第2話

 ルビー、サファイア、エメラルド。

 邂逅一番に、そう思ったのも無理はないほど、宝石のような三人だった。

「……それで……何の用ですか?」

 敬語なんてキャラじゃないが、敬語で訊く。

 用、なんてものは、何となく分かっていた。

 あいつだ。俺が、地駿を教えているあいつ。

 地駿――あのまま地駿の練度を上げていけば、中々の人材になるだろう。

 だが、何となく予想していたのは……

 こいつらから教える係を奪ったから、呼び出されているのだ。

「あの子に関わるのはもうやめなさい」

 予定調和な台詞。

 真ん中の気の強そうな奴だ。

「あたしは、来栖かぐ。レティー特異部隊、第六位――通称、『赫灼』」

 赫灼……明らかに火属性だ。

「橘めありです。レティー特異部隊、第七位。別称は『聖水』」

 こっちは、水属性……っぽい。俺は明らかに無属性だし、戦いを挑まないほうがいいだろう。

「帰る」

 エメラルドは、興味がなさそうに帰っていった。ただ、去り際に俺の顔だけ見て。

 完全に見に来ただけ、って感じだ。

「ではまた失礼します」

 橘めありも、踵を返す。

 こっちは……事務的な言い方だな。戻ったのは報告だろうか。

「……着いてきなさい」

 来栖かぐはそう言うと、俺の横を通って、階段の方に向かって……階段を降りていく。

 黙って、ついて行くことにした。

「……今から貴方に、決闘を仕掛ける」

「決闘?」

「……ここよ」

 ふんぞり返った態度で、右に曲がって行く。

 俺も右に曲がると、そこは……

 球が上下に二分割され、その下の部分がすっぽり収まるような……そんな丸みを帯びた、半円状の空間が構えてあった。

 大きい……木組みじゃなく、しっかりと金属で作った骨組みが一部で露出している。天井付近は円の外周に沿って開けてあり、開けた部分から階段がある。階段はチェーンの手すり付きだ。

 合計十五人ほどの座席は天井付近にある。そこを一層だとすると、二層は高さが最大で六倍くらい違う。

 ことあるごとに、チェーンで舗装されたり、飾り付けがなされており、中央の円い……闘技場の様な舞台を吊るすようにしている。

「……決闘、って、何だ?」

「決闘。あたしたちが、死ぬか、諦めるまで終わらない。開始の合図で両者が構え、勝負が付くまでいつまでも殴り合う」

 黙って説明を聞く。

「あたしが勝ったら、何でもいうことを聞く。あたしが負けたら、何でもいうことを聞いてもらう。あなたにとっても、あたしにとっても」

「いうことを聞くって……」

「死ねと言えば死ぬ、消えろと言われれば消える。私が出す条件は一つ。鸞月燿に関与しないで」

 ……あいつに、関与しないで。それが向こうの言い分か。

「俺が……勝ったら?」

 明らかに公平性が無さそうだが……

「言ったじゃない。あたしが、あなたの言う事、何でも聞いてあげる。こういう無制限の賭けには、無制限の賭けが対価になる」

 俺が勝てば、何でもしていいってことか……負けたら何でもされるけど。

「ルールは三つ。開始の合図は共通で太鼓の音。負けを認めても殴るマナー違反を犯したらその分別の人から報復。最後に、特異は使わない。リングの上で待ってるから」

 言うが早く、タッタッとリングまで駆け降りていく。

 どうしたものか……

「拒否権は無いのか?」

「あると思ってるの?」

 肩越しに振り返って、睨みながら言う。

「鸞月燿がどうなってもいいの?」

「脅しは良くないぞ」

「脅しじゃないわよ」

 そう言った後……天井付近から、音が立って、階段を降りてくる。

 あれは……

「――!」

 俺と目があった……鸞月燿と、その隣の橘めあり。

 その後ろからは……黄色を基調にした、ごてごてした貴族っぽいドレス姿の女と、その後ろにはまた、黄色と同じデザインのごてごてさで、灰色を基調に色変した格ゲーの別カラーみたいな感じの女。

 俗称は勝手に決めた。黄色の方が金、灰色の方が銀。目の色、髪の色、服の色から何から何に至るまでが、色違い。

 四人組が、観客席に腰掛ける。端の鸞月は、俺の方を見て、何やら焦っているようだ。

「鸞月燿……彼女と約束を取り付けたの」

「約束?」

 俺は、リングの上で、仁王立ちしている来栖かぐを見る。

「地下は、誰がいるのか不明と言う話だったけど、実際のところは、ただ、特異を持つ人を集めた……監視所の様なもの。産まれてすぐにここにいて、ここで暮らしている人も多い。だから、余所者は邪魔をするなって、約束を取り付けた」

 ……俺がこいつを、邪魔にさせてる? 俺が気に食わない、と言うことか?

 確かに、戦闘とかに関して言えば、俺より地下の奴らの方が上手なのに……わざわざ俺に教わってたのは、そういう事情もなきにしもあらず、と言うことか。

「中途半端にあんたがいるせいで、ここに来てからはあんたの元にずっと行ってた。あんたより何十倍も強いあたしたちがいるのにも関わらず。つまり――」

「……」

「あんたがいるせいで、鸞月燿は下手な教わり方をするし、あたしたちと仲良くする努力をしなくなった。非効率的。邪魔だから切り捨てたいの。早く来なさい」

 変に俺が重要人物に介入してるせいで、何するにしても面倒だから、早いこと影響が出る前に断ち切ってしまおう、と言うことか?

 ……狙いは何だ?


 俺の情報は既に掴まれていると言っていいだろう。六階、なんてわざわざ呼び出す時に書いたわけだし。

 部屋の位置も絶対バレてるだろうな。

 それで……あの事件で、随分痛め付けられた。普段はそんな事は無いが、戦えるほど回復してないだろう。

 つまるところ……

 俺が、何か不純な目的であいつと絡んでいると思っているのか?

