第20話 屍喰い柿



 イマドキの若者は鯨の肉なんざ食ったことないんじゃないか。俺が小学生のときは給食によく出てたよ。硬くて臭くて不味かった。自由におやつを食べられるわけではない当時でさえ、残すやつがいたくらいだ。


 俺はいつもおかわりをした。美味いと思っていたわけじゃない。家がひどく貧乏で、夕食が無かったからだ。たまにサツマイモの粥が出てくることはあったが、水増しが過ぎて芋の味もしない。戦中でもあるまいし、なんで俺がこんな目に遭わねばならないのかといつも苛立っていた。


 学校が終わったら、食べられる物を探しにあちこちを回る。要領のいいやつは山の浅いところへ潜って木の実やら魚やらを食うんだろうが、俺は鈍臭かった。キノコや山菜なんて夢のまた夢。どこに毒があるか分からないのだから、怖くて採れなかった。当たっても病院にもかかれないのだから、その時点で死ぬ。俺は死にたくはなかった。


 その日もいつものように遠征をした。歩けば歩くほど腹が減るのだが、もし何か食べ物があった場合のリターンを考えると行動せざるを得ないのだ。よく晴れた日だったせいか、珍しく隣町まで行った。神籠かごめ町。辛気臭いおまじないがいつでも流行っていることを除けば普通の田舎町だ。


 そこで俺は柿の木を見つけた。黒々とした土の上に鎮座していたそれにはこれまでの貧しい人生で初めて見たかもしれないほどに瑞々しく、とても美味そうな柿が10や20どころではなく、100近くは実っていた。黒い枝が果実の重さに負けて少し垂れており、木登りが出来ない俺でも食べられるんじゃないかと思い、近くまで行った。


 立派な木で、俺は思わず見惚れた。どうしたら、ここまで育つのかと不思議に思うくらいに太い幹だった。しかし、腹が鳴り、俺はここまで来た本分を思い出した。垂れてる枝から採れた柿の実は想定していたよりは少なく、3個だけ。でも、ご馳走には違いない。



「わ」



 あれをかじったときの衝撃たるや。働くようになってから食べた濃厚なチョコレート、クリームぜんざい、あんこがたっぷり詰まった饅頭。のちの人生で食べた何よりも甘かった。本当は残りの2個は家に持ち帰って食べようと考えていた。でも、そんな我慢なんて無理だった。


 気が付いたら手はからで。もっと食べたい。腹がいっぱいになるまで食べたい。飽きるほどに食べたい。そう思った。しかし、俺は木登りが出来ない。あの時代のワルガキの9割は木登りの達人だったと言っても過言ではない。ここまで美味い柿は次の日には神籠町のワルガキが食い尽くしていても不思議じゃない。後には引けない。でも、邪魔が入った。


 知らない爺さんに「何をしとるんだ、坊主!」と叫ばれた。まぁ、イマドキのご時世を考えたら、他人の庭に勝手に入って柿を食べているわけだから、泥棒と変わらないと思うだろうな。俺もぶん殴られる覚悟はしていたんだが、あの柿を食べたからにはそれどころじゃない。


 全部食い尽くしてやる。


 そう強く決意した後だからな。爺さんは走れないだろうと予想し、俺は全力で逃げた。どんな叫ばれても怯まず、逃げ続けた。で、1時間くらい様子を見て、再び柿の木に行った。すると、柿の木に誰かが登っていた。俺より年が低そうな子供だった。やられた。そう思った。でも、柿は100はある。ソイツひとりで食い尽くせるわけじゃない。


 ソイツはこっちに気付いたかと思うと柿をもてあそぶように齧りながら、こっちを見てニヤニヤと嘲笑あざわらってきた。俺が木に登れないと分かっていたみたいだ。俺が何を言おうとどうしようとソイツはただ嗤っていた。普段の俺だったら、頭に血が上って殺したくなかっただろうに。でも、そんなことはどうでも良かった。ただ、柿が食べたかった。


 このままじゃ、いつまで経っても柿は食べられない。ソイツは美味そうに柿を食べるんだ。もし、あれが商品だったとして、ソイツがコマーシャルを担当していたら、視聴者は殺到するに違いない。俺は意を決した。この木に登る。


 幹が少し出っ張ったところに手をかけ、垂れた枝を伝い、少しずつ体を上にあげた。俺にとっては初めての経験。でも、不思議と恐怖は無かった。これで柿が食べられるんだから、もう死んでもいい、そんな風に思えたくらいだ。枝が分かれている場所、そこに足を付ければ柿に手が届く。



「あ」



 支えにしていた枝が折れた。落下する瞬間、すべてがスローモーションになったような気がした。その中でふと。これまで俺を嗤っていた子供がどこにもいないことに気付いた。ソイツも同じタイミングで落ちたのか? いや、そんなわけがない。


