第18話 修羅



「はぁー。疲れが取れるなぁ」


「でかいひとりごとだな」


「おまえに話しかけてんだよ!」



 オレの趣味は旅行だ。その中でも一番楽しみにしている季節は夏。夏に歩きまくって観光しまくって、そしてその疲れを温泉で取る。サウナと水風呂も付いていればなお良し。



「にしても、京都ってこんな暑かったんだな」


「人も多いし、余計に暑苦しく思える」



 そうやってオレと喋っているのは友人の海藤かいどうだ。こいつは大学時代、ワンダーフォーゲル部だっただけあって、健脚だ。オレはせいぜい職場まで歩くくらいだが、海藤は今でも週末には山へ登るらしい。



「貸し切り状態で楽しめるなんてラッキーだ」


「オレのセンスが良いんだよ。ここは地元じゃ秘湯扱いされてたけど、先代の主人が商売を始めたんだって。なんでも、入ると足の怪我、筋肉痛、関節痛が抜群に良くなるらしい」


「へぇ。それって、もしかして」



 海藤が自分の太ももを指す。そこには横に走る大きな傷が入っていた。



「偶然さ。だいたい、もう痛くないんだろ」


「そりゃあ、中学生のときに遭った事故だからな。傷は派手に残っているけど、問題無い」


「その傷よりオレは自分の筋肉痛が怖い。明日も歩き詰めだからな。京都のバスは乗車率120パーセントで乗ってられん。歩いた方が手っ取り早い。他の観光地より歩かないといかん」


「その縛りのせいで目的地を巡るのに3日かかる。厄介な土地だぜ。でも、在村ありむらとの旅行はこうでなくちゃ。暑さも筋肉痛も上等だ」



 海藤は気持ちのいいやつだ。でも、それが半分は虚勢であることをオレは知っている。あれは大きな事故だった。無免許運転のバイクに轢き逃げされてガードレールに叩き付けられたのだ。あいつが指したのは温泉の効能に合わせて、太ももだけだったが、胸にも脇腹にも腕にも似たような傷が走っている。オレの目線は思わず傷の上をなぞってしまう。海藤は「フ」と笑った。



「社会人になってもこうやって誘ってくれるのは在村くらいだ。俺はおまえに感謝してるよ」


「……そうか。そろそろサウナ行くか?」


「だな」



 と、ふたりで温泉から上がると扉がガラガラと開く音がした。脱衣所の冷房が効いた風が熱い空気を切り裂く。オレたちは扉の先にいた青年を見て驚愕する。


 青年は松葉杖を突いていたのだ。何考えてんだ? 滑って転べば、もっと怪我をするぞ? それに松葉杖の衛生面も気になる。声を掛けようとして、青年の鬼気迫る表情に冷や水をかけられたような気分になった。それは海藤も同じだったみたいで、「今日はもう出よう」と言われ、それに従う。ゆったりとした浴衣に着替えつつ、少しだけ声を潜めてオレたちは喋る。



「ここの温泉ってマジで効くのかな」


「いくらなんでも温泉頼りにはしないと思うが」


「あの人、けっこう筋肉付いてたから、スポーツマンなのかもしれない」


「よく見てるな」


「俺は寝るまではコンタクト外さない派だからな。……ここの温泉の詳しい説明ってどこかにあるかな? 歴史とか調べてみたい」


「女将さんなら知ってるんじゃないか」



 と他人に丸投げをした。オレの旅のコンセプト上、夜の締めには温泉が必要だ。だから、この旅館を選んだ。とは言っても詳しいことは調べていない。そもそも京都に温泉を求めるのは良くない。有名な温泉地があるわけでもないし、効能なんて一切無いだろう。湯に浸かっただけで怪我が治るなら誰も苦労しない。


