03.無色の歌
ああやはり眠りは浅い、体が新しくなっても今までと習性は変わらないらしい。
脳に深く刻まれた僕の体内時計。気を失ってからそれほど時間は経っていないはずだ。
…うん、やっぱり、あれから大体2刻ぐらいだ。
僕の脳はずっと起きている状態だ、大体の時間の感覚のようなものは昔から把握できている。
まず初めに感じたのは人の体温、小さめの手のひらで頭部を撫でられている。
これは女性の手だろう、余り骨張っていなくてなめらかで、でも少しだけ荒れているかも。
普段ならば振り払ってしまう手を僕は振り払うことができなかった。
僕は自分の色がとても嫌いだ。頭を撫でられるなんて、ましてや知らない女性に触られるなんて冗談じゃないんだけれど。
不思議と嫌悪感を感じなかった。頭をを撫でたり、時折額に手のひらを置いたり。指の腹で頬を撫でたり…何をしたいのかはわからないけれど。
ふと手が離れれば今度は額に冷たい布と水の感触がする。あれ、なにこれ凄く気持ちがいいな。
僕確かとてつもなく汚かったよね?殆ど汚物みたいになっていたと思うんだけれど。
身体からはそういった嫌な感じはしなかった、むしろ綺麗に清められている、嫌な臭いもしない。
口には鉄の味やらなんやら残っているからあの出来事は現実にあったことのはずだ。
これ全部彼女がやったのかな?何のために?こんな状況向こうではなかったからどうしたらいいのかわからない。
水…額だけでいいのかな?頭から桶で水ぶっかけたりとかしなくていいの?僕床汚してたし、かなり汚かったはずだよ。
なんで殴らないの?罵声の一つでもあげればいいのに変なの。
ずっと顔を覗き込まれている、凄く近い。でも一定の距離を保ちながら、なんて言うんだろう…見守られているっていうのかな。
優しく触れたりなでたりはされるけれど、無理やり触れてくるわけじゃなくて。こちらの様子をじっと伺いながらそばに座って僕のことをずっと眺めている。
あまり見ないでこんな顔、恥ずかしいから。女性免疫は全然ないし不細工なんだよ僕。なんだかとても居た堪れないよ。
顔を隠したくなって寝返りを打つふりをしようかと思ったけれど、よほど疲弊したのか体は全くいうことを聞かなくて。
指の一つもまだ動かせない、瞼すら重くてあけられない、何一つ自分の思う通りには動かない、僕は彼女のなすがままだ。
じっと見つめていたかと思えばまた触れてくる、頭に乗せた布がぬるいなと感じてきたらこまめにかえてくれて。
僕、看病されているのかな?自分で誰かを看病したことはあっても、自分でされたことは今まで皆無だったからこの時にやっと気が付いた。
僕が倒れたことは幼い頃のみ、じゃないかな、一切記憶にないのだから。
異能が開花された後は病気はおろか熱すら出たことはない。毎日のように気を練り上げて体を整えていたからだ。
そうしないと、脳や体が異能につぶされるから習慣的にやっていたことで。異能の使い過ぎで倒れることはあっても人の手を借りるまでの程でもなかったし当たり前に毎日健康で元気で万全で。これはランゲツも僕と一緒だった。
だからあのランゲツが倒れた時のことがどれだけ異常事態だったか、思い出しただけでも恐ろしい話だ。
腑に落ちれば体から余計な力は抜ける。
どうやら敵じゃないらしい、危害を加えるつもりもないみたいだし。今の僕ではどうにもならないし。
『核』もまだ定着がされていないみたいで体がほわほわするし、体内の気も今はうまく回せない。
今は少しでも体を回復させないといけないと思い、もう少し睡眠を取ろうかと思ったときのことだ。
「リュウキ。」
とてもやさしい声音、か細くて切なげで、でもどこか高貴な響きのする音で。
なんて優しい声で僕のことを呼ぶんだろうって、こんな風に呼ばれたのは初めての事でおもわず耳を疑ってしまった。
新しい体でも僕の名前はリュウキなんだね。その事にも少し驚いたんだけれど。
その後に起こったことに気が動転しすぎて、僕はそんなしんみりした感情がすべて吹き飛んでしまうことになる。
今まで一定だった距離が一気に縮まって、額にふわりと柔らかくて暖かい感触がして、とてもいい香りが鼻腔をついて。
え、今のなに?