 助けた、と言う立場に甘んじてる俺を、断ち切るために……それに都合よく、切っても大して影響のでない六階の住人だ。

 あいつと俺の間の線をぶった切れば、あいつも地下に専念できる。たぶん想定外だろうが、俺は、念願の……退職が出来る。

 それぞれの条件を考えればいい。

 まず、地下。鸞月を地下に専念させるために、俺を退職に追い込んで、関われなくすればいい。

 次に、鸞月。俺ともうちょっと学びたい……と思ってるのだろう。まだ巣立たせるには若過ぎる。

 最後に、俺。……本当の所は、レティーを辞職する。それが既定路線ではあった。

 しかし、鸞月と一段落したら、だ。学校の教育も含めて、教えることも無くなった時に、そういう事を言うべきである。

 ……が……

 俺からすれば最も合理的なのは、すぐにでも辞職できる様に、決闘を受けること……無念感を出しつつ、仕方無く辞めました、って風を装う事ができる。

 途中で、責任を罪に問われず放り投げられるのだ。


「早く来なさい」

「分かった、受けて立とう」

 そう返事をして、リングの上にまで降りていく。

「リングのどこからでも、開始前に移動していいわよ」

「ああ……」

 充分に距離を開けて、円の中心を挟んで、丁度反対側に来るように、俺が移動する。

 俺と、来栖かぐの二人の直線は勿論、円の中心を通るが……だからといって、俺と、来栖かぐは正反対の位置にいるわけではない。

 微妙に、来栖かぐは距離が離れている。俺は肉弾戦メインなので、どうしても円の中心に近付いた状態からだ。


 ――

 橘めありが視界の隅で動いた瞬間。

 脱力――重力に従って、体重を掛ける。

 負荷が溜まりきらない内に、弾ける――

「――!」

 両者一歩も譲らない前線位置。ピタリ、超至近距離で、奴の右拳と俺の左拳を合わせる。

 静止――力のベクトルが完全にぶつかり合う、一瞬で相殺――

 せざるを、得ない。

 半身をずらす。俺から打って出るのは愚策、しかし――

 実力差が、ある。埋まらない、大きな溝が。

 半身を動かした途端に、拳が離れ、間髪入れることは無い、蹴りが入る――

 重心を見れば分かる、銃が前提の俺の、中距離、近距離両対応の動きと違い、極端に重心が前より。

 退避の前に、蹴りで刈られる――

 肉が鎌で両断されるかの様な威力、まともに受けれない、もろにぶち当たる。

 玉砕。

 はっきり言って刃が立たない。

「――あああ――!」

 二分されて俺が二つになる前に、気合を籠めて――

 ハッタリをかます。

 零、壱、捌――

「――」

 構えから、技を読み取った来栖かぐは、蹴りの軌道をほぼ真上に修正した。

 だが――

 苦肉の策を引き出した。

 ほぼ、騙し討ち。

 卑怯で構わない、でも――

「リマインダー」

「!」

 既に、仕込みは終わっていた。

 銃身を掲げる、軌道をジャストミートする。

 発砲、同時に、弾が腕を掠め取る。

 初撃で同時に拳を突き合わせたのは、俺の利き手を誤認させる為。右で殴りかかれば、俺が左で受け止めればいいが……わざわざ掌じゃなく拳にしたのは、そうしないと威力が抑えきれない、というのもあった。

 だが、懐に隠してある銃は右手で使う。敢えて、左手で受けることで、利き手を誤認、そして、完全にハッタリの型で動きを誘導し、今の銃撃に繋げた。

 ――そして。

 もう一つ、意識外から仕掛ける。

 敢えてここに来る前に、弾の種類を調節した。一発目は普通の弾、もう一発目だけは閃光弾で、それ後は普通の弾に詰め替えてある。

 チャカを、床に向けて撃った。跳弾を警戒し、銃口を見て、角度を予測し回避行動が……

 取られる寸前に、炸裂した光。

 予想は容易い、三半規管が制御不能になる技の終わり際に合わさったのは幸運だが、自爆しないために目を閉じていても、大凡の居場所は分かる。

 リマインダー――という技は、ぶっちゃけ十割適当で作った技。流儀もへったくれも無いクソみたいな仕込みと仕掛けでビックリドッキリさせた。

 残りのやることは簡単――

「ッ――!」

 全力で足払いを掛ける。着地直前の足に運良く引っ掛かって、真後ろにぶっ倒れた。視界無し、三半規管に強烈な違和感とダメージ、最後に足払いできた位置に向かって、払った足を上げて、振り下ろした。

 弁慶の泣き所とも言われる部位に、踵落としが入る。

 やることは一つだけ――行けるか――

「――」

 口を開く。行ける、今、何度も聞いてきた音声を真似できる気がした。

「スチャッ――」

 銃の音の真似。マキシマムですら完全消音は出来ないし、まさに……詰み、を彷彿とさせる。

 銃口は、まだ光のせいでどこに向ければいいかわからないのに、偉そうに俺が、喋る。

 上空に向かって。

 もう限界、というのを滲ませないように。

「俺は、鸞月燿の……父親代わりだ。いっぱい経験を積んで、自立する時になったら、自然と俺から離れていく。それまでは……負ける訳には、いかないな」

 頼む――

「――分かった、降参する――だから、撃たない――で?」

 ――既に銃は向けてない。オールハッタリで、スチャッの声真似で……

 無様……に、降参。

「……」

 目をゆっくり開いて、取り敢えず、その場から退いて、審判を見た。

 心底、驚いたような、呆れたような。

 なんというか……なんとも言えない顔だった。


「――黒宮さん!」

「大丈夫だ、特異無かったし」

 ゆっくりと視線を合わせる前に……抱き着かれた。

 精神が、未熟……何だろうな。

 結局あの廊下に戻ってきて、意気消沈して一言も話さない来栖かぐと、ちょっとキレ気味の橘めあり、エメラルド、金銀は見掛けないが、すぐに橘めありも挨拶だけしてどっか行った。

