第十二話 有翼人売買
笙鈴が立ち去ると、神官が中へ戻るように忠告がてら張り付いてきた。
彼等に悪意があるのか無いのかは分からないが、見張られた状態では教会内の捜索もできない。
(どっか行ってくれないかな。見張りなら無理だろうけど、何とかしたい)
無事に違いないと言われてもやはり薄珂たちの行方が気にかかる。
気ばかりが急くが、そんな威龍の焦りを感じ取ったのか雛がぐずって泣き始める。
「んやああ」
「あ、どうした雛。大丈夫だぞ。怖いことは無いぞ」
「赤ん坊は慣れない場所にいるだけで驚いたりもするからな。戻って休もう」
「うん。ごめんな、雛。疲れちゃったよな。水でも飲むか」
雛を休ませるため、威龍と哉珂は食堂に入って水を貰った。
しかし雛は口に含んだ途端にその水をぺっと吐き出してしまう。
「あれ。どうしたんだ、雛。水は嫌だったか?」
「水道水なんだろ。有翼人は鉄の匂いを嫌うから水道水も苦手なんだ。止めとけ」
「ああそっか。じゃあ持って来たやつ飲むか。林檎の果汁だぞ」
薄珂が薬屋で貰ってくれた品には薬品以外にも緊急食糧があった。
食べ物は一般的な離乳食だが、飲み物は少しだけ変わっていた。加工食品を好まない有翼人の赤ん坊には、果肉が入っている果汁を飲ませるのが良いらしい。
味や栄養よりも、体内が果物の甘い香りに満ちることが気持ち良く、羽変色の予防になるという。
林檎の果汁が入っている小さな水筒を取り出し、匙に少しだけ入れて泣いている雛の口元に運ぶ。
一口飲ませてやるとすぐに泣き止み、んくんくと勢いよく飲んでいく。
「雛は林檎も好きだよな。新鮮なやつが手に入ったら摩り下ろしてやるからな」
雛が一生懸命に食事をする様子は力強く生きていることを実感できる幸せなひと時だ。こんな時でも雛は可愛くて、その姿に威龍は癒された。
しかし哉珂はふいに目を細め、渋い顔をして雛を見つめている。
「……妙だな」
「何が? 雛は果物はどれも好きだよ」
「雛じゃなくて教会の話。水道水は有翼人の健康を損なう。だから羽民教教会は水道を引かず天然の水を使うんだ」
「それは有翼人だけでしょ? 有翼人じゃない神官が使うんじゃないの?」
「教徒全員に強いられる規則なんだよ。神の遣いである有翼人を害する物は世界の汚点。だから教会は海や川付近にしか建てられず、これが羽民教の広まらない理由でもある。今時、水道水使わない土地はない」
「ふうん。けど有翼人て薬っぽい匂いが好きなんじゃないの?」
「まさか。一番嫌いなはずだ。雛は好きなのか?」
「雛じゃなくて笙鈴さん。羽から薬みたいな匂いしたんだ。あれが良いなら教会も薬品臭くする思うんだけど。それとも笙鈴さんはやっぱり特別なのかな。雛と違って羽すっごい真っ白だし」
笙鈴と話した時、僅かだが妙な匂いがして雛を隠したのを思い出す。
哉珂は眉間にしわを寄せ、はっと何かに気付いて顔を上げた。
「そうか! 染色か! 笙鈴の羽は染色だ!」
「羽染めてるってこと? なら偽物じゃん。あ、だから羽根落とすなって言ったのかな。雛を見れば笙鈴さんは天然じゃないって分かっちゃいそうだし」
雛の羽はとても柔らかく、少し歩くだけでふわふわと揺れる。
一見青だがよく見れば濃淡は羽根ごとで異なり、全体で見た時に青く見える。
だが笙鈴の羽は一枚一枚全てが真っ白だった。それは確かに神々しく見えたが、一本残らずすべて同じ色というのは、雛を見る限りではおかしなことだった。
「そういや神官の装飾も建物の内装も、教会にある羽根って全部模造品だよね。そのうえ教祖の羽も偽物じゃ有難み無いけどいいのかな」
