れたので意識のすっきりしているわたしは眞友ちゃんと列に並んでおみくじを買い、一斉のせで一緒に開きます。
「やった。私は大吉だよ」
「わたしは……中吉ですか。微妙ですね、吉とどっちが上なんでしょうか?」
まあ重要なのは書いてあることだとどこかのバラエティ番組で聞いたことがあります。
「えーと恋愛運は……」
「私は運命の人にはもう出逢っています、だって」
「…………」
「どうしたの萌亜ちゃん?」
急に言葉を無くしたわたしに、眞友ちゃんが顔を近づけておみくじを読む。
恋愛運 『諦めなさい』
「えーと……これは……」
「いいんです、ともちゃん。わたしはおみくじの言葉くらい覆します」
「強がらなくていいんだよ!? な、泣きそうだよ萌亜ちゃん! 悪いおみくじは神社に置いていった方が良いって言うし、ほら、あそこに結んでいこう!」
「でもこれ、学問が『努力が報われる』なんです……」
「うっ……それは、どうしようね……」
眞友ちゃんも真剣に迷っているようでした。でも、どうするかなんてとっくに決まってるんです。
「いえ、迷う必要なんてありません。今年は勉強より恋愛です! こんなの置いていきます!」
そう決めて神社におみくじを結びました。でもこれがいけなかったのでしょうか。無事に受験を終えたわたしは、結果を見に行く時にとんだ不幸に見舞われてしまうのです。
「ぐわあぁぁぁぁぁ! ない! ないない! ないです! 受験票が見つかりません! どこ行ったんですか! 自分の番号なんて覚えてません! というか受かってたとしても受験票なかったら無効とかないですよね!」
頭を抱えて部屋中を探し回るわたしは、そろそろ発表の時間だというのにまだ家から出られてもいません。母と妹と眞友ちゃんが頑張って探してくれていますが、もう3時間も探し尽くしたわたしは諦めムードです。
「もう行こう萌亜ちゃん。無くても大丈夫だよ。萌亜ちゃんの席私の後ろだったから私の一つ下の番号だし、ちゃんと無くしたって言えばなんとかなると思うよ?」
「でも、でもこれでどうにもならなかったらどうしましょう! わたしの努力はなんだったんですか! なんで無くすんですかわたし! いえそもそもが受かってるんでしょうか……? 受かってもないのに受験票探し回ってたって分かったら死にたくなりそうです……」
「大丈夫だから。そんなに心配しないで? ほら、行こう萌亜ちゃん」
何度も励ましてくれる眞友ちゃんに、受かっているのが確定とはいえ眞友ちゃんも発表を見に行きたいのだし、これ以上駄々をこねる訳にもいかないと、わたしは力なく立ち上がって眞友ちゃんと一緒に家を出ます。
運が良いことに深桜高校は徒歩圏内なので電車を使う必要もないのですが、今は遠ければ良かったのにと思ってしまいます。近すぎるので、一歩進むごとに不合格という事実に近づいて行っているように感じるからです。
「ちょっと休憩していく?」
「そうします……」
学校が目前に見えるブランコと砂場、滑り台と鉄棒しかないありきたりな公園で心を落ち着けるために一休みします。公園からは合格発表を見に行った受験生達がそれぞれ違った表情で帰って行くのが見えて、自然と俯いていたり涙していたりする人にばかり目が行ってしまいます。まるで数分後の自分を見ているような気さえしました。
「待っててね萌亜ちゃん。ちょっと飲み物買ってくるから」
自販機を探して駆けていく眞友ちゃんの背中を目で負ってから、またわたしは深く俯いて、最近は切ってない髪が顔を隠すようにパサリと垂れました。
「落ちたのか」
「いえ、まだ見てません……でも、きっと落ちてます……」
「なら、見て来いよ。お前、また俺の後輩になってるかも知れないんだろ」
誰かと自然と会話してしていたことにやっと気づけて、わたしははっと顔を上げます。
ベンチに座るわたしからでは後ろ姿しか見えませんでしたが、鉄棒に寄りかかって制服を着た背中を向けているウルフカットの少年の髪は緑がかった黒色で、その頭の上には、【わたしの主人公(ヒーロー)】と出ていたから。
思えばちゃんと声を聴いたのはこれが初めてで。でも……それでも直ぐに、分かりました。
「せん、ぱい……なんで、こんなところに……」
「仲間の妹が受かってるかどうか見に来たんだ。まあ本人は見つからなかったが、受かってるのは確認できた」
小さな呟きに答えてくれた先輩は、わたしのことを見ることもなく、鉄棒から背中を離して歩いて行く。
「神夜。知り合いかい?」
「いや、話したこともない。ただ、後輩なんだ。それより摂午(しようご)、トキは何処に行った」
「君が知らなかったら当然俺も知らないだろう」
恐らくギターが入っているのだろう楽器ケースを背負った金のメッシュが入った髪の少年と落ち合った先輩は、そのまま公園を後にしようとした。
「あ、あの!」
何か言わなきゃと突発的に取った行動だったが、立ち上がって声をかけたいが次の言葉が何一つ浮かんでこない。
でも先輩は振り返らずとも足を止めてくれたから、ありもしないのに振り絞った言葉が。
「好きな色とか、あります、か……?」
そんな、良い天気の日に今日は青空だねとでも言うような、意味があるのかもよく分からない質問になってしまった、
「あお……いや、桃色じゃないか」
答えて直ぐに歩き出してしまう先輩をそれ以上引き留める理由は思いつかなくて、先輩の顔もよく見えなかったわたしは、それでも話せたことが、また偶然出逢えたことが嬉しくて、先ほどとは打って変わってニヤけ顔になってしまい戻ってきた眞友ちゃんに不思議そうな表情をさせてしまいました。
桃色。つまり、ピンクって、ことでしょうか?