「なんでもいいなさい、自分で言ったことよ」

「いや……と言われても、な……」

 自分で言った事ではあるものの、こいつの教育上悪いことはやるつもりは無い。

 どうしたものか……

「まあ、そっちの言い分も分かる。俺よりも、地下の人の方が遥かに強いし……」

 俺より教えるの上手だしな。たぶん。

「いよいよ下位互換の俺が要らない、っちゃあそうだしな……」

「黒宮さんが、要らないなんて、そんな事は無いです。要らない人なんて、世の中にはいません!」

「……」

 社会の厳しさ知らない奴だなぁ。

 いつまでもそういうふうな君でいてほしいね。

 それは一旦置いておいて、どう落とし所を付けるか、だ。

 無難に、飯を奢る。とかで済ませてもいいが、そういうのは気にするだろうし……

 そもそも、距離感が違う。友達……では少なくとも無い。

「悪気は、無かったんだろ? だったら俺から頼みたいことは一つだ。こいつのことが嫌いじゃないなら、こいつに色々と教えてやって欲しい」

 ――特異。

 俺自身は目にしたことは無い。が、どんな能力なのだろうか。

 ただ、その分野に関して言えば、俺は手も足も出ない。

 橘めありや、エメラルド、金銀コンビがどういう態度かは知らないが、最低限一人の確約は貰っててもいいだろう。

「当たり前よ。そんなの命令に入らないわ」

 だが俺の目論見は半分外れた。

 言われなくてもやる、と言い出しやがったのだ。

 だったら、別の命令を考えなければならない。手間だ。

「何でも、望む通りにする。そういう条件だったのだから、生温いことはしないで頂戴」

 きっぱりしやがって……

 ……

「取り敢えず、ここじゃなんだし、別の場所で話さないか?」

「地下には部屋と闘技場しかないけど」

「地上の選択肢は無いのか? 落ち着かないんだが」

「あたしは地下じゃないと落ち着かないんだけど!」

 ……


 屋上。

 三人で話し込んでいた。

「誰もいないし、許してくれ」

「まあ……仕方ないわね……」

 人がいない隙にエレベーターで屋上まで行って、景色を眺める……

 ご満悦、では無いが、この景色は悪くはないらしい。

 ご機嫌は俺が取る側なので、一旦は一安心。

 で……これから、話し合いだ。

「本題、いいか?」

「早くしなさい」

 急かされたし、何でも一つ……って言われてるんだし、屁理屈で押し切ろう。

「後でいいだろ? なんでも言う事を聞くって言われても、急には思い付かなかったんだ」

「何で後なのよ」

「俺は夜型だからな、今は頭が回らないんだ」

「ふーん……じゃあ、今日中にもう一回、地下に来なさい」

「ああ。まあ、もう行く用事は無くなったから行かないが」

 おちょくる様な真似は良くないが、あいつ以外の最強集団と関わるなんて願い下げだ。

「後でいいってことは、俺の言う事を聞いてくれたって事だ」

「――あんた! 謀ったわね!」

「まあ。そうとも言うな。お前は言う事を聞いたが、俺は夜にもう一回来るとは言ってない。行く用事無くなったし、勝手にしてていいぞ」

 だがここで食って掛かるのは、こいつじゃない、鸞月だ。

「黒宮さん、それは屁理屈と言うものです!」

「いいか? お前は知らないだろうが、大人ってのは、ずる賢い生き物だ。大人に成りたかったら、人を騙す技術を身に付けるのが最短なくらい、狡賢さのパラメータは重要だ」

「……そういうところが、大人って言うことですか?」

「残念ながらな」

 納得は全くしていないようだが、何となく、理解は出来たようだ。

「さて、どうする鸞月? 暇になったし、トランプでもするか?」

「――はい、そうですね!」

「ちょっとあんたたち、あたしを無視――」

 ――乾いた風に乗って、そこで唐突に、アラートが鳴る。

 ――これは……

「近場に、出た?」

「……黒宮さん、これは……」

「レティーの近くで異常事態が起きた時に起こる、緊急アラーム。対処する人が大勢いるから、乱戦や混戦にならないように指揮系統を本部から俺達に変えてることを報せてる。集まり次第、みたいなもんだな」

 内部の連絡網も無くはない。こういう時だけは、全体グループチャットが活きる。

 別枠の連絡手段として、匿名掲示板があるが、あっちは入れたい人だけ入れてるから。

 レティーの周囲およそ百メートル。判断は本部が下す。

 出現位置は、衛星で発見してたら、その位置情報は地図にリンクされ、ライブ映像のようにスマホで見れる。

 来栖かぐが既に、取り出して見ていた。

「何、これ……」

 何が起きた?

 そう思い、そっちの方に目をやる。

「……」

 俺と鸞月に向けて差し出したスマホには、上から見たビル周辺と、赤い点がある。

 赤い点は、丁度――

「真上?」

 呟いた途端、上を向いた。

「――ッ」

 何やってる、地駿――

 上方向に、跳ねろ!

 屋上の床を蹴り飛ばし、無理な姿勢のせいで、横に緩く回転しながら天に登る。

 足、足、動け!

「あ゛ぁっ」

 雄叫びを上げて、空から鸞月に向かって直線的に落下する影人の芯から蹴飛ばす。

 屋上に、何でいやがる……!

「っ」

 片手と両足の三点で着地し、立って、そっちの方を見る。

 だが、俺の目の前には……

「――赫灼」

 灼炎。

 灼炎が、瞬く間に形をなし、円柱を作って、影人に伸びる。

 一瞬で黒く焼け焦げて、火炎放射が止まり――

 ……消えていた。

「――まった――」

 全く、と言おうとしたのだろうか。だがしかし、途端に全員の動きが止まる。

 空から宇宙のような漆黒が落ちてくる。

 何が――いや、これは……

「こんな時に、そんな、馬鹿な……」

「黒宮……さん?」

「……ブラック・ゲート」

 扉の様なものから、次々と、黒の異形がやってくる……最低で数時間は戦わなければならないほどの物量で、波のように押し寄せる。

 影人の出入り口が、負の負荷で開くのだ。残弾を切らすか、もしくは、ゲートを繋いでいる……濁った玉を壊さなければならない。

「発生源は……」

 まだ分からない、何で……

 と考えてる内に、空から、また、落ちてきた。

 影人――

 紅蓮が、着地する前に焼き尽くす。

 早い、強い、鋭い一撃。

 発生源は……発生源は――

 もしかしなくとも。

「上?」

「――あんた、ちょっとこの体、借りるわよ」

「は?」

 疑惑を唱えた瞬間に、俺の首に手が伸びて、掴まれる。

 来栖かぐ――一体、何をして……

「――あ」

 何だ……これ……苦しい。

 まるで何か。

 生気と正気を奪い取られている、かの、よう――

「――な――!?」

 瞬時、意識が落ちかける中、赫灼が身を焦がした。

 目が開く。開かざるを得ない。そして、眼の前の景色が、信じられない程に、驚愕する。

 微睡みが飛び、変わりに――

 燻った炎が――

 極太の火炎放射が、空に向かって打ち上がった。

「――は……」

 首から手が離れる。

 たった十数秒の間に、威力はどんどんと増して、空高くまで登る炎が消える。

 これが……特異――

「――」

 ……何で、こんなことをしたのか。その意味に気付いた。上空のゲートを焼き尽くす為だ。上空にゲートがあるなら、影人は最初に自然落下する。なら、真上にあると考えたほうが適切だ。

