18 得とはなんですか?

 トンっと再びカリダ亭の屋上へとパティエンテは降り立った。


 心なしかしょんぼりとして。

 だって、手の中には何も無いのだ。ずっしりとした存在感が恋しい。


 とぼとぼと厨房へと戻る。


「エンテ! 何処に行ってたのよ。それになによその服!」

「破れてしまったので、応急処置というほどではありませんがシーツで対処しています」


 大丈夫なのかと心配するグレイに何もないと伝える。事実、怪我は治りきっていたのだから問題ない。

 ほっとしたグレイは「あれから大変だったんだから」と呟いた。


「すみません、休憩時間を過ぎてしまいました。モナルにアマイモを診てもらっていたのですが……」

「え? モナルさんってこの街にいるの」


 まさかモナルの家まで向かったとは考えもしない。

 偶然この街に居合わせたと思ったようだ。


「そうですね。街の何処かには居ると思うのですが、今は何処に居るかわかりません」

「特務官だけあって無駄に顔も広いから仕方ないか」


 微妙に擦れ違った会話が続いていく。


「それで、あれはクエズイモだったの?」

「ほぼそうだろうと言っていました」

「ほんとう!? 良かった~!」


 パティエンテの肯定にグレイは心底ほっとした声をあげた。

 そこで厨房の異変に気が付く。


「グレイ以外には誰も居ないようですが、どうしたのです」

「ウォレロさんに報告したんだけど、事情が事情だから今日の食事処は閉店。街でもバタバタ人が倒れて大騒ぎになってるみたいよ」


 アマイモを使っていた以上、大事をとって店を閉めていた。

 グレイはというと、趣味も兼ねた新メニューの考案の為にまだ残っていたのだという。

 後片付けをする代わりに家よりも設備の整った厨房を借りているそうだ。


「せっかく賄いでアマイモを使った新メニューの試食をお願いしようと思ったのにこれじゃあね。今はクッキーが焼けるまで待っていたの」

「クッキー!」


 サクサクで甘いお菓子。

 その程度の認識だが、パティエンテはヒトの作るものが大好きだ。

 瞳を輝かせずにはいられなかった。


「そんな顔をしないの。ちゃんとあげるから」


「この恩はどう返しましょう! 珍しいお肉を狩ってきましょうか」


「ん~じゃあアウズフムラでも一狩りしてもらおうかな。いつかは食べてみたいなぁ」


「お任せを!」


 ――アウズフムラとは討伐ランクAに相当する魔牛である。

 冗談だと笑うグレイの言葉は既にパティエンテには届いていない。

 どうせならお零れにあずかりたいという下心の前には訂正など無力だった。


「そろそろクッキーが焼けた頃かな」

「出しましょう出しましょう!」


 厚手の手袋をしたグレイによって窯が開かれた。窯の中には出来たてのクッキーだ。

 いますぐ手を突っ込んで口に入れたい欲求を抑えつつ、グレイが取り出すのを待つ。


「今日はアマイモのちょっと変わってるところに気づいてくれてありがとうね。おかげで大事にならずに済んだよ」


 これは礼だと皿にこんもりとクッキーが盛られていく。


「わぁあああああ!」

「あはは、ほんとは明日渡すつもりだったんだけどやっぱり出来たては美味しいから」


 いい匂いにパティエンテの視線は外せない。


「いただきます」


 一口入れてみると、ほくほくさくり。

 ほのかな甘みが口の中に広がっていく。

 甘さは控えめだが、余計にもう一口と食べる手が止められない。


「とても美味しいのです! 幸せになりました! それにふんわりとアマイモの味もします」


「わかった? 今日作った仕込み分は他の人たちが持って帰っちゃったんだけど、アマイモのポタージュだけは誰も持って帰らなくてさ。

 生地に混ぜてみたんだよ」


「こんなにも美味しいのにもったいないですね」


「心理的な問題ってやつかな。まだまだ余ってるから、飲む?」


「飲みます!」


 寸胴の中にはたっぷりのアマイモポタージュが残っていた。

 誰も持って帰らなかったのは残念だが、それと同時に残っていた嬉しさにパティエンテはニコニコだった。


「アタシだけじゃ消費出来なさそうだし、部屋に持って言って飲んだらいいよ。寸胴は後で返してくれたらいいから」

「明日の朝には返します」

「ほどほどにね」


 これだけあれば満腹にもなるだろう。

 カリダ亭での食事が少ないわけではなかったのだが、パティエンテにとって満腹といえる量ではなかった。

 だからこそ楽しみで仕方がない。


 満腹とは、それだけで幸せになれる状態なのだ。


「明日からはアマイモ抜きのメニューを考えなきゃね」

「そんな」

「販売は止まってるみたいなんだけど、同じ所からアマイモを仕入れてるから何処の店でかわからないのよ」


 クエズイモがどこで混入したのかわからない。

 混入したと噂が広まり、アマイモを食べないように伝達された頃には既に大勢が倒れていた。


 経路不明の混入に暫くはアマイモを食べるのを控えるようにイラメントの街では施策がとられている。


「市場の店も、国が管理してるような作物が紛れ込む訳がないって言ってるみたいだし。悪戯にしては手がこんでるっていうか悪質なのよね」


「アマイモかどうかの判別はわたくしがいくらでもするというのに」

「買われた量が量だけに難しいかも?」


 店に在った在庫のアマイモだって全て廃棄することになっていた。

 店ではよく使われる食材だっただけに、事態が解決するまでメニューは欠品にするしかない。


「ここで働いて初日なのに、凄いことになっちゃったわね」


「っう……今度は抜け出さないようにします」


「別に怒ってないからいいのよ。最初からガチガチにやったって何の得もないんだから」


 「むしろ初日からエンテは頑張り過ぎだったのよ」とグレイは続けた。

 彼女の言葉がよくわからずに聞き返す。


「得とはなんですか?」


「どうせそのうちゆるゆるにやっていくんだから、それなら最初からゆる~くやった方が無駄がないでしょ」


 “ゆるゆるにやっていく”

 その言葉がパティエンテの胸に響く。


 思えば、第一王子アルトスの婚約者となったときよりずっと張り詰めていた。

 嫌われたくなくて、失敗を重ねても出来るようになるまで練習を繰り返していた。

 一日中気を張り詰めていたのだ。


「ゆるゆるに頑張ります」


 必死にやっていて失敗してしまったのだから、今度は少しだけ翼の力を抜いてみよう。

 パティエンテはグレイに頷いてみせた。

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