 ああ……俺はここで死ぬんだ。不思議な気分だったよ。この柿の木を見るまで俺は何よりも生きることを重視してたはずだ。それなのに、なんでこんな馬鹿な真似をしたのかと後悔しながら。その後悔にさいなまれる中。全身が土に叩きつけられて、意識を失った。



「生きとるか?」



 気が付いたら俺は畳の上の布団に寝かされていた。俺を助けてくれたのはあのときの爺さんだった。丸メガネをした爺さんが俺を心配そうに見ていた。自分が生きていたことにホッとした。全身から空気が抜けたような気分だった。



「ごめんなさい、俺。あの柿を」


「謝らんでいい。あの柿の木はバケモンだからな。ワシがもっと見張っとったら、坊主も怪我せんで済んだ。すまんなぁ。怖かっただろ」



 どうして爺さんが謝るのか分からなかった。けれど、そう言われてひどく嬉しかった。こんな風に大人に気を遣われたのは初めてだった。親も教師も近所のやつも俺を気にかけてくれたことなどない。この爺さんは良い人だ。それだけに前の言葉の意味には信憑性がある。



「バケモンってどういうこと?」


「あの木を見たらな、どんなやつでも柿が食いたくなるんだ。実際に柿を食べてる子供の幻が見え、死んでもいいから木に登りたくなる」


「え」



 幻? やっぱり姿が消えたように思ったのは勘違いじゃなかったのだ。



「立派な幹だろう。ワシはあれを世話したことはない。あの木に登って落ちて死んだやつはワシが知る限りでは30人を超える。落下して飛び出た脳漿や血液を養分にして、あの柿は生きとるんだ。そうとしか思えぬ巨木よ。……何度刈ろうとしか分からん。が、先祖からの言い伝えでな、あれは刈ってはいけないらしい」


「どうして?」


「さあな。戦中は柿の木に登らずに道具で落としてワシも腹を満たしたことがある。あれは毒のような甘さだった。坊主もそう感じたか?」


「うん」


「覚えとけ。この世の砂糖をすべてひっくり返してもあれほどの甘さにはならん。脳髄に直接響くような、あの味は毒に違いあるまいよ。この辺りの坊主どもは近寄らん。どこの家も必ず死人を出しとるからな。これからは警戒しろ。うまそうな話には必ず裏があるんだ」



 爺さんに風呂敷いっぱいの野菜と干し肉を貰った。爺さんが住む屋敷は大きい。彼は裕福であり、また訪れれば食べ物が貰えるかもしれなかった。だが、それ以降、俺は二度とその辺りに近付かなかった。柿は俺という贄を喰いそびれた。更なる誘惑に襲われた場合、そこから逃げられるという確信が湧かなかったからだ。


 俺は死にたくはなかった。


 今でもあの暴力的な甘さを思い出す。おかげで甘党になってしまった。けれど、どれだけの甘さを味わっても満足することが出来ない。そのせいで糖尿病になり、俺はもうすぐ死ぬ。でも。あぁ。どうせ死ぬのならば。


 あの柿が食べたかったなぁ。柔らかくて臭くて不味い病院食を啜りつつ、俺は嘆いた。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 怖いね。お爺さんはこの柿を化け物だって言ってたけど、そうなの?


 ええ。それは“屍喰しくがき”の幼体でございます。


 幼体? 成体があるってこと? でも、お話の中に出てきた柿はすごく大きいんでしょう。


 このお屋敷にもしこの柿の木があったら、ぼっちゃまはどうなさいますか? 使用人や客人が惑わされて柿の木に登り、そして死ぬ。


 刈るよ。あ。


 はい。お察しの通りでございます。“屍喰い柿”の恐ろしさは刈られてからが本番なのです。傷付けられた幹や枝から染み出す妖気が空気中を舞い、近くの者を毒して廃人にする。そして、人から人へ伝染していく。やがて妖気に囚われた者はその身から新たな“屍喰い柿”を生やすのです。つまり、幻に寄せられて死ぬ者の比ではないほどの被害が出る。


 対処方法は無いの?


 炎です。とは言え、成体であれば、普通の火力では消しきれません。中国では“屍喰い柿”が繁殖した区画にナパーム弾を撃ち込むことで対処しましたが、日本では無理でしょう。


 そんな。ばあや、ぼくが柿の木に登ろうとしたら、絶対止めてね。


 もちろん、命に換えても止めますとも。


 ダメ。死なないで。


 無茶を言いますね。けれど、23区内の“屍喰い柿”はすべて幼体のうちに根絶されております。ぼっちゃまは安心してくださるよう。


 良かった。安心したら眠くなってきたな。ぼくの夢の中に柿が出てこないように祈ってよ。


 ええ。お任せください。


 おやすみ。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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