 だからといって、あんな……

「とっととずらかるわよ」

 そう言った来栖かぐは、エレベーターに乗る。慌てて俺と鸞月も駆け込んで、ドアが閉まった。

 そのまま一階まで降りて……

 結局、そこからは解散になった。


 あの後、事件の解決は確認した。ビルの火は正直誤魔化しようが無かった気もするが、言い訳は公務員達が考える。

 何の禍根も残さずにあっさりと終わらせた……流石の技量、としか言いようが無い。

 地下はやっぱ、銃以外の遠距離攻撃を持ってる。特異があるだけで、盾、剣、銃の様々な役割をこなせるのは、才能の差だ。

 ……そろそろ、いいのかもしれない。

 鸞月の強さは、まだまだひよこなだけあり、特異以外の強い部分が無い。だが、見る限り、身体の才能はある。

 一旦、そこから伸ばしていこう。

 というわけで、今日は……レティーの、武器屋に来た。

 レティーの銃は精密性重視。だが、銃と言っても、様々な種類がある。

 殆どの銃にはスコープが付いており、影人をノールックで撃ったりは全くしないものだ。

 影人は、倒すにはセオリーがある。速度で圧倒するか、カウンターで倒すか。速度で圧倒するのは産まれたての弱い影人だけで、実際はカウンターが大半。

 小さくとも大きくとも、盾は持っているものだが……取り敢えず、盾だけは欲しい。

 ビル内ではあるが、店内は人がまばらだ。俺は非干渉主義なので、勝手に隅の方から見てよう。

「鸞月、これはどうだ?」

 女性に一番人気、どうやって形容していいか分からない柄だが、しっかりと盾だ。

 だが鸞月は、納得はできていないようだ。

「なんか違います……」

 何が違うのか、それだけ言って、他のも物色し始める。

「銃は無いんですか?」

「向こうの方にあるぞ」

 それだけ言ったら、とてとてとそっちの方に行く。

 黙って俺もついていくと、……

 何と、物色していた銃は、マキシマム――史上初のサイレンスな銃。

 俺の愛銃と言えば愛銃だが、手に持って、使用感を確かめている少女の顔は確実に、重いなぁ、って思っている。

 俺は改造でそこから更に重くなっているが、素直に考えればそんな重いもん持ち運んでも意味は大してない。

 結局使用しやすいのが一番。なんで、その銃を取り上げて……

「弾も含めたら、たぶん持てないぞ。俺と同じ様にしたいのか?」

「……それは……はい。同じ銃でやりたいです、けど……」

「……持ってみろ」

 銃を引っ張り出して、ぽん、と、奪い上げられたままの手に押し付ける。

「……おわっ!」

 重い……重そうだ。小学五年生くらいの体格にその銃は不似合いだろう。

「……」

 無言で返してもらって、話し掛ける。

「素直に、一発ガード出来る盾にしておいたほうがいい。影人との戦闘の想定では、大体が迎撃、または先手だ。不格好でも受ければ直接攻撃は無くなる分、盾を持っておいたほうがいい」

「迎撃か先手……」

「影人は攻めるしか選択肢が無いから、見つかる前に先手で不意打ちか、見つかってからは避けて反撃がセオリーだ。後で教えるが」

 対影人に関しては進んでいないのが正直なところだ。技術ばかり覚えていても、活かせなければ意味はあんまりない。

 俺が言えることじゃ無いが、テンプレ通りで充分強い筈だ。

 軽めの盾でも、最低限の効果はあるし、一旦盾を薦めようと思ったが……

「先手の人って、どんな武器を使ってるんですか?」

 こっちは、スタイルを学んでいるらしい。

 いいことだ。

「基本的に、先手の方は何でもいい。俺は銃だな。サイレンサーで音による逆探知を避け、閃光弾でサポートも出来る。まあ、特化スタイルを貫いてもいい」

「銃……黒宮さんは、どんな銃を使ってるんですか?」

 そう聞かれる。

 性能を教えても害はないだろう。端っこの方に寄ってから、解説することにした。

「Maxim 9……だったか。そんな名前だった筈だ。マキシマム呼びな理由は、こいつが原型があんまり無いからだな。結構パーツを足してたから、ma……maxを付けて、マキシマム」

 マックスを足したのにはもう一個理由がある。改造屋に奢ったラーメンの激辛指数が、店内表記でマックスだったから。

 改造屋からは、マキシマムナインクロスMaximam 9Xで呼ばれている。

 マキシマムの英語表記は違うのだが、改造屋に、かっこよけりゃなんでもいいって言われてるし、名称は変えてないが。

「性能は別に、特別に凄い訳じゃない。サイレンサー自体、機能として要らないっていう論調が一般的だし。まあこんなところ」

 むしろ、俺しか使ってないんじゃないだろうか。

 そんなのはさておき、こいつはせめてもの何か、俺と似たような物を使いたいのか、考え込んでいるようだ。

「言っとくが、銃は誤射もある。そういうのを無くしたいなら、どうしても近距離武器になるな……」

 右に歩いて、コーナーを変える。

 そこは……全く売れてない……ハンマーがあった。

 直径六十センチで、柄も長いハンマーは、あんまりにも売れないから、埃を被ってて、店内の端っこで佇んでいる。

 ハンマーも……ハンマーの単位って何だ? まあいいか……二つしか無い。

「……何だっけ、両手にハンマーで、伝説の戦士……」

 空島の勇者の相棒……

「『二鎚のマキシマム』って名前だったか」

「マキシマム――?」

 空島の英雄……とも言われる、お伽噺の中の存在。

 知らないか。まあ、俺も詳しくは知らないが。

「水龍が水を率いて島を飲み込もうとした時、島を浮かしたのが勇者。水龍を足止めしたのが戦士と僧侶。そういう、昔話的なのだな。戦士は、二鎚のマキシマム。僧侶は、神典のレティー」

 レティー、と言う単語を聞いた途端、思い当たったかのように、顔が上がる。

「レティーの由来って……」

「その通りだな。ちなみに、件の僧侶は、勇志、力源、叡智の内、叡智を担当している」

 お伽噺ではあるし、水龍なんて到底信じられないが、レティーにとって、僧侶や叡智が相当な意味を冠する事には違いない。

「……銃より扱いやすいし、予備含めても全然予算が足りる。剣とか刀と比べても整備の量は少ない……いいんじゃないか?」

「……はい。マキシマム……」

マキシマムと同じ名前だからか? まあいいか」

 親の使ってた物をそのまま使うのはよくあること。銃はお下がりで上げるとしても、別に武器があっても何の悪いことも無い。

「二つ買うぞ。ハンマーの指南書なんて無いから、自力で探していこう」

「はい!」

 盾とかよりも、気持ちの問題だな。

 まあ、気持ちは無駄にはならないだろう。このやる気だったら。


 あの後、流れで指南になった。まあ、大したことは出来ないのだが。

 努力って、こういうものだ。

 結局俺が大したこと無くても、本人が頑張りゃ何とかなる。

 というわけで、両手にバカでかいハンマーを持ってずに膝を付いているこいつに、アドバイスを考えなくてはいけないのだが……

 まあ、まずは、ハンマーの動かし方からだ。

「基本、重量級の武器は本人の身体能力になる。だからまあ、体を鍛えるのは当然として……」

 補助とするべきなのは……

「お下がりだから、めっちゃデカいけど、このパワードスーツを着てみればいい」

 影人の、液状化の性質。そういうのを研究して出来たパワードスーツだが……

 色々と面倒だが、武器や防具には、色々と成約があるのだ。

 液状化する前の物質が硬ければ硬いほど、影人に対しては何とか武器になる。ただし、パワードスーツの場合は動きやすくするため柔らかくなっており、影人が液状化を使って溶かすことが出来るのだ。

