10 道に迷いませんか?
イラメントは坂の多い街だ。
中心部に行くにつれて大きな窪みのようになっており、高低差が大きい。
しかも建物の改築と増築を繰り返し、その道は迷路のようになっていた。
「迷子になってしまいそうです」
「そういう時は標識を――って、こっちの字は読めないんだったか。とりあえず大通りから曲がる本数だけ覚えておけばいい」
イラメントの街はあまりにも遭難者が続出した為に、大通りを基準に少しづつ街を整備しているのだという。
だからよほどアングラな場所に行かない限りは大通りだけを覚えればよいわけだ。
逆説的に、古い区画に行くほど整備されておらず治安も悪くなっていく。
「早くこちらの字も覚えなければなりませんね」
「学のない冒険者向けの私塾に通うのも手だぞ」
ミネルウァ公国は多民族国家。
方言までならばなんとか通じるにしても、字はそれぞれの民族によって全く違う。
それが各地から様々な人種が集まる冒険者の街なら尚更だ。
だからこそ、共通語としての文字を教える私塾がある。
「一応言っておくと、あの看板には3番街って書かれてるんだ」
正門から入り、広場を越えて大通り。
指を刺された先の看板。見慣れない文字であるがパティエンテはしっかりと目に焼き付ける。
モナルの背を見ながら進み、右に3回、左に2回。
そこで彼は足を止めた。
周りよりも一回りほど大きな建物。
商業施設のようで、人の出入りも多い。
「あら? 雨でも降ったのでしょうか。皆さん濡れていますね」
「そら風呂上りだからな」
お風呂、とモナルの言葉をパティエンテは繰り返す。
お風呂とは人間の水浴び行為だ。
ただ、人間は寒さに弱いから温かな湯で身体を洗うのだと記憶している。
ロースラグ王国ではほぼシャワーで洗ってもらっていたのでパティエンテは湯船と無縁だった。
「坊ちゃん!」
「久しぶりだな」
老人、というには力強さを感じる男が駆け寄ってきた。
老齢であるとわかるが、豪快さが際立つ。眼光も鋭く、冒険者という荒くれ者の多い街でも絡まれることは無さそうだ。
「もう少し遅くなると思っていたんだがの、ずいぶんと早い」
「意外と健脚でな」
ちらりとモナルはパティエンテを見た。
彼の家からイラメントの街まで、休まずに歩き続けていた。
本来ならば休憩を挟む予定であったが、疲れ知らずに歩き続けるパティエンテの様子から直行したのだ。
紹介する、とモナルはパティエンテを前に出した。
「エンテだ。悪い奴じゃないと思う。……たぶん」
「ああ、彼女が手紙に書いていた。坊ちゃんが言うなら大丈夫じゃろう」
「あと坊ちゃんはやめろ」
手紙、と言う通り彼こそがモナルの信用出来る人物なのだろう。パティエンテは軽く膝を折り、礼をする。
「儂はウォレロじゃ。この銭湯宿屋の主人をやっとる」
「エンテとお呼びください。モナルに連れられて来ました」
挨拶はヒトの基本だ。これに関してはヒト文化に染まったドラゴンも変わりはない。
挨拶がないということは、ドラゴン社会においては友好を示さないものと同義。
敵意があるととられてもおかしくない行為だ。
「こりゃまた……変わりモンを拾ってくるとは思っていたが今度はこんな別嬪さんを」
自分以外にも拾われたものがいたのか。
多少の驚きを抱きつつ。それよりも。
「ふふ、そうですか。
「あ、ああ」
自意識過剰かとモナルが白けた顔をしているが、丹精込めて作った
別嬪というからには自分の姿を気に入ってくれたのだろう。
となると確認せねばならない。
「もし、ウォレロに伴侶は――」
「見境なしか!」
最後まで言い切る前にモナルが断ち切った。
「見境はあります。私はウォレロが気に入りました。とてもよい匂いがします」
「なんだそれ。言っとくけどな、ウォル爺は夫婦でここの営業をやっているんだぞ」
「でしたら駄目ですね。よその恋路を邪魔する奴は翼をもがれて死ねといいますから」
略奪愛は生きるか死ぬかの決闘を挑まなくてはならない。
負ける気はしないが、それでは駄目だ。
もし勝ったとしても相手からは嫌われてしまうだろう。大人しくパティエンテは引き下がる。
ウォレロはよくわかっていなかったが、モナルの剣幕を見て笑っていた。
「他に好いヒトが見つかればよいのですけれど」
「それより自分の生活の心配をしてろ。それまで伴侶探しはストップだ」
「そんな……いえ、甲斐無しがモテないのは当然ですものね」
渋々と了承する。
獲物を多くとる個体が選ばれるのは当然。きっとヒトの社会でも同じだろう。
どうせなら相手からも選ばれたいとパティエンテは思う。
自分の姿を好くものがパティエンテの伴侶探しにおける絶対条件である。
基本的に彼女はヒトが好きだ。その好きなヒトの中でも、直感で好いたものがよいと考えていた。
「あらあら、モナル坊ちゃん。今日は一段とお元気ねぇ」
店の前で騒いでいると、ほけほけとした声がかけられた。
「アリア。だから坊ちゃんはやめろといつも言っているだろう。そんな歳じゃないんだ」
「そう言われてもねぇ。小さなころを知っているんですもの」
彼女の名はアリア。ウォレロの妻だ。
屈強なウォレロとは違い、上品な老婆といった印象だ。
「小さなころといいますと、お二人とモナルは幼馴染なのですか?」
きょとんとパティエンテが聞けば噴き出したのはウォレロだ。
どうも幼馴染という言い回しがツボにハマったらしい。笑いこけている。
アリアも口元を隠して笑っていた。
「……実家で世話になった仲だよ。ウォル爺はうちの剣術師範」
武術を嗜んでいるのだとしたらガタイがよいのも納得した。
「なるほど! ではモナルは剣を扱うのですね」
なにげなく聞いてみたが、モナルはぷいと顔を背けた。
「それがの、嬢ちゃん。坊ちゃんはなんでもそつなくこなすのに剣術の才能はからきしでのぅ」
「興味が出なかったんだからしょうがないだろう」
彼は己の興味のある分野だけ突出したタイプだった。
だから剣術は向いていなかったのだ。
ふてくされながら、それよりも!とモナルは声を上げる。
「早くエンテを案内してやってくれ」
「こりゃいかん。久しぶりに坊ちゃんに会えたもんで話し込んでしもうた」
夫妻の案内の元パティエンテは銭湯宿屋――カリダ亭へと足を踏み入れた。
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