2章 罪作りな魔法
12話 いつもの訪問者
その森に入ることは死を意味する。比喩ではなく、事実として。
空気に溶けた命の魔女の魔力は、それを取り込んだ生物の寿命を一定量奪い、持ち主(魔女)に還元する。ようするに、その森では呼吸をすればするほど寿命を直に削り取られていくのである。
ゆえに、寿命を削る量の空気を取り込む必要がある生物は住めない。森の中から人間以上の大きさの生物が消えて久しい。
「と言っても、数分そこらで死ぬようなスピードじゃあない。例えば寿命が残り五十年あったとして、森の空気だけで死のうとすれば数週間は滞在する必要がある」
「じゃあこの前シウ君がひっくり返ったのは?」
「ありゃ単に魔力にあてられただけだ。空気の悪いとこいたら誰でも気持ち悪くなんだろ?」
「魔女様の空気は気持ち悪いと」
「語弊があるね!?」
そうであっても数十分、数時間と行動できたのは体内に多少の対抗魔力があったから──すなわち、シックが内に潜んでいたからである。シックがいなければシウはあんな深くまで進んでこれなかったし、ウェナが見つけることもできなかった。功罪とはよく言ったものである。
逆に言えば、魔力をどうにかできれば普通の人間でも行動できる。
「ご機嫌よう」
彼女のように。
「あ、お花屋さん、おはようございます!」
ウェナは無遠慮に扉を開けた女性に駆け寄っていく。淡い青色の髪を三つ編みにした女性は上品にお辞儀する。胸元のシャツポケットに挿した青い花がくるりと揺れた。ウェナもそれを真似して返す。
「おう、花屋」
目玉焼きの黄身を崩しながらデスは顔を上げた。黄身がとろりと皿に流れ出す。
「デスさん、また鍵もかけないで。不用心ですわ」
「いいんだよ。来るのなんてオメーくらいなんだから」
「相変わらずお友達が少ないこと……」
「ほーお、喧嘩なら買うぜ」
「嫌ですわ、私、争いは嫌いですの。だって哀しくなるでしょう?」
花屋は左手に提げた木で編まれたバスケットを持ち上げた。中には色とりどりの花々が規則正しく体を寝かせている。
「それに、デスさんは魔女なのですから。私では敵いませんわ」
「よく言うぜ。魔力まみれの森を闊歩してやがるくせによ」
「それはこの花のおかげですから」
胸元で凛と咲く青いを示す。
「魔力を弾く青い花ねぇ……他の花もだが、どっから採取してくんだか」
「企業秘密ですわ」
「個人事業だろ」
微笑んだ花屋はバスケットをウェナに手渡すと、「それでは」と丁寧に頭を下げる。
「もう行っちゃうんですか」
ウェナが寂しそうに言うと、
「今日はこのあとお客様が控えていまして」
「へぇ、珍しい。お前がちゃんと花屋らしいこと言ってんの初めて聞いたかも」
「あら、喧嘩なら買いますよ」
「神経が図太いってレベルじゃねぇな」
「生花で勝負いたしましょう」
「躊躇なく自分の得意分野を指定してくるとこは好きだぜ」
冗談ですわ、と冗談なのかそうでないか微妙なトーンで口元を隠し、ウェナの頭を一撫でして花屋は森の奥へと消えていった。
デスは目玉焼きをしゅぶしゅぶ食べながら、ウェナが持ってきたバスケットを覗きこむ。
「ふーん、なかなか面白そうなもん持ってきたな」
花屋はいつも変わったものばかりバスケットに詰めてきた。周囲の熱を奪い常にひんやりしている花、表面が透けている花、光の反射で七色に変化する花……どこに生えているのかもわからない謎の花々を木のバスケットにたっぷり並べ、料金も受け取らずに帰ってゆく。
「何本か飾ってもいいですか?」
わくわくした瞳でウェナが言うので、いつも通りにデスは「任せる」と目玉焼きの最後の一切れを口に含んだ。
花の用途は主に二種。観賞用か、材料である。大概はウェナが気に入った花を何本か見繕って生け、残りはデスの実験に投入される。それでも余ったものはウェナがドライフラワーにして、次に花屋が来たときにプレゼントしている。
「あ」
バスケットを探っていたウェナは、底の方から青い花を引っ張り出した。花屋が挿していたものと同じものだった。
「おう、いいじゃんそれ」
デスは花を受け取り、ウェナの髪に挿した。
「似合ってる、似合ってる。その花、魔力を弾くから薬飲まなくても森を出歩けるな」
「わあ……っ」
ウェナははしゃいでクルクル回った。花の青い軌跡が空に残る。扉を開けて森へと飛び出す。さふさふと草を踏みながら、振り向いて手を振った。
「魔女様、今日は一緒にお散歩しましょう!」
「えー……」声を上げかけて止める。「ま、たまにはいいか」
スキップする背中を見失わないように、デスはのんびりそのあとを追っていった。
三日後、二人は再びその青い花を見ることになる。
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