第11話 夏主

 コハクが船室にいない。

 不思議に思ったクレスは、船の中を探して回っていた。

 そして最後に行った帆船中央広場でレイと会ったクレスは、レイにもコハクのことを聞いてみた。


「ああ、コハクね。私のところに遊びにきていたよ」

「は…あ……?」


 意外な返事を聞かされ、驚いたクレスだ。


「あとでクレスの部屋へ帰そうかと思っていたんだ。今も私の部屋で寝てる」

「あ、っそうか。それならいいんだ。悪いな。部屋から出すと船員にうるさく言われるかもしれないから、気を付けていたんだ」


 コハクの件が分かったら、安心して急に腹が減ってきた。 

 朝に水を飲んだきり、今日は何も食べていない。


「レイ、昼飯食おうぜ」

「ああ……、私は本当に食事はいらないのだけど……」

「いいから食え」


 遠慮しているだろうレイを制して、問答無用でクレスは断言する。

 いくらレイの身体が細くても、自分よりも身長のある彼が、自分より食べないでいられるわけがないと思う。


 売店で昨日と同じ焼物パンと牛乳を買うと、それを帆船中央広場の食卓へもってきた。そして昨日のように備え付けの透明な器に牛乳をそそぎ、焼物パンを二つに割る。

 片方をレイに渡した。

 レイは大事そうにそれを受け取ると、目元を緩ませてなめらかな声で礼を言う。


「ありがとう、クレス」

「いいって。気にすんな」

「明日の昼には船は夏島首都につく。そうしらたら、お礼をするよ」

「だから、いいって。それよりも食え」


 わかった、と言ってレイは食事を始めた。

 クレスもそれを見て、焼物パンにかじりついた。


「なあ、あの泥棒の件、結局お金は帰ってこなかったな。がっかりだ」

「そうだね。取ったお金は全部使ってしまったらしいから。泥棒らしいというか何というか」


 そう、泥棒はいま船の警備部の詰め所で拘束されている。夏島首都についたら、それ相応の牢屋へと入れられるだろう。

 そして、お金は一銭もクレスたちの元には返って来なかった。

 なので、クレスたちはまだひもじい食生活を続けているのだった。




 食事のあとクレスは、コハクを連れ戻すためにレイの部屋へ寄った。

 コハクはみゃあみゃあ鳴いてレイに身を摺り寄せている。


「お前、人懐っこいなあ。でもレイは命の恩人だから当然か」

「匂いで私の部屋に来ちゃったのだろうね」


 クレスはコハクを抱いて、それじゃあ、と扉に手をかける。


「クレス」

「なんだ?」


 突然、何か真剣に名前を呼ばれ、クレスはレイを振り返った。


「ありがとう」

「……なんだよ、改まって」


 急に言われてクレスも戸惑う。


「べつに。それだけ言おうと思って」


 にこりと綺麗な笑顔を見せるレイが、何を考えているのかクレスには分からなかった。


「ああ、そうか……? じゃあな」


 クレスは不思議に思いながらレイの部屋を出たのだった。




 部屋に残ったレイは寝台に腰をかけて、少しのあいだ目をつむった。

 自分は食べ物を必要としない生き物だ。

 食べることはできるが、食べなくても生きていける。

 でも、それもなぜか言い出せなかった。

 自分が他の『人』とは違うことも。そして、クレスの食事を不必要に減らしてしまった自分を、少し後ろめたく思った。

 久しぶりに個人として他人の情に触れたレイは、クレスにとても好感を持った。

 瀕死だったコハクを放っておけないところも。

 自分が悪夢に襲われていたときに、『おまじない』をしてくれたところも。

 食事をわけてくれたところも。

 好感が持てる。

 クレスは天真爛漫で、優しくて、元気で、活力の塊みたいな青年だ。

 でもそれは、レイの心を鋭く貫く痛みをともなう『想い』を思いださせるのだった。




 カンカンカンと鐘が三回鳴った。

 次の日の昼、帆船は夏島の首都、キリブの港へとついた。

 船から続々と人が降りていく。

 夏島では、半分ほどの人が肌の色が濃い、とクレスは神官学校でならっていた。

 そのとおりで、肌の色が濃い人たちがいる。そして、半分はクレスのように肌の色が少しついた人々だった。色々な人達がいる浮島だ。

 港町では漁をする舟もでていた。

 帆船はこの夏島では三隻しかないらしい。クレスはレイにそう聞いていた。それが交代で運行している。


「よし、じゃあ、行くか」

「みゃー」


 コハクが返事をするように鳴いた。

 クレスはコハクを背後の物入れに隠して、桟橋を通って船を降りる。

 海を見ると、灰色の空を映して、海も灰色だった。本当に夏島の海は色が変わる。

 船をおりて空を見上げると、何か雲行きが怪しくなってきている。

 さっきまで青い空だったのに。


「これから夕立があるよ、きっと」


 後ろを歩くレイが空を見上げながらつぶやく。


「夕立か。やっかいだな」

「私の家はこの街にあるし、ここからすぐだから、取り敢えずうちにおいでよ」

「え、でも……いいのか? それに俺、宿もとってあるんだ。そこにお金も入ってるし」

「雨宿りしてから、宿にいけばいい」


 レイがいいと言っているなら、とクレスはそれに同意した。

 夏島の大通りをまっすぐ歩いていくと、そこには小高い丘に夏神殿がある。

 三階建ての建物の四隅に青い三角屋根の尖塔を四つ持ち、外壁は白で一階部分に波の彫刻があしらわれている。

 港から見るとその夏神殿は、小高い丘の上に建つ童話の中の城のようだった。

 港の喧騒を聞きながら、商店のならぶ大通りをまっすぐに歩いていく。

 ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。

 レイは速足になり、夏神殿のある丘を登って行った。


「急ごう。本格的に降り出す前につきたい」

「ま、まてよ、このまま行ったら、夏神殿にいくんじゃないのか?」


 不安に思ったクレスはレイにそう聞いた。


「そうだよ。そこが私のうちだから」


 いま、凄いことを聞いた、とクレスは思った。


「え?」


 理解が追い付かずに聞き返す。


「夏神殿が私のうちなんだ」


「だってそれじゃあ……夏主かしゅさまじゃないか……え?」


 夏島の夏主はレイファルナス様という。レイ、ファルナス?


「まさか、レイって……、夏主レイファルナス様?」


 度肝を抜かれてクレスは叫んだ。


「そう、当たり。久しぶりに個人的に知り合った人間を、少ししてみたくなった」


 レイはクレスの方へ振り返り、サファイアのような青い瞳をきらめかせて悪戯っぽく笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る