「確かにな。それに羽民教は羽根を神具にする。神官は教祖の羽根を首飾りにし、神子の羽根は教徒に配布される。だが街の教徒も羽根飾りを使ってない」
「あ、そっか。だから変質者に見えたんだ。宗教に所属してる共通の証拠がないから個人が妙な行動を取ってるように見える」
威龍は宗教に詳しくないが、それでも宗教というのは特定の思想を持つことくらいは知っている。一律すぎる行動は奇異に見える事も少なくない。
だが宗教は一定数に必要とされ認められている集団だ。ただ行動がその他大勢とは異なる場合があるだけで、決して犯罪に結びつくわけでは無いのだ。
だが威龍にとっては全員が異様に思えた。それは彼らが一定の規律を持つ宗教団体だと認識が無かったからだ。
例え奇異でも規律のある者と分かっていればうまく流す事だってできた。
だが彼らが宗教の教徒だとは分からなかったし、その可能性を感じることもなかった。教徒として共通する物は何も持ってなかったからだ。
「ねえ。ここって本当に羽民教なのかな。違うように見えるよ」
「俺もだ。これは良くないな。朱の部屋に戻ろう。調べたいことがある」
哉珂は真剣な顔をして立ち上がると真っ直ぐ出入口へ向かった。
威龍もそれに付いて行くが、出ようとした途端に神官がぞろぞろと出てきて取り囲まれてしまった。ここでも哉珂は威龍と雛を守るように背に隠してくれる。
「どいてくれ。俺たちは家に戻ることにした。教会の世話にはならない」
「いいえ。まだ外出はお控え頂きたく」
困り顔をしたのは神官だが、その後ろにいたのは傭兵の仔空だ。
最初に少しだけ話しをしたが、それ以降は特に顔を合わせていなかった。
引き続き教会で傭兵をしていたのだろう。
「雛は慣れた環境じゃないと体調を崩すんだよ。特に水が合わないみたいで飲んでくれない。このままじゃ脱水だ」
「な、なんと、そうでしたか。いや、しかしそれは困ります」
「何が困るんだ。それに協会は一福祉団体にすぎないはずだ。国家権力じゃない以上こちらが従う義務はない。これは任意同行だろう?」
神官は何か言おうとしたようだったが、哉珂の鋭い睨みにたじろぎ目をそらした。
「……おっしゃる通りです。ご帰宅のご要望確かに承りました。しかし警備員の同行をお許しいただけませんでしょうか。万が一の事があってはいけません。神子様であってもなくても」
「仔空だけなら許す。だが付いてくるのは家の外までだ」
「もちろんで御座います。仔空殿。神子様方の護衛をお願いします」
「承知しました。改めてよろしくお願いいたします」
そうしてようやく教会から解放された。教会の敷地を出る僅かの間にも心配してくれる神官がぞろぞろ出てきたが、雛を盗み見る視線はとても気分が悪かった。
*
仔空を伴い朱の屋敷に戻ると、わずかな時間しか過ごしていなかったけれど安心できた。雛も戻って来たことが分かるのか、いっか、いっか、としきりに立珂の名を呼んでいる。哉珂はくすりと笑って雛を撫でた。
「威龍は雛の荷物をまとめろ。華理へ行く間に必要な物はできるだけ持っていけ」
「分かった。雛は何持っていきたい? 食べ物は魚と、果物も持って行こうな」
「いっかのふく! いっか!」
「いっかじゃなくて立珂だ。りっか」
「いっか」
「り」
「り」
「りっか」
「いっか」
「うーん。まだ難しいか。帰ったら立珂にお喋り教えてもらおうな」
「そこの親馬鹿。遊んでんな。荷物をまとめろ」
「あ、ごめん」
羽民教の見張りが無い安心感でついつい雛とじゃれてしまう。
雛も立珂のくれた服や玩具がたくさんあって嬉しいのか、きゃっきゃとはしゃいで笑っている。