 製造法とかは知らんが、ハンマーの素材もそういう物。

 影人戦じゃ使えないが、個人練習なら……普通に使える。

「……!」

 見につけてみて改めて感じたのだろう。動きやすくなったのが。

 というわけで、早速……

「持ち上げられる!」

「何でも出来そうな気がするだろ?」

 軽々と両方とも持ち上げた。

 ……そのまま、嬉しそうに、ぶつけないように軽く振ったり、打ち付けるフリをする。

 ……もう少し、見ているか……


「じゃあ、明日また」

「はい!」

 結局、自由練習をさせていたが、時間もいい感じなので終わらせることにする。

 一旦ハンマーを運んでからスーツを脱いで、ハンマーの移動は問題なし。手間だが、ハンマーの持ち運びはスーツを着てやる。

 ……地下に戻る背中を見送って……

 ぽつりと、漏らす。

「っぱ……駄目だな」

 ハンマーの使い方がなっていないし、後……

 見ててわかったことは、いっぱいだ。

 まず、ハンマー。酸化や錆。状態がとにかく酷い。まあ磨けばいいんだけど、このあとの理由で一旦却下。

 何故なら、中身に空洞が多いから。専門的な知識は分からないが、中身がスッカスカ……とまでは言わなくても、見た目通りの重さより軽い。

 ぶっちゃけ、六割くらい無駄な部分が多い。

 それは二つのハンマーに共通している。

 ……そして一番の問題は。

「……半液状化……?」

 振って、振って、振った時。

 微妙に、飛び散るのだ。殆ど感じないが、よく、よく目を凝らすと見える。

「……」

 専門的な知識はあまり無い。だからこそ……

 勉強、してみることにした。


 夜中っから、レティーの所持する資料室にお邪魔する。

 見事に無人。

 鍛冶、錬成の方法は……っと、なんて考えつつ、資料室を回る。

 ……結局、数分ほど見て、お目当ての本棚から幾つか持ってきて、窓際のテーブル席に置く。

 どっかりと椅子に腰を下ろして、開いてるカーテンから、外を眺めた。

 資料室と言っても、概要は殆ど図書館。ただ貸出は禁止。

 隠し事が多過ぎるせいで、重要な歴史的資料や、俺の目処である鍛冶や、影人についての本まで取り揃えてあるのに、一般公開は到底出来ない。

 階層を丸々使ってるから、大胆な部屋割りだ。さっきの一般公開出来ないのは、二種と称されて一箇所に纏まっており、一種の普通の本は別の場所に区画分けされている。

 夜の光、つまり月光を浴びながらも、二種の本を手に取って、電気を点けるのも悪いし、青白い光に晒して見やすくする。

 別にスマホでもいいのだが、そこは、気分だ。

 だが――

 一目見る前に、俺の耳が音を捉えた。

 ……

 遠雷の様な衝撃。

 ――たぶん、誰もが聞こえていた筈。

 もう一つ、もう一つ、音が鳴る。

 異変。

 そう――

 異変、なのだ。


 漫画とかアニメとかの敵組織って言うのは、往々にして、モチーフがあったりする。

 だが、そういう、モチーフ……で、言うと。

 歯切れが悪いのも無理はない。

 ――急な来訪者に掛ける言葉など、本当に、見つからない。

 レティーの十一階。

 資料室の窓から外を覗くと、正体が分かる。

 ……ヘリ……

 さっきの空砲で、軍事的な何かが起きていると察した。

 方角は……行政区である、六区の方角。

 レティーの建物はこれでも充分高い。六区の行政区など、高い建物は結構あるが、中央に近い建物で、高い……となると、レティーくらいだ。

 行政区では、薄っすらと……いや、下から照らされてはっきりと、紺色の、夜闇に紛れるヘリの姿が浮かぶ。

 二つの……筒? みたいなのが遠巻きでよく分かるが、明らかに砲だ。

 ろくなもんじゃねえ。というのはすぐ分かった。

 だが……

 レティーの周囲にも、敵はいる。

 見れば分かる、建物の屋上から、居住区である六階、それぞれの入口出口に、銃を持った人。

 私服の上からベストで、包囲してるのは見え透けだ。

 ――席を立って、五区の方面が見えるように移動し、こっそりと五区を見る。五区の上空では、俺がとんでもない光景があった。

 ――二基の、小さいヘリが巡回している。どっちかというと、人が乗れるドローンくらいのサイズ。

 そして小型ドローンが、どんどんと、民家やホテルのベランダから放り出されていく。

 ――作戦内容、知ってる……よな?