余りにも外見に似合わない意外な答えでしたが、可愛い色です。
「萌亜ちゃん! 私の番号の下! あるよ! きっと萌亜ちゃんの番号だよ!」
「ほ、ほんとですか? 目の錯覚じゃないですよね?」
八度くらい再確認してから2人で先生のところへ行きますが、受かっているとは思うが受験票を無くしたのでよく分からないと話したら入学する前から呆れられてしまったが、それでも名前を言ったらちゃんと受かっていることが分かって、必要な書類などを貰えた。
「良かったね萌亜ちゃん。たくさん勉強頑張った成果だよ」
「ほんとです。まだいまいち受かった実感が湧きませんが……」
眞友ちゃんと一緒に何度も合格者の受験番号が張り出されているボードの前で写真を撮って、家族に合格報告をしようと萌瑠に電話します。
「萌瑠ですか? お姉ちゃん受かってました! あと受験票はなくてもなんとかなりました」
『お姉ちゃんでも受かれたんだ。わたしも来年そこにしようかな。あんなに勉強するの嫌だけど。あ、私の番来たから切るね』
「むぅ。姉が念願の高校に合格したって言うのに薄情ですね。萌瑠はどこにいるんですか?」
『いつもの美容室』
美容室ですか。わたしもそろそろ髪切らないとですし、先輩のいる高校に行けるんですからとびっきり可愛い髪に……。
「そうです」
閃いたわたしは貰った封筒を急いで鞄にしまいます。
「どうしたの?」
「わたしやることが出来たので帰ります。お祝いは明日しましょう」
「え?」
眞友ちゃんを置いて高校を後にしたわたしは、予約の電話をしながらに目的地へと駆けていきます。
合格したということはもう高校デビューまで間近ということ。あと3ヶ月で先輩にわたしを好きにさせちゃうくらい可愛くならないといけません。その為には先輩の好みの女の子になるのが一番で、好みに近づくには当然内面より外見。取り敢えずは髪型です。
周りにいた女の子達から考えるに先輩はショートカットが好き。そして今の茶髪ではインパクトがいまいち。幸いあの高校は髪型髪色に関する校則がありません。どんな髪色にしても親に電話がいくくらいだと聴きました。
そうです。つまりわたしがなるべき髪色は。
「ピィィィィンク!!」
美容室の扉を開けながらにそう叫んだわたしの声は美容室中に広がり、ジブリ感のある内装の美容室にいた店員と客は揃ってびくりと肩を振るわせていた。
「ど、どうしたのお姉ちゃん……勉強のしすぎて壊れた?」
幾つかの髪留めで髪を纏められている、まさに今から切られるところらしい萌瑠の隣の席に座ったわたしは、もう2年通い続けているので顔見知りの女性店員に注文します。
「バッサリ切って可愛いブランカットショートで! 髪色は思いっきりブリーチしていいので明るめのピンクです! あっ、妹も同じでお願いします」
「なんでわたしも巻き込むの!」
「ピンクが似合うファッションなんて分からないじゃないですか。お手本として同じ髪にして色々教えてください。萌瑠も前に双子コーデがしたいと言っていたじゃないですか」
「わたし今年1年はまだ中学生なんだけど……」
「あの学校緩いのでなんとかなりますよ」
無責任なことを言う姉にジト目を向ける萌瑠だったが、直ぐに観念したように溜め息を吐いた。
「もうっ。別にいいよ。お姉ちゃんと同じで。わたしも1回染めてみたかったし」
「さすが萌瑠です♪」
うん? 今のイントネーションいいですね。可愛いかもです。
ピンクが入るまで髪の色素を抜くのには時間が掛かり、ブリーチを繰り返して四時間も椅子に縛り付けられていたわたしは、妹共々見事な桃色髪になりました。
「ふっふっふっ。これで先輩も振り向くこと間違いなしですね♪」
「そりゃあこれだけ派手なら振り向くかもね……これ授業出られるかな」
ブリーチのしすぎで傷んだ髪の毛に触れて不安そうな顔になる萌瑠の心配をよそに、わたしも自分の髪に触れて何度か手櫛をします。案の定直ぐに指が引っかかりました。
「しかしアレですね。髪がギチギチいいます……」
「帰りに良いリンス買ってこ。ブリーチって髪の色素殺してるってことだから。わたしたちの髪は今死んでるんだよ」
「な、なんと……はやく生き返してあげないとです」
「お姉ちゃん。ちょっと前からだけど、なんか話し方バカっぽくなってない?」
「可愛くないですか?」
「人によると思うけど」
萌瑠の評価はイマイチでしたが今更方向転換も出来ません。このまま突っ走ります。
入学式は4月9日。あと3ヶ月近くの日々は、努力を怠らずにひたすら可愛さの為に精進です。頑張れわたし! ファイトです萌亜!
