前日譚、side神木零次 2死んででも

 目が覚めた。四メートル四方ほどの暗い部屋だった。ボロボロのカーテンは閉まっていて、一切日の光が入ってくる様子がない。辺りを見回すと、同じく朽ち果てた机と椅子、ベッド、家具一式。ドアの金具は錆びついている。植木鉢に観葉植物。枯れているように……


 同じだ、と神木は思った。これは確かに、さっき一度見た光景。自分はさっき殺された。白いワンピースを来た化け物に。なんだよ白いワンピースを着た化け物って。


「……外に出よう」


 なぜ自分が殺されなければならないのかも、なぜ自分が元いた部屋に戻っているのかも、全く分からない。でも、部屋の中にうずくまっているだけでは事態が好転しないことは何となく分かる。


 神木はふと「普通の人」のことを考えた。もし自分が普通の人なら、自分が少しずつ食べられる映像を見せられたら一生トラウマになるんじゃないだろうか。


「……既に精神状態がおかしくなっちゃってるっぽいなー」


 自分でなぜそのような台詞を吐けるのか不思議だった。妙に落ち着いていた。


 立ち上がり、木製のドアを開けた。鈍い音を立ててドアが開き、赤いビロードの絨毯が敷かれた廊下に出た。目の前には、同じようなドアが横一列に並んでいる。突き当りまでのドアの数から間違いなくさっきと同じ部屋にいることを確認して、神木は廊下の先へと歩き出した。


 あの化け物に対して、やることは二つ。出会わないようにやり過ごす。出来れば殺す。


 今は武器も何も持ち合わせてはいないので、殺すのは容易ではない。自分にあの化け物のレベルの脚力はない。見つからないようにしなければならない。つまり自分がやるべきことは、化け物に警戒しながらこの館内を探索すること。


 左に曲がり、少し進むと、開けた場所に出た。この先の広い階段を降りていくと、さっきのように化け物と鉢合わせることになるだろう。なら階段の奥まで行き、二階の部屋がどういう造りになっているのかを調べるのがいいはずだ。神木は、階段で曲がらずにそのまま進んだ。


 突き当りには、反対側と同じように絵画があった。それは幾何学的な模様に思えた。円の中に円があり、その中には三角や六芒星などの図形が重なっていた。よく見ると、図形の周りに小さい文字らしきものが描かれている。


「魔法陣、とか言ったっけ。こういうの」


 誰かが読んでいた本――ライトノベルだっただろうか、その表紙で見たことがある気がした。なぜそのようなことを思い出したのかは分からないが。


「化け物が存在するくらいだから、魔法だってあるのかもしれない」


 使えるかやってみようかと思ったが、使い方がよく分からなかったので、止めた。魔法という響きはあまり好きではない。願えば何でも解決してくれそうで、それは人間の小さな努力の積み重ねを否定するようなものだ。「魔法があれば」と想像している時間は人によっては楽しいのだろうが、その後に虚しさが来るようで、したくはなかった。


 左に曲がる。沢山のドアが並んだ通路に出る。反対側と似た作りになっているようだ。神木は少し歩くと、あるドアの前で足を止めた。薄汚れたドアの隙間から、白い光が漏れていた。


「……明るい」


 中で明かりがついているとして、考えられる可能性はいくつかある。まず、この朽ち果てた洋館にに電気が通っているかもしれない。外が暗いことは分かっているので、白色光があるということは人がライトをつけている可能性が高い。つまり自分以外にも人がいる。


 同じ失敗はしたくない。このドアを開けて、また化け物が出てきたら、……出てきたら、何だ? 神木は考える。もしまた自分が殺されたとして、その後あの部屋に戻されるだけだったら? 僕は情報を得ている。少しずつでも、脱出に向けて進んでいる。ならこれは一つの賭けだと思った方がいい。


「もし仮に化け物がいたとしても、この部屋にその化け物がいるという情報を得られた時点で間違いなくプラスになる。下の階に化け物がいる時点で、死なずに、まともな方法での脱出は無理だと思った方がいい。だったら、自分が死に戻りできる前提で情報を集める」


 神木は小声で、自分に言い聞かせるように言った。このドアの先に何があろうとも、まずは踏み込まなければならない。


 神木は、ボロボロのドアを開けた。キィー、と音を立てて開いた先は、意外にもきれいな部屋だった。白いシーツが敷かれたベッドの横には、鉄製の灰色の机があり、その上のデスクトップPCが青白い光を放っていた。そしてその横で、背もたれの付いた椅子に青年が深々と座っていた。二十代くらいだろうか。黒い外套を着込んでいて、その恰好は年齢に不相応に見えた。


 青年は神木の方を見ると、眼鏡の奥の目を細めた。


「他にも、人がいたのか……」


 青年がそう呟いたのが聞こえた。


 神木は、いたって冷静に、青年に声をかけた。


「もしかして、君もここに迷い込んだ感じか?」


 青年は答えた。


「そうだな、私はね、記憶がないんだ。なぜ自分がここにいるのか、全く分からない。目が覚めて、この部屋にいた。それが今から一、二時間前だね。それからは少し外に出てみたり、このPCを使って調べ物をしたりしているよ」


 パソコンか、と神木は思った。何かに使えるかもしれない。調べ物ができるということは、インターネットが繋がっているということだ。助けを呼べるかもしれない。


「何にせよ、お茶でもしながらゆーっくり話そうか」


 青年はにっこりと笑った。

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