 まるでこれは……狙い澄ましたかの様な――

「チッ」

 スマホを起動、すぐにネットニュースを確認。

 空島の行政機関……会議所である、島内議事録管理署、島内議事執行所の二箇所で発生した……

 テロの様子が、現場近くの島内専用テレビ局でも映し出されている。テレビ局内の裏切り者と共謀し番組を中止して放映されている。

 要するにテレビを付ければいいだけだが、分かってるのは……既に、大きく動かれている、と言う事だ。

 テレビ局の掌握、周辺施設の鎮圧……レティーは万一に備えて完全に包囲。突っ突かれてはいないが。

 何故、ゲートが閉じたばかりのタイミングで――

 違う。閉じてなかったら、もっと最悪な事になってる。

 喧嘩、売ったな――

 レティーの制服は着てる、外履きで、ついでに、銃も……ある。残弾数もまだある。

 真相は何となく、想定が着いた。わざわざレティーを抑えるのは、テロの目的は……影人。

 あれも、使うからだろう。

 突破口を練らなければいけない。

「――ったく」

 エレベーターは……いいや。足で屋上に向かう。

 階段を駆け上がり屋上に出て、そこにいた先客に、頭を抱えた。

「お前……」

「黒宮さん!? 何で、ここに……」

「その言葉、地球を一周回ってお前の背中に突き刺さったぞ」

 レティー周辺の会社は、政府の管理してる会社や、警備会社など。

 地下の奴が動かなくとも、それなりに時間も掛からず抜け出せたはず……だが……

 正義感、か。

 ハンマーは持っていない。装備無し。

 己の信念が一番の武器。

 そうだ……そうだった。

 こういう、奴だった。

 本もあの席に置きっぱだし。トランシーバーだって持ってない。

 だが不思議と、ここに落ち合ってしまったのは……

 もしかしたら、神様が俺を働かせたいのかもしれない。

「ったく……動機だけで、行動に移したわけじゃないけど……実際にこういうことやってるのを見ると、そういう奴だな、って納得した。命令は出てないけど、手伝いに行こう」

「――はい!」

 声を掛けて、そっちに、一歩近づく。

「出来れば、背中にびっしり捕まっておけ。側面にはみ出すと痛い目見る」

「――はい」

 背負う。

 小学五年生と遜色ない体。俺の背中より、もっともっと小さい横幅。

「何かあったら、俺がやる――じゃあ――」

 ちょっと小っ恥ずかしいけど。

 父として、格好付けるか――


「踏空」


 空を踏む――その技に一番大事なのは、レティーの制服。

 空島には……磁石みたいな感じの、独自の鉱石類があったり、地場がある。

 磁石のS極、N極みたいなものも存在し、地質的に、空島は上部がS極になる。勿論磁石とは全く違うが。

 靴の拡張機能を解放して、同じS極を靴の裏から出すようにすると、反発が起きて――浮く。

 空を歩く。訳じゃない。

 全力疾走で……あれだ、ギャグ漫画のぐるぐるな足で、崖の上から飛び出しても一定時間落ちない……みたいな感じ。

 常に地駿で進行方向と、上方向に弾きを入力し、高度と速さを保たなければ……使い物にならない。

 軽く、月の上……とまでは言わないが、ふわりとした感じで、助走を付ける。

 走り幅跳びのように、地駿で一歩、弾き飛ぶ。

 ビルの縁を、ギリギリを狙って――

 思いっ切り、弾き飛んだ。


 実際のところ、途中途中のビルで側面を擦り付けて跳ねるので、高度の減衰は大きくは無かった。

 ――夜に扮して、一区に到着する。

 どこかのビルの屋上で、遠巻きにテロの現場を眺めていた。

「マップ把握は……というか、来たことはあるか?」

「無いです、すみません」

「謝る必要はない。上から確認する。ここら一帯のビルはまだ現場の近くじゃないが、下やベランダあたりから侵入者を見張ってる。現場付近の建物は、デカくて、平べったい建物が集まってる。これが正直、全てだが――俺達の作戦は、テロリストの撃退じゃなく、テロリスト襲撃と同時に起こる……であろう、影人の阻止。出番が無かったら一番だが」

 明らかに、儀式が……起きるだろう。

 こんなにも、人を動かして。

 大規模な作戦行動……

 早いこと俺は辞めたいのに、な。


 銃の整備だけ軽く済ませて、現場付近に待機場所を移す事に決めた。

 ここから乗り出せば、見つかる可能性は高くなる。既に見つかってるのかもしれない。

 しかし、監視カメラに映るのは別に気にしないでいいだろう。

 まず、レティーを飛び出した時の反応。

 そもそもレティーの制服は、夜に扮する事ができる。人間じゃなく、ドローン越しとかで違和感を見つけるのは中々難しい。

 気にしなくてはいけないのは、人間の連絡網。

 人力で見つけられたら、どぼん……

 ルートは……選んでいる暇は無い。

 大通りから一息で、全力の地駿で視認される前に突っ切る。

 突っ切ったあとは……適当な路地裏に隠れればいい。

 ただ、姿勢制御も合わせて――成功確率は極めて低いが。

「……ブリーフィングだ」

 打ち合わせの後、出来るだけ、垂直落下で通りに飛び込む。

 背中に抱えた中学生を傷付けない様に、右足に負荷を掛けて――

 ぶち壊す勢いで、ベクトルを無理やり変化させた。

 激突する勢いで、浮いて、走り切る。

 途中でまた、ベクトルを逆方向に転換。減速と――着地――

 何とか終わらせ、予定通りに、路地裏――に入る。

「――はあ……はぁ……」

 息を落ち着かせながら、一旦……静止する。

 肩を、壁につけて、尻を着いて、膝から崩れ落ちた。

「……――」

 マズい。体が、痛い――

 ――落ちる。




 ――

「黒宮さん……!」

 声を掛けたら、ハッと、跳ね起きる。

「……すまん、もうちょい頑張ろう」

 ……こんなに、苦しいのに。

 素直に、そう思った。

 自分がまだ、何も出来ていないこと。

 それが今は、不甲斐なかった。

「――は……ぁ……」

 息を吐き出す。

 その姿が……苦しそうだった。

「――ぁ」

 何か、悪い……悪い予感が、駆け抜ける。

 この、異質な雰囲気、慣れることは無い、そう……

「――影人」

「……ああ」

 呟きに、反応したけど……それでも、まだ、動けるようには見えない。

 でも、壁に手を着いて、気力だけで……立ち上がってしまった。

 何も言うことができずに、その顔を眺めるしか無い。

 不甲斐ない……

 でも。時間は待ってくれない。

「――あ」

「――!」

 気配が色濃くなって。

 濃密な――

 瘴気が……

「ブラック・ゲート――」

 その声に、隣を向く。

 それから、視線を追って。

 黒い渦が、上空に渦巻いていた。

 近い。目視できる……

 ……

「――見つけた」

「見つけたって……?」

「あそこの、中心に……濁った玉がある」

 ……それを壊せば、早く終わる。

「もう一度、建物から踏空で――」

 そんなことを言い出した。

 あの時の怪我も治ってないはず。なのに、まだ動こうとする。

 何も……できていない。

 何も……


「――」

 結局、建物の、屋上まで来た。

 奇しくも、既に取り壊しの決定している廃ビル。窓ガラスを割って、不法侵入してしまった。

 頬を撫でる風。

 この状況に、つい数時間前のデジャブを感じる。

 来栖かぐ……その名前が、頭の中を駆ける。

 全く、敵わない。

「ッ!」

 あの時、あの人みたいに、出来たら……出来れば……

 悔しい……!


