第31話 ノスタルジー



 りん。


 鈴の音がする。今は冬だし、この家に風鈴は置いていない。近くには住居は無く、およそ数十年に渡って閉ざされた土地であった。熊避けの鈴なるものがあるらしいが、その類いではない。何せ、この音は家の中から聞こえるのだ。


 りん。


 ざざ。ざざあ。ざざざ。


 ばあちゃんの鈴の音だ。そう確信する。


 ばあちゃんはいつも自宅の鍵を持ち歩いており、そこには鈴が括り付けられていた。ゆえに、歩くと音がするのだ。晩年は足も悪くして、床に足を擦り付けるように歩いていた。


 ばあちゃんの家が取り壊されてもう何年になることやら。僕は表面があちこち削れている畳の上で正座をしている。誰のものとも知れぬ仏壇に見知らぬ人の遺影が飾られていた。破れた障子の穴から何かに覗かれている気がする。



「腹が減ったな」



 僕は台所へ向かった。ここには初めて来たけれど、どこに何があるかはすぐ分かる。でも、ここに持ってきたはずのリュックサックは見つからなかった。あるいは、廃村の入り口辺りで落としたのかもしれない。どうでもいい。



 がた。がた。がたがたがた。



 そうそう。この戸棚は古くなっていて開けるのにはコツが必要なんだ。誰に教えてもらったんだっけ。中にはポテトチップスの袋が置いてあった。デザインは古いが、僕の知っている企業のものだ。袋を開けると香ばしいジャガイモの匂いがした。完璧に密封されていただけあって、そこまで違和感は無い。少しだけ砂っぽいかも。狂ったように食い尽くす。


 あぁ、この味だ。懐かしいなぁ。ばあちゃんの家でよく食べたっけ。親が厳しくて食べさせてもらえなかったから、隠れてよく行った。ばあちゃんの皺の無いツルッとした顔を思い出す。



 りん。


 ざざ。ざざ。ざざ。ざざ。



 机に割れた湯呑みが置いてある。湯呑みからは湯気が立っていた。淹れたばかりの熱いお茶だ。僕のばあちゃんは気が利くタイプではなかったけど、ここのばあちゃんは違うんだな。



 ポケットからスマートフォンを取り出す。僕の好きなYouTuberが『忘れ去れられた廃村へ行ってみた!』という動画をトップに張り付けたまま、2年が経っていた。画面を見ているだけでも、ノスタルジーを強く感じさせるここに一度でいいから、来てみたかったのだ。彼は正確な住所を伏せていたので、辿り着くまで時間がかかってしまったが、ここで間違いない。


 集落の奥まった場所。不自然に周りは更地になっていて、とても目立つ家だった。



 ざざ。ざざあぁぁぁ。……りん。



 足を擦り付けているというより、這っているみたいなあしおとだな。すぐ近くで聞こえているような気もするし、遠くから響いているようにも思う。取ってつけたかのような鈴の音に苦笑する。



 何年もここで過ごして来た。そんな柔らかな実感がある。廃村へ来るまでずいぶんと歩いた。家の外を歩くも久しぶりだというのに。その疲労のせいか、眠たくなっていた。ポテトチップスを食べて熱いお茶を飲んで。


 ぎしぎしと軋む階段をのぼり、2階の真ん中の部屋に迷わず入る。ここが僕の部屋だ。小さな机に誰かが突っ伏している。薄暗くてよく見えなかったが、骨になっている。腐った肉と共に萎んだ眼球がこぼれ落ちていた。横には旧型のスマートフォンが置いてあった。


 他人ひとの部屋で死ぬなんて、迷惑な話だな。


 まぁ、いいや。この人もきっと、僕の家の居心地がとても良かったのだろう。表情は窺えないが、きっと満足したに違いない。薄いマットレスの上に毛布と布団がある。枕は時折、ガサゴソと何やらうごめいている。


 眠ろう。何年も出来ていない熟睡が訪れるように思った。もう二度と目覚めないかもしれない。でも、いいのだ。いまさら、何を楽しみに生きていくこともない。ゆっくりとぼんやりと死ねばいいんだ。僕はそれで満足だ。



 りん。……りん。…………りん。りん。りん。りんりんりんりんりんりんりんりん。



 ざあぁぁぁ。ざざざぁぁ……。



 開いたままの扉の向こうから何かが近付いてくる。ひっきりなしに聞こえてくる鈴の音はもはや何かの鳴き声のようで、僕はそちらを見る。上半身だけの真っ黒な体。妙にツルッとした印象。顔にあたる部分を起こした、それはたぶん。にっかりと笑っていた。



 ばあちゃんじゃなかった。



 でも、最期に見たのが笑顔で良かったな。



 りん。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 この人は……とても満足そうだね。


 ええ。長年に渡り、刺激の無い生活を送っていた方でした。家の外に出ず、働かず、友もおらず、家族も彼を見放していました。何を食べても味を感じない、どれだけ眠ろうが明日への意欲は湧いてこない。面白いと評判の動画を見ては、かつて自分が好きだった配信者に思いを馳せる……。それは半ば死でございました。


 だとしたら、彼は幸せなまま死ねたのかな。このよく分からないものは家に巣食っていた怪異? 怪異はノスタルジーを餌に罠を張っていたってこと?


 あいにく、名前を着けられるような怪異ではごさいません。廃村の中で偶発的に生まれた幽鬼でしょう。部屋の中で死していた者が例の配信者であったかどうかは分かりません。けれど、確かに言えるのは、この怪異にそこまでの力は無いことです。人を夢見心地にしはするが、動画を見た者にまで影響することはありません。


 この人が勝手に感じた。それだけのことなんだね。……あぁ。眠いよ、ばあや。


 お疲れなのでございますね。


 でも、いいのかな。ぼくは眠っていいのかな。


 何を躊躇ためらう必要がありますか。


 学校のために毎朝起きて、クラスメイトの顔色を窺って、誰と遊ぶこともなく家に帰って、政治を経済を歴史を数学を物理を生物を古文を英語を仏語を教わって、ごはんを食べて、お風呂に入って、眠る。ねぇ、ぼくって生きているのかな?


 どう思われますか? すべてはぼっちゃん次第でございます。


 ぼくはね……不思議だけど眠る前のこの時間、ばあやにお話を聞いているときだけ、生きているように思うよ。……でも、眠いんだ。ずっと続けばいいのにって強く思うんだ。


 ……ばあやを困らせないでくださいまし。


 ごめんね。おやすみ。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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