第26話 メリカの縄張り



 草臥くたびれた女がテーブルの上に写真を置いた。小学4年生くらいの女の子が大きな白い猫を抱いて笑っている。微笑ましい光景だ。



「娘を探してほしいんです」


「娘さんの方を、ですか」



 ここは暁月あかつき探偵事務所。新聞社を辞めたあとに開いた小さな事務所だ。やって来る依頼の大半は浮気調査、ペット探し、あるいは。てっきり、猫を探すのだと思っていたが。



「我々は警察ではありません。行方不明になった人間を探すとなると、時間がかかりますが」


「……いいえ。場所は分かっているのです。それに、娘は既に死んでおります。わたしが欲しいのはその遺骨なのです。メリカはそれが気に入らないのか、わたしを近付けさせない」


「メリカ?」


「この猫です。わたしが生まれていない頃から法寺ほうじ家で飼われていた……化け猫とでも言いましょうか。娘に懐いておりまして。メリカにとっては娘が唯一の家族なのでしょうね」



 女は脇に抱えていた鞄から資料を取り出す。



「詳しいことはここに。お金については成功報酬ということでお願いします。ただ、言い値でけっこうです。わたしは何をしても娘をちゃんと弔ってやりたいのですよ」



 依頼人の女が帰り、俺は助手の刳木くるきと共に資料を読んでいた。


 法寺火恋かれん。享年10歳。神籠町かごめちょうの自宅にて不審火による火事で死亡。葬儀の最中に、猫のメリカが遺骨を盗む。遺骨は全焼した自宅跡に持っていったと思われ、回収に向かうが失敗。


 自宅を示す地図には赤いマジックペンで円が書き込まれており、その横に「メリカの縄張り」とあった。



「どう思う?」



 俺は刳木に話を振る。彼女は頼り甲斐のある探偵助手だ。当初は刳木が探偵で、俺が助手の予定だったのだが、依頼人に舐められるかもしれないということで今の形に落ち着いたのだ。



「怪異案件ですね」



 俺たちが事務所を構えているのは馳辺はせべ市だが、時々こういう依頼が来る。近くにある神籠町で頻発する怪事件。その解決だ。それなりに話題にはなっているようで、暁月と刳木は怪異退治のプロだと裏の連中には思われているようだ。……けしてそんなことは無いのだが。



「法寺……ってのは聞き覚えのある名字だな。資産家であちこちの企業のスポンサーになってる。そんな力のある家がウチみたいな小さいのを頼る、ねぇ。まぁ、この資料に嘘が無いとしたら、葬式の最中にガキの骨を取られているわけだから、メンツは潰れたあとか」


「それだけではないでしょう。この資料には書かれていませんが、私の情報網によると、この1週間で3人の同業が亡くなられました。おそらくはこの依頼を受けたのではないかと」


「マジかよ。そいつらは何で死んだんだ? メリカっつう猫の力か? いや、俺が聞いてもどうせよく分からんよな。死因は何だ?」


「分かりません。ご遺体も残っていなかったと聞きます。しかし、考えられることはあります」


「なんだ?」



 と聞き返しつつも、予想は付いていた。とてつもなく、嫌な予感と共に。




「焼死です」




 3日ほど準備をしてメリカの縄張りのすぐ近くに来ていた。6月だというのに空気がひどく乾いている。辺りは寂れた住宅街だ。無人の家々が連なっている。



「ずいぶんと寂しいところだな。こんな場所に資産家の家があるとは思えねぇな」


「ですね。おそらく、別宅なのではないかと。依頼人の方、法寺果澄かすみさんは外から嫁いで来られた方です。ざっと調べた限り、家の中での立場は良いものとは思えませんでした」


「夫の方は法寺蓮三れんぞうだったか。資産家の三男なんざ、その程度と思わなくもないが、そうだったら別宅があるのはむしろおかしいな」


「ええ。蓮三さんは一応、企業の重役ということになっていますが、お飾りですね」


「ガキが死んだのは不審火による火事だ。このとき、果澄と蓮三は不在だった。それはいい。だが、この不審火ってのは放火って意味か?」


「不明です。消防の見立てでは、家の中から燃え上がったようですが、喫煙者はいません。6月ですのでストーブでもない。台所からの出火でもありません。火恋さんの部屋が火元であるので、火遊びでもしたのではないかと結論付けられていますが……」


「んな訳ねぇわな。ガキの好奇心で家が全焼するんなら日本は焼け野原だぜ。というかよ、刳木。火事によくある原因を警察は調べなかったのか? 火遊びより、そっちの方が有り得る」