「――なら」

 後ろから、声が掛かる。

「一回、やってみよう」

「……でも、私だったら……私では……」

 小さく、違う、と否定の言葉が掛かる。

「お前の正義は、そんな――そんなものじゃない」

「――」

「……」

 正義。

 正義、と反芻する。

 使命感が溢れて、光明が見えた。

 行ける。ふと、何故かそう思った。

 だってそれは……

 たぶん、確証のない――何でも出来る感覚。

 我を思い出し――

 ただ、自分のイメージに従って。

 見えない、弓を引いた。




 ――

 ああ。

 俺の、見立て通り。

 意識が、戻って来る。

 眠気が覚めて、今、目の前の少女に注目した。

 大きな、弓。

 それは、イメージ……とでも言うべきか。

 無いはずの物理法則に従って、矢をつがい、弦を引く。

 弓道なんて、どこで習ったか。

 だが、見様見真似でも――

 その白い熱に浮かれるほどに、心が踊る。

 本物だ。

 何故か、そう感じた。

 ――音はない。だが、素早く、矢が射出される。

 白い紅蓮――白蓮が、残火を残しながら。

 煌めく白線が、一寸違わず――黒い渦へと――そして。

 四散。花火の様に、四方八方に弾け、サッと夜空に消えていく。

 ――濁りが、割れた。

 肌で感じる。瘴気が霧散し、元に戻る。

 だが――

 黒い渦が、小さくなったと思ったら――

 渦の中から、手を引っ掛ける様に。渦と言う縁を掴んで――

 渦が、ズ、ズズ――と広がり。

 中から――出てきたのは――

「――」

 大量の瘴気と、墨汁のような液体。そして、霧のような手足と、背中。黒の体躯で構成された、大口の――まるで、どっしりと構える、グリフォンの様な。

 そんなぶっ飛んだ生き物が、そこにいた。

「――撃てるか」

「――で――でき――っ!」

 ――キツいか。

 あんなデカいやつ、何で、こんなタイミングで――

 ――ガチャッ。

 だが、唐突に、真後ろから、屋上の扉が開く。

「――っ」

 バク転と地駿の組み合わせ。手を着いた瞬時、弾けて――

 開いたドアを更にぶち開け、顔を見た上で、もう一度、手を床につき――

 かの有名な技――躰道の、卍蹴りを見舞う。

「動くな」

 立ち上がり、マキシマムを向け、睨みを利かす。

 誰――だ?

 ベスト――一般人っぽい。体も鍛えられていない、だが空島を壊そうとする戦力ではある、どうする――

 いや、よく見たら――怯えている。

「――あれは何だ」

 後ろ指を指して、速やかに言う。

 睥睨も忘れない。冷ややかな口調を心掛けた。

「吐け」

「――あ、あれは……」

 ……押すか。

「言え」

「あれは、し、知らない! ――」

「……」

「本当だ! え……ぅぁ、ま、待て――」

 殺ってもいいか。と思ったが、教育には大分悪い。対人間なんてレティーは最初から想定してないし。

「もういい。所属は」

「所属――は、す……水龍」

「――」

「の、し、下っ端。何も、知らない!」

 水龍。伝説関連か?

 だが、何で伝説上の悪役である水龍に肩入れしている。

「……」

 少し、考える。

「何でこの島を襲う」

「……ぃ、一味の、逃げ、た……先が、ここだからだ」

「一味をどうするつもりだ」

「島を……囲んで……その後は、分からない」

 震えて、そう言う。

「……もういい」

 幹部級じゃないと、まともな情報は無いだろう。

 制服からワイヤーを取り出し、手首を乱雑に掴んで、巻いて、近くの配管に括り付ける。

 手際よく終わらせて、もう一度、向こうの……黒グリフォンを見た。

「――っ」

 ビルの屋上に鉤爪をめり込ませ、周囲を見回している。

 開いた口から、涎の様な黒い液体。いや、涎と言っても差し支えないもの。

 何か意思があるのなら、絶対にそれは、俺達にとって悪い意思だ。

 召喚者が悪者なら、たとえ罪は無くとも……

 即刻、殺処分すべき。


 スマホの電源を入れて、パスワードを解除。目の前の鸞月に電話をかけた。

 銃の一発目を、閃光弾に入れ替える。次弾は、もっと強力なモノに。

 最後に、鸞月に一言。


「逃げた方が良い。人が集まるぞ」

「待って!」


 ――後ろ髪を引き千切る!

 背水。

 せめて、こいつの前では……

 正義のままで、死んでやる。


「がぁああああ――!」

 踏空、地駿――

 組み合わせる。

 空を弾いて、敏捷に――

空駿そらづる――!」

 たぶん悠長にしてる暇はない。

 そして、こいつは全く動けそうにない。

 せめて時間を……稼ぐ。

「――」

 耳を劈く声と共に、グリフォンが空へ飛ぶ。

 ――来る――来る!

「っ」

 空をは――じっ――

「ぅ」

 腹を、翼の先端で軽くどつかれる。

 その瞬間、格ゲーの撃墜演出の様に、世界が一瞬止まったかのように――

 錯覚した。

 気圧の差、急激な外気温の低下。

 腹に血液が回らず、下半身が一時的に動かなくなる。

 それらの感覚を軽く上回る、腹から抜けて脊髄に来た衝撃と、ビルに当たって砕け散った骨格の痛み。

 神経に折れた骨が突き刺さり、一時的な触覚の遮断と、骨から剥がれた筋肉の乖離による硬直。

 筋肉、骨、内臓がごちゃ混ぜになり、神経網が歪み、古傷がもう一度再燃し――

 擦り傷切り傷を付けたビルが、たったの一瞬で壊滅する。


「――」


 虚ろな意識で呼び覚ました、振り絞った筋肉――腕を振るい、弾く様にして、方向を転換する。

 風が頬を撫でる。もう一度――目覚める。


 痛みが、中和される。アドレナリンが出たから。

 頭が、回る。瀕死だから。


 それでも才能は無くて、開花する花と呼べる、美しいものもない。


 例え道端に落ちてる石ころでも、溶かして固めれば、それなりに硬いものになる。

 目の前の壁を打ち砕くハンマーになれなくとも、俺がマキシマムじゃ無くても。

 それでも。あいつの前だから、あいつの正義感を、汚したく無かったから。


 ――空駿――




 ――

「……ぅ…ぁ……」

 グリフォンの突進を受けて、血を撒き散らしながら、もう一度空中で姿勢を直し、機動する。

 その光景を、遠巻きから眺めていた。

 見ていられない。反射的にそう思ってしまっても、目を離すことができない。

 フラッシュが爆ぜて、目を竦める。

 次の瞬間、グリフォンの爪から、血が滴る。

 一瞬の交差で――胸から大量の血を流して、宙に打ち上げられた。

 見ていられない。

 でも、見なきゃ……いけない。

「――!」

 まだ、動いている。

 跳ねるように、雷のようにジグザグと動いて、銃を撃っている。

 マキシマムクロスナイン――

 あっちのマキシマムは、あんなにも、高潔なのに。

 ――ハンマー――


「……っ!」


 辛い、苦しい……疲れた。

 起き上がれない、もう一度、あの純白が、見えない。

 ――細胞が、警告する。

 無理にでも出せば、その力を使えば、死ぬかもしれないと。

 ――だけどッ!


 ――天網恢恢疎にして漏らさず――!


