第13話 お母さん



 昨日、息子が死んだ。小学校に入るって、あれだけ楽しみにしていたじゃない。ランドセルが水色って、6年生までちゃんと使うんだよ?って私が言ったら、決意を込めた凛々しい顔で、うん、ってちゃんと言ってくれたじゃない。


 それなのに。信号無視のトラックにはねられた。どれだけ運転手や運送会社に謝られたって、爽太は戻ってこない。お金なんて貰っても何の足しにもならない。爽太そうたを返してよ。


 ふらふらと歩く。母親の私は本当だったらお通夜の準備、お葬式の準備、いろいろしなくちゃならない。真っ白な顔になった爽太とそれまで一緒にいなくちゃならない。でも、もういい。これ以上、生きてる意味なんて無い。


 児童公園が見えた。青いぶらんこ。黄色い滑り台。小さな砂場。いつもここには子供たちがいる。ベンチには母親らしき人が座っていて、みんなとても嬉しそうに笑っている。今の私が見るべきものじゃない。でも、ふらふらと入ってしまった。楽しそうな声。小さな手と足を大きく振って、子供たちは遊んでいる。


 ベンチの端に座った。いかにも、この中に自分の子供がいますよって言いたげな態度で。



「ねぇ、あなた」


「は、はい?」



 見抜かれただろうか。思えば、ここにいるのはいつも同じ顔触れなのかもしれない。だとしたら、私はさぞ浮いてみえるだろう。話しかけてきた中年女性の目の下にはくまがある。子育てに疲れていそうだ。でも、私はもう疲れることも出来ないのだ。女性は弾んだ声で言う。



「子供ってかわいいわよね」


「そうですね」


「この中にあなたの子供が?」


「……ごめんなさい。そういうわけじゃ」


「いいのいいの。ここで見つければいいわ」


「え?」



 お母さん〜!と小さな女の子が女性に駆け寄ってきた。女性は優しい顔で、今日のごはんは何がいいかしら? 舞子の好きなものを作ってあげるわよ。と女の子に言っている。


 微笑ましい光景だった。私もああやって爽太に優しく出来ていただろうか。最近は慣れぬ仕事を任され、帰るのが遅くなっていた。でも、入学式には休みを取ったし、その日の夜にはご馳走を作る予定だった。爽太の好きなおかずを作るはずだった。理不尽に命を奪われるまではそんな日が来るって当然のように思ってた。


 すると。険しい顔をした中年男性がやって来た。誰かの親には見えないが。彼は女性の手をいきなり掴む。いったいなにを、そう言いかけたが、彼はなんとも悲しそうな表情だ。



「帰ろう、陽子」


「ええ、もうそんな時間かしら。さぁ、舞子も一緒に帰りましょう。今日はハンバーグね」


「何を言っているんだ。やめてくれ」


「どうしたの」


「舞子は7年前に死んだじゃないか。陽子、現実を生きよう。頼むから正気に戻ってくれ」


「……違うわ。舞子は生きてる。この公園で遊び疲れて、これから一緒に帰るのよ。ねぇ? この子は私をお母さんと呼んでくれるのよ」


「良い加減にしろ! この公園には子供なんていないじゃないか!」



「え?」



 ふと。周りを見渡す。ぶらんこに。滑り台に。砂場に。子供なんて誰もいなかった。おかしい。さっきまで、あんなに声が響いていたじゃない。走り回って、遊具で遊んでいたはずだ。女性を見る。ベンチの陰にも誰もいない。



「いるのよ。いるのよ……。いるのよ! 舞子は生きてる! 生きてるのよおおおおおお!」



 別人のように暴れ出した女性を男性が無理矢理連れて行く。近くの駐車場に停まっているセダンにふたりは乗り込んだ。……。……。周りをゆっくり見る。ぶらんこに。滑り台に。砂場に。ベンチの近くに。


 子供たちがいた。無言で、じっとこっちを見ている。時が止まったような世界が広がる。やがて、子供たちは口を開いた。夜のような闇が横たわる黒い瞳と黒い口。彼らは死者だ。



「お母さん、帰ろうよ」


「わたしと帰ろうよ」


「ぼくと帰ろう。ねぇ、お母さん」


「爽太くんになってあげるよ」


「連れて行ってよ。ここにいたくないよ」


「ここは苦しい。お母さん、助けて」


「地獄から連れ出して」


「ぼくを」


「わたしを」


「帰ろう? ねぇ。ねぇ。ねぇ」



 ひどく、哀れになった。ひとりと言わず、全員を家に連れて帰りたい。そう思った。彼らはみな泥のような闇を背負っていた。けれど、よこしまだとは思わなかった。愛されぬ子供なんて世界にはいくらでもいる。でも、私は違う。


 ベンチを立ち上がった、瞬間。


 公園の外の道に子供が立っているのが見えた。父親譲りの天然パーマ、くりくりとしたとび色の目、どこか凛とした立ち振る舞い。お気に入りの水色の線が入った服。小さな靴。



「爽太……?」


「僕だけのお母さんでしょ。惑わされないで」


「そうだった。そうだったね。おかえり」


「ただいま」



 強引に手を繋ごうとする子供たちの亡霊を振り切り、私は公園の外へ出る。光のようなものを背負った彼を抱き締める。もう離さない。だって、私は爽太のお母さんだもの。



 どん。



 スローモーションの中で私は自分を猛スピードの車が跳ねて行くのを見た。さっきのセダンだ。血を流した男性が助手席でぐったりとしており、血走った目の女性がハンドルを握っている。ああ、死ぬんだ。私。でも、いいの。



 だって、これで私は爽太と一緒に行ける。



 爽太は真っ黒い瞳で笑っていた。口の中は黒く、果てしない闇がそこに広がっていた。



「あーあ。連れて行かれちゃった」


「お母さん、死んじゃったの」


「次のお母さんがいるよ」


「うん。待とうよ」


「この地獄みたいな場所で?」


「早く帰りたいなぁ」



 無人の公園は空っぽな器、あるいは桶に似ている。さまよう魂がたむろし、ひとつの地獄が完成している。悲しみに胸を焦がす者を罠にめる蟻地獄の如き。けれど、ここを出たとて、同じ地獄が舗装されているとは誰も知らず。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 哀しいお話だったね。この人はきっともう現実では生きられなかったんだろうね。


 そうでしょうね。さまよう魂に心惹かれた時点で、ここでなくてもどこかで命を落としていたでしょう。願わくば、爽太くんと共にあれたら良いのですが。


 あれは爽太くんの偽物でしょう?


 ……残念ながら。仮に彼の魂がさまよっているとするならば、事故現場でしょうから。


 嫌だな。息子を愛していた母親ですら、偽物に騙されてしまうなんて。


 邪な霊は人を騙し慣れている。そういう意味では公園の子供たちは邪ではないのです。


 ねぇ、ぼくのお母さんはぼくを愛しているのかな。


 もちろんでございます。ぼっちゃまは愛されておいでですよ。


 良かった。おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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