第二十六話 蛍宮要人からの救済

 薄珂はにこりと微笑んで、護栄は頬をひくつかせている。

 この護栄という男がどういう身分で薄珂とどういう関係なのかは分からないが、薄珂が主導権を握っていることは分かった。

 きょろきょろと二人を見比べると、つんつんと立珂に腕を突かれた。


「薄珂はとってもすごいんだよ。まかせておけばだいじょうぶなんだよ」

「え、えーっと……」


 立珂はにっこにっこと微笑んでいる。勝峰は堪えるようにひっそりと笑い、護栄の手前にいる男はほら見ろと声に出して笑っている。

 薄珂はいつも通り立珂を撫でているだけだ。


「護栄様。今回の被害者を蛍宮宮廷で雇ってあげてほしいんだ」

「そんな事だろうと思ってましたよ。雇用契約書は用意してきましたよ」

「さすが護栄様。威龍、もう大丈夫だよ」

「え? 何が?」


 あっさりと話しが終わり、いつ始まり何がどう終わったのかすら威龍は付いていけていない。付いていっているのかは分からないが、立珂はわあいと喜んでいる。

 首を傾げ瞬きを繰り返すしかない威龍に、護栄から雇用契約書の束を受け取った薄珂がふふと笑った。


「護栄様は蛍宮宮廷の宰相だよ。戸部と礼部と吏部の採用……ようするに宮廷の権限ほとんどを握ってるんだ。全員蛍宮で雇ってくれるってさ」

「何でだよ。蛍宮がそこまでする理由はないだろう。何で雇ってくれるんだ。大丈夫なのかそれ。危ない事やらされるんじゃないのか」

「ほお。良識ある子が友人になるとは実に喜ばしい。これが普通ですよ薄珂」

「でも助けてくれるでしょ? そろそろ契約更新の時期だね」


 薄珂は一枚の書類をひらひらと見せ付ける。先ほどから掲げているのは『優先売買契約契約書』で、その意味は読んで字のごとく優先的に契約するというものだ。

 契約者名は天一と、護栄の名が記されていた。


(ええと、護栄様ってのは蛍宮の偉い人で薄珂と契約してるってことだよな。それを盾にしてるってことで……え? じゃあこれ脅し?)