「――天炎」


 体が――白く、燃えそうな……

 絹を引き裂く様に、残酷で冷酷な……無比の痛み。

 死ぬ気でやる、死んでも勝つ。

 覚悟が定まって、目が据わる。


「――っ」


 何のための、炎。

 樽型の大きな火の玉に、申し訳ばかりの柄が付く。

 純白に黄金と緋炎の罅が入り、ハンマーの片面から、陽焔が煌めく。

 空に、巨大な――六十メートル余りの、巨大なハンマー。

 まだ肥大化する。遂には、その五倍にまで到達した。

 グリフォンが、その白炎に向かって、瘴気のブレスを吐く。

 そのハンマーは、意に介すこと無く、グリフォンに向かって、鉄槌を下す様に、振り上げられる。

 グリフォンが、鉤爪を前に、ハンマーに肉薄する。

 振り下ろす途中のハンマーに当たって、押し合いになったが――間もなくハンマーが押し勝って、鈍い音を立てて弾かれる。


 勢いをべく変し、空中で旋回し、瘴気を空に向かって吐く。

 黒い霧。視界が不良になったかに思えたが、眩い光がそれを許さない。

 霧が、ハンマーに押し退けられる。

 当たったら一溜まりもない、一撃。

 霧ごと押し潰すように、もう一撃が入った。

 霧が霧散し、殴られた箇所からぼたぼたと墨の様な液体が溢れ、散る。

 鉤爪がねじ曲がり、耳が拉げているのがはっきりと照らされた。

 当たった――

 そう認識する。

 遥か上空から散った墨が、雨のようになって、ビルや人に無差別に降りかかる。


 もう、一回――

 だがその攻撃の寸前、空に、黒い……濃い、玉が――

 上空から降ってきた。

 その黒い真珠は、ぐるぐると回転にしたかと思えば、乱反射を伴って、周囲の空に亀裂が入る。

 亀裂から漏れるのは、異空間のような青色でも無く、神界の様な白磁色でもない。

 真っ黒が、広がる。空という黒に、黒という色が描かれ、それは、染みのように広がって、墨汁の様な黒い液体が溢れ出る。

 伴って瘴気が宙へ注がれ、花に釣られる蜂の様に、グリフォンがそちらにゆらゆらと、しかしちょうそくで近づいて……

 一瞬、捕食するかのように、ガバッと黒が広がり――

 グリフォンの上半身が、分断したかのように無くなった。

 やがて次の瞬間には、下半身まで、丸ごと飲み込まれる。


「――待てッ!」


 だが、ぬぷり、と。

 既に、消えた後だった。

 空を切る。

 ハンマーが、空を叩いて……

 ポロポロと、火が燃え尽きる。

 残火が尾を引く。

 駄目だ。

 ……消えた。


「――ッ――」


 視界が、ぼやける。残火の尾が、陽炎になって、視界が黒く沈む。

 駄目……だ。

 ……


 ………………

 ………………




 グリフォン。

 その姿を見たものは、あまりいない。何せ空島で、空を見る人なんて、滅多にいないものだ。

 警察に、軍隊が動員され、事件は解決した。

 レティーが警察や軍隊と協力し、犯罪者相手に力を振るったのは、初めてのことである。


 午後、十一時。

 現場に到着した、来栖かぐを含む一行は、廃ビルの屋上から、空島を見渡していた。

 レティー、トップチームの十二人。

 そしてその傍らに、上役として佇むのは……

 その異名『魔眼』の副社長、七海。

 御年十九歳の女性で、片眼鏡が特徴だ。

 口を開いて、屋上の縁に腰掛けながら、彼女達を呼ぶ。

「点呼します」

 一声……きっぱりとした発音で、声を出す。

 音に強弱があって、聞き取りやすい。

「黒鉄。奇跡。紫電」

 言われた三人は、返事しない。

「左翼。右翼。赫灼」

 彼女らもまた、動くことは無い。

「聖水。常磐。左舷」

 微動だにせずに、表情を変えない。

「右舷。金星。白夜」

 だが、それぞれの中に秘めた思いは、しっかりと抱いていた。

「そして……銀鎚」

 その、最後に呼ばれた少女は……まだ、気を失っていた。

 そして、副社長は、十三人を見回して、呟く。

「点呼も終わりましたし、帰りましょう。銀鎚は、ワタシが持ちます」

 ――一様に秘めたのは。

 銀鎚を気絶させた、グリフォン、そしてそれを呼び出したものへの……怒りだった。




 全身骨折、内臓は機能停止。

 血塗れ、泥塗れ、そして、細菌まみれ。

 発症した悪病に、身体の修復と病気への対処が間に合わず、触れただけで身体が崩壊。

 治癒は理論的に不可能、そして、後遺症等が確実に残る、とされていたが……

 ――こと、それは一般的な医療の範疇の話だ。

「……っ……」

 震えが起きて、少年が、治癒されていく。

 浄化されるような、洗い流されるような……それでいて、身体が治る。

 これは、一体……

 そう思うのは無理はない。

 だが、更に不可思議な事象があった。

 千切れた腕が、生えてきたのだ。

 全回復、その妙技を出来るのは、唯一人。

 そう、それは――




 影人の発生には、儀式が必要だ。

 その儀式をやる者は、悪ふざけなのか何なのか、誰が儀式をしているのか、未だに判明していなかった。

 しかし……

「我々教団は、賜りし恩賞を受けるのだ」

 そう言って、古い本を開く。

 儀式の再現。そのあり方が載っている。

 データは様々な方法で保管している。教団の拠点内で、電子上で管理したり、コピーを取ったり、教団員の脳内だったり。

 他にも、勿論……ある。

 それらの強引な手段を用いて、何をするつもりか。

 どこに利があり、何と協力しているのか……

 教団の中にいる人々が、高らかに笑っていた。

 なんてこともない。

 宗教、と言うものだった。




 銀鎚。

 そのコードネームは、あの活躍を見て、付けられた。

 レティー、本社の会議で、あの真っ白な……プラチナの様な大きなハンマーに脳を焼かれ、その異名を、銀鎚にしたのだ。

 銀鎚――五億人に一人、とも言われる、特保の一人。本当に五億に一人なら、今、百億人程度の地球の中で、丁度二十人目、と言うことになる。

 銀鎚の本名は、鸞月燿。ひかると言う、男にも取れる名前だが、女の子だ。

 中身は……殆ど不明だが、十四才……中学二年生を自称している。しかし、外見は小学五年生と一致しており、三年分の年齢詐称を親から課せられたものだと思われる

 しかし扱いは、中学二年生相当としている。


 今回の事件では、目立った外傷はなく、変わりに、特異の使用による疲労や脳の過負荷があった。

 現在は入院中であり、同じく重傷の、黒宮と同室。

 黒宮は彼女を特異に目覚めさせた張本人である。


 現在の銀鎚の状態である。

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