 オレが海藤に語ったのはあくまで旅館のホームページにあった情報だ。でも、昔から海藤はこういう歴史が好きなんだよな。こういうのも旅の醍醐味かもしれない。



「あれ」



 脱衣所の外にあった自販機でコーヒー牛乳を買おうとウキウキしていた海藤が怪訝けげんな声を出す。



「どうしたんだ」


「俺のスリッパが片方無い」


「本当だ。オレたちしかいなかったし、誰かが間違えて履いていったってわけじゃないよな。さっきのやつだって、いまは風呂の中だし」


「あー。替えのスリッパは置いてないのか。片方裸足で歩くわけにもいかんよな」


「んなことしたら台無しだろ。オレが仲居さんに言って、取ってきてやろうか?」


「いや。俺はこの暖まった体を感じながらコーヒー牛乳が飲みたいんだ。こっちだけ靴下履いて、あの人のを借りる。で、あとから代わりのやつを仲居さんに脱衣所に置いてもらえばいい。あの様子じゃ、風呂から出るのも着替えるのも時間食うだろうし」


「強情だな」



 それなりに豪華な夕食を済ませ、テレビを見ていると女将さんに話を聞いていたらしい海藤が部屋に戻ってきた。パンフレットとコーラを持っている。



「何か聞けたか?」


「けっこう面白かったぜ。なんでも、この温泉は鬼の隠し湯なんだってさ。ただの鬼じゃない。人間の足だけを喰うグルメな鬼だとか。けれど、十一面観音によって、その魂を救われて仏道に帰依。足を治癒する菩薩に変じたと」


「なるほどな。荒ぶる魔を鎮めて崇めて神様にしちまうみたいなことはわりとあるみたいだし、似たようなモンなのかな。でも、十一面観音って、正直あまり聞かないけど」


「だよなぁ。せっかくなら、今日見てきた千手観音だったら、凄みを感じられたのに」



 という罰当たりなことを考えていたが、少し気になり旅行が終わったあとに調べてみた。けれど、その隠し湯について述べている人はいなかった。十一面観音というのは修羅道に堕ちた者を救う立場で、六波羅蜜寺の本尊であるらしい。けれど、泊まった旅館はその辺りではないし、因果性がよく分からなかった。


 海藤が貰ってきたパンフレットをもう一度見たくなった。あいつは旅行の際に手に入れたチラシやらレシートやら、すべて記録するタイプだ。きっと、それも残っているはずだった。


 オレはそういうのは全くマメではない。よほど印象に残っているやつを除けば、友達との思い出も覚えておらず、全く盛り上がらないタイプだ。例外なのは海藤に関することだけだ。



 ……また、旅行に行きたいな。そんなことを思っていると突然の急報を知らされた。



 海藤が死んだ。



 彼の奥さんから来たメールで頭が真っ白になった。葬式は身内の中だけで開くそうで、オレは後日、線香を上げに行くと返信した。



 何を考えて良いのか分からない。海藤は車道に飛び出た子供を庇ってトラックに撥ねられたのだという。……あいつらしいな。あの怪我を負ったときも女の子を庇ったんだった。



 1週間ほど経ち、オレは千葉県にやってきた。幾度も旅行で来たことがある。休暇が充分にあれば、歩いて回りたいくらいだ。暑い。日本の8月は普通に過ごせる限度を超えているように思う。海藤の家の近くには高校があり、部活動に励む学生たちの声が響いていた。こんなに暑いのに、よくやるものだ。


 仏壇に手を合わせる。遺影の中の海藤はよく笑っている。海藤には温泉のパンフレットを貰おうと思っていたが、彼が死してまで気にすることではない。奥さんにお悔やみの言葉を述べて、去ろうとすると奇妙なことを言われた。



「主人の足……傷が消えていたんです。何かご存知ありませんか?」



 そう言われて、オレは足喰い温泉の効能を真っ先に連想したが、あまりにも非科学的だ。傷が治った? 本当に? 十数年前に出来た大怪我の痕がいまさら治るのはおかしい。けれど、それを言う気にはなれなかった。だいたい、足の傷だけ治ったとしても何だというのだ。



「申し訳ありません」


「いえ。少し気になっただけですから。在村さん、せっかくですので、主人の部屋を見て行かれませんか? 欲しいものがあれば、差し上げますよ」


「え。……良いんですか?」


「在村さんは主人の一番の友人ですから」



 海藤の部屋は整っていた。大学時代に一度来たことがある。そのときとあまり変わっていない。趣味で作ったであろうプラモデルが増えているくらいだ。オレはそのうちのひとつから、目を離せなかった。作業机に写真がある。バイクに二人乗りをして後続車に舌を出している金髪の不良。精巧なバイクのプラモデルと共に飾られている。その横に小さな新聞記事。