「電化製品からの出火でしょうか。コンセント周辺に埃が溜まり、電気が走ることで火がつく」


「あぁ」


「そのとき、家のブレーカーが落とされていたようです。その状況がずっと続いていたとか」


「あ? んな馬鹿な。そりゃ電気の通ってない家で暮らしてたようなモンじゃねぇか。……待てよ、別宅? 確か死者はガキ以外にもいたよな。住み込みの女中がよ。てことは」


「そうですね。その家に住んでいたと言えるのはお手伝いさんと火恋さんのみ。蓮三さんと果澄さんは彼女たちと共に暮らしていたわけではないのでしょう。火恋さんは隔離されていた」


「資料に書いてないことが山ほどあるじゃねえか。にしても、何故? 不義の子? いや、だとしたら、もっと別の手があるよな。刳木は何か分かってんのか? いつもの怪異知識でよ」


「推測の域を出ませんが、火恋さんは強力な神秘の力を有していたのかもしれません」


「人を燃やす、とか?」


「ええ。発火能力パイロキネシスですね。最後はその炎に自らも焼かれて亡くなってしまった。けれど、死したあともその力を使えるというのは考えにくい。鍵となっているのは猫のメリカ」


「地図にあんのも火恋の縄張り、じゃなくてメリカの縄張りだ。もうすぐだが、今のところ、そこまでの異変は無いな。ちっと暑いくらいか。おまえは化け猫に関する知識はあるのか」


「長く生きた猫は魔に変じる。尾が二股となり、言葉を話し、死人を操る。メリカは火恋さんの骨を奪った。となると、火車でしょうか」


「その調子で頼むぜ。……ん、ここからだな。メリカの縄張りは。……だが、これは」



 その先を続ける必要は無かった。アスファルトで舗装された道。車道と歩道の境目であるコンクリートの縁石と白線。外見だけなら、なんてことはない普通の道だ。額から汗が流れる。猛烈な熱気が立ち込めていた。火事の中にいるみたいだ。思わず後退する。すると、涼しくなった。約50メートル先には全焼した法寺の別宅が見える。



「結界……みたいなものでしょうか。資料にあったようにあの家を中心として円形に形作られている。熱気はかなりのものですが、火傷するわけじゃない。あくまで幻の熱ですね」


「それは今の段階ではな。おまえの考えだと同業者が焼死しているんだろ。中心に近付くにつれて、熱が幻から現実になっているのかもな」


「確かに」


「気合い入れて進むぞ」


「服は脱いでおいた方がいいのでしょうか」


「馬鹿言え。刳木は女だろ。それに薄い服でも熱傷に対する防御にはなる。炎が服に付いたら道に転がって消せ。その方が確実だ。もちろん、燃えたおまえを放っておくほど俺は薄情じゃない。抱えて逃げる。仕事は失敗だが、死ぬより良いだろう。俺が燃えたら……逃げろ」


「……逃げませんよ。暁月先輩の骨は持って帰ってあげます。火車に奪われないように」


「気合いは充分だな」



 メリカの縄張りに突入した。熱気が一気に吹き上がるが、刳木の言う通り、火傷はしていない。だが、声を出す余裕は無かった。幻だとしても、喉を焼かれてしまいそうだったからだ。


 一歩進むほどに熱くなっていく。つまりは法寺の家に近付くにつれて。


 火恋。発火能力パイロキネシス。火事。死体を焼く葬儀場の炎。火車。同業者の焼死。火ばっかりだ。猫のことなんざ、どうでもいい。けれど、既に死んでいるのだとしても、ガキが弔われることなく苦しんでいるのであれば。大人の俺が引くわけにはいかなかった。


 あと、10メートル。その瞬間、じゅうと明確に何かが焼ける音がして咄嗟に飛び退く。刳木に目で合図して、辺りを見る。さっきと何も変わらない。だが、足に、正確に言うなら靴に違和感がある。足を折り曲げて靴の底を見ると焼け焦げていた。不快な匂いだ。


 刳木が肩に提げていたバッグから鉛筆を取り出し、それを地面に落とす。すると、鉛筆が溶けていく。幻じゃない。この先の地面はまるでマグマだ。このまま進むと焼死するだろう。作戦会議を開こうにもこの熱さではマトモに頭は動かない。結界の外まで下がるしかないか? だが、この熱さを経験して再びこの地点にまで来られるか、あまり自信は無かった。つっても、やるしかないんだが。


