第7話

 夏祭りから一ヶ月後。

 九月も終わりかけた曇天どんてんもと、見晴らしのいい高台の通学路を僕は一人でとぼとぼ下校する。

 秋雨前線あきさめぜんせんが停滞しているせいで、ここ最近の天気は冴えない。右手に映る街と山は、無機質なモノクロの中に沈んでいた。

 うだるような夏の暑さはすでにない。むしろ、秋を告げるかすかな寒気が肌をかすめる。

 いつもの癖で、隣を見てしまう。

 太陽のような笑みを振り向けてくれるマヤさんは、そこにはいない。

 いないと分かっているにも関わらず隣を見てしまうのは、これで何度目だろうか……。


 彼女が死んだ訳ではないし、今も健在だ。

 今日だって学校では、マヤさんが女子生徒たちと楽し気に過ごしているのを遠目から確認できた。

 

 なんのことはない。

 常に独りだった日常へ戻っただけ。

 ようやく手に入れた平穏だ。

 

 けれど……。

 心の穴はいっこうに埋まる気配がない。

 マヤさんと会えそうなのに、会えないというのだからなおさらだ。

 もどかしい。もどかし過ぎて、何度も心が張り裂けそうになった。

 自分でも気付かなかった。

 自分が思っている以上に、僕はマヤさんの声をこれほどまでに欲していたとは……。


 

 夏祭りで解散し帰宅した頃、僕のスマホにマヤさんからの電話が入り、そこで真相を知った。


「当分、アタシに近づかないで」


 開口一番に、彼女の放った言葉だった

 もっとも、スマホ越しから響くマヤさんの重い声音に、こちらへの嫌悪感がみられなかったのは幸いだ。

 それに、彼女がそう口にした理由も分かっていたので、絶望にくれず僕は会話ができた。


「どうして急に掟が発動したんですか? 夏祭り以前は、何事もなく普通に過ごせていたのに」


 自室のベッドで、僕はぎゅっと膝を抱えた。

 『魔女の掟』は、魔女の存在を公にしようとする人間に発動するものだったはず。

 誰かに魔女の存在を口外するつもりなど、僕にはさらさらな買った。


「あくまで推測だけど、『魔女まじょおきて』は賢吾くんをあたしに魔法を使わせかねない存在だと認識したのかもしれない」

「それって、掟が僕を敵とみなしたという事ですか?」


 スマホ越しでマヤさんが言葉を詰まらせる。

 しばしの沈黙が、その通りであると肯定していた。


「魔女の掟は、なんとかならないのですか?」

「調べてみたけど、駄目みたい……。掟が一度敵とみなした一般人は、未来永劫その人を魔女から遠ざけるのよ」

「そんな……」

 

 震えた声に絶望が滲んでいる。

 僕は突き放されたような気分に駆られ、次に繋げる言葉を失くした。


「賢吾くんはもう、あたしに近づかない方がいい。そして、あたしの事はもう忘れて」


 はっきり告げてくる。

 心苦しそうにしてくれているのが、せめてもの救いだ。


「短い期間だったけど、今まで、あたしのわがままに付き合ってくれて、本当にありがとね」


 ベッドの上で身を縮めながら、気づけばくちびるを強く噛みしめていた。

 やめてくれ……。

 本当に感謝しているなら、なんでそんな悲しそうなんだよ?

 

 そう言いたかった。

 けれど、彼女の決意と心配をふいにしそうで、声が出なかった。


「さよなら、賢吾くん。元気でね」






 それ以降、夏休み中の交流は途絶え、学校が始まった。

 無論、それからもマヤさんに会おうと試みたが、その度に不可解な出来事に見舞われた。


 学校の休み時間、マヤさんと廊下ですれ違いざまに声をかけようとしたら、校庭から飛んできた野球ボールが窓ガラスを突き破って僕の眼前を掠めたり。


 通学路で彼女の背中を追おうとしたら、突然カラスの大群や野良犬に襲われたり。


 またある時は、大通りの通学路で彼女に近づこうとした瞬間、横の道路を走っていたトラックが突然歩道に乗り上げ横転してきたのだ。

 それも、僕とマヤさんを遮る形で。

 

 幸い僕も含めて怪我人はいなかったけど、命の危機を感じた僕はマヤさんと会うことを躊躇うようになった。

 夏祭りの一件以来、電話でのやり取りもなく、僕たちは急速に離れていったのだ。


 そうだ。これでいい……。

 鈍色に染まる通学路の最中で、僕は改めてそう認識した。

 二度と近づかなければ、互いに傷つくことはない。

 これが僕と、マヤさんにとっての最善なのだ。

 誰とも深い繋がりを持たず、『賢吾』という人間として生きる。

 それが僕の願いだったはずだ。

 これで、良かったんだ……。これで……。


 彼女のことは忘れようとする。

 けれど、頭から離れなかった。

 銀色の髪を掻き分けるマヤさんの姿が。

 夏の日差しを浴び、楽し気に髪を錦糸のように揺らめかせる彼女が。

 悪戯な笑みで変な薬を渡してくる彼女が。

 浴衣姿でりんご飴をほお張る彼女が。

 忘れようとするたび、彼女との記憶が一コマずつ鮮明に蘇る。

 僕の心は、未だ、マヤさんの残像を追い続けていた。


「どうして、なんだ……」

 

 道の途中で立ち止まる。肩を震わせる。

 みっともない姿を晒さぬよう、曇天を仰ぎ、目元を片手で覆った。

 孤独の寂しさを痛感するたび、涙を溢れさせずにはいられなかった。

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