しばらく遊びながら雛の気にいる物探しをしていたが、どこからかどたんばたんと何かがひっくり返る音がした。
気になり他の部屋を見ていくと、音の発生源である奥まった部屋に哉珂がいた。
「哉珂? 大丈夫? 何してんの?」
哉珂は難しい顔をして幾つかの書類を並べていた。
大量の書類の他にも箱や袋がたくさん積んであり、それには硬貨がぎっしりと詰まっている。中には威龍も始めて見る白金もあり、ここがどれだけ重要な部屋なのかは想像がついた。
「ここって入っていいの? 怒られない? 絶対まずいでしょ」
「そんな場合じゃないだろ。必要な情報と物をかき集めないとこっちも危ない」
「そうだけどさ。何見てんの? 書類?」
哉珂は手元の書類を一枚威龍に差し出した。見て良いか迷ったが、好奇心がまさりつい覗き見る。
するとそこに書いてあったのは衝撃的な文字だった。
「有翼人売買取引証明書⁉ え、こ、これ、まさか朱さんは有翼人を売ったり買ったりしてるってこと?」
「んなわけあるか。違うよ。これは有翼人に関する商品を売買してるって内容で、朱は有翼人の羽根を買ってるんだ。羽民教が羽根売買で収益を得るのは珍しくない」
「えっ。羽根って神具なんでしょ? 神具を売るの? 神の子の羽根なのに?」
「名目は布教なんだよ。多くの人に神の威光をお届けしますってな。ただ、どう使うかは購入者次第だがな」
「けど羽根で何するの。装飾品か羽毛布団くらいにしかならないでしょ」
「それは色々事情があるんだ。それより気になるのは数量だ。月に千枚って相当だ」
「自然に抜ける分かな。雛は一日に十枚くらいだけど、大人はもっと抜けるの?」
「個人差あるな。けど月に千枚なら最低でも教会の中だけで二十人は必要だ」
「でも笙鈴さん以外に有翼人なんて見なかったよ。あ、監禁してるんじゃないの?」
「それは分からんが、教会は有翼人を使って何かしてる。隠さざるを得ない何かを」
「薄珂もそんなこと言ってたよね。やっぱり犯罪?」
「そうだ。これはもう間違いないだろうな。十中八九、人身売買だ」
威龍は定住したことは無いが、犯罪を目にした事が無いわけではない。
隊商を狙った盗難や強襲は少なからずあり、特に貧困の広がる土地では売上より盗難被害額の方が上回る事もある。
だが人身売買など見たことはない。
獣人は己の技能を商品にするが、狩り奪うのは犯罪だ。有翼人の羽もまた技能の一つであり、守られるべきものである――とされている。
他者が扱って良いのは本人の意思による寄付や、商品として販売した場合のみだ。
だが教会は有翼人で何かをしている。本人の賛同がなければ羽根だけでも犯罪で、ましてや本人を誘拐などしようものなら二重の犯罪だ。
「どうする? やっぱり薄珂たちは見つけた方が良いと思う。少なくとも無事を確認しないと」
「分かってるよ。だが協力者が必要だな。俺たちは目を付けられてる」
「じゃあ笙鈴さん? でも自由じゃないよ。協力してもらう前に足手まといになりそうな気がするよ」
「だろうな。だったら自由に動ける奴を使えばいい」
哉珂は机の上に置いてあった箱を一つ手に取った。動かすとじゃらりと硬貨のぶつかる音がしている。
「あ、もしかして」
「助けるためだ。精々使ってやろう」
「いいのかなー……」
箱には大金が入っている。一晩銀一だろうが金一の客桟代じゃ使いきれないだろう大金を持ち、哉珂は屋敷の外へと向かった。
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