「在村さん」



 開いた扉の向こうから奥さんに話しかけられた。彼女はひどく疲れた笑みを浮かべている。



「なんですか」


「主人が中学生のときにバイクに轢き逃げされたって知っていますよね?」


「ええ。もちろん。それが何か?」


「……わたしを庇ったんです。その結果、あれだけひどい怪我を。わたしのせいです」


「そうだったんですか。でも、それは奥さんが悩むことではないですよ。悪いのは……」





「あなたですよね」





「…………気付いておられたんですか」


「ええ。そのときの主人はわたしを守るために必死でしたが、わたしはよく覚えていますよ」


「……オレが轢いたんじゃない」


「はい。あなたはバイクの後ろに乗っていただけだ。でも、ガードレールに激突した主人を助けませんでした。彼は死にはしませんでしたが、それは結果論というものでしょう」


「それを知って、あなたはどうするつもりなんですか?」


「何も」


「え?」


「あなたたちはその後捕まりました。主人に謝りに来たのは運転手だけですが、在村さんたちは正規の裁きを受けている。いまさら、言うことは無い。でも、主人が撮った写真を見返していて。いったいどの面下げて、彼と遊んでいるんだって思いました。どういうつもりで?」


「……っ。オレは、オレは、海藤とは」


「ごめんなさい。聞いたのはわたしだけど、もういいんです。もう終わったことですから」


「海藤は知っていたんですか」

 

「さあ」



 とは言え、オレがバイクにふざけて乗っている写真をあいつは持っていたんだ。自明のことだった。何も言わず、オレは海藤の家を去った。



 どういうつもりで?



 それはオレが聞きたいよ。



 家でテレビを見ていた。何も考えずにいたかった。世界陸上。もうそんな時期か。ひとりの日本人がインタビューに答えている。見覚えがある。右の足の太ももに大きな傷が走っていた。馬鹿な。あれは。見間違えるはずがない。あれは海藤の足だ。こいつは。あのときの温泉で松葉杖を突いていたあの青年だ。


 あれから1ヶ月も経っていない。鬼気迫る表情を思い出す。いま、カメラの前で嬉しそうな顔をしている彼はその奥底に修羅を隠している。詳しいシステムなど分からない。でも、あのときのスリッパがそれに関係しているような気がした。


 オレは修羅になれなかった。オレたちのせいで大怪我した海藤のことなんて、どうでもいいって忘れられなかった。救急車は呼ばなかったくせに。……なぁ、おまえは何でオレの友になってくれたんだ。


 知らぬだけで、海藤も修羅を隠していたのだろうか。そう信じたくはない、オレは本当に自分勝手な男だ。青年の言葉を聞き流しながら、彼と過ごした日々を思い出していた。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 ……言いたいことはあるけれど、とりあえず、これは聞かなきゃね。あの温泉は何?


 そのまま“足喰い温泉”です。履き物……ここではスリッパですね。それを使って二者間の足を取り替える儀式をする祭壇。海藤さんのスリッパを盗ったのは女将さんでしょう。


 でも、そこは普通の観光客が泊まる旅館だよね。標的を間違えたりしないの?


 むしろ、旅館側としてはたくさんの人が来た方が良いでしょう。スリッパがひとつ無くなっていて不審に思えたのは誤算だったはず。


 海藤さんが亡くなったのは。


 あの儀式に人の命を奪う力はありません。ですが、あの青年は靭帯を損傷していました。健脚だった海藤さんと足が入れ替われば、すぐ異変に気付く。ましてや、傷があるんですから。旅館側はいずれ刺客を送っていたでしょう。でも、彼のこの死自体は作為的なものではありません。


 すごい人だったんだね。


 ええ。


 ふたりはさ。本物の友達だったのかな。


 わたくしはそうだと思いますよ。


 嘘をついていたのに? 在村さんは海藤さんを深く傷付けた人だったのに?


 人の世はままならぬもの。奥方はああ言いましたが、海藤さんは鈍い人ではありません。客観的に示される自明が真実だとは限らない。ですが、解釈に正解は無い。ぼっちゃまはぼっちゃまのお感じなさるように。


 うん。……おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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