淡青色のワイシャツに、短くした青と黒のチェックスカート。ブレザーは脱いで、自前で買った桃色のカーディガンを羽織る。カーディガンの袖は長めにして、指が少し見えるくらいに調節した。
よく見ないと分からない程度の薄い化粧を確認して、まだ生き返ったとはいえない髪を整えるために甘い香りのするオイルを少し手に付けて塗り、パサついてふわふわした髪に少しでも艶を取り戻しておく。
切りっぱなしのショートヘアはつい先日美容室で切ってきたばかりで、自分的には最高に可愛い長さだ。
中学の頃も休みがちだったから今日はいないかも知れないけど、それでもわたしは、校舎の中をゆったりと歩く。
きっと今日、彼はこの校舎に来ている。まだ逢ったことに気付いてすらないわたしを待っているみたいに、何処かで本でも読んでいるのだろう。
だから今日が、わたしと貴方の本当の出逢い。
貴方と出逢うのを諦めた、あの日のやり直しだ。
今のわたしは、貴方と逢うことが怖くない。むしろ早く逢いたいと、無意識に脚は早くなっていって、軽い駆け足で貴方のいる何処かへと向かってしまう。
ああ、そして。やっぱり、貴方はいた。
まるで今日まで、あの日からずっと待っていてくれているみたいに。渡り廊下で1人、同じ姿勢で本を読んでいた。
見つけた。ついに、見つけてしまった。
故意に見つけたのだけど、それでもこれがまるで偶然で、はたかも運命であったかのように、わたしは何気ない表情で、軽やかな足取りで貴方へと近づいた。
神様が応援してくれているみたいに一陣の風が吹いて、貴方の髪が揺れた。
そして一瞬本から目を話した貴方の瞳が、わたしの姿を捉える。
貴方は、振り返ってくれた。わたしに、目を向けてくれた。
「ふふっ♪」
たったそれだけのことが自分でも信じられないくらい嬉しくて、つい口元が緩んでしまった。
でも貴方に最初に見せるのは最高の笑顔だと、手を後ろで組んだわたしは。
ずっと前から決めていた言葉を。何度だって空想した、思い描き続けた言葉を口にするんだ。
「こんにちはです。せんぱい」
それはずっと前から決まっていたような、声になるのを待ちわびていた言葉で。
やっとこれを言う資格が、準備が出来たと。わたしは咲き誇るような笑みで、出逢いの言葉を謳う。
「貴方のヒロイン。朝日奈萌亜です♪」
【王子様(意地悪)】
ん?
なんです? その表示。
完璧な出逢いを決めたわたしの目にとまったのは、以前見た【運命の相手】とは違った表示で、気分によって多少変化があるとはいえ、王子様はいいとして不吉なカッコ(())の内容が気になって仕方ありません。
「ようやく姿を見せたと思ったら、なんだその意味の分からない自己紹介は」
「えっ……? え? え? よ、ようやくって?」
間の抜けた顔になってから先輩の言葉の意味が理解できずに焦るわたしに、先輩は詰め寄って顔を覗き込んできます。
「うひっ……!」
「最初はイメチェンのしすぎで気付かなかったが、やはりか」
なにがやっぱりなのでしょうか? あ、もしや先輩もわたしのことを運命の相手と認識してくれたり? な訳ないですね。
自分に都合の良いような妄想を膨らませながら、間近で見る先輩の顔にドギマギしているわたしの頭を、先輩はがっしりと掴んできます。
「へうっ……! な、なんですかなんなんですか!? 萌亜なにかしましたか?!」
「ピンク頭になった程度で誤魔化せると思ったか。この――」
次の言葉でわたしは全てを理解することになります。中学時代隠れ続けているつもりでいた努力が無駄であったと言うことと。
「――ストーカーが」
ちょっと出逢い方を間違えたかも知れないという事実に。
ああ、誰かタイムマシンをください。そしたらあの日に戻って、可愛くなくても取り敢えずと、ストーカーになる前に先輩と出逢うので。
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