 ようやく流れを理解し、これは甘えたいが甘えて良いかは悩ましい。

 慌てて脅されている護栄を振り返ったけれど、護栄は愉快そうに微笑んでぽんっと頭を撫でてくれる。


「孤児難民支援は蛍宮にも利益があるので気にしなくて良いですよ。宮廷職員として採用し安定安全な生活を約束します」

「宮廷職員⁉ 隊商隊員は学の無い奴ばっかです。難しい仕事は無理です」

「大丈夫ですよ。職種は下働きで主に宅配です。運搬や商品の扱いに長けている隊商隊員こそ欲しい人材なんです」

「え、あ、そう、なんですか。そっか。よかった……」

「優しい子ですね、君は。薄珂とは大違いだ」

「目的達成の取捨選択が正しいと言ってほしいな。俺を含め、護栄様直属の部下四人はみんなそうだよ」

「都合の良い時ばかり上司扱いですか。威龍君。薄珂の紹介なら待遇には配慮せざるを得ないので配慮しますよ」

「それに乗って良いか不安なんですけど。絶対何かさせられますよね、俺」

「良識があり察しも良いとは素晴らしい。そのまま薄珂の右腕を目指して下さい」

「え、ちょ、ちょっと荷が重いです」

「見識も正しいですね。でも本当に気にしなくて良いですよ。出会いから利用された君の不憫を想えばこれくらいはしないと」

「出会いから、ですか? 薄珂と会ったのは偶然ですよ」

「それは薄珂の作った必然に気が付けていないだけ。政治に偶然はありません」

「政治?」

「ちょっと護栄様。余計なこと言わないでよ」

「何だよ。出会いって何だよ」


 薄珂は少しだけ口を尖らせて悩んだような顔をして、護栄はしてやったりとばかりに笑みを浮かべた。


「説明無しは卑怯ですよ、薄珂。威龍君は今回の発端が何だか分かってますか?」

「異常獣化の化け物ですよね。馬車で襲われました」

「それは君の発端ですね。全ての事件の発端です」

「事件? ああ、教会の麻薬ってことですか? あれは羽民教ですよね」

「正しくは羽民教を隠れ蓑にした麻薬製造密売とそのための有翼人略取。これの発生開始時点は数年前に遡りますが、直近で被害者の一人が君の抱く青い羽の赤ん坊」

「えっ?」


 突如護栄が雛を見て、威龍は思わず雛を隠すように抱きしめた。

 雛は事件に関わっているわけではない。被害者になりえたかもしれないが、実際には何も起きていない。


「何で雛が出て来るんだよ。雛は孤児だ。道に捨てられてたんだ」

「ちょっと違うんだ。雛は托卵に出されるはずが失踪して、実の親から華理へ捜索願が出た。華理刑部はこれの捜索を始めてたんだよ」

「雛も羽民教の誘拐だったのか⁉」

「それは分からないけど、出来事として『有翼人の失踪』だから同一の事件として扱われたんだよ」

「この事件の調査へ加わったのが明恭皇麗亜殿です。明恭はご存じですか?」

「北の寒い国ですよね。凍死が多いから隊商は絶対に行かない国です」

「そう。高い保温性を誇る有翼人の羽根防寒具は命綱。失踪で防寒具の製造が止まれば死ぬ。だから麗亜殿は明恭の捜査に手を貸して、協力の実働をしたのが薄珂です」

「麗亜様には恩があるからね。それに羽根麻薬は他人ごとじゃない。異常獣化は羽根麻薬の証拠だから製造元の教会ごと一斉に押さえようってなったんだ」


 薄珂は悩んだわりには流れるようにぺらぺらと語り、立珂を撫でながら微笑んだ。

 聞く限りでは薄珂が悩むような話ではなさそうだったが、護栄はにたりと妖しげな笑みを浮かべた。


「でも薄珂が積極的に動いたのは君がいたからですよ、威龍君」

「俺? 俺はたまたま馬車で通って、化け物に襲われたのもたまたまです」

「それは必然です。あの山道を麻薬密売営業の隊商が通るのが分かっていたので刑部が張っていて、現場の調査に出たのが哉珂殿。たまたまというのなら、刑部が目を付けていた隊商に君が乗っていたことです。憂炎と哉珂殿の遭遇は予定通りなんです」


 哉珂は休憩所に一人で現れた。それも隊商ではなく歩きでいるのは妙だなとは威龍も少なからず感じた。哉珂を見ると、こくりと頷いている。


「俺には護衛が付いてるんだ。薄珂はそいつから威龍のことを聞いてたんだな。前に教えたろ。薄珂はお前を何に利用した?」

「囮?」

「それです。薄珂は自分と立珂殿の影武者が部下に欲しいんですよ。いざという時に身代わりになってくれるようなね」

「……あ?」


 聞き捨てならない話に、威龍はぎろりと薄珂を睨んだ。

 薄珂は目を泳がせてあはっと誤魔化すように軽く笑い、ここぞとばかりに護栄がずいっと顔を突き出してくる。


「君も察しているでしょうが、薄珂殿と立珂殿少々特異な立場。危険な目に遭ったこともあり、この先も無いとは言い切れない」

「だから俺と雛を身代わりにしようって……?」

「別にそれ目的じゃ無いよ。配達を広げたいから鳥獣人を従業員に欲しかったんだ。ただ威龍と雛は結果そういうことになるかもしれないなとは思ってたけど」


 薄珂はにこりと微笑んだ。その笑顔に悪気は感じられないが、悪気が無い方が悪質にも感じる。

 苛立ちを覚えて何か言ってやろうと思ったが、今回の関係者が高貴すぎることは忘れていない。


(落ち着け。落ち着け俺。ここで腹を立ててこの顔ぶれを敵にするくらいなら薄珂に取り入って庇護下に入るべきだ。雛の将来にも絶対その方が良い)


 威龍は深く息を吸って吐いた。

 薄珂の微笑みに答えるように、威龍もにこりと微笑んだ。


「囮にする時は先に教えておいてくれ」

「分かった。心がけるよ」

「威龍君は常識的で聡明ですね。素晴らしい」


 何故か護栄から称賛され、威龍は複雑な気持ちになった。

 言いたいことはまだあるが、腕の中で眠っている雛を抱いて心を落ち着けた。


「とまあ、色々こんがらがったけど概ね予定通りだよ。雛の親にも報告できるし」


 薄珂の言葉に、どきっと威龍の心臓が跳ねた。

 托卵は孤児と違ってどこかに実の親がいる。威龍もそうで、雛の親が托卵を本能とするのなら雛は孤児ではない。

 勝手に『拾ったからこちらで育てます』などと宣言し引き取ることは許されない。


「雛の親は鳥獣人で、憂炎とは別の隊商に預けた托卵なんだって。けど巻き込まれて行方不明になってたんだ。もう隊商には預けられないと言っている」

「……雛を、返すの?」

「もちろん。威龍は托卵契約先じゃないからね」


 目を覚ましたのか、う、う、と雛はきょとんとした顔で手足をばたつかせている。

 その動きはただひたすらに愛らしいが、威龍は少し一緒にいただけの他人だ。

 契約すらしていない無関係な赤の他人だ。

 威龍はさあっと血の気が引いて、がたがたと震えながら雛をぎゅっと抱きしめた。

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