 そんな決意を固めていると刳木がバッグから紙で作られた人形のようなものを出して、辺りにばら撒き始めた。何をしようってんだ? 紙は地面に落ちた途端に燃え始める。だが、燃えない場所があった。白線の上だ。刳木が飛び出す。俺もそれに続き、両足を白線の上に収める。



「っぷはあ! なんだ、熱くない。おいおい、刳木、おまえ、いつから呪術師になった?」


「いえ、私は暁月先輩と同じく、特殊な能力など持たないただの人間です。この人形ヒトガタは来る前にメモ帳で作った、ただの紙。だから」


「もともと白線の上ならセーフってことか。ガキの遊びみたいだな。で、どうする。向こうの白線に飛び乗るには距離が足りないぜ」


「走り抜けるしかないかもしれませんね。火恋さんの遺骨を回収すれば、この熱は収まる可能性が高い。靴は燃えてしまうでしょうが」


「マジか。あーあー。またかよ。怪異案件も最後は気合いの勝負になっちまうんだよなあ」


「バッグに水を持って来ています。向こうの白線に付いたら、すぐ靴を脱いで足に水をかけましょう。これが分かっていたのなら替えの靴を持って来ていたのですが」


「仕方ねぇよ」



 どれだけの知識があろうとも怪異退治には未知がともなう。結局はケースバイケース。事態に応じて、人間が臨機対応しなければならないのだ。そして、最後には肉体がモノを言う。探偵になってから、暇な日は刳木と共にジムで運動をしている。仕事の成功は鍛錬の成果だ。


 再び、熱気に突入。だが、何も考えずに走り抜くと案外、足の裏に熱さは無い。靴の裏はグズグズに溶けてしまっていたが。中敷きに助けられた形だ。刳木も大丈夫そうだった。息を整えつつ、白線の上を辿っていく。真っ黒になった法寺家の敷地に続く場所へ進み、ジャンプ。更なる熱が襲いかかってくる可能性もあったが、敷地内は普通だった。


 焼け焦げた柱、崩れ落ちた壁、炭化した床。ひどい光景だ。ましてや、人がふたりも死んでいるんだからな。



 ニャアン……。



 猫の声がした。家の中央、二階部分が崩れ落ちていたその場所に真っ白い骨壷が置いてある。煤ひとつ付いていない綺麗な状態だ。中を確認すると、確かに砕かれた骨が入っていた。敷地の中から外へ刳木が紙人形を落とす。しかし、燃え上がることはなかった。



「任務完了、ですね」


「成功報酬は言い値だったよなあ。いくらにする? 場合によっちゃ、俺たちも死んでたわけだし、ふっかけても許されるんだよな?」


「せめて靴代は出していただかないといけません。……今夜は焼肉を食べに行きませんか?」


「おお。でも、その前に靴を替えねぇとな」


「確かに」



 無人の住宅街をあとにするふたり。もし、彼らが振り向いていれば、焼け焦げた家の前で踊る化け猫を見られただろう。爛々らんらんと燃える魂を薪にして笑うメリカを見たことだろう。その魔性ましょう獣性じゅうせいに主人への愛が介在し得たのかどうか、それは誰にも分からない。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 化け猫かあ。ぼくは犬派だな。


 それがよろしい。犬は化けませんからね。犬の怪異はおりますが、人間に飼い慣らされた犬が変じたわけではありません。


 ということはこのメリカは元々は普通の猫だったってこと?


 ええ。長く生きたというのもありますが、おそらくは主人である火恋さんが神秘の力を生まれつき有していたのも理由のひとつでしょう。


 火恋さんは実の親にも遠ざけられていたんだね。ひどい話だよ。でも、果澄さんは彼女を弔うと言っていたね。本当はどうなんだろ。


 娘を思う気持ちがゼロだったわけではないでしょう。しかし、盗まれた遺骨を他者に取りに行かせたのですから、程度は知れています。果澄さんは元はキャバクラに勤めており、蓮三さんにとっては火遊びに過ぎなかったようです。


 そう。火恋さんの魂はどうなったの。


 残念ながら、ふたりが取り返したのは骨だけですので、魂はメリカに囚われているでしょう。しかし、火恋さんは苦しんではおりません。幼い彼女にとって、メリカは最愛の存在でしたからね。


 それなら彼女を愛していない両親の元へ行くより、幸せなのかもね。


 それを願いましょう。


 眠くなって来たかも。おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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