頭が真っ白になる、何、何が起こったの??
何が起こったのかよくわからずにいれば、今度は更に同じ感触が右の頬に…
ひ、ひええ!!!
柔らかい物の正体が唇だと気が付いたのは更にもう一度左の頬に触れられた時だった。
声にならない声があがる、なに、なに??なんで??
いままでそんな気配まるでなかったじゃないか、なんで彼女は僕に唇近づけているの??
混乱する僕をよそに、今度は小さく鼻に触れて、そのままゆっくりと…
まって、まって!!く、口は駄目!!口は駄目だから!!!
焦る僕。そこは駄目だよ、大切な人のためにとってあるんだよ!!
まぁ、その、20年以上生きていてもそんな機会はついぞ訪れなかったけれど、ランゲツに散々「頼むからいい加減に適当に済ませてくれよ。流石にねぇわ、お前キメぇよ。」と言われたけれど無理だったから!!
迫りくる気配にどうやって回避したらと、ほぼ半泣き状態で身を固くしていれば以降は何も起きず。
かわりにコツリと額に固い感触がして、でもすぐ真上に相手の体温も息遣いも感じる。
額を合わせている…?
…?
額がほんのり熱くなってくる、あれ、この不思議な「気」のようなもの、さっき…
「神聖なる女神『アロレイア』様 どうか我が子を、リュウキをお助けください。」
声にも混じっている不思議な気と音、彼女は『音』が独特だ、こんな声の使い方初めて聞く。
歌うような、唱えるような不思議な響き、声自体に気が混じるのは生まれ持ってのものなんだろうか。
ずっと聞いていたくなるような声、声自体が捧げもののように美しいものだった。
彼女の唇から紡がれるのは小さな歌。囁くように、癒すように、慈しむように、ただただ優しい歌が部屋に響き渡って。
部屋全体をあの「気」が包む、先ほど僕が壊した無色の『核』と同じものだ。
こんなにも綺麗な歌、前の世界では聞いたことがなかった。
僕の額に自分の額を当てながらひたすらに祈るように歌を奏でる。
合わせた額から、彼女の温かさと、それと少しの身体の震えを感じて僕は何とも言えない気持ちになった。
この体制でいるのはとても辛いだろうに、彼女は歌を口遊むことを決して辞めなかった。
この子は僕の母親らしい、母親なんて僕もランゲツもいたことがないからわからない。
でもすごく心配しているんだってことはわかった、同時に申し訳ない気持ちになった。
どうしたらいいかな、どうしたら伝わるのかな。
声は出せるのかな。口は開そうだったから頑張って口を開いて…
「ご、めん、ね…」
声が止む、突然訪れた静寂に僕自身がとても驚いた。
部屋全体を覆っていた暖かな「気」が消え、少しばかり重苦しくなる空気に、彼女が微動だに出来ないほど驚いているのだと気が付いたのはすぐの事だ。
何か変なことを言っただろうかと思えば、力の限り強く彼女に抱きしめられる。
「リュウキ、リュウキ…ああ、リュウキ…」
何度もかみしめるように彼女は僕の名前を繰り返す。声には強い喜びの色が混じっている。
ただ僕としては内心が穏やかではない。
く、苦しいし、柔らかいし、恥ずかしい、これ恥ずかしい。
中身が20超えた男なのでこういう時どうしたらいいのかわからず困惑する。
彼女は何故これ程までに喜んでいるんだろう。それもよくわからなかったけれど何かあるのかもしれない。
彼女は僕を抱きしめながらまた先程と同じように唇から美しい歌を紡いでいく。
先程よりもずっとずっと嬉しそうに、幸せそうに歌は部屋に響き渡って…
僕はその様子に肩の力を抜いた。
彼女は僕の母親だ、やたらと親しげにベタベタしてくる、目的がなにかすら分からない女性達とは違う。
だからこのままでいても大丈夫だろう。体全体に感じる温かさにほっと息をつきながら、彼女の歌に耳を傾ける。
この世界の神は眠りについているはずだ、だからこの祈りは届かない。
こんなにも綺麗な歌を聞けないなんてとても勿体ないことだよね。そんなことを思った。
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